ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2010年12号
判断学
第103回 誰も気づかない構造変化

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 DECEMBER 2010  72       誰も気づかない?構造変化?  二〇〇八年のリーマン・ショックから起こった金融危機か ら世界経済はいまだに立ち直ることができず、日本経済も低 迷が続いている。
果たしてこの危機を突破するにはどうした らよいのか?   アメリカはもちろん日本でもさまざまな議論が交わされて いる。
だがいまだに、これという方法は見つかっていない。
オバマ政権もそして菅内閣も財政支援策や金融緩和政策を打 ち出してはいるが、いずれも有効な対策になっていない。
 それというのも世界経済の構造が変化しているにもかかわ らず、政府はもちろん、学者たちにもその認識が欠けている からではないか。
 その世界経済の構造変化は、大企業=巨大株式会社のあり 方がこれまでとは変わってきているというところから起こっ ている。
そこで大企業のあり方を根本的に変えていかない限 り、いかに財政支援をしようが金融を緩和しようが、それだ けでは世界経済、そして日本経済は立ち直らない。
一時的に 景気が回復することはあっても、それは持続しない。
 一九二九年の世界大恐慌が起こった時も、多くの政治家は もちろん、経済学者さえ世界経済の構造変化に気づいていな かった。
そこでアメリカをはじめイギリスやドイツ、日本で もこれに対する有効な政策が打ち出せないという状態が続き、 これが恐慌を深刻化させた。
 そういうなかでJ・M・ケインズが世界経済の構造変化に 目をつけ、そこからケインズ政策を打ち出し、これがルーズ ベルト大統領のニューディール政策になったことはよく知られ ている。
 これに対して今回の危機の原因は、一九七〇年代ごろから 始まる世界経済の中枢を占める大企業のあり方の変化にある のだが、このことについての認識が政治家にも経済学者にも 全くといってよいほど欠けている。
      二〇世紀は大企業の時代  二〇世紀は「大企業の時代」であった。
同じ資本主義で も一九世紀の資本主義とはそこが根本的に違うところである。
それまでの資本主義は資本家が労働者を雇って働かせ、そこ から利潤を得るというものであったが、一九世紀末から二〇 世紀初めにかけて合併や買収によって巨大株式会社が登場し、 これが資本主義を動かすようになったのである。
 この変化がとりわけはっきりと現れているのが戦後の日本 である。
 戦前の日本経済を支配していたのは三井や三菱などの財閥 であり、三井家や岩崎家などの財閥家族が頂点にあって傘下 の会社を支配して利益を得ていた。
 これに対し戦後の日本では財閥解体によって財閥家族によ る支配は廃絶され、それに替わって大企業=巨大株式会社が 相互に株式を持ち合うことで、会社が支配するようになった。
そして従業員も資本家のためではなく、会社のために一所懸 命に働くということになった。
 これが私のいう?法人資本主義?であるが、その原理にな っていたのは?会社本位主義?であった。
それによって日本 経済は高度成長を遂げ、?ジャパン・アズ・ナンバーワン?と いわれるようになったのである。
 アメリカやヨーロッパ諸国では個人主義が確立しているだ けに、日本のように?会社本位主義?に徹することはできな い。
しかし、巨大株式会社が経済を動かすようになったとい う点で、それまでの個人資本主義とは違っていた。
 これらの巨大株式会社は自動車産業に典型的にみられるよ うに、大量生産・大量販売で「規模の経済」を追求するこ とによって大きくなり、それが経済の圧倒的部分を支配する ようになった。
 そういう意味で「二〇世紀は大企業の時代であった」とい えるのだが、それが二〇世紀末になって崩れ始めた。
 日本だけでなく世界経済全体が金融危機から立ち直ることができずに いる。
「大企業の時代」が終わり、経済の構造自体が大きく変化している ことが原因だ。
大企業の解体こそが、その処方箋になる。
第103回 誰も気づかない構造変化 73  DECEMBER 2010         大企業を小さくする  日本では例えば小泉内閣は「構造改革」ということを政策 の旗として掲げた。
しかしそれはアメリカの真似をして規制 緩和政策を進めるというもので、それによって大企業体制を 守ろうとした。
 しかしそれはほとんど実効性を持たず、大企業は長期にわ たる泥沼状態に陥ったままであった。
そして金融緩和政策と 財政出動によって大企業を救済しようとしたが、それは一時 的な効果しかなかった。
 そこで日本では「失われた一〇年」ということがいわれる ようになったが、それどころか現在では「失われた二〇年」 といわれるまでになった。
 それというのも大企業=巨大株式会社のあり方が問われて いるにもかかわらず、それに対する有効な対策が打ち出され ていないからである。
 そこでは大企業の規模が大きくなりすぎた結果、もはや 「規模の経済」という原理は有効に働くことができなくなっ た。
また、経営の多角化によって企業の範囲を拡げていった が、それが行きすぎて大企業が管理不能状態に陥った。
 そこで必要なことは大企業を解体、分割して規模をできる だけ小さくすることである。
現にアメリカではGMやクライ スラーが倒産したにもかかわらずフォードは安泰であったが、 それはCEO(最高経営責任者)になったアラン・ムラーリ が「小さければ小さいほどよい」という方針を打ち出し、工 場閉鎖や人員削減に努めたからである。
 しかしそのフォードも会社そのものを分割して解体してい くというところまでは行っていない。
 日本でもリストラという名前で人員整理は進められたが、会 社そのものを分割して、それぞれを独立の企業にするという ところまではいっていない。
 それこそがいま求められているのである。
        大企業体制の危機  そこからさまざまな問題が起こったのである。
 その前兆はすでに一九七〇年代に?石油危機?という形で 現れていた。
それまで不況になれば失業者が増えるが、好景 気になればインフレになる、というのが資本主義の常態だと されていたにもかかわらず、失業者が増えてしかもインフレ になるという?スタグフレーション?という新しい現象が現 れたのである。
 そして大企業の利潤圧縮(プロフィット・スクイーズ)と いうことが大きな問題になり、これによって大企業体制が危 機に陥ったということがいわれるようになった。
 そこでこの危機対策として打ち出されたのが、サッチャー 政権による国有企業の私有化(プライバタイゼーション)と レーガン政権による規制緩和(ディレギュレーション)であっ た。
そのイデオロギーは新自由主義だったが、さらに経済の 構造を金融化するという方向がとられた。
 その結果、日本では一九八〇年代に株式と土地の値上がり によるバブル化が進んだのであるが、やがて一九九〇年代に なると、このバブルが崩壊して日本経済は深刻な不況に見舞 われた。
 一方、アメリカやイギリスではそれよりやや遅れて経済の 金融化、証券化が進んでバブルになり、それが二〇〇七年ご ろからアメリカの住宅金融のバブル崩壊となり、そしてリー マン・ブラザーズの倒産となって一挙に金融危機が起こった。
しかもそれは単に金融面だけでなく、実体経済にも波及して GMやクライスラーの倒産ということにもなった。
 それは巨大株式会社が七〇年代の危機対策として打ち出し た新自由主義政策と経済の金融化の矛盾の表れであり、それ はまさに巨大株式会社が危機に陥っているということを示し ている。
 では、どうするのか? おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『経済学は死んだのか』 (平凡社新書)。

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