*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。
FEBRUARY 2011 24
ダイワコーポレーション
──従来型倉庫業を脱して成長軌道へ
首都圏を地盤とする独立系倉庫会社。 経営者の世代交代
に伴い、従来型の倉庫業に見切りを付け、ビジネスモデルを
大きく転換した。 自社倉庫は基本的に賃貸に回し純粋な不
動産事業として展開。 物流事業には借庫を使い収益管理を
徹底している。 両事業の相乗効果で業容を拡大している。
自社倉庫の比率は四割以下に
──年率一〇%ペースの成長が続いています。
「少なくともこの一五年は増収が続いています。
利益も確保してきました。 しかし、それ以前の当社
は年商の割に負債が多く、決して良い状態ではあり
ませんでした。 一九九四年に東京・城南島に倉庫を
借り、営業所を開設したことが転機になりました。
私が当社に入社した翌年のことです」
「それまでの当社は、償却済みの自社倉庫をスペー
ス貸しする昔ながらの倉庫会社に過ぎませんでした。
自社倉庫に空きがなければ、いい案件でもお断りし
ていた。 そのやり方を改めて、“お客様にNOと言
わない”を徹底するようにしたんです。 自社物件が
なければ他から借りて、お客様が求めている場所に
倉庫を手当てし、物流業務を行う」
「自社倉庫は基本的に賃貸に回して不動産事業と
して運営する。 そして物流事業には借庫を利用する。
そのやり方で城南営業所を皮切りにどんどん借庫を
増やしていきました。 その結果、昔はほぼ一〇〇%
自社倉庫だったのが、今では借庫比率が六割強に上っ
ています」
「売り上げの構成比で言うと不動産が六割で物流
が四割ですが、倉庫不動産の賃貸事業が成り立つの
も当社に営業倉庫業者としての看板があってこそ。
つまり不動産事業も物流事業の信用の上に成り立っ
ているわけで、当社が昔ながらのやり方を続けてい
たら、今頃はどうなっていたか分かりません」
──曽根専務は創業家の三代目ですが昔からの業態
を変えるのに社内に抵抗はなかったのですか。
「私は大学卒業後に丸紅に就職し、わずか三年余
りでしたけれど商社マンとしての教育を受けました。
その常識から当社の商売を見ると、おかしなところ
がたくさんあった。 社長である父は営業倉庫業を基
本的に不動産業として捉えていました。 他の社員も
それを当然のことと考えていて危機感がなかった。
私はまったく逆で、倉庫という箱モノを貸すだけの
事業に将来性はないという感覚が、若造なりにもはっ
きりとありました」
「父とは真っ向から反対する考えでしたが、もと
もと家族でもありますので、毎日顔を合わせて話し
合いを繰り返すうちに、最終的には認めてもらうこ
とができました。 それからは借り物で仕事を増やし
て事業規模を拡大し、負債を返済して投資余力を付
けていったんです」
──借庫を使えば償却済みの自社倉庫のようには利
益は出せません。
「確かに最初は苦労しました。 九六〜九七年頃ま
では、倉庫業は儲からないと、父もグチをこぼして
いました。 しかし、儲からないのは自分たちに力が
ないからです。 力があれば借り物でも十分勝負は可
能です。 自社倉庫と違って借り物は月々賃料を支払
うわけですから、原価がはっきりしている。 否が応
でも倉庫をいっぱいにして、きっちりと原価計算を
しなければなりません。 償却済みの自社倉庫では、
そこまでの危機感は持てません」
──現場の人員は自社雇用ですか。
「しかもメーンは正社員です。 特に緊急出荷や深
夜作業などミスの発生しやすい作業は正社員で処理
しています。 作業原価は高くなりますが、そこで人
件費を削ったとしてもミスが発生すれば結局、お客
様に迷惑をかけてしまう。 当社としても長い目で見
れば損をすることになる」
「お客様にNOと言わないというのは現場作業も
曽根和光 専務
注目企業 トップが語る強さの秘訣 第17位
25 FEBRUARY 2011
特 集 物流企業番付《平成 23 年版》
そうで、当社は元旦の出荷でも、受注の締め切り時
刻が過ぎていても柔軟に対応して、しかもミスが少
ない。 これはモラールが高くスキルを持った正社員
で現場を回しているからで、当社の最大の武器です」
──荷主が決まっていなくても拠点を増やしていっ
たのですか。
「半々くらいです。 チャンスと見れば先行投資も
行います。 二〇〇五年には京葉ガスさんに保有用地
の活用を提案し、それによって建設された一万一〇
〇〇坪弱の倉庫を一括して借り受けました。 当社に
とっては、かなり大きなチャレンジでした」
「用地は東関道(東関東自動車道)と京葉道路の
間にありましたが、当時、東関道より海際には多く
の倉庫が林立しているのに対し、東関道と京葉道路
の間には倉庫がほとんどありませんでした。 海際よ
りも内陸側の方が人を集めやすいのは言うまでもあ
りません。 人手を使う仕事にはベストな立地で、勝
負が可能だという確信がありました」
「京葉ガスさんへの提案段階では当社以外にもい
くつか大手が手を挙げていたのですが、当社はオーナー
企業ですから意思決定が早い。 何とか争奪戦を勝ち
抜きました。 大手物流業者さん二社にご入居いただ
いて竣工時点でスペースは埋まりました。 〇九年に
は隣接地にもう一棟、一万一〇〇〇坪弱の第二営業
所を開設しています。 一方で〇八年には、SPC(特
別目的会社)による不動産証券化手法を使って横浜
港の新山下地区に約一万二〇〇〇坪の倉庫を建設し
ました」
投資ファンドの手法を研究
──物流不動産ファンドの手法ですね。
「外資系の不動産ファンドに対して、私はかなり
批判的な立場をとってきました。 彼等が需給バラン
スも考えずに資金にものを言わせて用地を買収し、
倉庫を乱造することで、業界がメチャメチャにされ
てしまうという危機感が強かった。 そこで敵対視す
ると同時に自分たちでもファンドの手法を理解する
必要があると考えて、倉庫業の若手経営者らと協議
会を組織して研究したんです。 そこで学んだ手法を
新山下の拠点で実際に利用してみました」
──実際に使ってみての感想は。
「時間を稼ぐ、短期間に大規模な資金を調達する
には便利な手法ですが、フィーが高い。 各分野の専
門家の力を借りることになり、その費用がかかり過
ぎる。 銀行から借りられる金額であれば、銀行から
借りたほうがいいですね」
──今後の計画は。
「一四年三月期には最低でも年商を一〇〇億円に
引き上げたい。 生き残るにはそれくらいの規模が必
要です。 倉庫業界の淘汰が、今は地方で進んでいます。
輸送網の発達によって地方に拠点を置く必要がなく
なってしまった。 そのため業態を転換したり、土地
を売却する倉庫業者が増えています。 淘汰の波はい
ずれ中心地にもやってきます。 それまでに当社が地
盤とする関東地区で市場占有率を高めて力を付けて
おきたい」
──具体的な次の一手は。
「埼玉などの内陸部に注目しています。 内陸部で
は湾岸よりも安い作業単価でサービスを提供できる。
既存顧客の業務でも、湾岸で行う必要のないものに
ついてはそうした要望が出てきています。 内陸部で
あれば送迎バスなども不要なので通勤費もぐっと下
がる。 人も集めやすい。 これからの倉庫業は人の問
題がポイントになると見ています」
創業家3代目が挑む業態革新
1951年に東京・平和島で創業。 東京・神奈川・
千葉に約20拠点の営業倉庫を展開している。 総延床
面積は約12万坪。 創業家の3代目に当たる曽根和光
代表取締役専務は丸紅勤務を経て1993年にダイワ
コーポレーションに入社。 同専務を改革のリーダーと
して従来型の倉庫賃貸から物流センター運営に事業
領域を広げてきた。 事業規模は拡大の一途を辿って
いる。 近年は物流不動産投資も活発化させており、
大型投資を断行している。
本誌解説
06/3 07/3 08/3 09/3 10/3(月期)
9000
8000
7000
6000
5000
4000
3000
2000
1000
0
450
400
350
300
250
200
150
100
50
0
単位:百万円
過去5 年間の単独業績推移
当期利益(右軸)
売上高(左軸)
|