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佐高 信
経済評論家
MAY 2010 66
『秋田魁新報』に「石川好の『眼』と『芽』」
というコラムが連載されている。 それが今度『秋
田について考えた事』(無明舎出版)と題して
まとめられたが、もちろん、秋田についてだ
け考えているわけではない。
たとえば、「政権交代とは何か」という項では、
それは「税金の集め方、その使い方が変化す
るということであり、そしてその集め方と使
い方の帳簿をつける人間も変わることを意味し
ている」と指摘し、世界有数の経済大国の日
本が、国と地方を合わせて八〇〇兆円を超す
財政赤字をつくり出したのは「税金を集める
人(政府)と税金を使う人(政府)さらには、
それを帳簿に記載する人(政府)が、五〇年
の長きにわたり、同じ人間(政府)が行って
きたからである」と喝破する。
しかし、石川は昨年末には、「政権は後退し
ている」と書かざるをえなかった。 政治とは
決断する権力のことなのに鳩山首相が決断で
きず、「交代」が「後退」に変わったというわ
けである。 なぜ、そうなったのか。
「もとより、この政権は小沢一郎氏という実
力者が背後にいることは、既に世論において
も共通認識ができ上がっている。 であるならば、
我々は政治における日本国の最高権力者は内
閣総理大臣ではなく、総理が属する政党の幹
事長であると認めていることになる。
日本の政治は、中国共産党のように党が国
務院(内閣)を支配するとは憲法上なっては
いない。 しかも小沢氏は、政権党の幹事長で
あっても、内閣の一員ではない。 内閣に属し
ていない人物の思惑に対し、最高権力者の首
相が何ら影響力を持ち得ない、そのことが問
題なのである」
こう核心を衝いた石川は、かつて、こんな小
沢論を展開したことがある。 「理念を『持たさ
れた男』」と題して『月刊Asahi』一九九四
年二月号に書いた石川のそれを、当時、『朝日
新聞』の「論壇時評」を担当していた東大教
授の高橋進は次のように要約した。
「石川は、小沢一郎は、日本の知識人が陥っ
ている理念不在病の特効薬の役目、世界に対
する劣等感を解消する解毒剤の役目を無理矢
理負わされてしまったとみる。 大衆は『日本
改造計画』を『日本人改造計画』と読んでい
るのであり、政治的エリートに政治的な権力
を集中させてほしい、そして政治エリートによ
る政治によって、日本人の性格を変えさせて
くれというメッセージとして読んでいるという。
さらに大衆は、この性格変更が小沢の内発的
要求ではなく、外圧の代弁者としての役割か
らくると読んでいるのではないか。 小沢がみ
せる威圧感と孤独な表情は、この外圧のなか
で日本のなすべき政治を発見した日本の政治
家が背負った宿命からくるものではないかと
する。 だが小沢の本来の姿は村落共同体政治
家なのであり、外圧ではなく大衆の内圧によ
って生み出された理念こそを掲げるべきではな
いか、と批判するのである」
小沢は、自分はナンバーワンになりたくない、
と言っていた。 トップを動かす役の方が自分に
合っているという認識である。 トップはやはり
理念を持たなければならない。 しかし、自分
はそれにふさわしくないと思っていたのだが、
石川が指摘したように、それを「持たされた」
が故に自己認識とは違う役割を演じなければ
ならなくなった。 そこに小沢の悲劇がある。
しかし、マスメディアに氾濫するのは、そう
した深い小沢論ではない。 小沢は、記者クラブ
の開放などでも、得手ではないのに、それを
推進している。 その点では閉鎖的ではないの
である。
それなのにメディアが独裁者と書きたてるの
は、記者クラブ制度に安住しているマスメディ
アの記者たちが、自分の既得権をおかされる
ので糾弾しているとしか思えない。
私も『小沢一郎の功罪』(毎日新聞社)を出
したが、石川のような冷静で深い小沢論が待
たれる。
既得権を侵される側のメディアによる糾弾か
独裁者と書きたてる浅薄な小沢一郎論の氾濫
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