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奥村宏 経済評論家
第21回 経済学は死んだ
FEBRUARY 2004 76
経済学者やエコノミストが連日、マスコミを賑わしている。 しかし無責任な
御用学者の言うことなど、今や誰も信用していない。 学生の経済学部離れも進
んでいる。 経済学者やエコノミストの華々しい活躍とは裏腹に、経済学は死ん
でいたのである。
若者の「経済学離れ」
若者の「経済学離れ」が進行しているという。 一橋大学
の学長である石弘光氏によると、
「経済学ならびに経済学部は、近年、若者のあいだでどう
も人気がない。 大学入試の受験者の倍率や難易度で見ても、
経済学部はもうひとつパッとしない。
…最近、経済学を大学で教えている仲間に会うと、昔や
や軽んじていた他学部の後塵を拝し、はなはだ面白くないと
いう風潮になっている」という。
これはダイヤモンド社が出しているPR雑誌「経」の二〇
〇三年十一月号に載っている文章だが、いろんな大学の受
験者の状況を見ても「経済学部離れ」が進行しており、若
者から見放されつつある。
その理由のひとつは大企業が採用人数を減らしているた
め、経済学部を出ても就職が難しいということもあるだろう。
しかし、それ以上に経済学が若者にとって魅力を失っている
のではないか。 それには経済学が「複雑すぎて難しすぎる学
問になってしまった」ことがあるのではないか、と石氏はい
うが、同時に次のように書いている。
「学生の目には、教室で教えられる経済学の理論と実際の経
済の動きのあいだに、大きな乖離が生じているように映って
いる。 バブル崩壊後、日本経済は長期間深刻なデフレ状態
に悩まされている。 そこからわれわれはどう抜け出せるのか、
経済学は明解かつ説得的な処方箋を特に提示してくれてい
ない。 かくして経済学はまったく役に立っていないのではな
いかという疑問が持たれてくる」と。
経済学が現実に対して有効性を失っていること、そのこ
とが若者の「経済学離れ」を起こしているのではないか、と
いうのである。
そういえば、福井俊彦日銀総裁も、
「(輸入された)経済学は一〇〇%信用していない」。 「アメ
リカ人が作っている経済社会と日本人が作っている経済社
会とでは、夢も文化も伝統も違う。 輸入した経済学で日本
経済を語り尽くそうとしても、結局、分かりにくくなる」
と発言したと、「経」の同じ号に載っている若田部昌澄早
稲田大学助教授の「『輸入経済学』は日本になじまないの
か?」という文章に引用されている。
信用されない経済学者
日本の経済学が「輸入理論」であることは福井総裁の言
う通りで、日本産の経済学はないといってもよい。 イギリス
やアメリカの現実を分析することによって生まれたスミスや
リカード、ケインズ、さらにサムエルソンやフリードマンな
どの理論を日本に輸入して大学で教えているのが日本の経
済学者である。
このような「輸入理論」で日本の現実を解明しようとし
てもそれは無理だ。 このことがバブル崩壊後はっきりと誰の
目にも見えるようになった。 それまでは「輸入理論」によっ
て日本経済を説明することができたかもしれないが、バブル
崩壊後、「輸入理論」では解明できなくなっているのである。
そこで無定見な経済学者が横行するようになった。 『エコ
ノミストは信用できるか』(文春新書)という本で、東谷暁
氏が経済学者やエコノミストの名前を挙げて、その人たちの
言うことがいかにクルクルと変わっているか、ということを
具体的に指摘している。
その代表格は竹中平蔵元慶応大学教授で現経済財政政策・
金融担当大臣だが、そのほかにも中谷巌、加藤寛、野口悠
紀雄氏などの名前が挙げられている。
経済は生き物だから、たえず変化する。 そこで経済学者
やエコノミストの見方が変化するのも仕方がないことかもし
れない。 しかし、昨日言ったことが今日は変わる、というの
では、人々はそういう人の言うことを信じなくなる。
若者の「経済学離れ」はこのような経済学者によって起
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現実から理論を作っていく
ここ数年、日本の経済学者はインフレ・ターゲット論者
と財政投資拡大論者とに分かれて激しく論争し、これが新
聞や雑誌にしばしば登場した。 これを見て、いかにも日本の
経済学は活発だと思う人もいるかもしれないが、活発だった
のは経済学者やエコノミストの市場で、経済学は死んでいた
のである。
それは政府の方針をめぐって「御用学者」たちが議論し
ていただけのことで、政府の審議会の場を延長したようなも
のであった。
経済学者に求められているのは、バブルがなぜ発生したの
か、そしてなぜ崩壊したのか、その後の長期不況はなぜ起こ
ったのか、というような構造の解明なのである。 石弘光氏のいうように、経済学者がそういう根本的な問題になにひとつ
有効な理論を打ち出していないことが「経済学不信」を起
こさせているのである。
日本のバブルがなぜ発生したのか、という問題について、
私は一九八七年に出した『日本の株式市場』で明らかにし、
また『株とは何か』(朝日文庫)でバブルがなぜ崩壊したの
か、という問題についての私なりの回答を示した。 またごく
最近では『会社をどう変えるか』(筑摩書房)でもこの点に
触れているが、要するに私のいう法人資本主義の構造がバブ
ルを生み、その内的矛盾がバブル崩壊をもたらしたのである。
このような日本の現実分析のなかから理論を作り出すこ
とが必要であるのだが、日本の経済学者には現実から理論
を作り出していくという経験もなければ訓練も受けていない。
外国の文献を読んで輸入理論を勉強することがすなわち
経済学の学習だと思い込んでいるのである。 これでは福井日
銀総裁に、「経済学は一〇〇%信用していない」といわれて
も仕方がないではないか。
これでは「経済学は死んだ」というしかない。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 主な著書に「企業買収」「会
社本位主義は崩れるか」などがある。
こされたのである。 経済学者が経済学を駄目にした犯人で
あるといってもよい。
無責任な「御用学者」
おかしなことに、バブル経済が崩壊したあと「経済学不
信」が強まっているというのに、経済学者やエコノミストの
市場は繁栄している、と東谷氏は先の本で書いている。
そういえば新聞や雑誌、そしてテレビに経済学者やエコノ
ミストが頻繁に登場し、華々しく活躍しているようにみえる。
経済が混迷しているから専門家の意見を聞く必要があると
いうので、経済学者やエコノミストが利用されるのだろうが、
その学者たちの言うことがクルクル変わっていることを誰も
気にしていない。 ということはそんな人の言うことを信用し
ている人は誰もいないということである。
そのような人の意見をのせるマスコミの不定見さもさるこ
とながら、こういうことが経済学への不信を起こさせている
ことを当の経済学者たちはどう思っているのだろうか。
日銀総裁も「一〇〇%信用していない」という経済学を学
生に信用せよ、といってもそれは無理な話だが、このような
経済学不信にはもうひとつ、そしてもっと困った理由がある。
それは経済学者の「御用学者化」である。 政府の審議会
の委員などに経済学者が名前を連ねるということは以前か
らあったが、バブル崩壊後、九〇年代半ばからその傾向がと
りわけ目立つようになった。
こういう「御用学者」は当然のことながら政府の方針を
代弁し、それを自分の意見として発表する。 なかには政府の
方針に反するような意見をいう「御用学者」もいるが、それ
は飾りにすぎない。 「そのような先生方の意見もとり入れて
政府の方針を決めました」と役人は弁解に使うのである。
このような「御用学者」が学問を堕落させることはいうま
でもない。 そして困ったことに「御用学者」達には責任観念
が全くない。 この無責任がまた学問を堕落させるのである。
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