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奥村宏 経済評論家
JULY 2012 68
マスコミの金融資本批判
ギリシャの財政危機から発したユーロ危機のあおりを受けて
世界の株式市場は不振を極めているが、その根底には「金融
資本主義の崩壊シナリオがある」と武者陵司氏は『週刊東洋経
済』二〇一二年六月二日号に書いている。
同氏によると「リーマンショックからユーロ危機へと続く困
難の原因は金融資本主義による過剰なレバレッジという錬金術
にある」という。
日本では日本銀行による超金融緩和政策によって行き場を
なくした余剰資本が、もっぱら国債で儲けるということになり、
銀行はこれによって利益を得ているが、これは極めて危険なや
り方である。
『日経ビジネス』二〇一二年五月二八日号は「銀行儲け過ぎ
の実像」という特集をしており、そこではもっぱら国債の売買
で稼いでいる日本の大銀行の姿を詳しく書いている。
法人税を一〇数年間にわたって納めていない大銀行が、震災
復興のために必要な資金を貸さず、もっぱら国債の売買で儲け
るとはなにごとか、とも批判している。
一方、『週刊ダイヤモンド』は二〇一二年三月一七日号で「銀
行・証券 終わらざる危機」という特集をして、日本の大銀行
が東京電力をはじめとする電力会社やオリンパス、NEC、シ
ャープ、ソニー、ルネサスエレクトロニクスなどの大口融資先に
対する巨額の不良債権を抱えていることを、数字をあげて詳し
く報道している。
一方、証券業界では野村證券のインサイダー取引につながる
情報漏れが新聞各紙に大きく取り上げられており、証券会社不
信の声が高まっている。
こうして銀行、証券会社のいわゆる金融資本に対するマスコ
ミの批判が高まっているのだが、これはいったい何を意味する
のか? 金融資本に対する国民の不信をそれは反映しているの
であろうか?
ヒルファーディングの本
「金融資本」という古めかしい言葉が復活しているが、元
はといえばルドルフ・ヒルファーディングが一九一〇年に出し
た『金融資本論』という本にまで遡る。
ワイマール共和国の時代に財務大臣をしていたこともある
ヒルファーディングは、元は医者であったが、経済理論を独学
で研究してこの本を書いた。
日本では林要氏によって翻訳されており、私も学生時代に
この本を熱心に読んだものである。 ドイツ語の原本を手に入
れて辞書を引きながら読んだことをなつかしく思い出す。 そ
の後、岡崎次郎氏による訳が岩波文庫から上、中、下の三冊
本として出されている。
ヒルファーディングはこの本で産業資本と銀行資本が融合し
たのが金融資本であるとしており、さらに株式会社や証券取
引所についても詳しく検討している。
私は証券担当の記者をしていた頃にも、日本の証券会社や
証券取引所を分析するためにヒルファーディングの『金融資本
論』を一所懸命に読んだが、日本の証券市場とドイツの証券
市場の制度が非常に異なっているため、この本を理解するの
に苦労したものである。
当時、金融資本(フィナンツ・カピタル)という言葉はい
かにも目新しく思えたのだが、その実態を把握するのはそれ
ほど簡単ではない。 ところが日本の経済学者は金融資本とい
う言葉だけでなにか分かったような顔をして議論する。
当時、有名な大学教授が「経済のことを理解するにはヒル
ファーディングの『金融資本論』を読め」と奨めていたが、私
はこの経済学者は実際の経済のことは全く分かっていないの
ではないか、と思ったものである。
金融資本という言葉ではなく、その実体を把握しなければ
問題は解決しない。
そのことを私は強く認識するようになったのである。
日本の銀行は国債の売買によって巨額の利益を得ている。 国債が
暴落すれば銀行はたちまち経営危機に陥る。 しかし公的資金の投入
や国債の増発はもはや許されない。
第122回 高まる金融資本批判
69 JULY 2012
金融資本主義の危機
アメリカではこの金融資本批判の声は「ウォール街占拠運
動」(OWS)となって現れているが、その後、単にウォー
ル街の銀行経営者の高給批判だけでなく、銀行の行動自体
にも批判の声が高まっている。
ちょうどそういう時にJ・P・モルガン・チェースが金融
派生商品(デリバティブ)で巨額の損失を出したことが明ら
かになり、これに対する国民の批判が高まっている。
そして銀行に投機的な取引を止めさせる「ボルカー・ルー
ル」が問題になっており、金融資本に対する批判の声がいっ
そう高まっている。
一方、日本では銀行は巨額の利益をあげているが、しか
し、それは国債の売買益によるもので、もし国債が暴落し
たら、銀行はたちまち巨額の損失を発生させて経営危機に
陥ることは必至である。
もしそうなったら、再び公的資金によってそれを救済する
ということになるのだろうか。
これには国民の反対が強いことはもちろん、国債をさらに
増発して銀行を救済するということはもはや困難である。 こ
のことは誰にでもわかり切ったことであるが、それができな
ければどういうことになるか?
それはまさに「金融資本主義の崩壊」であり、日本はそ
のシナリオに向かって進んでいるのである。 こうした背景か
ら「金融資本批判」の声が高まっているのだが、このこと
がまったく分かっていないのが銀行や証券会社の経営者たち
ではないか。 そしてそれ以上に分かっていないのが民主党を
はじめとする政党の政治家たちではないか。
これを「金融資本批判」という形で取り上げたマスコミに
は感服するが、しかし、それをどういう形で実現していく
のか、金融資本に対して何を対置するのか、という点では
物足りないものを感じる。
「経済の金融化」
その後、経済の金融化(フィナンシャリゼーション)とい
うことが強く認識されるようになったのは一九八〇年代頃か
らである。 そこでは金融資本というよりも「経済の金融化」
という言葉が使われたが、それはまさに金融資本が優越的地
位に立ったことを表している。
第二次大戦後、アメリカをはじめ、ヨーロッパや日本の経
済は戦災からの復興をとげたあと黄金時代を迎えたが、一九
七〇年代になってそれが危機に陥った。 石油危機がそれをさ
らに助長したことはいうまでもない。
そこで資本主義の危機対策として登場したのが新自由主義
政策であった。 それはイギリスのサッチャー首相、アメリカの
レーガン大統領によって推進され、具体的には国有企業の私
有化(プライバタイゼーション)と規制緩和政策として実行
された。
それと同時に進められたのが「経済の金融化」であった。
日本ではこれは日本銀行による金融緩和政策として進めら
れ、それがやがてバブル経済となって地価と株価の暴騰とな
って現れたことはよく知られている。
日本のバブル経済は一九九〇年代になって崩壊し、株価も
地価も暴落したが、しかしこのバブル崩壊後もさらに金融緩
和政策が進められ、そしてバブル崩壊で経営危機に陥った銀
行や証券会社や住宅金融会社に巨額の公的資金が投入されて
いった。
つまりそれは金融資本を救済するために公的資金を投入し、
そして超低金利政策、さらに国債の大量発行を行ったのであ
るが、その結果、経済の金融化はますます進行し、その極限
にまで達した。
それが現在の状況であるが、それはまさに武者陵司氏の言
う「金融資本主義の崩壊シナリオ」である。 そこからマスコ
ミによる一連の金融資本批判の声があがってきたのである。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『東電解体 巨大株
式会社の終焉』(東洋経済新報社)。
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