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かにも既に増車を決めてバンバン仕
事を取り始めている人もいます」
──会員も二極化するのでは?
「寡占化が進む可能性は否定できま
せん。 大手の下請けに入っている運
送会社は救われるかも知れませんが
零細はやはり厳しい。 正直、やめた
いと口にする経営者もいます。 それ
でも身近な経営者たちを集めて私は
言うんです。 『俺のところもやられた。
しかし思い出してみろ。 俺たちは小
さな自宅兼事務所で、家の脇の原っ
ぱにトラックを置いて運送屋を始め
たんじゃないか。 今と同じだ』と」
「実際、今でも運送会社には大き
な資本は必要ありません。 トラック
は月賦で買えるし、協会としても積
極的に会員を支援していきます。 ほ
かにも今、リース協会や銀行協会に
対して、ローンの引き落としを一時
的にストップする交渉を進めていま
す。 新規の借入を支援することも大
事ですが、まずは当面の資金繰りです。
資金繰りに猶予を与えて半年なり経
って少し落ち着いた段階で借入を組
み直す。 そういう処置をすれば新し
いトラックが買える。 もう一度トラッ
クを買って出直そうと話しています」
「当社も含めて地元の運送会社の多
くは高度経済成長時代に創業し、現
在は代替わりの時期を迎えていま
三割以上が壊滅的被害
──震災から三週間あまりが経ちま
したが、地元の運送業界の被害の全
容は見えてきましたか。
「手を尽くして調べているのですが、
今のところ(四月五日時点) まった
く把握できていません。 例えば石巻
にはトラック協会の会員が二〇〇社
近くあるのですが、いまだに半数以
上と連絡が取れていません。 このあ
たりの運送会社は沿岸部に集積して
いて、内陸部には少ない。 それだけ
に津波の被害をモロに受けています」
「いくら電話しても繋がらないので
現在、宮城県トラック協会(県ト協)
各支部のスタッフが足で回って調べ
ているのですが、現状では県ト協に
加盟する約一一〇〇社のうち、何ら
かの被害を受けた会社が半分強、そ
して全体の三割以上、三七〇社近く
が壊滅的な被害を受けたと見ていま
す」
「連絡をとれたところも、やはり肩
を落としている人が多い。 そこで先日、
会員全員に、『元気を出そう、必ず再
建しよう』という内容のファクスを
送りました。 実はこの混乱に乗じて
我々の既存荷主に対し、他県、他の
エリアの運送会社が殴り込みをかけ
てきているんです。 我々から荷主を
奪おうとしている火事場泥棒のよう
な会社がある」
「我々が再建するためには、これま
での仕事を絶対に守らなくてはなり
ません。 再建に向けた強い信念を持
つと同時に、荷主との関係を結び直
す、荷主との関係を強化していく必
要があります。 できる限り荷主と連
絡を密に取るようにして、ねばり強
く話し合っていこうと会員たちに訴
えました」
──ご自身は県ト協会長であると同
時に、鮮魚輸送をメーンとする東配
の会長、創業経営者であるわけですが。
「当社も被害を受けています。 新港
営業所(仙台市宮城野区) を津波で
失いました。 車両四台、フォークリフ
ト一〇台程度を流されています。 業
務の復旧は進んでいますが、肝心の
荷物が激減しています。 工場自体が
なくなってしまった。 無事だった工
場も電気やガスが来ない、燃料がな
いので設備を動かせない。 先ほどの
?火事場泥棒?にもやられました」
「それでも気落ちしてはいられま
せん。 必ず取り戻します。 また今後
は復興需要が必ず起きると思います。
当面は大量のガレキの処理と建設資
材の搬入がある。 県ト協の会員のな
宮城県トラック協会会長 倉茂周典 東配 会長
「もう一度トラックを買って出直そう」
今回の震災によって宮城県の運送会社は過半数が被災し、全
体の三割が壊滅的な被害を受けた模様だ。 混乱に乗じて他地域か
ら現地の荷主に営業攻勢をかける運送会社も出てきている。 そ
れでも、創業時代を思い出し、もう一度立ち上がろうと地元の
運送業界を鼓舞している。 (聞き手・大矢昌浩)
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す。 当社の場合、私の親族ではあり
ませんが、四二歳の社長に経営を任
せています。 若過ぎるとは思いません。
私が東配を創業したのも三八歳の時
でしたから。 そうした二代目経営者
が真価を問われる局面を迎えたのだ
と思います」
──震災直後はどうされていましたか。
「会社のほうは社長に任せ、私は
ずっと県ト協に張り付きました。 県
ト協は宮城県、そして仙台市と災害
時の緊急輸送で協定を結んでいます。
すぐに協会として動く必要があった。
実際、震災の翌日から緊急支援物資
が全国から集まってきました。 当初
は議会ホールなどの公共施設で荷受
けしていましたが、すぐに満杯にな
ってしまった」
「そこで宮城県倉庫協会と手を組み
を吸い上げる仕組みがないと対応の
しようがない」
「すべての避難所に我々が完璧に配
送するのは現実的ではないとも感じ
ました。 自治体は『被災者に取りに
来させるのは申しわけない』という
けれど、実際には小さな避難所から
リュックを担いだり、リヤカーを引っ
張ったりして物資を取りに来てくれ
た人がたくさんいた。 それを基本に
すべきだと思います。 何が必要で何
が不要なのか、避難所の人が一番分
かっている」
──これから国や自治体に望むこと
はありますか。
「あります。 とにかく今は失業者を
つくらないこと、何としても生活を
保障することが一番大切です。 被災
して業務がストップしてしまった会
社は従業員を解雇するほかない。 し
かし、業務が再開したらまた働いて
もらいたい。 失業保険をもらって自
宅待機していてくれと言いたい経営
者はたくさんいる。 しかし今の雇用
調整助成金や失業保険の制度ではそ
れが不利になってしまう。 制度を悪
用されることを恐れ但し書きなどで
運用に枠をはめています。 もっと我々
経営者を信頼して欲しい。 再建に向
かって真剣に取り組んでいる経営者
に悪いヤツなどいません」
ました。 倉庫会社の施設を提供して
もらった。 ただし一カ所には入りき
らないので、トラック協会と倉庫協
会の人間が県の対策本部に張り付い
て、救援物資を品目別に大きく分け
た。 この品目はA倉庫、あの品目は
B倉庫と納品場所を指示しました」
「ところが、指示していない荷物が
倉庫にどんどん入ってくる。 何がい
つ入ってくるのか我々にはまったく
分からない。 被災直後にすぐに必要
なのは水と毛布、ポリタンク、そして、
そのまま食べられる食糧です。 とこ
ろがイレギュラーなもの、すぐに必要
のないものまで入ってくる。 被災直
後の避難所には油もコンロもありま
せん。 そこに大量のインスタントラー
メンなど持ち込んだら蹴飛ばされて
しまう。 しかし我々の立場では『そ
れはすぐには必要ないものなので持
ち帰ってくれ』とは言えない」
──集積所や集積所からの二次配送
は相当に混乱したと聞いています。
「集積所から市区町村の施設や避
難所に運ぶわけですが、避難所がど
こにあるのかが分からない。 もちろ
ん自治体の正式な指定避難所は分か
る。 そこにはすぐに運べるのだけれ
ど、自然発生的にできた避難所は自
治体も把握していない。 なかには二人、
三人が寄り集まって難を逃れている
ところもある。 それがどこなのか分
からない。 情報が決定的に不足して
いました」
「一方でテレビやマスコミは避難
所に物資が届いていないと盛んに伝
えている。 我々は運送会社ですから、
送ったものが届いていないと言われ
るのが一番きつい。 身を切られるよ
うな思いでした」
──燃料は確保できたのですか。
「できません。 そのため燃料を持っ
ている会社しか動けなかった。 地下
タンクのある会社でも電気が止まっ
ているのでポンプが動かない。 緊急
物資用の燃料が届いたのは四、五日
経ってからで、それさえも争奪戦で
した。 その後、地元の自衛隊が備蓄
を放出してくれたことでやっと一息
つけたという状況でした」
失業者をつくらない
──災害対応の課題を挙げるとすれば。
「やはり情報の問題に尽きます。 携
帯電話が全く機能しなくなり、停電
で固定電話も情報システムも使えな
いとなった時に通信手段をどう確保
するか。 自治体が指定した以外の避
難所の情報をどう把握するか。 どこ
に何人が避難していて、そこでは何
が必要で何が不要なのか。 町内会や
被災者の生の声でもいいから、それ
石巻の被害はとりわけ尽大だった。 日本製紙の物
流子会社、南光運輸の拠点は看板だけを残し壊滅
状態に
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