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奥村宏 経済評論家
OCTOBER 2011 62
社長が次の社長を決める
大野誠治著『沈黙の巨人、東京電力』(東洋経済新報社)に
こんな話が載っている。
一九九四年六月、東京電力の第八代目社長に荒木浩氏が就
任したが、その荒木社長が大野氏にこう語ったというのである。
「よく考えてみたら、当時会長をなさっていた平岩さんか
らも、社長だった那須さんからも、『お前、社長をやれ』と
言われたことはなかったんですよ。 ある時、お二人から呼ば
れたので、平岩さんの部屋に行ったら、お二人が並んでいて、
私がソファーに座ると『では記者会見は何時にしますか』と
お二人で話を始めたんです。 (中略)その記者会見が社長就
任のものでした。 だから、私は誰からも一言も社長をやれと
は言われていないんです。
こうして荒木社長が誕生したのだが、この話を平岩外四
氏に聞いてみると、次のような答えが返ってきた。
『そうでしたかね。 でも、改めて言わなくても、本人はわ
かっていたんですよ。 わかっていることをわざわざ言うこと
もないでしょう』」
荒木氏はその前から「次は君が社長だ」ということを平
岩会長や那須社長からあ
・ ・・
うんの呼吸で知らされており、本
人にはそれがわかっていた。 あとはいつ記者会見をして発表
するかということだけで、そのために二人は荒木氏を会長室
に呼んだのだ――というわけだ。
このようなことは東京電力だけでなく、日本の会社では
ごくあたりまえのことになっている。 会長や社長が次の社長
を決めるというのがどこの会社でもルール化されているのだ
が、考えてみればこれほどおかしなことはない。
ヒトラーやスターリンでさえ、後継者を自分で決めるとい
うことをしなかったが、日本の会社の社長は自分で勝手に後
継者を決めているのである。 そしてそれを誰も不思議に思わ
ない。 こんなおかしな話が日本では通用しているのだ。
「ボスは株主」のはずだが‥‥
日本の会社には社長についての規定はないが、ほとんどの
会社では取締役会で社長を選出するということが内規で定め
られている。
会社法では、株主総会で取締役を選出し、その取締役の中
から代表取締役が選出され、それが会社を代表するというこ
とになっている。 そしてほとんどの会社ではその代表取締役
が社長になる。
したがって社長は取締役会で選ばれるが、それはもちろん
多数決によって選出される。
ところが日本では先にあげた東京電力の場合のように、取
締役会で決められる前に会長や社長が勝手に後任の社長を決
めており、それを取締役会は事後的に承認するだけである。
代表者は選挙で選ぶというのが民主主義のルールだが、日
本の会社においては社長の決定はこの民主主義のルールに全
く反しているのである。
信越化学工業の会長として有名な金川千尋氏は『危機にこ
そ経営者は戦わなければならない』(東洋経済新報社)のな
かで次のように書いている。
「株式会社の経営者にとって、ボスは株主です。 株式会社は、
あくまでも私企業なのであり、公共のものではありません。
会社経営の目的は株主に報いることにあります。 したがっ
て、経営者である私のボスは株主です」(同書六九頁)。
そうだとすれば、金川氏が社長になったのも、そして金川
氏のあとの社長も、いずれも株主が選んだということでなけ
ればならないが、果たしてそうなっていたのか?
株主がボスである以上、社長を決めるのは株主でなければ
ならない。 形式上はそうなっていたとしても、実質は会長、
あるいは社長が後任の社長を決めている。
これが日本の株式会社において一般的なルールになってい
るのである。
株式会社制度においては株主によって選ばれた取締役が多数決で社長を
決める。 ところが日本では会長や社長が勝手に次の社長を決めている。 誰も
それを不思議に思わない。
第113回 後任社長を決めるのは誰か?
63 OCTOBER 2011
株式会社の危機
先に述べたように、日本の株式会社では株主が社長を選
ぶという原則が崩れている。
そのうえ株主有限責任の前提が崩れて、国民の税金で株
主の責任をカバーしなければならなくなっている。
そしてさらに株主総会では、株式を全く所有していない
銀行や生保、あるいは年金基金の代理人が株主権を行使し
ており、実際に株式を所有している個人株主の意見が通ら
なくなっている。
六月末に開かれた東京電力の株主総会で、多くの個人株
主が勝俣会長などに対する不信任投票をしたにもかかわら
ず、銀行や生保、年金基金の代理人が反対投票したために、
それは通らなかった。
これもまた株式会社の原理に反することである。 このよ
うにいま日本の株式会社では株式会社の原理が崩れてしまっ
ているのである。
一九世紀半ばに確立した近代株式会社制度は、やがて一
九世紀末に巨大株式会社が生まれることで変質したが、二
〇世紀末からそれがさらに変質して、もはや株式会社とは
いえないものになっている。 その変化がとりわけ激しいのが
日本においてである。 ヨーロッパやアメリカの株式会社も変
質しているのだが、日本ではとりわけその傾向が著しい。
それは私の主張する法人資本主義によるものである。 会
社本位主義を原理とする法人資本主義が株式会社制度を変
質させ、もはや株式会社とはいえないようなものにしてし
まっているのである。
では、どうするのか?
株式会社に代わる新しい企業システムを作り出していかね
ばならないのだが、それは困難な仕事である。 しかし、そ
れなしではもはや経済は立ちゆかなくなっている。
そういう重大な問題がいま提起されているのである。
株主有限責任の原理
近代株式会社制度が確立したのは一九世紀半ばで、イギリ
スの議会で一八五六年に株式会社法が制定され、それがフラ
ンスやアメリカ、さらには日本にも波及し、そしてそのいず
れの国においても株式会社制度が確立したとされている。
株式会社の原理は株主の有限責任ということである。 個人
の場合はすべての債務について無限責任であり、借金が払え
なければ自分の財産はすべて差し押さえられる。
そして株式会社制度が確立する以前にあった合名会社(パ
ートナーシップ)でも、出資者は無限責任であった。
ところが株式会社では株主は有限責任で、もし会社が倒産
したとしても、株主は自分が持っている株式の価値はゼロに
なるかもしれないが、それ以上の責任は追及されない。
これが株主有限責任で、この原理が確立したことによって
株式会社は危険な事業にも投資することができるようになり、
それによって株式会社は大きくなっていった。
しかしこの株式会社法が成立する段階で、イギリスの議会
では「そのような無責任な制度を認めるわけにはいかない」
という反対の意見が強かった。
これに対しJ・S・ミルは「株式会社には株主が出資した
資本金に相当する資産がある。 もし会社が倒産したら、その
資産を債権者が差し押さえればよいではないか」と主張し、や
がてこの主張が認められて、株式会社法は成立したのである。
ところがいま東京電力は一〇兆円を超えるといわれる額の
損害賠償を抱えており、とてもそれを支払う能力はない。 支
払能力がなければ会社は倒産し、株主の持っている株券は紙
切れになるのが当然である。
ところが原子力損害賠償支援機構を作って国民の税金と消
費者の負担でそれを支払うことになった。
これは株主有限責任という近代株式会社の原理が崩れたと
いうことを意味する。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『経済学は死んだのか』
(平凡社新書)。
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