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湯浅和夫の
湯浅和夫 湯浅コンサルティング 代表
《第66回》
JULY 2012 64
際は、たとえば発送係というように、係とい
う部署も多かったと思います」
「なるほど、仕事内容そのままというか、文
字通りの専門部署といった感じですね。 たし
かに、おっしゃるように、課のレベルならいい
方かもしれない。 昔は係レベルが多かった感じ
がしますね。 ところで、座談会によると、そ
れらの荷主さんは、当時どんなことに関心を
持っていたんですか?」
編集長の質問に、体力弟子が表を取り出し
てみんなに配り、説明を始める(次頁表参照)。
「その前に、この表を見てください。 昭和三
五年(一九六〇年)から三九年までの五年間
の輸送量の推移と輸送機関の分担状況を示し
たものです。 トンベースで見ています。 見れ
ばおわかりのように、輸送量は、三五年が一
五億トンだったんですが、三九年には二六億
トンと五年間で一・七倍になっています」
「なるほど、輸送量ががんがん伸びてますね。
さすが、高度成長期だ」
編集長が感心したような声を出す。 じっと
67《第123当時、物流は自前主義だった
「なるほど、当時の状況を知るには、新聞の
座談会記事というのはいいですね。 荷主も結
構登場してるんですか?」
当時の状況は、座談会記事を読むとつかみ
やすいという美人弟子の言葉に編集長が納得
顔で聞く。
「はい、ずいぶん登場されています」
「その人たちの肩書は何ですか? まだ物流
なんとかという部門はありませんよね?」
美人弟子が自分のメモを見ながら答える。
「もちろん物流も物的流通もまだ言葉として
生まれていませんから、部門名称には出てきま
せん。 部署名としては、わかりやすい名称が
多いです。 たとえば商品課、製品管理課、発
送課、倉庫課、運輸課、輸送課、業務課とい
ったものです。 それらが所属している部門と
しては、営業部、製品部、業務部などといっ
たところが出てきます。 座談会は、課長さん
の登場が多いので、課になっていますが、実
日本が本格的な高度経済成長期に
突入した昭和三〇年代後半から四〇
年代初頭にかけて、国内貨物輸送
量は爆発的に増加した。 それを支え
たのがトラック運送だった。 ただし、
当時はまだ荷主による自家物流が中
心で、トラック運送事業者のサービス
レベルには課題が多かった。 営業倉
庫事業者も荷主のニーズに十分対応
できていなかった。
「流通革命」前夜の物流市場
■大先生 物流一筋三十有余年。 体力弟子、美人
弟子の二人の女性コンサルタントを従えて、物流
のあるべき姿を追求する。
■体力弟子 ハードな仕事にも涼しい顔の大先生
の頼れる右腕。
■美人弟子 女性らしい柔らかな人当たりで調整
能力に長けている。
■編集長 物流専門誌の編集長。 お調子者かつ大
雑把な性格でズケズケものを言う。
■女性記者 物流専門誌の編集部員。 几帳面な秀
才タイプ。
第 回4
65 JULY 2012
表を見ていた女性記者が何かに気が付いたよ
うに呟く。
「あら、輸送量の伸びのほとんどは自動車が
吸収しているんですね」
弟子たちが頷く。 体力弟子が、相槌を打つ。
「そうなんです。 まあ、物流の主役はトラッ
クですから当然といえば当然なんですが、輸
送量の伸びとともにトラック台数も増えていま
す」
美人弟子が補足する。
「自動車というのは、営業用トラックと自家
用トラックの合計なんですが、その表で明ら
かなように、自家用の伸びが大きいです。 ト
ラック台数で見ると、営業用が一・五倍の伸
びに対して、自家用トラックの台数は二倍に
なっています。 輸送量も同じような状況にな
っています」
「この後、徐々に営業用のシェアが広がって
いくと思うんですが、当時は、物流は自前でや
るというのが当たり前だったんでしょうね?」
編集長が大先生に確認するように聞く。 大
先生が頷く。
「そう思う。 当時は何でも自前主義だから
ね。 物流は、自分の倉庫で、自分のトラック
で、そして、自社の社員でやるというのが当
たり前だった。 もちろん、長距離輸送のよう
に自分ではやりきれないところは鉄道や船舶
に依存していた。 営業トラックや営業倉庫も
自社でやりきれないところをカバーしてもらう
というのが当時の役割分担だったと思う。 た
だ、この頃、営業用トラックも勢力を拡大し
つつある時期だったことは間違いない」
専業者には任せきれなかった
大先生の話を聞き、編集長が何か思い出し
たように大先生に確認する。
「そういえば、以前、先生から伺った昔話の
中で、先生がこの世界に入られた頃は、大手
メーカーの場合、百カ所も二百カ所も倉庫を持
っていて、工場から倉庫に自家用トラックで
在庫を届けていたってことでしたよね?」
「そうそう、おれがこの世界に入ったのは、
昭和四〇年代半ばだったけど、いま話題にし
ている三〇年代後半頃も同じような状況だっ
たと思う。 その頃は、顧客に対する在庫確保
は、担当営業マンの仕事だったから、営業マ
ンの数だけ倉庫があると言われていた」
「当時は、というか、いまもそうですけど、
いま以上に顧客の都合に合わせて物流をやら
されていたんでしょうね?」
編集長の質問に美人弟子が頷く。
「座談会などでの荷主さんのコメントに『営
業用は小回りが効かないから使えない』とい
う内容のものが少なくありません。 ですから、
お客さんから結構面倒な要請があったでしょ
うし、それをトラックにしろ倉庫にしろ専業
者が担うのは困難だったという状況にあった
ことがうかがわれます」
体力弟子が続ける。
「営業用トラックが増えてきたとはいえ、お
輸送量と輸送機関分担率の推移(昭和35−39 年度)
自家用・営業用別トラック台数の推移
35
36
37
38
39
35
39
輸送量
1,533 100 195 100 43 100 1,156 100 139 100
1,842 120 206 106 45 105 1,437 124 153 110
2,012 131 202 104 46 107 1,602 139 162 117
2,379 155 206 106 47 109 1,948 169 177 127
2,633 172 207 106 52 121 2,210 191 165 119
35 1,315,625 100 166,170 100 1,149,455 100
39 2,491,522 189 246,356 148 2,245,166 195
合計
(台)
100% 13% 3% 75% 9%
100% 8% 2% 84% 6%
35 年=100
年度
総輸送量
百万トン35 年=100
国鉄
百万トン35 年=100
私鉄
百万トン35 年=100
自動車
百万トン35 年=100
内航海運
百万トン
分担率
自家用・営業用別トラック輸送量の推移(百万トン)
営業用自家用
35 379 100 777 100 1,156 100
39 607 160 1,602 206 2,209 191
合計営業用自家用
JULY 2012 66
客さんのところに行かせるのが心配だという
荷主の声も少なくないですよ」
「そういえば、サンダル履きや上半身はだか
のドライバーは困るなどという苦情が新聞に
出ていたな」
大先生の言葉に体力弟子が大きく頷き、新
聞記事のコピーを見せる。
「ある荷主さんですが、トラックドライバー
に『一個のサラリーマンだという自覚を持っ
てほしい』というような発言をしています」
「組織人としての自覚を持てということで
すかね。 つまり、個人じゃなくて会社を背負
ってるんだから、服装や態度をきちっとしろ
ってことでしょうね」
編集長の解説に体力弟子が頷き、別の記事
を紹介する。
「これは、別の荷主さんの発言ですけど、発
荷主のところでは、それなりに対応している
が、うちを出てから、継続してきちんと対応
してくれるか、着荷主からクレームが来ない
か、ずっと心配だと言ってます」
「なるほど、そういうことが改善されながら、
営業用トラックはその後シェアを伸ばしてい
くってことですね。 そうか、ところで、営業
倉庫はどんな状況だったんですか?」
編集長が一つの結論を出して、新たな質問
をする。 体力弟子が答える。
「ある大手の倉庫業者の方が『とにかく倉庫
に入ってきたものを方面別に仕分けて包装す
る、そして発送までやっているのだから、倉
業倉庫には荷動きの少ない製品を預ける、つ
まり、当面の出荷には関係ない製品を置いて
おくという役割を担わせていたといえる」
大先生の言葉を受けて編集長が、独りごと
のように呟く。
「小回りな作業要求に応えられなかったとい
うこともあるでしょうけど、おれたち倉庫業
者がなんでそんな面倒なことをせなあかんの
やという倉庫屋さんも結構いたんじゃないで
しょうか‥‥」
「間違いなくいた。 立地のいいところに倉
庫を持っていれば、自然に荷物は入ってくる
ので、荷主ニーズなんて面倒なことは御免だ
というところも少なくなかったろうな。 まあ、
気持ちはわかる。 でも、大手の倉庫業者では、
荷主のニーズに積極的に対応しようと動き始
めていたこともたしかだ」
「二極分化というのは黎明期特有の現象です
ね」
『流通革命』が登場した
編集長の結論に大先生が頷く。 それまで黙
っていた女性記者が、思い出したように、新
たな問題提起をする。
「私が調べたところでは、その頃、『流通革
命』という言葉がよく登場していたようです
が、これと『流通技術』とはどう関係するの
でしょうか?」
大先生が「密接に関係していたろうな」と
言って、説明を始める。
庫も随分進歩したもんだ』と言ってます。 こ
の言葉は、なかなか変化しきれない倉庫業者
さんの実態を逆説的に表しているようにも思
えます」
体力弟子の話を受けて、大先生が説明する。
「その頃は、小売店は総じて小さいので、商
品を十分に持てるスペースはない。 それなの
に高度成長とともに品数が増えてきた。 結果
として、店に置ける商品は限られてくるので、
それを問屋がカバーせざるをえない。 つまり、
小売店が電話すれば、問屋がすぐに持って行
ってやる。 ただ、その頃は、問屋も決して大
きくはないので、ここでも在庫を十分に持ち
きれない。 そこで、今度はそれを問屋のそば
にメーカーが倉庫を持ってカバーしてやること
になる」
大先生が一息つくのを待っていたように、編
集長が聞く。
「先ほどのメーカーの倉庫が多かったのは、そ
れも一因ですね」
大先生が頷いて続ける。
「このようなサプライチェーンの場合、それら
の倉庫での作業は結構面倒なものになる。 場
当たり的に注文してくるわけだから、出荷作
業は必然的に小回りが要求される」
みんなが「さもありなん」という顔で頷く。
「そこで、当時の営業倉庫だけど、この小回
りな作業要求には応えられなかったというと
ころが少なくなかったのは事実だ。 そうなる
と、顧客に届ける作業は自家倉庫でやり、営
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販売が現実のものになるにしたがって、必然
的に、既存の流通体制は大きな亀裂を生むこ
とになる」
大先生の言葉を受け、美人弟子が続ける。
「小さな問屋さんでは、対応しきれなくなっ
て、問屋さんの存在価値が問われ、これまで
の流通経路そのものが変革を迫られたわけで
すね」
「ある座談会で、これは新聞記者の方だと思
いますが、こんなことを言っています。 えー、
『小売への出荷のためのセンターをメーカーが
作って、従来問屋がやっていた仕分けを含め、
すべてをメーカーが管理している』というよ
うなことです。 また、別の方が日通の名前を
出して、『醤油メーカーの倉庫から小売配送ま
でを日通がやっている。 つまり問屋機能とし
て従来考えられてきた保管、輸送を管理を含
めて輸送会社が代行しているんだ』というよ
うなことも言っています。 問屋機能がメーカ
ーや輸送業者に移管され始めているというこ
となんでしょうか?」
女性記者が頷き、自分のメモを見ながら続
ける。
「そのようですね。 メーカーは、それまで生
産部門における技術革新を推進してきたわけ
ですが、生産から流通にも目を向けざるを得
なくなったようです。 大量生産したものを大
量流通させるにはどうしたらよいかというこ
とのようです」
「メーカーは、いままでは作ることに夢中に
なって、売ることは忘れがちであったという
台詞もありましたよ」
体力弟子が興味深い指摘をする。 それを受
けて、編集長がまた結論を出した。
「かつて経験したことがない大量生産・大
量流通時代になって、これまでの流通の制度
はすべて否定されることになった。 その結果、
必然的に流通革命が起こったということだな」
「さっきから、そう言ってるじゃないですか」
女性記者が、そう言って、編集長をにらむ。
大先生が、笑いながら、もう一つの結論を出す。
「大量流通は、流通経路の問題だけでなく、
大量物流をどうするかという課題も提起して
いる。 流通技術はそこで登場するけど、興味
深いのは、いよいよ行政もその解決に乗り出
さざるを得なくなったということだ。 それが
昭和四〇年に具体化する」
「物的流通元年ですね」
美人弟子の言葉にみんなが「待ってました」
という顔で大きく頷いた。
「かつて経験したことがないような高度成長
が進んだ結果、当時の新聞の言葉を借りれば、
『大量消費集団』なるものが誕生した。 まあ、
消費者の購買力が高まったってことだな。 一
方、朝鮮戦争の特需に応えるなかで、工場に
おける生産能力が急速に高まった。 いわゆる
大量生産が実現した。 そうなると、次に求め
られるのは何?」
大先生の問い掛けに、女性記者が答える。
「えーと、大量販売体制ですね。 それに大量
流通体制も、ですね」
「そう、スーパーに代表される大規模な小売
店が登場し始めた。 つまり、大量生産と大量
ゆあさ・かずお 1971 年早稲田大学大
学院修士課程修了。 同年、日通総合研究
所入社。 同社常務を経て、2004 年4
月に独立。 湯浅コンサルティングを設立
し社長に就任。 著書に『現代物流システ
ム論(共著)』(有斐閣)、『物流ABC の
手順』(かんき出版)、『物流管理ハンド
ブック』、『物流管理のすべてがわかる本』
(以上PHP 研究所)ほか多数。 湯浅コン
サルティング http://yuasa-c.co.jp
PROFILE
Illustration©ELPH-Kanda Kadan
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