ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2009年1号
特集
物流機器を突破せよ “災害の原信”に学ぶセンター運営

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

“災害の原信”に学ぶセンター運営  「災害対策の原信」──原信ナルスホールディング スは地盤とする新潟でそう称されていた。
2004年の 歴史的震災がその自信を打ち砕く。
以降、ゼロベース で自社の防災を見直し、矢継ぎ早に施策を打ってき た。
07年7月、成果を試すかのように再び大地震が新 潟を襲った。
            (石鍋 圭) JANUARY 2009  22 震災発生から一分で対策本部設置  二〇〇七年七月一六日午前一〇時十三分、新潟県 中越地方を大地震が襲った。
最大震度六強を観測し た強い揺れの只中にありながら、原信ナルスホールデ ィングスの山岸豊後常務取締役・執行役員に狼狽の色 は見られない。
即座に本社役員室を飛び出すと、商 品調達部と店舗統括部が隣接するフロアに駆け込ん だ。
居合わせた社員たちの視線が集まる。
 「今からこの場を緊急災害対策本部とする。
本部長 は現在本社にいる最高管理職である私が務める。
ま ずは各自落ち着いて社員の安否確認、地震の情報収 集に当たってほしい」(山岸常務)  地震発生からここまでわずか一分。
激しく揺れ続 ける中での宣言だった。
 刮目すべきは社員達の反応だろう。
それぞれ表情 に緊張は見られるものの、慌てた様子はない。
山岸 常務の宣言を受けるや否やデスク上を整理、PC・電 話に飛びつき情報収集に当たっている。
「わかってい る」と言わんばかりだ。
中には「まず対策本部社員 の食糧の確保をした方がいいのでは」などと落ち着き 払って進言してくる社員も。
 原信ナルスホールディングスは新潟県を中心に食品 スーパーの「原信」と「ナルス」を展開する中堅チェ ーンストアだ。
〇七年には連結売上高一〇〇〇億円達 成。
同年、東証一部への指定替えも果たしている。
 現在の店舗数は六二店舗。
このうち〇七年の地震 で大きな影響を受けたのは震源にほど近い柏崎地方の 七店舗。
商品ケースが倒壊し、電気・ガス・水道はス トップ。
ナルス西山店では天井が崩落した。
 店舗社員はまず顧客の避難路を確認し、誘導。
本 震が収束すると、今度は商品を駐車スペースに運び出 し、その場で店舗再開の準備を始めた。
運び出され る商品はミネラルウォーターやカップラーメンなど被災 直後に必要とされる品目が優先されている。
 一連の作業・選択は同社が策定した災害対応マニ ュアルに基づいている。
「我々の店舗は地域のライフ ラインの一つだと自負している。
いかなる事態が起こ っても、迅速な店舗再開を人命の次に重んじるよう 日頃から周知している」と山岸常務は胸を張る。
 事実、被害を受けた七店舗のうち四店舗が即日営 業を再開。
残りの店舗も翌日、遅くとも三日以内に は再開している。
同地区の同業他社の多くは復旧ま で二日程度かかっている。
異例のスピードといえる。
 入荷にも問題はなかった。
リスクヘッジのために予 め調達先を複数社に分散していたことが功を奏した。
 同業他社の復旧が遅れた理由は、実は店舗の被害 や調達の問題よりも、センターをはじめとする物流機 能の低下によるところが大きかったという指摘もある。
 原信ナルスは本社近くの中之島に自社物流センター を構え、そこから全店に商品を配送している。
加工 食品から生鮮品まで約二万アイテムを取り扱う大型セ ンターでは常時約二〇人の正社員と一〇〇人を超すパ ートタイマーが働いている。
 地震発生直後、センターに導入されている大型仕分 け機が停止した。
故障ではない。
大型仕分け機は稼 働中に激しい揺れを受けるとコンベア部分が歪んでし まうことがある。
復旧には時間がかかる。
 そのため震度四以上の揺れを感知すると、自動的 に仕分け機を停止するシステムを組んでいる。
そのお かげで強い揺れが収まると手動で仕分け機を稼働させ、 センター業務を滞りなく再開することができた。
 こうして原信ナルスは〇七年の震災を見事に乗り切 った。
可能にした理由を探るには、時計の針をさら 特集 23  JANUARY 2009 に三年前にまで戻す必要がある。
未曾有の大地震に打つ手なし  「世界が終わってしまうのではないか。
本気でそう 思った」  〇四年一〇月二三日に発生した新潟県中越地震を 振り返る時、山岸常務の表情は険しくなる。
最大震 度七、死者五〇人以上。
阪神・淡路大震災に並ぶ規 格外の大地震は、新潟における多くの人や企業に大 きな傷を残した。
原信ナルスも例外ではなかった。
 当時の総店舗数は四四。
このうち二五店舗が被災 し、小千谷市の三店舗は閉店に追い込まれた。
これ により〇五年三月期の決算では約四憶四〇〇〇万円 の特別損失の計上を余儀なくされた。
 被災時の本社や現場は混乱を極めた。
社員たちはパ ニック寸前、山岸常務も焦りの色を隠せなかった。
店 舗では社員が何とか顧客の安全だけは確保したが、そ れ以上の積極的な判断は望むべくもなかった。
 とりわけ深刻だったのが、物流センターの著しい機 能低下だった。
要因の一つは仕分け機の故障。
理由 は先述の通りだ。
故障したコンベア沿いに人を立たせ、 商品を手渡しで流していく「人海戦術」で何とか乗 り切った。
 それで安心したのもつかの間、今度は出荷する商 品自体が不足するという事態が起きてしまった。
調達 先の卸売業者が被災した地区に偏っていたためだ。
 事前対策を怠っていたわけではない。
むしろ同社 は〇四年の地震以前から地元では「災害対策の原信」 と称されるほど防災意識の高い企業だった。
防災マニ ュアルの策定、緊急連絡網の整備、年一回の防災訓 練など一通りの施策は完了していた。
その原信でさえ、 想定していなかった大規模地震に直面し、為す術が なかったというのが実情だ。
顧客、株主、地域社会。
誰に責められたわけでもなかった。
それでもゼロベー スで防災体制の見直しを開始した。
 まず物流センターには地震感知器を約一〇〇万円で 導入した。
〇四年の地震発生から一週間余りで仕分 け機は修復したが、依然として震度四以上の大型の 余震が断続的に続いていた。
その度に故障されては たまらない。
当初は人員を配置し、余震が発生する たびに仕分け機のスイッチを止めていた。
しかし人の 感覚ではどうしても限界がある。
地震専用に張り付 かせているだけでコストもかかる。
一〇〇万円の設備 投資は安価といえた。
 既存の災害マニュアルの改訂も実施した。
従来の内 容を個別具体的なものへと深化させた。
ベースとなっ ているのは無論、震災の経験だ。
さらに、いつでも 一目で確認できるよう、カード式のマニュアルの携帯 も社員に義務付けた。
 〇八年には第二物流センターを中之島から離れた中 越に開設した。
万一、中之島の物流センターが停止し た場合でも対処できる。
土地取得費用を含めると約 三〇億円のコストがかかったが、「必要不可欠な投資」 (山岸常務)と迷いはない。
 物流センターと主力店には自家発電装置を導入し た。
停電になっても生鮮品を腐らせないためだ。
他 にもデータバックアップセンターの設置、センター・ト ラック間に無線機を採用、全店にAEDを設置するな ど矢継ぎ早に施策を実行してきた。
 「〇七年の地震ではある程度の効果は出た。
しかし これで終わりではない。
ハード面の施策ももちろんだ が、今後は社員の防災意識を高いレベルで維持するこ とが重要」と山岸常務。
終わりのない改革に取り組 んでいる。
原信ナルスホールディン グスの山岸豊後常務取 締役・執行役員 04年の震災で西小千 谷店は甚大な被害 物流センター内の 商品も総崩れ 西小千谷店の店内 07年の被災後、岩上 店ではすぐに店頭販売 を開始した

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