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奥村宏 経済評論家
DECEMBER 2009 72
五五年体制を支えてきた第四の権力
政治家と官僚、そして財界の三者が一体となって日本を支
配している──この三位一体構造が一九五五年体制であると
いわれてきたが、それがいま崩れ始めている。 いうまでもな
く、これは自民党一党支配の体制だが、民主党・鳩山内閣
の成立によってこの一九五五年体制が終わったのである。
この「政・官・財の三位一体構造」を支え、その宣伝係の
役割を果たしてきたのが新聞やテレビなどのマスコミである。
それは第四の権力ともいわれてきたが、一九五五年体制の終
焉とともに、当然のことながらこのマスコミのあり方も問わ
れている。
首相などの記者会見を記者クラブ員以外のジャーナリスト
にも開放するかどうかということを巡って、いま問題が起こ
っている。 民主党は当然のことながら記者クラブ員以外にも
開放するといってきた。 ところが、記者クラブの方はこれに
強く抵抗して、従来通り記者会見には記者クラブ員以外は出
席できないようにしようとしている。
記者クラブ制度というのは日本独特のものだが、それは日
本新聞協会の加盟会社だけに限ることで、自分たちの利益を
はかるだけでなく、これが「政・官・財の三位一体構造」を
支える重要な役割を果たしてきたのである。
それは政治家や官僚、そして会社の広報部の発表するも
のをそのまま報道することで、その宣伝係を果たしてきたが、
このことが新聞社やテレビ放送会社の特権にもなっていたと
いうことである。
このように記者クラブ制度は独立したジャーナリストを排
除することで言論の自由を抑圧し、国民に対して自由な報道
をさせなくしている。 それが鳩山内閣の成立とともに問題に
されているのは当然のこととはいえ、一九五五年体制の終焉
という意味で大きな意義をもっている。 そしてそれに抵抗し
ているマスコミの姿が国民の前に明らかになっている。
経営危機はチャンスでもある
そのマスコミだが、それがいま大きな危機に直面している。
いうまでもなく、それは新聞社やテレビ放送会社の不況であ
る。 新聞を読まなくなっている、テレビを見なくなっている
──このことは以前から問題にされてきた。
そこにサブプライム恐慌が起こって広告収入が激減したこ
とによって新聞社や放送会社が赤字になり、経営危機に陥っ
ているのだ。
このようなマスコミ不況は日本に限られたことではなく、ア
メリカやヨーロッパなどでも大きな問題になっており、ニュ
ーヨーク・タイムズの経営が赤字になって、本社ビルの一部
を売りに出しているとか、地方の新聞社が倒産したり、廃刊
になっているなどということが伝えられている。
しかしこのような経営危機はマスコミがジャーナリズムとし
て生き返るためのチャンスでもある。
経営危機に対処するためには新聞社や放送会社のあり方を
根本的に変えていく必要がある。 しかしこれまではそのこと
が自覚されていなかった。
先日、日本新聞協会に招かれて講演した際、私は「今こそ
マスコミの改革のチャンスだ」といったのだが、出席者のな
かにもそれにうなずく人たちがいた。
今年三月、私は『徹底検証 日本の五大新聞』という本
を七つ森書館から出し、読売、朝日、毎日、日経、産経の五
大新聞について具体的にその内容を解明したのだが、すぐに
重版になって三刷にまでなっている。
新聞社の経営危機はその社員や家族にとって問題であるだ
けではない。 ジャーナリズムの危機は国民全体にとっての危
機であるばかりか、文明の危機でもある。
それだけに新聞や放送のあり方を根本的に変えることでこ
の危機を乗り切ることが必要である。 そのことを私はこの本
で訴えてきたのである。
日本の言論報道機関はジャーナリズムの名に値するものではない。 これま
で政・官・財の三位一体構造の宣伝係となって自らの利益を追求してきた。
ところが皮肉にも広告収入の激減による経営危機と政権交代が、ジャーナリ
ズム再生のチャンスをもたらすかもしれない。
第91回 今がチャンス──ジャーナリズムの改革
73 DECEMBER 2009
ジャーナリズムの改革
日本の新聞記者は政治家や官僚、財界人のいうことをその
まま報道する宣伝機関になり下がっている。 日本の政治部記
者は「政界記者」であって、政治記者ではない──このこと
はかつて政治学者の丸山真男がいっていたことだが、政治に
ついて報道するのではなく、政治家の動きを記事にしている
だけである。 そして経済記者といえば、会社の広報部が発表
する文書を書き直しているだけである。 また社会部の記者は
警察の発表することを記事にしているだけだ。
それというのも日本の新聞記者は自分の意見を持っておら
ず、かりに持っていてもそれを記事にしない。 というのは日
本の新聞は「中立性報道」ということをモットーとしており、
自分の意見を書いてはいけないということになっているから
だ。 というよりも、もともと自分の意見などないといっても
よい。 単に政府や会社の広報部が発表するものを記事にして
いるだけである。
それというのも新聞社では人事異動が激しく、特定のポス
トに長くいることができない。 そこで専門記者が育たないか
ら、自分の意見などもともとないのである。
これはジャーナリズムの堕落というより、そもそもジャー
ナリズムではない。 そしてこのことが一九五五年体制にとっ
て都合がよく、それが政・官・財の三位一体構造の利益につ
ながっていたのである。 いま鳩山内閣の成立によって、この
ような構造が音を立てて崩れはじめている。
それは日本のマスコミがジャーナリズムとして生き返るため
の一大チャンスである。 そのためには日本のジャーナリストは
新聞社や放送会社から独立して、独立ジャーナリストになる
必要がある。 そして新聞社や放送会社はせいぜい従業員が三
〇〇人くらいの小さい会社に分割すべきである。
先の日本新聞協会の講演で私はこのように訴えたのだが、
果たしてわかってもらえたかどうか‥‥。
批判を許さないマスコミ
ところが奇妙なことに危機意識がもっとも少ないのが当の
新聞社や放送会社の従業員たちである。
この本が出たあと、ある新聞社から私にインタビューの申
し入れがあった。 テーマは一般の景気問題であったが、その
申し入れをしてきた記者に対して、「私は『日本の五大新聞』
という本を出して、あなたの新聞社について批判しているが、
それでもよいのか」と電話で答えた。
そのことをその記者はデスクに伝え、デスクは慌てて私の
本を読んだが、こんな著者をインタビューした記事が載ると
大変なことになる、というのでインタビューを断ってきた。
日本の新聞社は言論報道機関だといってはいるが、その実
態はあさましいというしかない。 それにしても何とお粗末な
新聞記者たちであるか‥‥。
それからしばらく、今度はこんなこともあった。 私は、あ
る新聞に二〇年以上も前からコラムを連載している。 そのな
かで、鳩山内閣の成立によって政・官・財の三位一体構造=
一九五五体制を支えてきたのだから、今こそマスコミのあり
方を根本的に変える必要がある。 そのチャンスが到来したの
だ、という内容の記事も書いた。
ところが、その新聞社のデスクから「マスコミを批判する
ような記事を載せるわけにはいかないので訂正してくれ」と
いってきた。
マスコミ批判は記事にできない、ということはその新聞社
は自分たちの利益のために新聞を出しているのだ、というこ
とになる。 それはもはや言論報道機関とはいえないし、ジャ
ーナリズムともいえない。
それほど日本の新聞社が堕落してしまったのか、と驚かざ
るをえなかった。
そして、日本のジャーナリストに危機意識が全く欠けてい
ることを痛感した。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『徹底検証 日本の三
大銀行』(七つ森書館)。
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