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奥村宏 経済評論家
JUNE 2013 62
危機に陥った会社
原子力発電所の事故で東京電力が経営危機に陥っている。
被害者である附近の住民に対して損害賠償をしなければなら
ないが、そのカネがない。 そこで普通なら東京電力は倒産し
ているところだが、政府の資金によってそれを肩代わりして
もらっている。
東京電力だけでなく他の電力会社も原発停止によって経営
危機に瀕しており、電力料金の値上げによって何とか経営を
続けているという状態である。
このような状況は日本に限られたことではない。
アメリカでは自動車大手のクライスラーが倒産し、続いて
GMが倒産して、いずれも連邦破産法第十一条の適用を受け
て一時、国有化された。
そしてリーマン・ショックによってアメリカの銀行大手であ
るシティ・グループやバンク・オブ・アメリカなどが、いずれ
も政府の資金によって救済されている。
日本でもバブル崩壊のあと日本長期信用銀行(現・新生
銀行)を始め、多くの銀行が公的資金によって救済されたが、
公的資金というのは国民の税金によって負担するということ
であり、アメリカでは、ずばり「タックス・ペイヤーズ・マ
ネー」(納税者のカネ)と言う。
一九世紀、イギリスでは「救貧法」によって貧民を政府の
カネで救済したことがある。 二一世紀のいま、アメリカのG
Mや大銀行、そして日本の電力会社や大銀行が「貧民」にな
っているのである。
そこで問題になっているのは、「会社は貧民か」というこ
とである。 そしてさらに「会社は人間なのか」ということが
問われているのである。
一九世紀のドイツでいわゆる?法人論争?が展開され、「会
社=法人はヒトと同じかどうか」ということが議論されたが、
二一世紀のいま、それが問題になっているのである。
株式会社の時代
会社には株式会社もあれば合名会社も合資会社もあるが、
代表的なのは何といっても株式会社である。 その株式会社の
始まりは一六〇二年にできたオランダ東インド会社だとされ
ている。
それは何よりも全株主が有限責任であるということを国が
認めたからである。 それまで個人はもちろん債務に対して無
限責任を負っているし、合名会社や合資会社の社員=出資者
も無限責任を負っていた。
ところが株式会社に有限責任を認めるようになったところ
から、これが普及するようになった。 出資者が無限責任なら
そんな会社に出資する人は少ないが、有限責任となると出資
者は増える。
そこで株式会社がヨーロッパから、アメリカ、日本などに
も普及するようになったのだが、これで資本主義は急速に発
展するようになった。
株式会社ではさらに株主総会が会社の最高決議機関とな
り、そこでは株主平等、一株一票という原則が確立した。
そうなると、過半数の株式を所有する大株主が会社を支配
することが可能になる。 さらにアメリカではニュージャージー
州が、それまで人間しか株主になれないということになって
いたのを、会社が株主になってもよいというように州法を改
正した。
そこで一九世紀末から、会社がほかの会社の株式を取得す
ることで合併するということが大流行するようになった。
それによって巨大株式会社が次々と誕生していったのであ
る。 一九世紀が「株式会社の時代」であったとすれば、二〇
世紀はこうして「巨大株式会社の時代」になったのである。
ところが二一世紀を迎えて、その巨大株式会社が危機に陥
った。 GMの倒産はまさにそれを象徴しているし、東京電力
の危機もそれを物語っていると言える。
大多数の納税者は、巨大株式会社を国民の税金で救うことに
釈然としない気持ちを抱いている。 株式会社が危機を迎えたいま、
そもそも会社とは何なのかという原点に立ち返る必要がある。
第133回 いま求められる「会社の哲学」
63 JUNE 2013
実態概念をめぐる哲学
「会社とは何か」と問われれば、それは「人が出資して作
ったものである」という答えが返ってくるであろう。
ところが、「会社はヒトであり、モノである」という学者
がいる。
二〇〇三年に、当時、東京大学教授であった岩井克人氏が
『会社はこれからどうなるのか』という本を平凡社から出し
て評判になった。 この本で岩井氏は「会社はヒトであり、モ
ノである」と主張している。
「会社はヒトであり、モノである」というのは会社を実体と
してとらえるということだが、果たして会社は実体なのか?
実体というのはアリストテレスが主張した概念であり、そ
れはデカルトやスピノザによって受け継がれると同時に変形
され、スピノザは「神のみが実体である」と主張した。
その後、近代哲学では実体概念は否定され、関係概念や機
能概念が主張される。 そして新カント派の哲学者、カッシー
ラーは『実体概念と関数概念』という本を書いて、実体概念
を否定した。 日本でも元東大教授であった廣松渉氏がいろん
な本で実体概念を否定している。
ところが同じ東大教授であった岩井克人氏が「会社はヒト
であり、モノである」として、会社は実体であると主張して
いるのである。
そこで我々は原点に立ち返って「会社とは何か」というこ
とを問題にしなければならない。
それは一見したところ現実には関係のない哲学的な議論だ
と思われるかもしれないが、そうではない。
先に述べたように「二〇世紀は株式会社の時代」であった
が、二一世紀のいま、株式会社は危機を迎えているのである。
危機に陥った株式会社を理解するためには、原点に立ち返
って考える必要がある。 そこで求められているのが「会社の
哲学」なのである。
会社は人間か?
株式会社が発展した最大の理由は全株主が有限責任であ
る、というところにあるが、「一体、なぜそんなことが許さ
れるのか? 人間はすべて無限責任だし、合名会社や合資
会社の出資者も無限責任である。 にもかかわらず株式会社の
出資者=株主にだけ有限責任を認めるのはおかしいではない
か」という声は始めからあった。
この問題をめぐって一九世紀イギリスの議会で大論争が闘
わされたのだが、そこで「株式会社には株主が出資したカネ
が資本金としてある。 もしその会社が倒産したら、債権者は
その資本金に見合った資産を売却して債権を回収すればいい
ではないか」という議論が勝って株式会社法が成立したので
ある。 これを「資本充実の原則」と言うが、それを主張した
のがJ・S・ミルである。
ところが二一世紀のいま、倒産したGMやクライスラーな
どにも、債務に見合うだけの資本金はない。 そうなれば、こ
のような会社の株主に有限責任を認めることはできないとい
うことになる。
それはGMやクライスラーだけでなく、シティ・グループ
やバンク・オブ・アメリカなどにも共通しているし、日本の
大銀行や東京電力などにも同じことが言える。
それはまさに「株式会社の危機」であるが、そこから「株
式会社とは一体なにか?」という疑問の声が上がってくる。
そして、「このような巨大株式会社を国民の税金で救済す
るというのは何ごとか」という声が国民の間から起こってく
る。
「人間なら困った人を助けるのは当然だが、GMや大銀行
を国民の税金で救済するのはおかしい。 GMや大銀行は人間
なのか」という疑問である。
それはアメリカだけでなく、ヨーロッパ、さらに日本でも
起こっている問題である。
おくむら・ひろし 1930 年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 近著に『東電解体 巨大株
式会社の終焉』(東洋経済新報社)。
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