ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2011年9号
メディア批評
「おかしい」という感覚さえ失ってしまったか新聞協会が掲載を拒否した原発報道批判論文

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高 信 経済評論家 SEPTEMBER 2011  80  六月二八日の東京電力の株主総会を東電大 会議室の報道関係者用スクリーンで見た。
『毎 日新聞』に依頼されてである。
 私のコメントは同紙三〇日付の夕刊に載っ ているが、まず驚いたのは、壁に貼り出され た「撮影、録音、配信につきましてはご遠慮 願います」という注意書きに誰も文句を言わ ないことだった。
 あれだけの事故を起こした東電にこんな貼 り紙をする資格はない。
書くなら「撮影、録 音、配信すべて結構です」だろう。
それより も、これに違和感を覚えない記者とはどうい う存在なのか。
東電に飼われているわけでは あるまい。
それとも、広告に裏打ちされた「安 全神話」をタレ流しされている間に「おかしい」 と疑う、最も大事な感覚まで失ってしまった のか。
 『週刊金曜日』の七月二九日号と八月五日、 十二日合併号に明石昇二郎の「『安全神話』 崩壊でも変わらぬ日本新聞協会」という報告 が載っている。
副題は「『新聞研究』がボツ にした原発報道批判記事」である。
 それによると、日本の主要な新聞社やテレ ビ局が加盟している日本新聞協会の機関誌『新 聞研究』が明石に依頼した原稿を不掲載にし たという。
 この中には、テレビ朝日の討論番組「朝ま で生テレビ!」が原発を特集した時、プロデ ューサーの日下雄一(故人)が、こんなこと を語ったとも書いてある。
 「番組にはスポンサーがつかないし、放送に こぎつけるまで局の内外から相当な圧力もあ った。
中でも許せなかったのは、原発推進の 旗振りをしてきた朝日新聞の大熊由紀子記者 (朝日新聞社刊『核燃料――探査から廃棄物 処理まで』の著者)が出演を拒否したことだ。
無責任極まりない。
今こそ彼女は語るべきで はないか。
でも、大熊氏は逃げた。
彼女だけ は絶対に許すことができない」  これは一九八八年夏の時点での話である。
 日下のことは私もよく知っているが、温厚 な彼がここまで怒ったというのだから、よほ ど腹に据えかねたのだろう。
もちろん、それ から二〇余年経ったいまも、大熊は逃げ続け ている。
 それにしても、「福島の原発事故をどう報 じるか――原発に批判的な立場から」という 仮題で頼んでおきながら、なぜ『新聞研究』 は明石の原稿をボツにしたのか。
キムラアヤ コという同誌編集長と明石の次のような遣り 取りが『週刊金曜日』に載っている。
 非常に示唆に富んでいるけれども、いくつ かの表現が不要な反発を生む恐れがあるとい うキムラに、明石が具体的にはと尋ねると、  「大熊さんへのご批判なども事実としては あったんですけれども、本当にこの部分が必 要なのかどうかというところで、編集部の中 でも意見が分かれたんです」  と彼女は答え、明石が、  「どんな論争であろうと『反発』される方 はいると思います。
そもそも執筆をお引き受 けする際、『私自身にタブーはない』と説明さ せていただき、それでも執筆を、というお話 だったので書かせていただいたわけです」  と追及すると、彼女は、  「あ、そうですか。
『新聞研究』にはタブー はやはりありまして」  と信じ難いことを言い、明石に、  「『タブーがあります』なんてあっさり言わ ないほうがいいと思いますけど」  とたしなめられている。
 たとえ業界誌でも「タブーはある」などと は言わないだろう。
「表現がきついね」とい うのが上部の判断だったらしいが、明石の指 摘するように、自ら頼んだ原稿をボツにする ことが、「これだけの国難が起きても何ら反 省していない証拠」であり、こうした新聞や テレビに守られて、東電をはじめとした電力 業界は「安全神話」をタレ流してきたのだ。
「おかしい」という感覚さえ失ってしまったか 新聞協会が掲載を拒否した原発報道批判論文

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