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OCTOBER 2012 58
新興企業の台頭でシェア急落
モトローラの歴史は一九二〇年代にさかの
ぼります。 カーラジオの製造に始まり、自動
車に搭載するラジオ型の電話機へと事業を展
開しました。 当社が大きく飛躍するきっかけ
となったのは、私が入社した一九八三年に開
発した世界最初の一般消費者向け携帯電話機
でした。
当時の携帯電話市場は、ほぼ当社が独占し
ている状態でしたから、売上高も利益も面白
いように伸びていきました。 十二カ月あるい
は一八カ月のサイクルで携帯電話の販売台数
が倍増していくという急成長でした。 その後、
携帯電話の技術を土台として、次々と新製品
を販売していくことで、九〇年代後半にはモ
トローラの売り上げ全体のうち三分の二を携
帯電話事業が占めるまでになりました。
しかし、二〇〇〇年代に入ると徐々に環境
が変わり始めます。 携帯電話市場に新規に参
入する企業が相次ぎました。 それでも当社は
二〇〇四年に我々の持てる技術の粋を集めた
薄型携帯電話「MOTORAZR(モトレー
ザー)」を市場に投入し、競争力においても、
シェアにおいても優位を維持していました。
劇的な変化が起きたのは〇六年以降のこと
です。 サムスンやアップルなどがスマートフォ
ン(多機能携帯電話)やタブレット型端末を
市場に投入するようになったことで、当社の
業績は目に見えて下降線を辿り始めます。
それまでの当社が得意としていたフィーチ
ャーフォン(一定の機能を有する携帯端末)
の平均小売価格は一カ月で一〇%下落すると
いう値崩れを起こしました。 当然、当社の利
益率は急落していきます。
長年ぬるま湯につかっていた当社は、激し
く変動し始めた市場に適応することができま
せんでした。 そのことは、この時期の販売台
数の落ち込みを見れば一目瞭然です(図1)。
〇六年に我々は年間二億二〇〇〇万台以
上の携帯電話を販売しました。 それが二年後
の〇八年には半分以下の一億台にまで落ち込
みました。 また世界の携帯電話市場におけ
る当社のシェアは〇七年まで一八%台でした。
それが翌〇八年には九%台に急落してしまい
ました。 リーマンショックの影響もあり、そ
の後も販売台数の減少に歯止めはかかりませ
んでした。
長期にわたって携帯電話市場に君臨してきたトップメ
ーカーが、環境の変化に対応できず、わずか数年で存亡
の危機にまで追い詰められた。 再建のためにスカウトさ
れたCEOは会社分割を断行、そのうえでサプライチェー
ンの抜本改革に着手した。 その指揮を執ったケニス・ソ
ールドナー氏が、改革の概要と最終的にグーグルに買収
されることになった再生の軌跡を語る。
欧米SCM会議?
米モトローラ・モビリティ
携帯電話事業の失速で大リストラ
再起を賭けたサプライチェーン改革
企業名 モトローラ・モビリティ
本社 アメリカ イリノイ州リバティビル
創業 1928 年
親会社 グーグル 2012 年5月に買収
CEO デニス・ウッドサイド
売上高 130 億6400万ドル
(1兆189 億9200万円)
最終損益 ▲2 億4900万ドル
(194 億2200万円)
従業員数 20万5000人
会社概要
(注1)数字は2011年の年次報告と「Form 10-K
(証券取引所向けの事業報告書)」より
(注2)1ドル=78 円で換算
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モトローラの役員会は、このままでは会
社の存続が危ないとみて、〇八年に新しい
CEO(最高経営責任者)を送り込むこと
を決めました。 ナスダック上場のクアルコム
(Qualcomm)でCOO(最高執行責任者)を
務めていたサンジェイ・ジェイ氏をヘッドハン
トしたのです。
この〇八年はモトローラの従業員にとって
大変に厳しい年になりました。 一月に三〇〇
〇人以上の従業員を削減し、六月にはさらに
四〇〇〇人を削減しました。 同時に、多くの
優秀な研究者たちが、モトローラを見限って
同業他社に移っていきました。
新任のジェイCEOが最初に取った行動は、
モトローラを携帯電話などのハードウエアを製
造・販売する「モトローラ・モビリティ」と、
ソフトウエアやソリューションを販売する「モ
トローラ・ソリューションズ」の二社に分割す
ることでした。 携帯電話部門と一緒のままだ
と、業績が好調な「ソリューション部門」ま
でがダメになってしまうという判断でした。
ベンチマーキングの結果に愕然
モトローラ・モビリティに対するジェイC
EOのメッセージは明快でした。 自力で会社
を再生させるのか、それとも座して死(倒産)
を待つのか、というものです。
それまで手掛けていた開発案件をすべて中
止して、グーグルの開発したプラットフォーム
「アンドロイド」を搭載したスマートフォンを
作ることに全社を挙げて取り組みました。 同
時に顧客層も絞り込みました。 そのため、そ
れまでの顧客の多くを失ったのは事実ですが、
他に生き残る術はなかったのです。
業務内容に合わせて、企業文化も大きく変
革することを余儀なくされました。 企業文化
の変革は、以下の五つが柱でした。
?すべての業務プロセスをできるだけ単
純にすること
?市場から学習して継続的な改善を続け
ること
?顧客満足度に最大限の注意を払うこと
?業務遂行において世界トップの水準を
目指すこと
?製品の優秀性にとことんこだわること
このうち私の担当するサプライチェーンがか
かわってくるのは四つ目の「業務遂行におい
て世界トップの水準を目指す」という点です。
当社のサプライチェーンにおける最大の問
題は、製品の開発までに時間がかかりすぎる
ことでした。 製品の寿命が平均六カ月しかな
い時代に、当社は一年近くかけて製品開発を
行っていました。 急速に変化していく市場に
おいては致命的な問題でした。
部品を供給するサプライヤーの数が四〇〇
〇社を超えているために、個々のサプライヤ
ーとの緊密な関係を結ぶことが困難にもなっ
ていました。 「クイック・レスポンス」や「配
送」といった分野にも課題を抱えていました。
そして何よりも大きな問題だったのは、当
社は当時、自分たちのサプライチェーン業務
が、同業他社と比較してどの程度のレベルに
あるのか、ということにまったく無頓着であ
った点です。 前年度と比べてどれくらい改善
したのかという尺度でしか、オペレーション
を評価していませんでした。 同業他社と比較
して足りない部分を明確にし、それをキャッ
チアップするために改善するという発想を欠
いていました。
新CEOからトップダウンで指令が下り、
当社のサプライチェーン業務の主要項目を、
同業他社と比べてみることになりました。 コ
ンサルティング企業に委託して、出てきた結
果を見たときの感想は、?ショック?という以
外にありませんでした(図2)。
250
200
150
100
50
0
2006 2007 2008 2009 2010
(単位:100 万台)
図1 携帯電話機の販売台数が激減
OCTOBER 2012 60
「在庫」「配送」「クイック・レスポンス」「コ
スト」「市場投入までの時間」の五項目のうち、
当社が業界平均を上回っていたのは、「市場
投入までの時間」だけであり、それ以外は世
界トップの水準から、遠く取り残されている
という事実を目の前にはっきりと突き付けら
れました。
モトローラの携帯電話事業が、同業他社の
攻勢に押されて衰退してしまった原因の一つ
がそこにありました。 我々は八〇年間にわた
り比較的安定していた会社の歴史の上に胡坐
をかき、いつの間にか時代の流れに取り残さ
れていました。 そのことが誰の目にも明白に
なった瞬間でした。
サプライヤーを絞り込む
当時のサプライチェーン業務にどれだけの
無駄があったかを表す数字として、当社で使
用していたソフトウェアの種類の多さを挙げ
ることができます。 ERP(基幹業務システ
ム)は九種類、需要予測のアプリケーション
ソフトは六種類、倉庫管理システムは三種類
──といった具合でした。 全社で需要予測の
データを共有して販売計画を立てたり、全体
最適を図って在庫を圧縮したりすることは不
可能に近い状態でした。
我々はまずサプライチェーン全体の構造をで
きるだけシンプルにすることから手をつけま
した。 そのうえで、業務のスピードアップや
サプライヤーとの親密な関係を作り、さらに
投入しても、最初の一週間から一〇日間の売
れ行きが芳しくないと、初回に生産した分量
だけを売り切って追加生産をしないこともあ
るほど、製品寿命は短くなっています。
先述の通り、それに対して当社はこれまで
新製品開発に一年をかけていました。 それを
半分の、半年にするという目標を掲げていま
す。 それには、プラットフォームの単純化や、
サプライチェーン部門の早い段階からの関与、
垂直統合などが必要です。
二〇一〇年には〇八年に比べて開発期間を
三五%減らすことができましたが、目標の半
分にはまだ及んでいません。 さらなる時間短
縮を図るために、現在は製品開発部門を二つ
に分けて、社内で開発にかかる時間を競わせ
は業務の品質や、顧客満足度の向上にこれま
で以上に注意を払うように努めました。
それと並行してERPや需要予測ソフトの
一本化を実施しました。 その結果として、部
品の在庫については、これまでに一〇億ドル
の削減を達成しています。
当社にとってさらに重要だったのは、新製
品の開発にかける時間を短縮することでした。
当社では常時二〇種類の新製品の開発プロジ
ェクトが同時並行的に進んでいて、二、三週
間に一度の割合で新製品を投入しています。
現在の携帯電話の寿命は平均で六カ月、ヒ
ット製品でもせいぜい九カ月です。 新製品を
2008 年
2009 年
2010 年
削減率
18%減
35%減
製品企画を開始 企画を決定 新製品の販売
図3 新製品投入の期間を圧縮
開発プラット
フォームの
単純化
ハイスピード
の原型づくり垂直統合
サプライチェーン
部門の
早期関与
在庫
配送
コスト
世界の
トップ水準
業界平均
図2 2008年に行ったベンチマークの結果
クイック・
レスポンス
市場投入
までの時間
61 OCTOBER 2012
ることができるようになります。
再上場後、グーグルの傘下に
従来、当社はサプライヤーに対する情報開
示を最小限に抑えていました。 サプライヤー
を下請け企業として扱い、必要な時に必要な
部品を運んできてさえくれればいいという態
度でした。
そのため我々がサプライヤーとの取引方法
を改めると宣言した当初、サプライヤー側は
懐疑的に見ていました。 モトローラが提示す
る納入数字を額面通りに受け取っていいのだ
ろうか、本当に数字に変更はないのだろうか、
という疑念があったのです。 それまでの両者
の関係を考えれば当然のことだったのかもし
れません。
そこでまずは上位五〇社のサプライヤーを
対象に、それまでは中間値の一つだけだった
納入予測数値を、上位・中位・下位の三つ
に分けて提示するようにしました。 中間値
に加えて、予想以上に売れ行きがよかったり、
あるいは販売促進を打ったりすることで増え
る場合の上限の数字と、売れ行きが悪く早期
に製品を市場から引き揚げる場合の下限の数
字を、あわせてサプライヤーに開示すること
で、安心して当社に部品を供給できる下地を
作ろうと努めました。
サプライヤーと詳細な生産情報を共有し安
定した関係を築くことで、先に挙げた当社内
の一〇億ドル分の在庫削減に加え、サプライ
ヤー側でさらに一〇億〜二〇億ドル分の在庫
削減が可能になると見込んでいます。 そうし
た在庫の全体最適化が、当社のより迅速な生
産活動や仕入れ価格の低下につながるという
考えです。
二〇一一年に入って、「モトローラ・モビリ
ティ」と「モトローラ・ソリューションズ」は、
別々の会社として改めてニューヨーク証券市場
に上場を果たしました。 図1で紹介した〇八
年当時のベンチマーキングは、一一年には大
きく改善される見込みです(図4)。
既報の通り、一一年の八月に入って、グー
グルからモトローラ・モビリティを一二五億
ドルで買収したいという提案を受けています。
(編集部注・グーグルによるモトローラ・モビ
リティの買収は、二〇一二年五月に正式に成
立した。 新CEOには、グーグルのアメリカ
部門の社長だったデニス・ウッドサイド氏が
就任した)
買収が完了するまでには、諸般の手続きが
必要となりますが、モトローラ・モビリティ
が、買収されながらもどうにか存続すること
ができたのは、〇八年以降、全社を挙げて取
り組んできた業務改革に一定以上の効果があ
ったからだと自負しています。
(ジャーナリスト・横田増生)
るという方法もとっています(図3)。
二〇一一年の目標としては、すべての新製
品の開発をできるだけシンプルにすることを、
その筆頭に挙げています。 次いで現場業務の
レベルアップ、三番目が組み立て作業の単純
化、そして四番目がサプライヤーの質を上げ
ることです。
取引するサプライヤーの数は、〇八年以前
の四〇〇〇社から、一一年の段階で一〇〇〇
社に集約しました。 これをさらに二〇〇社に
まで絞り込みたいと考えています。 そうする
ことでサプライヤーに対してバイイングパワー
が働くし、生産情報を共有して全体最適を図
世界の
トップ水準
2008
2009
2010
2011
予想
業界平均
図4 2011 年のベンチマーク予想
在庫
配送
コスト
クイック・
レスポンス
市場投入
までの時間
(本記事は、二〇一一年一二月にテキサス州ダラスで行わ
れた「第
10
回 サプライチェーン&ロジスティクス・サミッ
ト」の講演内容を、主催者であるワールド・トレード社の
許可を得て、該当企業の年次報告書などの情報を加えて
再編集したものである。 )
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