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奥村宏 経済評論家
MARCH 2011 72
アメリカ経済学会で問題に
アメリカ経済学会の二〇一一年年次総会が一月六日からコ
ロラド州デンバーで開かれた。
アメリカ経済学会はアメリカの経済学者を包括する学会で
あるが、今回の総会でとりわけ目立ったのは「経済学者の倫
理規定を作るべきだ」という提案が三〇〇人もの経済学者か
ら出され、それをめぐって激しい討論が行われたということ
である。
二〇〇八年のリーマン・ブラザーズの倒産、それに続いて
起こった世界的な金融恐慌を引き起こした責任は金融工学に
あるという議論は以前からあった。 それがいまアメリカの経
済学者全体の問題として提起されているのである。
リーマン・ショックを招いた住宅金融のバブルを作り出し
たのはウォール街の投資銀行であったが、その有力な武器に
なったのが金融工学であり、そしてそれを作ったのはアメリ
カ経済学者たちであった。
これに対してポール・クルーグマンやヌリエル・ルービニ、
そしてサイモン・ジョンソンなど少数ではあるが、これを批
判してきた経済学者たちもいる。
昨年、ダイヤモンド社から翻訳が出版されたルービニの『大
いなる不安定』の第二章「経済危機と経済学者」は、この金
融危機をもたらした経済学者の責任について詳しく論じてい
る。
そしてつい最近翻訳が同じダイヤモンド社から出た『国家
対巨大銀行』のなかで、ジョンソンもバブルをもたらした経
済学者の責任について詳述している。
このような経済学者は少数ではあるが、経済学者のあり方
について問題を提起していたのである。 それがいま全米の経
済学者を代表するアメリカ経済学会で遅まきながら大きな問
題として提起され、経済学者の倫理について議論されること
になったのである。
日本の?バブル学者?
アメリカでバブルが崩壊するのは二〇〇八年のリーマン・シ
ョックからである。 しかし日本ではそれに先立って一九九〇
年からバブルが崩壊した。
その意味で日本はバブル崩壊の先進国であるが、私はこれ
を「矛盾の先進国」と表現してきた。
一九七〇年代後半から日本では株価と地価が異常に高騰
してバブルを引き起こしていたのであるが、一九九〇年一月
四日から株価が暴落し、そして翌九一年から地価が暴落して
?バブル崩壊?が大きな問題になったのである。
そのバブルを引き起こした犯人として株価を煽った証券会
社、そして地価高騰をもたらした銀行の責任が追及された。
だが同時にその背後で株価、地価の高騰を合理化した経済学
者の責任が問われなければならない。
彼らはアメリカから金融理論を輸入して、それを元にして
「日本の株価はまだ安い」などと宣伝していた。 「トービンの
q」とか「MM理論」などという名前で日本のバブルを煽っ
たのであるが、驚いたことにバブルが崩壊したあと、誰もこ
の経済学者の責任を追及しなかった。
そこで私は二〇〇四年に出した『判断力』(岩波新書)で
このような?バブル学者?の責任を追及したのだが、当の
?バブル学者?たちは沈黙したまま、知らぬ顔をしていた。
そして二〇〇八年のリーマン・ショックから始まった世界
金融恐慌について私は二〇〇八年に『世界金融恐慌』(七つ
森書館)を出し、その第二章で「金融工学の罪を問う」とい
う題で金融工学者たちの責任を追及した。
それがいまやっとアメリカ経済学会でも議論されるように
なったというわけである。
しかし残念ながら日本の経済学会ではいまだにこれについ
て議論されていない。 というよりも誰もそういうことを問題
にしない。
経済学者の倫理についての議論がアメリカの学会でようやく始まった。
バブルを煽った証券会社や銀行の責任を追及する声はあっても、理論面で
それを支えた経済学者の責任が問われることはこれまでなかった。
第106回 問われる経済学者の倫理
73 MARCH 2011
?御用学者?の生態
私は先に触れた『世界金融恐慌』という本で金融工学を
取り上げ、その罪を問うたのであるが、ウォール街の投資銀
行に奉仕するこのような学者のあり方を問題にしたのである。
先にあげたルービニやジョンソンもアメリカの経済学者のあり
方を問題にしているのだが、カネのためにウォール街の投資
銀行に奉仕することが果たして経済学者といえるのか?
日本でも銀行や証券会社、そして大企業や財界に奉仕する
経済学者はかなりいる。
私は「日本の経済学者のうち一割は?御用学者?で、残り
九割は?無用学者?である」と言ったことがある。 いずれも
アメリカやイギリスなどから理論を輸入して学生に教えてい
るだけである。
日本の現実から出発して理論を作る──それが経済学者の
仕事だと私は考えているのだが、日本の経済学者はほとんど
すべて?輸入学者?、いや?輸入業者?なのである。
そしてそのうち多少とも色気のある学者が政府や財界に取
り入って?御用学者?になっているというのが日本の経済学
者の実態である。
そこで私は『経済学は死んだのか』(平凡社新書)という
本を書いて昨年出した。 そこでも「御用学者の生態」につい
て論じているし、これが「大学の危機」をもたらしていると
論じている。
日本の経済学が生き返るためには、なによりもまず輸入理
論から脱して現実に立った理論を作り出していく以外にはな
い。 これが先の本の結論であるが、同時に強調しなければな
らないことは?御用学者?から脱するということである。
もともと?御用学問?は学問ではない。 それは経済学者の
倫理以前の問題であり、人間の生き方にかかわる問題である。
今回のアメリカ経済学会の問題はそういうことを提起して
いる。
金融工学の罪
ただ、例外として二〇〇八年に出た中谷巌の『資本主義は
なぜ自壊したのか』(集英社インターナショナル)という本が
ある。 中谷は小渕内閣の作った経済戦略会議の委員になって、
アメリカから輸入した市場絶対主義の理論で政府の政策を支
援してきたのだが、アメリカのバブル崩壊を契機に自己批判
したというわけである。
しかし中谷巌の理論なるものも、所詮はアメリカから輸入
したもので、日本の現実の上に立って自分で作りあげた理論
ではない。 したがってアメリカで市場原理主義に立った理論
が崩壊すれば、日本の現実とは関係なく自分の理論も崩壊す
る以外にはない。
アメリカで市場原理主義の上に立った金融工学が破綻した
例としては、一九九八年に起こったLTCMの破綻がある。
これはノーベル経済学賞をもらったロバート・マートンとマ
イロン・ショールズがパートナーとして加わったファンドだが、
彼らが開発した金融工学の理論に基づいて投資した結果、ロ
シアの通貨危機のあおりを受けてLTCMは行き詰まり、ニ
ューヨーク連銀の仲介で総額三八億ドルの緊急融資を受けて
救済されたというものである。
彼らの開発した金融工学がいかにインチキなものであるか、
ということはこのLTCMの崩壊から明らかになっていたの
だが、それにもこりず金融工学をさらに利用したことによっ
て二〇〇八年のリーマン・ショックに至ったというわけである。
当時、マートンやショールズに対する批判は問題にされず、
当人たちは大金を失ったが、しかし細々としてではあるが生
活していた。 それから一〇年以上たって、いまやっとアメリ
カ経済学会で経済学者の倫理規定が問題にされるということ
になったのである。 それにしても、そのことを問題にしよう
とするアメリカの経済学者はまだ良い。 日本の経済学会では
誰もそんなことは問題にしないのである。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『経済学は死んだのか』
(平凡社新書)。
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