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APRIL 2012 2
──震災後に同業者同士の横の連絡と
いうのは?
「ほとんどありませんでした。 皆自分
の周りのことで手一杯でした。 津波の
被害を受けた地域や避難区域の会社と
もなると、電話はもちろんつながらな
いし、連絡の取りようがない。 現地に
入ってみたりもしましたが、立ち入り
のできない地域がかなりありましたの
で。 業界の状況がいくらかでも見えて
きたのは、夏ぐらいになってからです」
──福島の運送業経営者たちは今後の
復興について、どう考えているのでし
ょうか。
「今のところ良い材料は見当たりませ
ん。 原発問題が収束しないと我々は再
スタートを切ることができません。 そ
れがはたして、いつのことなのか。 今
週の日曜日、三月十一日には地元の白
河でも震災犠牲者の慰霊祭があり、私
も黙祷を捧げました。 しかし震災から
一年が経った今も、まだ何も終わった
気がしません」
──同じ被災地でも宮城や岩手とは、
かなり状況が違う。
「昨年、東北地区のトラック協会の
集まりに、福島代表の一人として出席
しました。 そこには岩手や宮城の代表
者も出席していて、どこも同じように
被害を受けている。 被災者としての気
持ちは皆で共有することができました。
悪質な嫌がらせが横行
──緑川会長は白河市の小田川運輸の
二代目ですね。 会社の業容は?
「保有車両台数は約一〇〇台で、震
災前までは、地元の日本酒や青果物な
どの食品類と自動車部品の輸送を二本
柱にしていました。 小田川運輸は父が
昭和五二年に創業した会社で、私は現
在、常務という立場で働いています」
──震災直後の様子は?
「本社のある白河周辺は震度六強だ
ったのですが、電気、水道、ガス、す
べてストップしました。 そのままでは
定温倉庫の食糧を全てダメにしてしま
うので、荷主さんに了解を取って避難
所に救援物資として届けたりしていま
した。 幸いインタンク(自家用燃料貯
蔵施設)に多少燃料が残っていたので、
その程度は動けたんです。 また白河は
内陸部ですので津波の心配はなかった。
もちろん建物の崩壊や地割れなどはあ
りましたが、従業員の家族も含めて人
的な被害はありませんでした。 地震だ
けだったら、本来はそれで終わりのは
ずでした」
「状況が変わってきたのは福島第一原
子力発電所の事故の様子が分かってき
てからです。 放射能があるのでトラッ
クが福島に入れないという。 仕方が無
いので福島から首都圏まで取りに行っ
てくれという依頼が殺到しました。 で
きる限り対応しましたが、インタンクの
燃料もすぐに底をついてしまいました」
「何とか向こうに到着しても、今度は
車両の入構を拒否されてしまう。 『お前
は余計なものを背負ってきただろ。 構
内には入るな』と追い返される。 当社
の場合は福島ナンバーですからまだマ
シだったのですが、いわきナンバーの
車両などは、露骨な嫌がらせを受けて
いました」
──噂としては聞いていましたが、事
実だったのですね。
「車両にいたずら書きなどは、しょっ
ちゅうです。 同業者としか思えない嫌
がらせもありました。 ウィング車の後
方には、荷台の開閉用の電源ケーブル
がついているのですが、それがある日、
切断されていた。 専用の道具でもない
と切れない太いケーブルです。 そのケ
ーブルを切ったら何がダメになるのか
を知らないと、そんないたずらはとて
もできません」
「さすがに今は落ち着いてきましたが、
それでもパーキングエリアなどでドライ
バーが仮眠から起きると、混雑してい
る駐車場なのに自分の車両の周りだけ
は空いている。 これについては良く眠
れるので歓迎ですが(笑)」
福島県トラック協会 青年協議会 緑川直人 会長
「福島だけが取り残されている」
震災から一年が経ち、復興に向けた動きが各地で始まっている。 た
だし、原発問題を抱える福島は別だ。 ガレキの撤去は遅々として進ま
ず、壊滅的被害を受けた第一次産業は再生のメドさえ立たない。 地元
ナンバーの車両に対する差別や嫌がらせも横行している。 それでもトラ
ック運送会社は地元を離れることはできない。 (聞き手・大矢昌浩)
3 APRIL 2012
しかし、その一方で心情的な違いも感
じざるを得ませんでした」
「他の被災地の人たちは、『大変だっ
たけれど、もう終わったことだ。 これ
から頑張ろう』と前を向いている。 我々
も同じように言いたい。 しかし、現実
には福島は何も終わっていない。 足踏
みしたまま、前に進めていないんです。
他の被災地とのそうした温度差が、日
を追うごとに大きくなっている気がし
ます。 福島だけが復興から取り残され
始めて、今年に入ってからは相当に良
くなっています。 ただし、食品類は完
全にストップしたままです。 このあたり
の運送会社は当社に限らずどこもキュ
ウリや桃、白菜といった地元の農作物
を首都圏に運ぶ仕事をしています。 そ
の凹みを自動車関連の回復でカバーで
きるかと言えば、これは難しい」
──国や自治体には何を望みますか。
「原発問題を収束させてくれという
ことに尽きます。 しかし、国も東京電
力も恐らく解決策は持っていない。 原
発周辺の地域では毎年、住民に対する
説明会が開催されます。 そこで住民は
毎回のように事故が起きた時の対応を
尋ねるわけですが、東電はずっと『事
故は起きません』の一点張りを続けて
きました。 実際、彼等は答えを持って
いないのだと思います」
「補償については国や自治体の助成に
は、ずいぶん助けられています。 しか
し、それで被災のダメージを賄いきれ
るわけではない。 一方の東電の対応は
遅れています。 農家への補償はすぐに
下りても、農産物を運んでいる我々の
被害はなかなか認めようとしない。 東
電に対する主張は今後も続けていきま
すが、いずれにしても地元の産業が復
興しない限り、我々運送業の復興もあ
りません。 お客さんの復興が我々の最
大の望みです」
ている」
──確かに、仙台などは今や復興景気
に沸いています。
「福島でも、いわき市周辺は一見、仙
台と似たような状況にあります。 しか
し、その中身はかなり違います。 仙台
は既に復興の段階に入っている。 しか
し、いわきは東電関係の人たちで賑わっ
ているだけで、まだ復旧なんです。 そ
れでも仕事があるので、白河や郡山周
辺の労働力が今、仙台やいわきへと移
っています。 当社でも震災後にドライバ
ーが二人辞めましたが、聞けば建設業
に移るという。 地元から人がいなくな
っているために、当社の被災した倉庫
を改修するのにも一年かかりました」
「それでも、トラック運送業の我々と
しては地元を離れるわけにはいきませ
ん。 運送業というのは、トラックと電
話一本あればできる身軽な商売ではあ
りますが、自分でモノを作っているわ
けではない。 お客さんがいないと何も
始まりません。 当社のお客さんのなか
にも自分の判断で地元を出ていくとこ
ろがちらほらと出てきましたが、我々
は今のお客さんを丸ごと連れていくで
もしない限り、安全な場所に移ること
もできない。 最後まで地元に留まるし
かないんです」
──震災前までの福島のトラック運送
業界の状況はどうだったのですか。
「恐らく福島の運送業はリーマンショ
ックで最も大きくダメージを受けた地
域の一つだと思います。 福島には自動
車部品と弱電関連の工場がたくさん集
積しているのですが、リーマンショック
で自動車部品だけでなく、弱電の荷動
きまでパタッと止まってしまいました。
それまで我々は自動車部品と弱電は別
の産業だと考えていたのですが、実は
両方とも自動車産業の裾野であること
を思い知らされました」
──どう対応されたのですか。
「社員と車両をかなり減らした同業者
が多かったですね。 ただし、ウチはや
らなかった。 いったん減らしてしまう
と、景気が回復してきた時に今度は人
手不足に陥ることが明らかでしたので」
自動車部品の荷動きは回復
──募集しても集まらない?
「来ませんね。 昔は、トラックドライ
バーと言えば、肉体的には大変だけれ
ど、頑張ればそれなりの給料が稼げる
ということで、若い人が入ってきたわ
けですが、今では普通の工場と給料体
系も変わりませんからね。 不規則なド
ライバーの仕事より、決まった時間に布
団で寝られる仕事に人が流れてしまう」
──足下の荷動きは?
「自動車部品の荷動きは、かなり回
復してきました。 昨年の秋頃から動き
荷主および配送先が警戒区域、計
画避難区域にあることでの被害
荷主および配送先が自主避難した
ことによる被害
農林水産物の出荷停止指示が出
たことによる被害
発荷主が風評被害により出荷を制
限したことによる被害
貨物の発地が福島であることだけ
で、貨物の受け取りを拒否されたこ
とによる被害
福島(近県)ナンバーによる車両利
用拒否や他県ナンバー車両への
積み替え指示による被害
福島原発事故が 福島県 茨城県 宮城県
トラック運送業に与えた被害
文部科学省原子力損害賠償紛争審査会「専門委員調査報告書」より
発生率
(%)
1 社平均
被害額(万円)
発生率
(%)
1 社平均
被害額(万円)
発生率
(%)
1社平均
被害額(万円)
19.7
7.5
3.9
6.6
3.2
1.5
975
942
2944
1839
195
98
1.9
1.0
1.4
1.8
0
0
339
89
1246
517
0
0
8.5
0.0
2.8
2.8
0
0
104
0
134
4145
0
0
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