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湯浅和夫の
湯浅和夫 湯浅コンサルティング 代表
《第66回》
JANUARY 2013 66
「えっ、でも、年齢的には、もう社会人だっ
たんじゃ‥‥」
「まだ学校にいたんだからしょうがないだろ。
何か文句あんの?」
大先生のいちゃもんに編集長が身を引く。
思えば、昭和四五年という年は大先生にと
っても転機になった年だ。 翌年に大学院の修
了を控え、人並みに就職活動をした年だった。
会計学専攻ということもあり、指導教授の紹
介で、ある外資系の会計事務所を受けること
になった。 ここで起こった事件が、会計の道
から物流の道への転換をもたらしたのだった。
その会計事務所の入社試験は、午前中に会
計学や英語の筆記試験、午後に面接試験とな
っていた。 午前中の筆記試験を軽くこなした
大先生は、社員との懇親を兼ねた昼食会に臨
んだ。 いくつかのグループに分かれて、和気
藹々とやっていると、そこにいた日本人の社
員が驚くべきことを言い出した。
なんと、この事務所では外資系ということ
もあって、日本人といえども英語の名前を付
67《第129大先生の就活秘話
年の瀬に衆院選挙などが入ったこともあり、
街中は何となく慌しさを感じる風情になって
いる。 そんな中、編集長と女性記者が「寒い
ですねー」などと言いながら、大先生事務所
を訪れた。 恒例の物流昔話を語り合う会合だ。
「師走と言いますけど、やっぱり先生も走り
回ってますか?」
編集長の何気ない問い掛けに、大先生が「な
に? 質問の意図が分からん」と突き放すよ
うに答える。 女性記者が呆れた顔で編集長を
睨む。 二人の様子を見て、編集長が慌てて質
問を変える。 これも意味不明の質問だ。
「えーとですね、今日は、物流のターニング
ポイントだったって言われる昭和四五年、え
ーと、西暦ですと一九七〇年ですけど、この
年については先生も注目されていますが‥‥、
あっ、そうそう、先生はもうこの頃は物流の
世界にいらしたんですよね?」
「いない。 まだ学校にいた」
大先生は一九七〇年を日本の“物
流元年”と呼ぶ。 この年、日本に二
つの物流団体が設立されている。 日
本能率協会を中心とする「日本物的
流通協会」と、日本生産性本部系の
「日本物流管理協議会」だ。 この両
団体が一九九二年に統合されて、現
在の日本ロジスティクスシステム協会
(JILS)が誕生する。 大先生は
偶然の結び付きからそこに関わるこ
とになった。
日本の物流団体の誕生
■大先生 物流一筋三十有余年。 体力弟子、美人
弟子の二人の女性コンサルタントを従えて、物流
のあるべき姿を追求する。
■体力弟子 ハードな仕事にも涼しい顔の大先生
の頼れる右腕。
■美人弟子 女性らしい柔らかな人当たりで調整
能力に長けている。
■編集長 物流専門誌の編集長。 お調子者かつ大
雑把な性格でズケズケものを言う。
■女性記者 物流専門誌の編集部員。 几帳面な秀
才タイプ。
第 回
10
67 JANUARY 2013
けて呼び合うというのだ。 ちなみに自分はチャ
ーリーですなどとしゃーしゃーと言う。 それを
聞いた途端、大先生は吐き気をもよおし、一
目散に逃げ出した。
後日、試験に落ちたことを指導教授に告げ
ると、「自分の紹介なのに落とすとは解せな
い」としきりに首を傾げて、確認しましょう
と言って電話しようとする教授を必死に止め
る大先生だった。 しばらくして、改めて教授
が紹介してくれたのが某大手物流業者の研究
所だった。
もう指導教授の面子をつぶすわけにはいか
ないということで、大先生は素直にその会社
への就職を決めた。 大先生が物流の世界に入
ったのはそんな他愛もないいきさつだった。
「あのー、済みません。 それで先生がこの年
に注目しているのはなぜなんでしょうか?」
ぼーっとしているような顔の大先生に編集
長が恐る恐るといった感じで声を掛けた。
「ん? あー、この年におれの就職が決まっ
たからさ」
「あっ、はいはい、あの研究所ですね。 なる
ほど、そういうことですか? 結構、個人的
な理由なんですね」
編集長が妙な受け答えをする。 それに女性
記者が輪を掛けた。
「えっ、先生も就活なんかしたんですか?
なんか似合わないですね」
編集長が女性記者の頭をぶつ真似をして、慌
てて話題を変える。
「先生の就職以外に、この年は何か注目すべ
き動きがあったんですか?」
「もちろんあった。 物流二団体が設立され
た」
ようやく本論に入ったようだ。
物流二団体の設立
編集長が待ってましたとばかりに、メモを
取り出す。
「やっぱり、それですね。 実は調べてきまし
た。 七〇年の一〇月に『日本物的流通協会』
が、そして十一月に『日本物流管理協議会』
が発足しています。 相次いで設立されたんで
すね。 そうそう、物流管理協議会の方は、設
立総会と同時に『第一回物的流通全国会議』
というものを開催しています」
大先生が頷き、思い出すように話す。
「それそれ、実は、おれはその会議の受付を
やっていた。 会議が始まったら、その後は会
場で話を聞いていいという条件でバイトをし
た。 指導教授のお膳立て」
「へー、先生が受付っていうのも絵になりま
せんが、なんか指導教授という方におんぶに
抱っこって感じですね」
女性記者が、率直な感想を述べる。 それま
で黙って様子を見ていた弟子たちが大きく頷
き、「ほんとですね」と同意を示す。 大先生
も「言われてみればたしかに」と頷く。 妙な
展開になり、編集長が「それはいいとしてで
すね」と話題を戻す。
「この両団体ですが、一方は物的流通という
言葉を使っているのに、もう一つの方は物流
管理という言葉を使っています。 混在して使
われているのはいいとして、物流管理協議会
の全国会議の名称が物的流通というのはなん
か変じゃないですか?」
編集長の指摘に「そういえばそうですね」
と女性記者と弟子たちがつぶやき、大先生を
見る。
「それは簡単な話だよ。 民間では、物流とい
う言葉はすでに使われ始めていたけど、官庁
ではまだ物的流通という言葉しか使われてい
なかった、からじゃないかな」
大先生の当てずっぽうな説明に編集長が「な
るほど、官庁への配慮ですか」と頷く。
年表のようなものを見ていた美人弟子が、に
こっと笑って、編集長を見る。 編集長が「何
かありました?」と怪訝そうな顔で聞く。
「その翌年、七一年ですが、六月に、今度
は物的流通協会が日本能率協会などと共催で
総合会議というものを開いています。 その会
議の名称が、『第一回物流管理総合会議』と
なっています」
「へー、物的流通協会の方は物流管理がテー
マですか。 はー、お互いに配慮し合ったって
ことだ、これは。 ねっ、先生?」
「さー、そこまでは知らん。 そうそう、いま
能率協会という名前が出たけど、物的流通協
会は日本能率協会が、また物流管理協議会は
日本生産性本部が母体になっている」
JANUARY 2013 68
編集長が頷き、メモを見ながら指摘する。
「母体が違うわけですから仕方ないのでしょ
うけど、当時の新聞記事によると、二つの団
体が相次いで設立されたことに戸惑いと期待
という両面の反応があったようですね」
大先生が頷いて、続ける。
「それぞれの目的や事業内容は物流近代化と
いう点で一致していたし、早いうちに合同す
べきだという声があったことはたしかだ。 た
だ半面、二つあることで、お互いが切磋琢磨
して、物流の発展に貢献したという面も間違
いなくある。 まあ、総合的に見れば、二つの
団体が競ったことはいいことだったと思う」
「でも、同じような団体が二つもできると、
どっちに入ればいいのかと、迷ったでしょう
ね、当時の物流担当者は」
編集長が素朴な質問を大先生にする。
「迷った結果、両方に入った人も多かったん
じゃないかな」
「ところで、先生は、当然、両方と付き合っ
ていたんでしょ?」
「そう、おれだけじゃなく、講師をやるよう
な人はほとんどが掛け持ちだった。 そうそう、
研究所に入社して三年後に物的流通協会で講
演をした。 それがおれの初めての講演‥‥」
「へー、テーマは何だったんですか?」
「物流コスト管理の実態と課題みたいなテー
マだった」
「もしかして、それも‥‥」
「そう、指導教授のお膳立て」
次いで設立されたってことですか?」
編集長の質問に大先生が「冴えてるー」と
言って、拍手する真似をする。 体力弟子が頷
いて、言葉を挟む。
「物流関係の新聞や雑誌によると、たしか
に次々と物流という名の部署が作られていま
す。 ただ、その陣容や中身は色々のようです。
暗中模索というところでしょうか」
「そうでしょうね。 黎明期の特徴かな。 あ
っ、特に物流だからってこともあるんでしょ
うか?」
編集長の言葉に大先生が右手の親指を立
て、「さすが!」と言う。
「編集長はいいとこ突いてる。 物流だから
こその暗中模索があったことは間違いない」
「そう言えば、物流に関する部署がよく変
わる企業がありますが、あれって模索の結果
なんでしょうか?」
編集長の問い掛けに大先生が「鋭い質問だ」
とまた褒める。 編集長が「先生、顔が笑って
ますよ」と文句ありげに言う。 大先生が苦笑
しながら、説明する。
「暗中模索と模索とを使い分けたのかなと思
ってさ。 ところで、その、組織がよく変わる
企業ほど管理が進んでいると言っていい。 よ
り高いレベルを目指して、望ましい組織形態
を、それこそ模索した結果さ」
「なるほど、そういうことですか。 という
ことは、組織的にあまり変化のない企業はだ
めだってことですね?」
「やっぱり‥‥」
女性記者が何か言おうとするのを編集長が
慌てて口を押えるようにして止め、話題を変
える質問をする。 今日は編集長が忙しい。
「いずれにしても、二つの団体の発足は、物
流への関心の高まりを背景にしたもので、こ
のことは、物流というものが企業内で管理領
域として認知され始めた証しと言っていいん
でしょうね」
「そう、その意味で、おれはこの年を『物
流管理元年』と呼んだ」
「なるほど、そういう意味だったんだ。 先
生が物流の世界に入ったからってことではな
いんですね」
そう言って、編集長が一人で大笑いする。
そんな編集長を呆れた顔で見ていた女性記者
が思い出したように聞く。
「ということは、いまあるJILS、えー
と日本ロジスティクスシステム協会というの
は、それらが一緒になった団体ということで
すか?」
「そういうこと。 それら二つの団体が九二
年に統合されて、現在のJILSとなったわ
け。 その経緯についてはまたの機会にしよう。
いろいろあるから‥‥」
暗中模索の新設物流部門
「物流が管理領域として認知されたってい
う話がさっき出ましたが、現象的には、とい
うか、具体的には、物流を管理する部門が相
69 JANUARY 2013
回りくどいことを言って、編集長が割り込む。
「それまで物流活動を行っていた部署は、効
率だとかコスト削減だとかとは無縁だった。 そ
ういう中でコスト削減を狙う部署が誕生したわ
けで、さて、既存の部署とどう関係付けるか
が大きなテーマだった。 そういうことですよ
ね?」
「うん、ポイントを突いている。 大したもん
だ、今日の編集長は」
大先生の言葉に編集長が「またまた、構う
のはいい加減にしてください」と口を尖らせ
る。
「後から振り返ると、活動を行う部署に管理
部隊をくっつけて物流部などとした形態はだ
めだったな。 もっともらしい形ではあったけ
ど、コスト削減という目的が希薄になってし
まった。 いつの間にか、物流部全体が、日々
の活動に追われることになり、コスト削減な
ど誰も考えなくなった。 そして、上からコス
トを減らせと言われると、運賃や倉庫料金を
叩くなどといった無策のことしかできなくな
ってしまった情けない物流部が少なくない」
「あっ、先生、結構怒ってますね。 そう言え
ば、『物流部の存在が物流を遅らせている根本
原因で、物流部を無くせば、物流は正しい姿
になる』という見解を思い出しました。 これ
は、もちろん、先生のお言葉ですけど、いま
の先生のお話は、この見解と関係するんじゃ
ないですか?」
「そんなこと、おれ言ったっけ? 記憶にな
い。 ただ、その指摘は言い得て妙だ。 もっと
も、それは組織論の話ではなくて、組織人の
話だ」
「へー、組織論ではなく組織人の話だという
のは興味深いです。 是非、詳しく聞かせてく
ださい」
女性記者が身を乗り出して大先生に頼む。 大
先生が頷き、「組織の話は長くなるから、その前
にコーヒーブレイクにしよう」と言って、弟子た
ちを見る。 弟子たちが頷いて立ち上がる。
「そう単純には言い切れないけど、その傾向
は否定できない」
「あのー、ちょっとお話が見えないんですけ
ど、説明していただけますか・・・」
二人のやり取りに女性記者が口を挟んだ。 大
先生が頷く。
「要するに、物流という活動は毎日行われ
ている。 それに責任を持つ部署もある。 当然、
そういう部署は前からあった。 ところが、新
設された部署は、これとは違って、物流コス
トの削減を担う部署ってこと‥‥」
大先生の話の途中で「説明の必要はないか
もしれないけど、敢えて説明すれば」などと
ゆあさ・かずお 1971 年早稲田大学大
学院修士課程修了。 同年、日通総合研究
所入社。 同社常務を経て、2004 年4
月に独立。 湯浅コンサルティングを設立
し社長に就任。 著書に『現代物流システ
ム論(共著)』(有斐閣)、『物流ABC の
手順』(かんき出版)、『物流管理ハンド
ブック』、『物流管理のすべてがわかる本』
(以上PHP 研究所)ほか多数。 湯浅コン
サルティング http://yuasa-c.co.jp
PROFILE
Illustration©ELPH-Kanda Kadan
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