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というのは、社会科学ではなく、生
物学の今西錦司理論の言葉で、ダー
ウィン流の『適者生存』や『自然淘
汰』を否定して、食うか食われるか
の競争ではなく、お互いが棲む場所
を分け合って、自分たちの環境に適
合するように生物は進化していくの
だと主張したものです」
「しかし、少なくともビジネスの世
界においては、みんなで仲良く共存
共栄で棲み分けるというのはあり得
ない。 棲み分けはむしろ、自分たち
の棲む場所を見つけて、そこに適合
して定着できたものだけが生き残る
という、競争の結果だと思います」
──運輸業の混載サービスと比較し
て、荷主同士の共配がなかなか成功
しないのはなぜでしょう。
「先ほどの掘留の繊維問屋のケース
で言えば、荷主によって元々の運賃
が違うからです。 同じ問屋であって
も大手は運賃が安く、中小は割高な
運賃を支払っている。 それを共配に
乗せようとなると、運輸業者は大手
と中小の中間より少し安いぐらいの
運賃を提示してくる。 中小はそれで
コストダウンになるけれど大手はコス
トアップになってしまう。 そのため共
配に乗ってこない。 そうなると運輸
業者としてもベースカーゴがなくなる
ために、最初に提示した運賃ではや
共同物流は日本特有のテーマ
──環境対策や燃料費高騰への対応
策として、改めて共同物流が注目さ
れています。
「物流の共同化は古くて新しいテー
マです。 私の知る限り、最初の本格
的な共同化の取り組みは、日本橋掘
留の繊維問屋街の共配だったと思い
ます。 一九六〇年代のことです。 当
時、掘留では交通渋滞が問題になっ
ていた。 そのため地元の久松警察署
の要請で問屋同士が共配に乗りだし
たんです。 日本通運の秋葉原支店が
まとめて集荷して、それを各路線会
社に渡すというものでした」
「それから四〇年以上が経ち、その
間にそれこそ数百件にも上る共同化
が全国で試みられてきたけれど、そ
のほとんどは失敗に終わっています。
物流共同化には行政も、ずいぶんと
資金を投じ、研究や調査、実験が行
われてきたけれども、いつも同じこと
の繰り返しで、過去の教訓が活かさ
れているとも思えない」
──物流の共同化については、海外
にも文献がほとんどないようです。
「私もこれまでにずいぶんと共同化
や共配について調べたり、モノを書
いたりしてきましたが、海外の情報
を参考にしたことは一度もありませ
ん。 そもそも荷主企業同士が集まっ
て物流の共同化を進めようというの
は、日本独特の取り組みだと私は理
解しています」
「海外では運輸業者が主導してクロ
スドッキングの仕組みを作るとか、コ
ンソリデーション(混載) システムを
提示するとか、つまり運輸業のサー
ビス商品として共同物流が存在して
いる。 あるいはコントラクト・ロジス
ティクスや3PLが開発するサービス
の一つとして共同物流がとらえられて
います。 そのため私自身では共同配
送という言葉もあまり使わないように
しています。 あくまでも運輸業の混
載サービスとして位置付けています」
──なぜ日本でだけ共同物流や共同
配送という言葉が早くから普及した
のでしょうか。
「やはり日本では行政が物流共同化
の推進に深く関わってきたということ
が大きいと思います。 物流共同化は
行政としても表だって支援がしやす
い。 交通渋滞の解消になるし、中小
零細企業が大企業と“棲み分け”し
て、共存共栄することにも一役買え
るという大義名分がある」
「しかし、私に言わせれば共存共栄
など幻想です。 もともと“棲み分け”
中田信哉 神奈川大学 経済学部 教授
「主導権は運輸業者に移っている」
共同化は日本特有の物流課題だ。 欧米では混載システムやクロ
スドッキングが運輸業者のサービス商品として発達したため、荷
主が自分で共同化に乗り出す必要がなかった。 日本は当初行政が
共同化を主導し、運輸業に対する規制もあったことからサービス
商品の開発が遅れてしまった。 (聞き手・大矢昌浩)
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っていけなくなる」
「本来であれば荷主の物量に応じて
運賃を変えれば良いのだけれど、一
九九〇年の『物流二法』までは、日
本のトラック運賃は認可制でしたか
ら、行政が絡んでくる取り組みでは、
違反はできなかった。 共配であれば
一梱包いくらという均一料金にする
ことが前提でした」
「協同組合方式の限界もありまし
た。 その後、昭和四〇年代には『流
通業務市街地整備法』に基づいて全
国に卸団地ができていった。 そこで
も共配が試みられたけれども、成功し
たのは仙台や八戸などごく一部に過
ぎなかった。 行政の支援を受けるた
めに、ほとんどが協同組合形式をと
ったわけですが、そうすると大企業の
参加が認められない。 組合員外の利
用は二〇%までといった規定があっ
て、ベースカーゴの確保ができなかっ
た。 さらにその後、九二年に制定さ
れた『中小企業物流効率化法(中小
企業流通業務効率化促進法)』でも大
手荷主が参加できない状態は続きま
した。 結局、〇五年に施行された現
在の『物流総合効率化法』まで、そ
うした制約が残っていた」
──「物流二法」以前にも運輸業者
が開発した混載サービスとして路線
便や宅配便は普及していました。
はしない。 仕分け場所を分散させる
と余計なコストやミスが発生するとい
う考え方のようです。 日本でもヤマト
と佐川では、同じ宅配便でもネットワ
ークのデザインがかなり違う。 佐川に
はC
to
Cがありませんからね」
──日本で域内混載サービスが発達
しなかったのは、運輸業がだらしな
かったからだとも言えそうです。
「それでも、この一〇年でずいぶん
と変わってきました。 荷主同士の共
同化が四〇年間ほとんど変わってい
ないのに比べると、運輸業の混載シ
ステムはかなり進化しています。 百貨
店の納品代行、求車求貨システムで
帰り荷を融通する、あるいは3PL
も特定荷主向けのオーダーメードの場
合を除けば混載させますからね。 ヤマ
トと西濃が始めた『ジットボックスチ
ャーター便』のような商品も出てきた。
こうした混載サービスがあれば、荷主
同士が共同化を話し合う必要はあり
ません。 荷主から運輸業に主導権が
移っていくのです」
「路線便は幹線輸送を伴う長距離
混載サービスで、確かにその部分の共
同化は日本でも早くから実現されて
いました。 しかし地域内の混載サービ
スは開発されてこなかった。 これに
は法規制の問題もありました。 物流
二法までは区域業者(現在の一般業
者) には混載が許されていませんで
したから」
域内混載サービスの可能性
──路線会社も域内混載サービスに
は手を出しませんでした。
「混載は荷物をハブに集めるため、
輸送の段階が一つ増えますから、域
内となるとネットワーク作りが容易で
はないのでしょう。 しかし、実際の
荷物の動きを見ると半分は域内で移
動しているんです。 以前に調査した
ことがあるのですが、品川区から出
荷した荷物の半分は品川区内が届出
先です。 東京都内で八割から九割の
荷物を降ろしている。 つまり東京か
ら地方に出荷される荷物は一割程度
に過ぎないことになる。 それだけ域
内輸送の需要は大きい」
「それなのに域内混載サービスが発
達しなかった理由としては、一つは
日本では大手メーカーが物流会社を
子会社化しているということも影響
しているかもしれません。 事実上、荷
主の自家物流のような状態では混載
サービスは難しい」
──アルプス物流やキユーソー流通シ
ステムのように共配で飛躍的に業績
を伸ばした物流子会社も出てきてい
ます。
「そうした業種別共配会社というの
も世界的に見ると珍しい。 それにもや
はり従来の路線便の在り方が影響し
ています。 路線便の対象貨物を、西
濃運輸は“商業貨物”と呼んでいま
すが、これは平たく言えば雑貨です。
取り扱いの難しい家具や長尺モノ、医
薬品、食品、電子部品などは対象か
ら外れていた。 その穴を業種別混載
が埋めたということでしょう。 物流
子会社だけでなく、昔で言えば靴の
共配を手がけていた関本運送、今で
は株式公開企業となった中央運輸も
医薬品の共配で伸びた会社です」
──域内混載でもハブ・アンド・ス
ポーク型のネットワークが必要になる
のでしょうか。
「そこは一様ではない。 企業文化に
もよるようです。 例えばフェデックス
は、サンフランシスコで発生した荷物
でも全てハブのあるメンフィスにいっ
たん持ち込んでから仕分ける。 そこ
からまたサンフランシスコに戻す荷物
が、かなりの量を占めているはずで
すが、集荷した現地で仕分けること
なかだ・しんや
1963年、慶應義塾大学
経済学部卒。 流通経済研
究所、流通システム開発セ
ンター等を経て、88年よ
り神奈川大学経済学部教
授。 物流論、物流政策およ
び運輸業の事業戦略をマ
ーケティングの視点で論じ
た著書多数。 今年9月には
「小売業態の誕生と革新
その進化を考える」(白桃
書房)を上梓した。 日本物
流学会副会長。
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