ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2011年6号
メディア批評
世論の買い占めに貢献するマスメディアカネで批判を封じてきた?原子力ムラ?

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高 信 経済評論家 JUNE 2011  64  寺島実郎と私の「私たちはどこで間違えた のか」という対談は二週にわたって『週刊現代』 に掲載されたが、五月二一日号の後篇のタイ トルは「世論を買い占めてきた東電、参与の ような菅首相」である。
 その「世論の買い占め」にメディアは多大 の貢献をしてきた。
いまから二〇年近く前の 一例を挙げる。
 一九九三年三月末、『読売新聞』、『産経新 聞』、『毎日新聞』の各紙が相次いで「プルト ニウム利用は安全で必要」という資源エネル ギー庁のPR記事を載せた。
通産省(現経産省) の外郭団体と広告代理店から広告や意見広告 ではなく記事の形で掲載するよう、全国紙五 紙に対して働きかけがあり、『朝日新聞』と『日 本経済新聞』は断ったが、前記三紙は資源エ ネルギー庁の審議官が加わった座談会を載せ、 応分の「広告料」を受け取ったという。
 同年四月六日付の『朝日』で、『読売』の 広報部長は、  「資源エネルギー庁の認識がどうあれ、当社 では独立した記事と考えている」  と、この「広告と連動した企画記事」につ いて居直っている。
それに付随した「五段広 告は、当初の約束に従って代理店が義務を履 行したもので、代理店から受ける広告料は五 段相当分であり、記事の掲載料ではない」と いうのである。
 資源エネルギー庁は、広報予算から代理 店の手数料を含む掲載料として三紙分計 五五〇〇万円を支払ったらしいが、東大教授 の桂敬一がコメントしている如く、こんなに 大きな有料PR記事が「広告」とも「PR」 とも表示されずに掲載されたのは前代未聞だ ったろう。
まさに「貧すれば鈍する」である。
 「買い占められなかった」地震学者の石橋 克彦は『世界』の五月号で、いま私たちは不 条理な「原発主義の時代」にいるとし、半藤 一利の『昭和史』(平凡社)を引きながら、「軍 国主義の時代」の日本が敗戦に突き進んでい った過程と、「原発震災」を起こした現代の 日本があまりにも似ていると指摘する。
 「根拠のない自己過信」と「失敗したとき の底の知れない無責任さ」によって節目節目 で判断を誤り、「起きては困ることは起こら ないことにする」意識と、失敗を率直に認め ない態度によって、さらなる失敗を重ね、多 くの国民を不幸と苦難の底に突き落としたか らである。
 石橋は『科学』の一九九七年一〇月号で「原 発震災」という概念を提唱し、その危険性が 一番大きい中部電力の浜岡原発を廃炉にすべ きだと訴えた。
それに対し、前回も紹介した 斑目春樹(現原子力安全委員長)は反論にな らない反論をした挙句、「石橋氏は原子力学 会では聞いたことがない人である」と中傷し たという。
マダラメならぬデタラメは確かに「原 子力学会」という?原子力ムラ?で電力会社 に「買われた」(もしくは飼われた)人だし、 石橋がそう書かれるのは、石橋にとって、い まはむしろ勲章だろう。
 参与でありながら、菅首相に辞表を叩きつ けて、一躍ヒーロー扱いされた小佐古敏荘も、 この時は石橋の懸念をすべて否定し、「国内 の原発は防護対策がなされているので、多量 な放射能の外部放出は全く起こり得ない」「石 橋論文は保健物理学会、放射線影響学会、原 子力学会で取り上げられたことはない」「論 文掲載にあたって学者は、専門的でない項目 には慎重になるのが普通である。
石橋論文は、 明らかに自らの専門外の事項についても論拠 なく言及している」と述べている。
これらは 浜岡原発がある静岡県の審議会の委員会の資 料に「石橋論文に関する静岡県原子力対策ア ドバイザーの見解」としてまとめられている のだとか。
これからのことを本気で考えるの なら、菅首相はこんな小佐古を参与にするの ではなく、反原発の広瀬隆らの意見を徹底的 に聴くべきではないか。
世論の買い占めに貢献するマスメディア カネで批判を封じてきた?原子力ムラ?

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