ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2011年6号
特集
第3部 取引条件に翻弄された食品卸

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

JUNE 2011  22 取引条件に翻弄された食品卸 東北の基幹センターを喪失  日本アクセスの今年三月の品目別売上高がのきな み好調だ。
前年同月比で水・飲料系が一〇九%、缶 詰が一二六%、乾麺が一七一%、パスタが一四五% とほぼすべての品目で大幅増を記録している。
ドラ イ商品トータルでは前年同月比一〇七%にのぼる。
 チルド・冷凍の分野でも牛乳が一二五%、デザー ト類が一一〇%、和日配が一〇四%、冷凍食品が一 一五%を達成するなど、こちらも調子がいい。
東日 本大震災により、予期せぬ特需が降ってきた。
 菱食も二〇一一年度は増収を予想。
その要因の一 つに、震災による需要の増加を挙げている。
震災が 大手加工食品卸の業績を押し上げた格好だ。
 しかし、その裏では各社の苦闘が続いていた。
3・ 11 以降、大手加食卸は震災対応や商品の確保だけで なく、小売りからの非合理な要求などに悩まされ続 けてきた。
 日本アクセスは東北地方に三一の拠点を配してい る。
そのうち、東日本大震災の被害を受けて機能停 止に陥ったのは宮城県・岩沼、岩手県・釜石、福島 県・いわきの三拠点。
なかでも最大の痛手だったの は仙台空港に隣接する岩沼臨空工業団地内にある岩 沼拠点だっだ。
 建物面積約二万平米のうち、半分がドライ商品の 汎用センター、もう半分がチルド・冷凍商品の専用セ ンターとして機能し、宮城と山形の全域をカバーする 基幹拠点として位置付けられていた。
これが津波に 加えて地盤の液状化を起こした。
復旧は不可能と判 断せざるを得なかった。
 臨時的に岩手県花巻市にある既存施設を岩沼の代 替基地に選んだ。
「ある程度の規模がある上に、ト ラックで走れば一時間という距離にあることが決め 手になった」と日本アクセスの中井忍常務執行役員 ロジスティクス管掌補佐ロジスティクス本部長は言う。
 岩沼を補完するため山形と足利に保有していた遊 休施設も再稼働させた。
いずれも中規模ながら、ア クセスの強みでもある低温商品の取り扱いに必要な 冷凍・冷蔵設備を備えていた。
 しかし、いつまでも急ごしらえの体制を敷いておく わけにもいかない。
早期に岩沼に変わる基幹拠点を 見つけなければ、東北全体のオペレーションは安定し ない。
新規物件の選定が急務だった。
 しかし、アクセスと同様に拠点が被災した企業は どこも代替物件を探していた。
とりわけ耐震性の高 い物流センターには引き合いが急増していた。
そこで、 中井常務は賃料交渉などの意思決定を事実上、現場 に委譲することにした。
自身は現場の判断を追認す る形をとった。
 「基幹拠点の契約となると普段なら稟議を通すため に上層部のハンコがいくつも必要になる。
しかし、そ れを待っている間に他社に物件をもっていかれてしま う可能性があった。
それを避けるため、私の認可だ けで契約ができる体制を会社に認めてもらった」と 中井常務は振り返る。
 その結果、岩沼にあるプロロジスの物流センターと 五年の賃貸契約を結ぶことに成功した。
以前の基幹 拠点からほど近い場所に、ほぼ同じ面積を確保する ことができた。
申し分の無い代替施設だった。
 四月下旬からはこの物流センターでドライ商品の機 能を稼働させている。
さらに現在は冷凍・冷蔵設備 の突貫工事を行っており、七月からは低温商品の取 り扱いも開始する予定だ。
一〇月にはほぼ元のレベ ルの機能を取り戻すことができる見込みだという。
 大手加工食品卸は被災した自社拠点の復旧作業と並行 して、食の供給を止めてはならないという責任感からサ プライチェーンの維持に奔走した。
しかし、合理性を欠い た取引条件がその足かせとなった。
3分の1ルールや日付 逆転の禁止といった商慣習は、未曾有の震災を経験した 後も変わっていない。
            (石鍋 圭) 第3部 特 集 23  JUNE 2011 日本アクセスの岩沼拠点では 地盤が液状化。
放棄せざるを 得ない状況に追い込まれた 拠点の自動化が裏目に  一方、菱食では、東北および関東に構える一〇〇 拠点のうち、約半数の四八拠点で通常業務が滞った。
なかでも被害が大きかったのは日本アクセスと同様、 岩沼臨空工業団地内のセンターだった。
菱食は臨空 工業団地内に三つのセンターを構えているが、このう ち最も海側に立っていた宮城生協の専用センターの被 害が大きかった。
 それでも、建物や地盤への影響はアクセスの拠点ほ どでは無かったため、現在は早期復旧を目指してい る。
復旧までの間は、仙台市の扇町にあるセンター を代替拠点にするという。
 菱食が四八もの拠点でオペレーションが困難になっ てしまった理由の一つに、自動化比率の高さがあげ られる。
ピース単位でのピッキングを集中的に処理す る後方支援型の物流拠点「RDC」およびケース単 位の商品を仕分ける「FDC」にはいずれも重装備 のマテハンがふんだんに導入されている。
 また、一部の専用センターにも自動倉庫やソーター などの大型設備が配備されている。
菱食はこれらの マテハン機器を駆使して、物流業務を徹底的に効率 化することで利益を捻出し、ライバルとの差別化を 図ってきた。
 しかし、今回の震災下ではそれが裏目に出た。
電 気が止まればマテハン機器は無用の長物になる。
機能 を損傷すれば修復には時間と手間がかかる。
とりわ け自動倉庫がボトルネックになった。
 自動倉庫はセンサーで商品の位置を感知している。
その商品の位置が地震で少しでもずれてしまうと、ク レーンが動かなくなり、ピッキングができなくなって しまう。
手作業で商品の位置を一つ一つ直しても、断 続的に続く余震でまた元の状況に逆戻り。
平時には 心強いシステムが、オペレーションの最大の足かせに なってしまった。
 緊急対応のために菱食は各拠点に大量の人員を投 入した。
営業部門やSCM部門はもちろん、管理部 門のスタッフまで駆り出して、人海戦術で難局をなん とか乗り切った。
 菱食の広報担当者は「機械化の後戻りをすること はできないが、今回得た知見をもとに安全な運用方 法などをマテハンメーカーなどと一緒に検討していく 必要がある」と今後の課題を挙げる。
 国分の東北拠点数は二四。
そのうち被災したのは 宮城県の石巻支店と岩手県の宮古支店の二カ所に留 まった。
その二つの拠点も三月二三日には早々に復 旧している。
国分の荻野司物流統括部長は「当社の 場合、ほとんどの拠点に重いマテハンは入っていな かった。
シンプルな設計なだけに、人が集まって一斉 に荷崩れした商品をかたづければ、すぐにでも使え る状態の拠点がほとんどだった」と言う。
 国分は菱食とは対照的な戦略を採ってきた。
同社の 物流は特定のチェーンストア専用の一括物流センター の構築・運営を案件ごとに請け負うという3PL的 な色合いが強い。
もちろん従来型の汎用センターも展 開しているが、作業の自動化は菱食ほど重視してい ない。
 実際、国分の東北の拠点のうち、重装備のマテハン が入っているのは仙台拠点の一カ所のみ。
他の拠点 はハンディターミナルやピッキング・カートなど、比 較的軽装備に留めている。
それだけに被害の影響も 抑えられ、復旧スピードは早かった。
 しかし、国分は今回の震災を受け、今後の拠点政 策に見直しを入れる可能性が高い。
これまで同社の 日本アクセスの中井忍 常務執行役員ロジス ティクス管掌補佐ロジ スティクス本部長 国分の荻野司 物流統括部長 JUNE 2011  24 拠点は全国二〇〇カ所に小規模分散していた。
これ を集約する方針を打ち出してきたが、これから再検 討を始めるという。
 荻野物流統括部長は「再び分散化に振れることは 無いだろうが、集約の規模やスピードは当初予定して いたよりも緩やかになる可能性はある。
抽象的な表 現になるが、大型センターではなく中型センターを志 向したりするようになるかもしれない」と説明する。
商品・燃料の確保に奔走  拠点の被災状況は大手食品卸三社でそれぞれ異な るが、震災直後の行動はほぼ一致している。
各社と もまず全国から東北に向けて大量の商品を送り込んで いる。
菱食は北陸地方の子会社を経由して、山形に 商品を入れた。
そこから東北の各エリアに配送した。
 日本アクセスは震災の翌々日から商品を北海道か ら新潟までフェリーで運び、そこから一〇トン車で花 巻の拠点まで陸送した。
花巻の拠点にはまだ電気が 通っていなかったが、日の光がある日中に庫内作業 を集中して行い、そこから被害の大きかった岩沼近 隣に商品を出荷した。
 一方、関東以西からの商品は神奈川の川崎市に急 遽一〇〇〇坪の倉庫を借りて集積。
そこから東北に 向けて一〇トン車を一日三便体制で走らせた。
 全国から送った商品の品目は日を追うごとに増え ていった。
震災当初はミネラルウォーターや缶詰など 温度管理が不要で日持ちのする商品に対する需要が 圧倒的だったが、電気が復旧して小売店の冷凍・冷 蔵設備が回復してくると、徐々にチルド商品や冷凍 食品に対する注文も増え始めたという。
 日本アクセスの中井常務は「当社ではもともと低 温商品を関東や関西から東北に運んでいる割合が高 い。
そういった意味では、当社のコールドチェーンの 強みをそのまま活かすことができた。
とにかく卸と して食品の供給を切らしてはいけないという責任を 強く感じながらのオペレーションだった」と語る。
 国分は震災の翌朝に東京本社の商品備蓄を切り崩 し、仙台の社員や近隣住民に向けて四トン車一台分 を送り込んでいる。
さらに震災四日後からは埼玉県 川越市にあるギフト専用センターを仙台向け商品の集 積拠点に据え、そこから東北に商品を供給した。
 三社ともに商品の確保には苦しんだ。
特に水やレ トルト食品などが大量に足りない状況が続いた。
そ れでも、全国卸のネットワーク力を駆使して、国内外 のメーカーを当たり、商品の調達に奔走した。
 国分の荻野物流統括部長は「東北のメーカーはの きなみ傷んでいたので、こちらから商品を送らなけ れば東北の人々は食に窮することになってしまう。
普 段は清酒しか仕入れていない酒造メーカーに頼み込ん で水を譲ってもらったり、とにかく商品の確保に全 力を尽くした」と語る。
 商品の確保以上に各社が苦しめられたのが燃料不 足だ。
なんとか商品をかき集めたはいいが、今度は それを運べないという状況に陥った。
小売り側から は早く届けろとせっつかれる。
なかには専用センター が津波で使えなくなったので、センター納品していた 商品を店舗別に仕分けて各店に納入しろという無茶 な要求もある。
一方のメーカー側からも『燃料が無い ので届けることができない。
商品を引き取りに来て ほしい』という要請が次々に入ってくる。
 しかし、力業で凌げる庫内作業と違って燃料不足 だけはどうにもならない。
石油の元売りから入手し やすいガソリンスタンドの情報を収集したり、協力物 流会社のインタンク情報を共有化して融通し合うよう 現地の小売りチェーンも大きな被害 を受けた 菱食の岩沼臨空SDC(4 月 16 日撮影)。
人員を投入して 復旧作業を急いでいる 特 集 25  JUNE 2011 調整をしたりと対応に追われた。
菱食は親会社の三 菱商事から軽油を調達するなどの対策もとった。
普段の一〇倍の発注が殺到  さらに今回の震災では被災地の東北以上に、首都 圏の加工食品市場に大きな影響が出た。
その一つの 原因が計画停電だ。
各社とも首都圏には複数の大型 拠点を配備している。
東北では拠点被害の小さかっ た国分でも、首都圏では埼玉県の八潮流通センター を筆頭に自動化された大型センターを運営している。
 各社のコアとなる大型拠点が、計画停電によって 稼働を妨げられてしまった。
たとえ停電時間が三時 間であっても、マテハンシステムの電源を落とすのに 一時間、再び立ち上げるのにも一時間程度かかって しまう。
一日のうち、計五時間ものあいだ実質的に 使用ができなくなってしまった。
 燃料難も東北地方と同様に続いていた。
商品の供 給・調達に支障をきたすばかりか、センターで働く パート社員の足にも影響した。
十分なオペレーション が行える人員の確保にも四苦八苦することになった。
 なにより首都圏の混乱を決定的にしたのが、小売 りからの発注の殺到だった。
首都圏では、震災直後 から消費者による過度な買い占めがあった。
小売り の店頭からはミネラルウォーターや缶詰などを中心に 特定の商品が忽然と姿を消した。
各小売りチェーン はこの買い占めに対応するため、普段の四倍、五倍、 商品によっては一〇倍以上の発注をかけた。
 日本アクセスの中井常務は「通常であれば一日に 出荷するドライの商品は在庫量の二割程度。
五〇〇 〇アイテムあるとしたら一日に出荷するのは一〇〇〇 アイテムほどに過ぎない。
それが震災直後からは在 庫量の八割以上を出荷する事態が毎日のように続い た」と語る。
 小売り側による完全な見込み発注だった。
首都圏 のある中堅小売りチェーンの社員は「普段は棚を見て 足りなくなった商品を発注して補充する体制を取っ ているが、とにかく商品を確保できれば売れる状態 だった。
ダメ元で通常の何倍もの量の発注をかけて いたことは事実だ」とその内幕を明かす。
 平時は“〇コンマ”の世界の欠品率が、四〇%、 五〇%台にまで引き上がった。
これに伴って、卸側に は出荷伝票の訂正作業が膨大に生じてしまった。
大 半の発注データに訂正が入るので、多くの人員を割 いて対応しなければならなかった。
ただでさえ困難 な商品の調達や供給路の確保、庫内オペレーションが 続いている中で、あまりに重い作業だった。
 数に限りのある商品を各小売りチェーンにどう分配 するかでも頭を悩ませた。
得意先によって取引規模 に差があるため、単純に発注量の何%という対応は 取れない。
かといって、あまりに公平性を欠けば卸 としての存在価値が問われかねない。
自社の営業社 員と得意先のバイヤーとの関係にも配慮する必要があ る。
需給担当者は難しい判断を迫られ続けた。
 状況を是正しようにも、卸側から得意先である小 売りに発注を制限するよう要請することはできない。
本部主導で自主的に発注制限をかけた小売りチェー ンもあったが、大半はライバル店よりも多くの商品を 仕入れようと根拠を欠いた発注を続けていた。
しか も買い占めが落ちつくと、発注していた分の商品の 受け取りを拒否する小売りまで現れる始末だった。
 そして震災直後は影を潜めていた日付逆転の禁止 や「三分の一ルール(賞味期限の三分の一の期間を 過ぎた商品は小売りへの納品を認めないという取引 条件)」も四月早々には復活したという。
国分の石巻支店には大型マテハンは 入っていなかったため早期の復旧を 実現した首都圏のスーパーでは震災直 後から買い占めが起きた

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