ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2010年4号
判断学
第95回トヨタが “第二のGM” になる日

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 APRIL 2010  72          豊田社長の陳謝  トヨタ自動車が総攻撃されている。
 二月二四日、アメリカ議会の公聴会に呼び出されたトヨタ 自動車の豊田章男社長は、欠陥問題について「本当に申し訳 ない」と陳謝して深々と頭を下げたが、議員たちの不満はお さまらない。
 欠陥車問題が起こった理由として豊田社長は「率直に言っ て、過去数年のスピードは速すぎた。
安全性や品質を重んじ るトヨタ経営の優先順位が崩れていた」と証言している。
こ れに対し議員からは「アメリカの顧客を軽視しているのでは ないか」「欠陥車問題が発生しているにもかかわらず、それ に対応するのが遅すぎたのではないか」というような非難が あい次いだ。
 はじめはアメリカ議会の公聴会には出席しないと言ってい た豊田社長が、強いアメリカ議会の態度に屈して出席したの だが、いかにも弱々しい態度をカメラの前でさらけだしただ けでなく、その発言内容はとても議員たちを納得させるよう なものではなかった。
 この事件はトヨタ自動車の歴史にとって大きな曲がり角に なると思われるが、そのような自覚が果たしてトヨタ自動車 の経営陣にあるのだろうか。
かつてGMの欠陥車問題を追及 したラルフ・ネーダーは、アメリカ国民の支持をバックにして GMの経営陣を追いつめていったが、今回のトヨタ攻撃はそ れに匹敵する。
いやそれに勝るものがある。
 豊田社長の公聴会の証言はアメリカの議員だけでなく、マ スコミ、そして消費者を納得させるものではなかった。
 それは単に「スピードが速すぎた」というような問題では なく、トヨタ自動車の体質そのものが問われているのではな いか。
もちろん、その背後にはアメリカ対日本という国際関 係の問題があるのだが、放っておけばアメリカの日本総攻撃 にも発展しかねない問題でもある。
       奥田時代から猛スピード  『世界を変えたマシーン』という本でトヨタ自動車を取り上 げて大きな反響を呼んだジェームス・ウォーマックは、トヨタ 自動車が二〇〇二年に、世界の自動車市場でのマーケット・ シェアを十一%から一五%に引き上げるという方針を打ち出 した頃からトヨタの経営の猛スピードが始まったとしている。
しかし、トヨタの経営スピードが速くなったのは、一九九五 年に奥田碩が社長になってからである。
 豊田達郎社長に代わって社長に就任した奥田社長は「シェ ア重視」の経営方針を打ち出し、日本国内での販売シェアを 四〇%台にするという目標を掲げて社員やディーラーたちの 尻をたたいた。
 このことは例えば日本経済新聞社編の『奥田イズムがトヨ タを変えた』(日経ビジネス文庫)に詳しく書かれている。
そ の奥田社長がやがて会長になり、そして日本経団連の会長に なったことはよく知られている。
 トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売が一九八二年に合併 して現在のトヨタ自動車になって以来、豊田章一郎、豊田達郎 と二代にわたって豊田家の出身者が社長を務めていたが、一 九八五年になって豊田家出身でない奥田が社長になった。
そ の時からシェア重視・スピード経営が始まったというわけで ある。
 奥田が社長になった時、「脱同族経営」ということがいわ れ、「豊田自動車も普通の会社になった」といわれた。
しか し豊田家の支配は終わらなかった。
やがて豊田章一郎元社長 の息子である豊田章男にバトンが渡されることになったのだ が、このあたりにトヨタ自動車の体質が表れている。
 「三河の百姓」といわれた田舎会社のトヨタ自動車が世界 一の自動車メーカーにまで急成長したのだが、それには同族 経営にからむいろいろな問題がかくされており、それが今回 の事件で一挙に表面化したのである。
 今回の欠陥問題に対するアメリカ議会の追及を、マスコミは「トヨタたた き」だとして同社を擁護している。
しかし「疑似非同族会社」というトヨタ の体質が変わらなければ、その先には“第二のGM” という運命が待ってい るだろう。
第95回トヨタが “第二のGM” になる日 73  APRIL 2010        マスコミの?トヨタ賛歌?  私は以前から「トヨタ自動車はやがてGMと同じような会 社になる」と警告してきた。
私がトヨタ自動車の研究を始め たのは一九六〇年代のことで、東洋経済新報社から出た『自 動車工業』という本を友人たちと共に書いた時からのことで ある。
トヨタ自動車に取材に行くと同時に、トヨタの社史や トヨタに関する本をいろいろ読んだものである。
 その後もトヨタに学生と共に見学に行ったりしたものだが、 それはトヨタ自動車が急発進する段階であった。
しかしやが て私はこの会社は行き詰まるのではないか、と考えるように なった。
 二〇〇七年に出た『続トヨタの正体』(週刊金曜日)とい う本に、私と佐高信の対談がのっている。
そこでも私はトヨ タ自動車がやがてGMと同じように行き詰まる日が来るだろ うと言っている。
そしてトヨタ自動車の同族支配についても、 その根拠がないと批判している。
 ところがマスコミは声を揃えてトヨタ賛歌を唱え続けてき た。
先にあげた日経新聞の記者たちによる『奥田イズムがト ヨタを変えた』とか、あるいは元朝日新聞記者阿部和義の 『トヨタモデル』(講談社現代新書)をはじめ、トヨタ賛美の 本がたくさん出されている。
 新聞記者だけではない。
東大をはじめとする有名大学教授 たちはいずれもトヨタ賛美を繰り返している。
そして今回の アメリカ議会での動きを「トヨタたたき」だとして、問題は トヨタにあるのではなく、アメリカの日本攻撃にあるという 論調をマスコミは流している。
 確かにアメリカ議会の動きにはそのようなこともいえるが、 しかしトヨタ自動車が大きな危機に直面していること、そし てなぜそのような事態になったのか、という点について認識 することが必要である。
 トヨタが第二のGMになる日が来ようとしているのである。
       根拠のない同族経営  同族経営といわれるけれども、トヨタ自動車の株式のうち 二%しか豊田一族は保有しておらず、それは同族支配会社で はない。
トヨタ自動車は豊田佐吉の息子の豊田喜一郎が創立 した会社であるが、戦後になって会社が急成長するとともに 豊田家の持株比率は下がり、そして石田退三が社長になって 同族支配会社ではなくなっていた。
 にも拘わらず豊田一族はトヨタ自動車を始め関連会社の社 長や取締役になっていた。
 そこで私はこれを「疑似非同族会社」と規定してきたのだ が、それは「同族支配の根拠が失われているにもかかわらず 同族支配が続いている会社」という意味である。
 同じような「疑似非同族会社」として松下電器産業(現パ ナソニック)がある。
松下幸之助が創立したこの会社も、戦 後急成長することで会社の規模が大きくなるとともに松下家 の持株比率も低下し、幸之助が亡くなった段階では松下家の 持株比率は三%程度になっていた。
 それにも拘わらず、松下正治という幸之助の娘婿が社長、 そして会長になっていた。
その後、松下正治の息子の正幸が 副社長になり、やがて社長になろうとした時、問題が起こっ た。
山下俊彦元社長が「松下幸之助の孫というだけで正幸を 社長にするのはおかしい」と反対したのである。
 「もはや大株主でもなんでもない松下家からなぜ社長を出 さなければならないのだ」と同族支配を批判したのである。
それによって松下正幸は社長になることができず、松下電器 産業の同族支配は終わったのである。
 ところがトヨタ自動車には松下電器産業の山下俊彦元社長 のような人間はいなかった。
奥田碩元社長をはじめ非同族出 身の社長たちのうち、だれひとりとして豊田章男が社長にな ることに反対する人はいなかった。
それどころかみなこぞっ て豊田家の同族支配を守ろうとしてきたのである。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『徹底検証 日本の三 大銀行』(七つ森書館)。

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