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湯浅和夫の
湯浅和夫 湯浅コンサルティング 代表
《第66回》
AUGUST 2012 62
そのとおりという顔で編集長が続ける。
「そうだと思います。 鉄道もトラックも、消
費財の輸送という点では、いまでは想定外と
いってよいくらい脆弱でしたよね。 鉄道貨車
なんか、荷物を貨車にぎゅうぎゅう詰めこんだ
でしょうから、やわな梱包だとひとたまりも
なかったと思います。 それに連結や発車、停
車時の衝撃があったでしょうから、たしかに、
この前お話があったように、梱包が最大の関心
事だったはずです」
「貨車は積めば積むほど混載利益が出るから、
それはぎゅうぎゅうに押し込んだろうな」
大先生と編集長が頷き合う。 そこに、突然
女性記者が割り込んだ。
「私、調べてびっくりしたんですけど、その
頃の道路事情ってひどかったですね」
女性記者の言葉に編集長が中途半端に頷く。
女性記者が続ける。
「舗装率を見るとびっくりしますよ。 その頃
の舗装率ってどれくらいだと思います?」
女性記者が編集長に聞く。 編集長が「うー
67《第124当時の道路舗装率は三%以下
弟子たちの煎れたコーヒーを飲みながら、編
集長が、しきりに自分の取材ノートを繰って
いる。 ようやく目的のページを見つけたらしく、
手を止めて、自分のメモを見つめる。 おもむろ
に顔を上げ、「休憩中済みませんが、雑談だと
思って聞いてください」と大先生に話し掛ける。
大先生がコーヒーを片手に「いいよ」と頷く。
「実は、私も、できる範囲で調べてみたんで
す。 そしたら、まあ予想通りではありますが、
当時の物流は、何と言うか、想像以上に厳し
い状況の中で行われていたんですね。 たしか
に、流通技術革新が必要だと実感しました」
大先生が頷き、相槌を打つ。
「そう、昭和三〇年代後半、西暦でいうと六
〇年代前半だけど、この頃は、いくら作って
も追いつかないくらい売れたという時代だと思
う。 大量生産したものを大量販売する場所ま
で届けるのは大変だったはずだ。 物流のパイプ
が脆弱だったから」
物流が大量生産・大量消費時代の
制約だった。 脆弱なインフラと劣悪
な輸送品質が、物流のもたらす「時
間的効用」と「場所的効用」を阻害し、
経済成長の足枷となっていた。 包装、
保管、荷役、輸配送、通信による諸
活動を統合した「フィジカル・ディ
ストリビューション」という新しいコ
ンセプトがそこに紹介され「物的流通」
という訳語が与えられた。
「物的流通」という言葉の始まり
■大先生 物流一筋三十有余年。 体力弟子、美人
弟子の二人の女性コンサルタントを従えて、物流
のあるべき姿を追求する。
■体力弟子 ハードな仕事にも涼しい顔の大先生
の頼れる右腕。
■美人弟子 女性らしい柔らかな人当たりで調整
能力に長けている。
■編集長 物流専門誌の編集長。 お調子者かつ大
雑把な性格でズケズケものを言う。
■女性記者 物流専門誌の編集部員。 几帳面な秀
才タイプ。
第 回5
63 AUGUST 2012
ん」と言って、「まあ、そう聞いてくるからに
は、かなり低いってことだな。 道路によっても
違うだろうけど、すべての道路平均で一〇%
もいってないってとこかな」と適当に応える。
それを聞いて、女性記者が嬉しそうに「ぶー、
外れです」と言う。
編集長が「もっと低いってことか」とちょ
っと悔しそうな顔をする。 女性記者が解説を
始める。
「新聞に出ていた統計なんですが、あっ、当
時の建設省の『道路統計年報』って統計です。
これによると、一九六〇年の道路舗装率が出
てるんですが、なんと国道でも二九%です。 主
要な地方道で十三%です。 それが、一般の都
道府県道になると六%しか舗装されていない
んです。 県道ですよ。 驚きですよね」
「なるほど。 それでは、市町村道になると、
ほとんど舗装されていないってことか?」
編集長が、興味深そうに聞く。 女性記者が
頷く。
「はい、市町村道など身近な道路の舗装率は
一%強です。 これらを合わせると、先ほど質
問した道路合計では、なんと、二・八%でし
た」
女性記者の説明に、弟子たちが興味深そう
に頷く。 体力弟子が「トラックも大変でした
ね」と誰にともなく言う。 編集長が頷く。
「本当ですね。 砂利道やでこぼこ道を走るの
は辛い。 ドライバーもそうだけど、荷物も耐え
難いと思いますよ。 やっぱり梱包は重要だ」
「物的流通」が登場した
編集長が顔をしかめるのを見て、女性記者が
思いついたように言う。
「それだから、行政も物流のインフラ整備に
力を入れたんですね」
「そうそう、昭和三九年のオリンピックに向
けて新幹線や高速道路の整備に力を入れてきた
けど、その延長線上で、道路整備、港湾整備
などに取り組んだわけだ」
編集長の言葉に美人弟子が手許のメモを見
て、説明する。
「そうですね。 オリンピックまでに首都高の
一部、名神高速、阪神高速の一部が開通しま
したが、大動脈である東名が全線開通して、東
京から大阪までが高速道路で結ばれるのは、昭
和四四年、一九六九年のことのようです」
体力弟子が続ける。
「座談会でのトラック業者さんの発言ですけ
ど、高速道路で結ばれるまでは、路線トラック
で、東京−大阪間を一四時間から一六時間か
けて運行していたようです。 ドライバーは二名
で、道路がそんなだったせいでしょうか、途中
で営業所に立ち寄って、車両の点検を受けたよ
うです」
「なるほど、たしかにそれでは大量生産・大
量販売に追いつかないですね。 こりゃ、政府も
本腰を入れるはずだ」
編集長が納得顔で呟くように言い、大先生に
確認する。
「ところで、政府がインフラ作りに本腰を入れ
るってときに、Physical Distributionの訳語と
して『物的流通』という用語が登場したんです
よね?」
大先生が頷くのを見て、さらに質問する。
「その言葉がどう生まれたのか、あるいは誰
が作ったのかということはわかっているんです
かね?」
「いつ登場したかは大体わかっているけど、誰
が作ったかというのはよくわからないようだ。 ま
あ、自然発生的にというところじゃないかな」
大先生の言葉に編集長も「でしょうね」と同
意する。 二人のやり取りに女性記者が割り込む。
「公的にって言い方はおかしいかもしれませ
んが、物的流通が活字になったのは、昭和三九
年七月一九日の日経新聞ということでよろしい
んでしょうか?」
女性記者の質問に美人弟子が答える。
「その記事は、当時の通産省が、物流関係の
コストを削減するための調査をしたり、産業構
造審議会の流通部会に物的流通委員会を設け
て、ユニットロードシステムなどの研究をすると
いった内容なんですが、見出しに大きく『物的
流通コスト削減』と出ています。 おそらく新聞
紙上でこの用語が出たのは、これが初めてだと
思います」
「新聞紙上でということは、その前に、その
用語はどこかで使われていたということ? 通
産省が作り出した言葉ではなく‥‥」
美人弟子の言葉に編集長が興味深そうに聞
AUGUST 2012 64
く。 美人弟子が頷いて、一つの論文(注)を
見せながら説明する。
「そのあたりの事情については、この論文に
詳しいです。 それによりますと、日経新聞に
出る前の年くらいから、日通総合研究所の雑
誌『輸送展望』の論文ですとか、総研の所長
の講演などで、すでに物的流通という用語が
使われていたようです」
大先生が補足する。
女性記者が頷いて、自分のノートを見て、読
み上げる感じで紹介する。
「昭和四一年一月二二日の経済審議会答申
『中期経済計画』第7章で『物的流通』の近代
化が述べられていて、その年に出された『運輸
白書』では『近代化の過程にある物的流通』と
いう副題が付けられています。 物的流通という
言葉が公認されたという感じですね」
編集長が頷きながら、質問する。
「言葉の定義としては、やはり財貨の物理的
移転活動といったようなものになるのかな?」
女性記者が首を傾げるのを見て、体力弟子が
「えーとですね」と言って、コピーを何枚か取り
出す。
「いくつかの定義を拾ったものです。 おっし
ゃるように、財貨の物理的移転活動に類した定
義が並んでいますけど、産業構造審議会が出し
た『物的流通の基本政策について』という答申
の中の定義がなかなかいい定義だと私は思いま
した」
そう言って、体力弟子がコピーを机の上に置
いて、その定義を紹介する。
「物的流通というのは、有形・無形の物財の
供給者から需要者へ至る実物的(Physical)な
流れのことであって、具体的には、包装、荷役、
輸送、保管および通信の諸活動をさしている。
このような物的流通活動は、商取引と並んで物
財の時間的、空間的な価値の創造に貢献してい
る」
その定義をじっと見ていた編集長が「なるほ
「その輸送展望に載った論文が物的流通とい
う用語を最初に活字にしたものかどうかは定か
ではないけど、昭和三八年頃には、一部の人た
ちの間で、物的流通という言葉が使われていて、
それを通産省が追認したってことなのかもしれ
ない」
「なるほど。 そして昭和四〇年にその言葉が
一気に広がっていくということですね。 公的な
文書に結構登場してますよね?」日
本
経
済
新
聞
昭和39年(1964 年)7 月19 日
(日曜日)日刊
第一面より
65 AUGUST 2012
輸送との競争は、むしろ激しく行われるべきだ
し、その過程ではじめて進歩が生まれるんだけ
ど、どこに流通の無駄があるか、これを極める
こと、そのため荷主と業者が協力する仕事が今
年の課題。 オーバーパッキングがないかどうか、
無駄な保管、荷役、輸送が行われていないかど
うか』‥‥ここでおもしろいのは、最後のとこ
ろですね」
「荷主と業者の協力ってところですか?」
編集長の確認に体力弟子が頷く。
「はい、オーバーパッキングがないかどうか、
無駄な保管、荷役、輸送が行われていないかど
うかという視点はまさにロジスティクスに通じ
ますよね。 効率的に物流をやるではなくて、市
場が必要としない無駄な物流はやらないという
風に読めました」
「たしかに、そう言われればそうですね。 で
も、この当時、そんな鋭い分析ができる業者が
いたかどうか、疑問ではありますね。 記者の感
性はよいとして‥‥」
編集長の疑問に美人弟子が答える。
「もちろん、運賃ダンピングを競争の唯一の武
器にしているようでは荷主さんに提案などでき
ないと思います。 ただ、別のところで、こうい
うことを言う業者さんもいるんです。 『輸送業
者が脱皮するためには、優れた頭脳を社内に持
つことが、緊急かつ不可欠な条件になってくる』。
脱皮というのは、下請け関係からの脱皮ですが、
そのためには、荷主さんに負けない、あるいは
上を行く頭脳を持てというのは、正鵠を射てい
ますよね」
「あっ、正鵠を射るなんていい言葉ですね。 得
るとも使いますが、私は射るの方が好きです」
女性記者が妙な反応をする。 編集長が呆れた
顔で「そういう話ではないだろう。 おまえの反
応は正鵠を射ていないってことだ」とからかう。
体力弟子が取り繕うように別の話題を出す。
「荷主さんからは、『輸送会社が荷役の合理化
を図る輸送革命でもしてくれれば』などという
意見も出されています。 これは、梱包費を削減
したいという思いからの言葉のようですが、そ
の意味では、物流業者さんへの期待は大きかっ
たようです」
「でも、正直なところ、その期待には応えら
れなかったというのが実態なんでしょうね」
編集長が憎まれ口をたたく。 もう窓の外は暗
くなってきた。 続きは場所を替えてということ
になりそうだ。
ど、商流と並べて、価値にまで言及しているっ
てことですね」と確認するように呟き、「これ
はいつの定義ですか?」と聞く。 体力弟子が
「昭和四一年です」と答える。
「空間的な価値の創造というのは、場所的効
用のことだけど、当時の輸送事情からすると、
その価値の創造に苦労していたことは想像に難
くないな」
大先生の言葉に編集長が大きく頷き、「そうで
すね。 品質が最大の問題だったでしょうね。 そ
うなると、コストにはあまり関心がなかったん
でしょうか?」と聞く。 大先生が首を振る。
「企業だよ。 どんなときでも、コストは最大
の関心事さ」
十年一日の如く運賃を叩く
大先生の言葉を受けて、美人弟子が続ける。
「製造原価の低減が進む中で、物流のコスト
削減が企業の関心事になってきたようです。 た
だ、当時の新聞の座談会などによると、コスト
削減の方法の第一は、トラック運賃のダンピン
グだったようです」
体力弟子が「そうそう」と言って、新聞のコ
ピーを手に説明する。
「これは昭和三八年の新春記者座談会という
記者さんたちの話なんですが、そこで、こう
いうことを言ってます。 『コスト削減というと、
荷主は十年一日の如く運賃を叩く。 また、叩か
れる側も運賃ダンピングを唯一の武器にしてい
る。 もちろん、業者相互の競争、業者と自家
ゆあさ・かずお 1971 年早稲田大学大
学院修士課程修了。 同年、日通総合研究
所入社。 同社常務を経て、2004 年4
月に独立。 湯浅コンサルティングを設立
し社長に就任。 著書に『現代物流システ
ム論(共著)』(有斐閣)、『物流ABC の
手順』(かんき出版)、『物流管理ハンド
ブック』、『物流管理のすべてがわかる本』
(以上PHP 研究所)ほか多数。 湯浅コン
サルティング http://yuasa-c.co.jp
PROFILE
(注)中田信哉稿「物的流通なる言葉の誕生時の事情」
神奈川大学『商経論叢』第
20
巻第2号(一九八五
年一月)
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