ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2010年11号
判断学
第102回 会社の哲学──哲学ブームに想う

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 NOVEMBER 2010  68    にわかに盛り上がったサンデル教授の人気  ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の授業がNHKで 報道され、そして同教授の『これからの「正義」の話をしよ う』という本の翻訳が早川書房から出版されて二〇万部を上 まわるベストセラーになり、さらにそのサンデル教授が来日 して東京大学で公開講義を行ったところから、にわかに哲学 ブームが起こっているという。
 それも学者や学生ではなく、ビジネスパーソンの間に哲学 ブームが起こっているというのである。
 そこで「週刊東洋経済」は「混迷する現代社会を生きるビ ジネスパーソンのための実践的『哲学入門』」という特集を八 月一四日─二一日号で組み、?ハーバード白熱教室?の模様 などを紹介している。
 こうしてにわかに起こった哲学ブームをどのように受け止 めるべきか、当の哲学者たちはもちろん、多くの人はとまど っているのではないか‥‥。
 これまで日本の哲学者たちはカントやヘーゲルの哲学書を 輸入し、それをいかに解釈するか、ということだけに専念し てきた。
大学でこのような講義を聞かされその単位を取った 学生たちは、卒業すればすぐに忘れてしまい、サラリーマン が哲学書を読むということは全くといってよいほどなかった。
 哲学という学問が輸入学問であり、それは大学の教養課程 で講義されるが、およそ現実離れした学問であった以上、大 学を卒業すれば誰も関心を持たなくなるというのは当然のこ とであった。
 ところがサンデル教授の授業がNHKで報道され、その本 が翻訳、出版されたところから、にわかにビジネスパーソン の間に哲学ブームが起こったというのである。
 これはいったい何を意味するのか。
問題はサンデル教授の 授業にあるのではなく、日本のビジネスパーソンのあり方そ のものにあるあるのではないか‥‥。
       現実離れした日本の哲学者  日本の哲学者はこれまで西洋哲学の輸入解釈に専念し、お よそ日本が直面している現実の問題については全くといって よいほど哲学的考察を行ってこなかった。
それ以前にそもそ も日本の哲学者は現実の問題について全く無知であり、それ を知ろうとさえしなかった。
 というのも、日本の哲学者は大学の文学部でたまたま哲学 を専攻すると、そのあと大学院へ進んでさらに西洋哲学者の 本を読むことだけに専念し、およそ現実の問題にかかわりあ うということをしなかった。
そういう人がやがて大学教授に なって哲学を講義するようになるのだから、それが?現実離 れ?したものになるのは当然であった。
 もっとも日本の哲学者のなかにも西洋哲学の輸入解釈だけ でなく、独自の哲学を切り開く人もいないことはなかった。
 それは例えば西田幾多郎であり、彼が書いた『善の研究』 などは戦前、哲学青年などによってよく読まれたものである。
 しかしこの西田哲学を引き継いだ?京都学派?の連中は、 やがて「近代の超克」論を唱えて大東亜戦争のお先棒をかつ いだ。
高坂正顕とか西谷啓治、高山岩男などがそうだが、こ のため戦後はこのような哲学者の本は見向きもされなくなっ てしまった。
 西田幾多郎自身は自分の体験と思索のなかから独自の哲学 を切り拓いていったのだが、そのあとをついで、現実の上に 立った哲学を作っていくということを日本の哲学者はしなく なっていったのである。
 そうであれば学生はもちろん、サラリーマンが哲学書など 読まなくなるのは当然である。
なかにはマスコミの流行に乗 って風俗論などを唱える?哲学者?もいるが、これを本当の 哲学とは誰も思っていないだろう。
 こうして哲学者が?現実離れ?し、自分で考えなくなった ところから?哲学の貧困?が起こったのである。
 日本のビジネスパーソンの間で、にわかに哲学ブームが起こっている。
こ の機会に、会社とは何か、会社員とは何かという問題に正面から取り組 んでみてはどうだろう。
第102回 会社の哲学──哲学ブームに想う 69  NOVEMBER 2010          ?会社の哲学?を!  私が直面した「現実の問題」というのは経済の問題という より、会社の問題であった。
新聞記者になって最初に担当し たのは商品先物取引所で、次に証券取引所、さらに繊維業界 というようになったが、取材の相手はすべて会社である。
そ して会社についての記事を書くのだが、その会社というもの がよくわからない。
 そこでいったい会社とは何か、会社員とは何か、というこ とが私の最大の関心事になった。
ところがそれに正面から答 えてくれるような本はなかった。
経済学の本をいろいろ読ん だし、マルクスやケインズの本も読んだが、それだけでは現 実にある日本の会社の実態は解明できない。
 そういう悩みを抱えながら新聞記者を九年間つとめたあと 転職して、大阪証券経済研究所に入り、そこで二〇年以上働 き、さらにそのあと龍谷大学、そして中央大学で教えるよう になった。
そして定年退職後は自宅で研究することを続けて いるが、その間、ずっと念頭にあったのは会社とは何か、と いう問題であった。
 そこで「会社学」ということを提唱し、会社学を学問とし て体系化しようとした。
その手始めに書いたのが『会社学入 門』(七つ森書館)であるが、そこでさらに「会社の哲学」 を構築することが必要であると考えるようになった。
「会社 とは何か」ということを哲学的に考察することが必要だと考 えるようになったのである。
 ちょうどそういうときにサンデルの本が出て?哲学ブーム? が起こったのである。
そこでの問題は?正義?であるが、そ れより以前に?会社?こそは最も必要な哲学のテーマではな いのか。
「会社の哲学」を構築すること、それこそはビジネ スパーソンにとって最も必要なことであるばかりか、現在の 日本人にとって最も大事なことではないのか、と考えるよう になったのである。
       私の「哲学青年」時代  私は戦後まもなく旧制中学時代に西田幾多郎の『善の研究』 を読み、さらにその弟子の三木清が書いた『哲学ノート』や 『人生論ノート』『読書と人生』などを感動しながら読み、哲 学青年になろうと思った。
 三木清は特高警察につかまり、戦争が終ったにもかかわら ず牢獄で死んだ。
このことが当時の青年たちに大きなショッ クを与えた。
そういうこともあって終戦後まもなく三木清ブ ームが起こり、哲学青年が次つぎと出てきた。
 私もそういうなかでいっぱしの?哲学青年?というより ?哲学少年?となり、そして旧制高校では文科乙類に入った。
それは哲学を研究するためにはドイツ語を第一外国語にした 文科乙類に入る必要があったからである。
 そしてカントの『純粋理性批判』や『実践理性批判』、さ らにヘーゲルの『精神現象学』などを読んでいったが、それ は難解であるばかりか、現実に自分が直面している問題につ いて、これでは何も解決しない、と思うようになった。
 そこで大学では歴史の研究をするようになり、西洋史を専 攻して、これらの哲学者たちを思想史的にとらえようとした のである。
 卒業論文では「トーマス・ホッブズにおける自然法思想と 有機体説」ということをテーマにし、ホッブズに焦点をあて ながら、西洋哲学を思想史的にとらえようとした。
 今から思えば、それこそ空想的な?哲学青年?であったが、 その後、大学を卒業して新聞記者になった段階で大きな苦難 に直面することになった。
それまで自分で考えていたことと 現実とが余りにもかけ離れており、現実に直面して、それを どのように考えてよいのか全くわからない、という状態が続 いたのである。
 そういう状況の中で「哲学とはなにか」ということを考え 続けてきたが、答えは簡単には出てこない。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『経済学は死んだのか』 (平凡社新書)。

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