ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2011年1号
判断学
第104回「日はまた沈む」のか?

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

奥村宏 経済評論家 JANUARY 2011  66       「エコノミスト」の日本特集  イギリスの有名な週刊誌「エコノミスト」が最近号(二〇 一〇年十一月二〇日号)で日本特集をしている。
 この「エコノミスト」の記者であったビル・エモットが一 九八九年に『日はまた沈む』という本を書いて、日本のバブ ル崩壊を予告して有名になった。
 そのエモットはやがて「エコノミスト」誌の編集長になっ たが、?日本通?として知られていただけに「エコノミスト」 誌は日本について何回も詳しい報道をしていた。
 そのエモットは二〇〇六年に編集長を辞任し、その後『日 はまた昇る』という本を書いた。
 『日はまた沈む』も『日はまた昇る』も、いずれも日本語 に訳され、出版されてベストセラーになった。
それはエモッ トの日本観が一八〇度変わった、というより、日本経済が大 きく変動していることをあらわしていたともいえる。
 彼は二〇〇六年に『日はまた昇る』と言った。
ところが、 それはわずか数年でまた逆転し、『日はまた沈む』ことにな った。
 一九九〇年代になってバブルが崩壊したあと、日本経済は 「失われた一〇年」と言われたが、二〇〇〇年代になってや っと回復するかにみえた。
 エモットが『日はまた昇る』という本を書いたのはそうい う状況の下であった。
しかし二〇〇七年になってアメリカの 住宅金融が破綻してサブプライム危機が起こるとともに、そ れはすぐに日本にも押し寄せて、『日はまた沈む』というこ とになった。
 このように日本経済は激しい変動にさらされているのだが、 「エコノミスト」誌の今回の特集はそういうなかでの日本に焦 点をあてているだけに注目される。
 そして外から日本を見ればどういうことになるか、という 点でも興味深い。
         大きく変わる日本観  「エコノミスト」誌の今回の日本特集は日本の老齢化に焦点 を当てており、このまま人口構成の老齢化が進めば日本経済 は行き詰まるということを色々なデータから予告している。
 そしてこの「ジャパン・シンドローム」(日本症候群)は、 人口構成が高齢化していくとどういうことになるか、という ことを世界中に告げているのだという。
 アメリカでエズラ・ヴォーゲルが『ジャパン・アズ・ナンバ ーワン』という本を書いて有名になったのは一九七九年のこ とだった。
それは日本経済がいかにして高度成長を遂げ、そ して一九七〇年代に起こった二度にわたる『石油危機』をい かにして乗り切ったか、ということを興味深く書いたものだ った。
 その後、私はハーバード大学でヴォーゲルに会ったことがあ るが、いかにも弱々しい感じのする人で、こんな人がなぜあ んなに勇ましい本を書いたのか、と不思議に思ったものであ る。
 その後一九八九年になってビル・エモットが『日はまた沈 む』という本を書いて日本沈没説を唱えたのだが、わずか一 〇年ほどの間にこのように激しく日本に対する見方が変わっ たのである。
 それはヴォーゲルとエモットの見方の違いというよりも、日 本経済そのものの変化をあらわしていると言った方がよい。
 その証拠にかつて『日はまた沈む』と書いていたエモット が、それから一〇数年して今度は『日はまた昇る』と一八〇 度方向転換したのである。
 そしてさらに今回の「エコノミスト」誌の特集では、再び 日本は沈むと予告しているのである。
 ともあれ、これほど日本経済に対する見方は大きく変動し ているのだが、いったいこれは何を意味しているのだろうか。
 基本に立ち返って考えてみる必要があるのではないか?  日本経済に対する欧米の評価はこれまで二転三転してきた。
表層的な 動きに目を向けるばかりで、その構造にまで理解が及んでいないからだ。
「法人資本主義」の理解なしに日本経済は語れない。
第104回「日はまた沈む」のか? 67  JANUARY 2011         欠けている構造認識  今回の「エコノミスト」誌の日本特集は人口構成の老齢化 に焦点を当てたものであるが、そのこと自体に反対するもの ではない。
しかしそれよりも、もっと根本的、そして構造的 な問題に目を向ける必要があるのではないか。
 これまで見てきたように「エコノミスト」誌の日本に対す る見方は大きく変わって、二転三転しているのだが、それは 日本経済の構造に対する認識が誤っていることのあらわれで はないか。
週刊誌である以上、とかく表面的な動きに目が向 くのは当然であり、ジャーナリストである以上、いま起こっ ている動きに注目するのは当然のことかもしれない。
 しかし、日本経済、さらには世界経済の動きを大局的にと らえようとするならば、歴史的に見ていくとともに、経済を 動かしている構造を理論的に把握することが必要である。
そ うしないと、同じ日本経済に対する見方が二転三転するとい うことになる。
これまでの「エコノミスト」誌の日本経済に 対する見方が二転三転しているのはこのためではないか。
 そしてこの日本経済の構造を支えている巨大株式会社の動 きに注目することこそが、「エコノミスト」誌を始めとするジ ャーナリズムに要求されているのである。
 そういう構造認識から出発して、日本経済がいまどういう 状況にあるか、そして今後それはどうなっていくのか、とい うことを考えていくことがいま求められているのである。
 日本経済を支えてきた巨大株式会社が行き詰まったのが 「失われた二〇年」であり、そしてその混迷状態から脱出す る方向性が見えないというのが現在の状況である。
 そうであるとすれば、この構造をいかにして変えていくか、 ということが政治家や財界人、そして経済学者などによって 問題にされなければならないのだが、そういう認識が全く欠 けているのが現在の日本の状況である。
 それこそまさに現在の大問題である。
        日本経済を支える構造  第二次大戦後、日本経済は戦後の混乱から立ち直って一九 五五年頃から高度成長を遂げ、そして一九七〇年代になって 二度にわたる『石油危機』を乗り切ったところから、「ジャ パン・アズ・ナンバーワン」と言われるようになった。
やが て一九八〇年代になるとバブル経済になり、企業も個人も土 地や株の投機に走るようになった。
 そして一九九〇年代になってバブルが崩壊するとともに日 本経済は混迷状態に陥って、「失われた一〇年」といわれる ようになったが、この間、日本経済の動きをリードしてきた のは大企業、正確には巨大株式会社であった。
 この巨大株式会社がリードして高度成長を遂げ、そしてバ ブル経済になっていったのであり、個人はその体制に巻き込 まれていったのである。
 このような巨大株式会社が中心になって作り上げていた体 制がすなわち私の言う「法人資本主義」(コーポレート・キャ ピタリズム)であったが、バブル経済はその法人資本主義が 産み出したものであり、そしてそれが行きつくところバブル 崩壊となったのである。
 そうであるとすれば、このような法人資本主義の体制を変 えていくことが必要であることは言うまでもない。
 ところがこれまでの自民党政権はもちろん、現在の民主党 政権にもこのような構造を変えていくという考え方はまった くと言ってよい程ない。
 かつて小泉内閣が唱えた「構造改革」は、アメリカ産の新 自由主義路線を日本にも輸入しようとしたものであったが、 その背後にある日本経済の構造についての認識が全く誤って いた。
 その結果、日本経済はますます混迷の度を深めていったの だが、政治家や財界人はもちろん経済学者たちにもその認識 がなかった。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷 大学教授、中央大学教授を歴任。
日本 は世界にも希な「法人資本主義」であ るという視点から独自の企業論、証券 市場論を展開。
日本の大企業の株式の 持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判 してきた。
近著に『経済学は死んだのか』 (平凡社新書)。

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