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佐高 信
経済評論家
MARCH 2013 62
リクルートの創業者の江副浩正が亡くなっ
た。 学生への就職案内から出発したリクル
ートは広告と情報の境目をなくした。 私は
その「理念なき膨張」を一九八三年十一月
号の『潮』で指弾したが、当時、絶頂期だ
ったリクルートに寄生しているライターから、
「カマトト評論家」と罵倒されたことが忘れ
られない。 理念などを問題にするのは青臭
いというわけである。
その年の同社の社内報『かもめ』の新年
号で江副は、
「ニューメディア、ニューマーケットに眼を
向けよう」
と言い、リクルートは一九八〇年代の末に
は、日本一の情報産業になるとブチ上げていた。
「ことしは無理だけど、順調にいけば来年、
遅くとも再来年には、出版社でも放送局で
も、規模においてリクルート以上のところは
なくなる。 そのときには、電通、朝日(新聞)、
リクルートが三大情報産業といわれるように
なるだろう。 そして、八〇年代の末までには、
電通や朝日を抜いて、日本一の情報産業に
なる可能性を十二分に持っている」
江副はこう豪語していたのだが、まさに
その八〇年代の末の八九年に、いわゆる「リ
クルート事件」で逮捕されてしまった。
江副はここで盛んに「情報産業」と言って
いる。 しかし私は、リクルートを、批判を含
む情報産業だとは思わない。 それは、消費者
の購買意欲を刺激し、買わなければならない
のではないかと不安にする広告業なのである。
そう考えていた私は、八四年秋のインタビ
ューで、江副に「広告と情報の違い」につ
いてどう思うかを尋ねた。
それに対して江副は、
「私は、私たちのやっている仕事は当事者
の情報を流すことだと思っています。 ウチ
の会社はこういう会社ですということを本
人が述べる。 それをわれわれがメディアとし
て取り次ぐ。 それが広告だと思うんですね。
それと、あなたが言われた第三者の記事、
情報とは違う。 その違いははっきりあるけ
れども、しかし、両者はだんだん接近して
きていて、企業が自らを語るものと、第三
者がその企業を語るものは非常に近くなっ
ている。 その傾向はファッション産業などに
顕著で、『ミセス』や『マダム』などを見ると、
どこまでが記事で、どこまでが広告なのか、
ほとんどわからない。 記事が広告になって
いるし、広告が記事になっているわけです。
そういうように、広告と情報の領域が非常
にアイマイになってきているということは言
えるんじゃないか」
と答えた。 しかし、それはリクルートが企
業に対する辛口記事を載せず、その領域を
アイマイにしたからだろう。 リクルートだけ
を責めることはできないが、リクルート、す
なわち江副の責任は大きい。
たとえば、就職情報産業を標榜しながら、
リクルートは、見識をもってこういう企業を
すすめる、あるいは逆に、こういう企業は
すすめられない、といった評価は行わない
のである。
皮肉を言えば、以後、メディアはリクルー
トに引っ張られる形で、特に企業に対する
批判精神を失っていった。 メディアのリクル
ート化が進行したのである。 受験地獄など
という言葉もある現代の日本では、大学の
入学試験等への不安を食って、塾が急成長
した。 河合塾をはじめ、各所にそれらのビ
ルが林立しているが、リクルートは大学入試
ならぬ就職試験をタネにして大きくなった
?塾?なのであり、大学(もしくは高校、中
学、小学校、そして幼稚園)を相手にした
学習塾とは比較にならない急膨張を遂げた。
それは「日本株式会社」を顧客にしたから
であり、その?人事部?として組み込まれ
たからである。 いずれにせよ、塾と同じよ
うな?不安産業?と言わなければならない。
「日本株式会社」を顧客にした不安産業
リクルートを創業した江副浩正氏が死去
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