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佐高 信
経済評論家
AUGUST 2011 70
『週刊現代』の七月一六日・二三日合併号「い
まあの人が生きていれば」という企画で、筑
紫哲也が生きていたらという話をした。 『週
刊金曜日』の編集委員として一緒だった筑紫
は原発を推進した文化人やマスコミの責任を
厳しく問うたはずと強調したのである。
実際、筑紫がキャスターだったTBSの「N
EWS
23
」では二〇〇三年に、前年夏に発覚
した東京電力のデータ改竄と、原子力安全・
保安院に寄せられた内部告発を同院が隠蔽し
た問題を取り上げている。
福島県知事として東電の横暴に「待った」
をかけて別件逮捕された佐藤栄佐久は、『福
島原発の真実』(平凡社新書)で、そのこと
に触れている。
「NEWS
23
」には、二〇〇三年六月、ス
ガオカという内部告発者が福島県庁に知事だ
った佐藤を訪ねた際のビデオが挿入されてい
るが、佐藤は
「日本は公開や公正さに欠ける。 安心・安
全の第一歩になる告発のきっかけとなったあ
なたの訪問を喜んでいます」
と歓迎している。
福島第一原発1号機の点検作業を担当して
いたスガオカは、一九八九年に、蒸気乾燥機
の誤設置によるひび割れがあるのを発見する。
すぐ勤めるGEII(ゼネラル・エレクトリ
ック・インターナショナル・インク)に訴えた
が、同社は東京電力の指示するままに、その
事実を削除したデータシートを作成した。 そ
れに抵抗したスガオカは一九九八年、コスト
削減の名目で解雇される。 外資の子会社でも、
顧客の東電には弱いということだろうか。
それでスガオカは、GEIIを退職した後
の二〇〇〇年六月、当時の通産省(現経産省)
に内部告発する。 しかし、そのまま放ってお
かれる。
データ改竄が発覚するのは二年余り経った
二〇〇二年八月二九日である。 遅れた理由を
原子力安全・保安院は同年八月二九日付の『毎
日新聞』で、こう説明している。
「(スガオカ氏は)告発時にはGE社員の身
分だったが、〇一年後半にGEを退職し、本
人から『身分を守ってくれなくても結構だ』
と情報源を明かしての調査に同意があったた
め、GEとGEIIに調査を要請した」
ところが、スガオカは「NEWS
23
」に対して、
「(〇〇年の)内部告発の後、通産省からは
一年くらいいろいろ聞いてきたが、その後は
梨のつぶてとなった」
と答えている。
これを知って佐藤は怒る。
「つまり、原子力安全・保安院は八月二九
日の発覚当時、内部告発者の退社時期も、調
査の期間についても大嘘をついていた。 われ
われは、まんまとだまされていたのである」
と。
「原発の安全を監視する」と、チラシまで
配って鳴り物入りで発足した原子力安全・保
安院という組織は、実は最初から、すでに腐
っていたのだ。
佐藤はこう指弾しているが、原発推進の資
源エネルギー庁を抱える経産省の中に原子力
安全・保安院があることが、そもそもおかし
いのである。 盗っ人が十手を握っているよう
なもので、最初から安全をチェックする気な
どないのだ、と言われても仕方がないだろう。
その証拠に原子力安全・保安院ならぬ?不
安院?はスガオカの名前を東京電力に通報し
ていたといわれる。
佐藤は指摘する。
「原発事故後のいま、原子力安全・保安院
を経産省から分離・独立させよという議論が
行われている。 それを一貫して訴えてきた私
だが、何度も何度も裏切られ続けた経験から
すれば、その議論は実にむなしい」
東電に厳しい態度をとって?国策逮捕?ま
でされた佐藤はそう言うだろうが、分離もで
きなければ元の木阿弥ということである。
原発推進の経産省に安全チェックは不可能
発足当初から腐っていた原子力安全・保安院
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