ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2013年8号
ケース
永大産業 外部委託 倒産を乗り越えた物流パートナーシップベトナム生産の開始で拠点配置を再検討

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

AUGUST 2013  42 建材専業メーカーとして再建果たす  建材メーカーの永大産業は二〇一一年一二 月に東京証券取引所二部から一部に昇格した。
同社は一九七八年に約一八〇〇億円の負債を 抱えて会社更生法の適用を申請している。
当 時、「戦後最大級の倒産」と言われた破綻劇 から、実に三三年という歳月を経て東証一部 への復帰を果たした。
 戦後間もない一九四六年に合板メーカーと して大阪で産声を上げた同社は、六五年に東 証一部に上場した。
このころからプレハブ住 宅の製造・販売を本格化し、住宅メーカーと しても台頭。
その後は建材事業と住宅事業を 二本柱に業容を拡大していった。
 そこに七三年の第一次オイルショック後の 不況が襲い掛かった。
右肩上がりで成長して いた国内の住宅市場は一気に冷え込み、永大 産業の売上高(単体)も七四年度の一五三〇 億円をピークに急減。
破綻した七八年度には 五四三億円まで落ち込んだ。
住宅事業のため に大量に抱えこんでいた土地は不良債権化し、 事実上の倒産を余儀なくされた。
 それでも建材事業部門は命脈を保っていた。
商品の差し押さえなどで迷惑を掛けた取引先 などには、時間を掛けておわびと説明を尽く す必要があった。
だが建材事業が致命的な混 乱に陥ることはなかった。
 倒産時に同事業に携わっていて、後に社長 を務めた吉川康長取締役相談役は経済誌のイ ンタビューに応えて「世間は大騒ぎになりま したが、自分たちが渦中にいる気はしなかっ た」と率直に振り返っている。
 倒産当時、入社一年目の営業マンだった品 川洋一物流情報システム部長も、「倒産して 三日後には品物を出荷できた」と記憶してい る。
協力物流会社をはじめとする取引先の多 くが事業の継続を支援した。
 永大産業は、会社消滅の危機を建材事業 に回帰することで乗り切った。
そして九三年 に予定を二年前倒しして更生計画を完了。
当 時の日本はバブル経済の崩壊に揺れていたが、 更生法下で新規事業が制限されていた永大産 業は、不動産投資に手を染めることもなく健 全な財務体質を維持していた。
 同社は再び上場を目指した。
それから一〇 年余り。
一度は住宅市場の悪化によって上場 申請を延期したものの、〇七年二月に東証二 部に返り咲いた。
そして一一年十二月に念願 の東証一部に復帰した。
一三年三月期決算で は連結売上高六一四億円、営業利益二〇億 円を計上し、新設住宅の着工戸数が低迷する 中でも利益を残している。
 1978年の経営破綻から33年を経て、2011年12 月に東京証券取引所1部に復帰した。
倒産後は床 材やシステムキッチンなどを扱う建材メーカーとし て地道な努力を重ね、物流の効率化にも積極的に 取り組んできた。
長らく苦楽を共にしてきた協力 物流会社とのパートナーシップは、ベトナムに海 外生産拠点を立ち上げたことで転機を迎えている。
外部委託 永大産業 倒産を乗り越えた物流パートナーシップ ベトナム生産の開始で拠点配置を再検討 永大産業の品川洋一物流情 報システム部長 43  AUGUST 2013  永大産業は現在、計一六カ所の物流拠点で 日本全国をカバーしている。
子会社を含め国 内の製造拠点は四カ所(福島・敦賀・大阪・ 山口)。
それぞれ物流拠点としての機能も備 えている。
そこから全国六カ所の「地区物流 センター」(北海道・福島・茨城・愛知・大 阪・福岡)に製品を供給。
地区センターから 市場が遠いエリアについては、さらに輸送上 の中継拠点(全国六カ所)を経由して全国各 地の顧客に製品を届けている。
 営業出身で二年前から物流部門の責任者を 務めている品川部長は、「うちの営業は物流を 知っている。
昔からただ単に売り上げを伸ば すのではなく、二トン車いっぱい分とか四ト ン車いっぱい分売ることを意識していた。
自 分が売る商品をトラック一台にどれくらい積 めるか理解して、常に物流効率を高めようと してきた」と言う。
 そのため、たとえ高コストのイレギュラー輸 送であっても、営業部門が必要と判断するの なら認める。
物流部門としては、「物流費が 売価にきちんと反映されていれば問題ない」 (品川部長)という考えで、日常的な出荷指 示なども営業部門から直接、協力物流会社に 出している。
 それでも物流システム課では現在、情報シ ステムを駆使して物流の無駄を洗い出す活動 に取り組んでいる。
吉川浩司物流システム課 長は「営業部門として強く意識することなく 余計な物流コストを費やしているケースがあ る。
コスト意識をさらに高めるための社内改 革は必要」と言う。
中核パートナーは日本梱包運輸倉庫  製造拠点に付随する物流拠点は生産管理部 門の管理下に置かれており、地区センターか ら先が物流部門の管理対象だ。
全国六カ所の 地区センターのうち、福島と大阪については 永大産業自身が主体的に運営している。
 残り四カ所の地区センターは、日本梱包運 輸倉庫(日梱)を元請けとして業務全般をア ウトソーシングしている。
永大産業自身が施 設を持たないエリアでは、荷役まで含む物流 業務を日梱に委託しているためだ。
 両者の付き合いは永大産業が七八年に経営 破綻する以前から続いている。
永大産業はも ともと大阪の会社で、拠点も西日本に偏って いた。
事業を関東に展開していったのを契機 に日梱との付き合いが始まった。
 当初は永大産業が自ら管理する物流拠点か らの輸送業務などを担っていたが、八〇年代 拠点集約などを経て行きついた現在の物流ネットワーク 物流拠点 生産管理部物流センター【4カ所】 (小名浜、敦賀、大阪、山口) 地区物流センター【6カ所】 (北海道、小名浜、茨城、愛知、大阪、福岡) 北海道物流センター 小名浜物流センター(福島) (生産子会社に併設) 東日本物流センター(茨城) 中部物流センター(愛知) 敦賀生産管理部物流センター 山口生産管理部物流センター 大阪生産管理部物流センター 西日本物流センター(大阪) 九州物流センター(福岡) 過去30 年の新設住宅の着工戸数(年度別推移) (千戸) 1,800 1,600 1,400 1,200 1,000 800 600 400 200 0 84 86 88 90 92 94 96 98 00 02 04 06 08 10 12 (年度) 1,729 893 93 年 更生計画完了 97 年 消費税率5%へ引き上げ 08 年秋 リーマンショック 半ばからは物流拠点の運営まで任される元請 けとして活動するようになった。
中継拠点の 運営や配送業務まで含めると永大産業の協力 物流会社の数は現在一〇社程度を数える。
そ の中でも日梱は特別な存在だ。
 八〇年代以降の永大産業の販売チャネルは 二系統に大別できる。
卸経由で製品を市場に 供給する伝統的な「木建ルート」と、ハウス メーカーや大手工務店に直接販売する「特販 営業」である。
 七〇年代までは「木建ルート」だけしか なかった。
メーカーである永大産業から特約 店・問屋を経由して、材木店に卸し、さら に工務店に製品を供給する。
営業方法も問屋 の担当者に同行するルート営業が中心だった。
物流は基本的に問屋の拠点にまとめて納品す る。
この「木建ルート」が現在も永大産業の 総売上のおよそ半分を占めている。
 一方、「特販営業」は、ハウスメーカーの 成長に伴って拡大した販売チャネルだ。
永大 産業自身が住宅事業を手掛けていた時代には、 ライバルでもあったハウスメーカーへの建材販 売は難しかった。
だが倒産後に住宅事業から 最終的に「東日本物流加工センター」の名称 も、物流だけを扱う「東日本物流センター」 へと改めることになった。
 このような紆余曲折はあったものの、日梱 を元請けとする物流アウトソーシングは、永 大産業にとってモデルケースとも言うべき成 果を挙げた。
その結果、北海道・愛知・福岡 のセンター運営についても段階的に日梱に任 せることになり、地区センターのうち四カ所 を日梱が担う現体制へと至った。
ベトナムの生産子会社が稼働  九〇年代の後半から進めた拠点集約などに よって、現在の物流ネットワークは拠点数と してはほぼ妥当な水準にあると永大産業の物 流部門では認識している。
一方で拠点配置に ついては、近年の事業環境の変化に応じて再 考の余地があると見ている。
 同社は二〇一一年六月に、ベトナムで一〇 〇%出資の生産子会社、永大ベトナムを設立。
その後、約一年掛けて床材の工場を建設し、 生産活動をスタートさせた。
従来は国内だけ で生産していたところに、新たにベトナムか らの物流が加わることになった。
 ベトナム発の物流管理は現地法人と生産部 門が担当しているため、本社の物流部門は直 接関与していない。
それでも上流工程に当た る生産拠点の変化は、国内の物流ネットワー クにも影響を及ぼしつつある。
 前述したように同社は、茨城県古河市の 撤退したことで状況が変わった。
自ら住宅事 業で培った経験からハウスメーカーのニーズを 理解できることがプラスに働き、八〇年以降、 永大産業の業績を下支えする販売チャネルに 育った。
物流はハウスメーカーや工務店が指 定する場所に納品する。
 販売チャネルが二つあるため、かつては物 流インフラも二系統に分かれていた。
例えば 関東には、「木建ルート」の拠点が北関東向 けと首都圏向けの二カ所あり、ここに特販営 業と拠点を加えた三カ所の物流センターがあ った。
このほかに加工業務のための拠点も二 カ所構えており、日梱はそれぞれの拠点で協 力会社として出入りしていた。
 九七年に永大産業はこれら五カ所の関東の 拠点を全て集約して業務の効率化を図ってい る。
このとき集約後の拠点運営を、加工業務 まで含めて全面的に外部委託するパートナー として、改めて日梱を選択。
日梱が茨城県猿 島郡総和町(現古河市)に構えた施設内に、 「東日本物流加工センター」と称する大規模な 物流・加工拠点を設置した。
 もっとも加工業務の外部委託については、 数年後に再び見直した。
永大産業は一九六七 年に福島県いわき市で小名浜合板(現永大小 名浜)という子会社を設立している。
一度は 加工業務も含めて日梱に委託したが、加工は 小名浜の生産子会社で手掛けるほうが得策と して方針を変更。
日梱が茨城で手掛けていた 加工業務も徐々に小名浜にシフトしていった。
AUGUST 2013  44 永大産業の吉川浩司物流シ ステム課長 工業務についても日梱はまだあきらめてはい ない。
小名浜の生産子会社に移管された業務 を戻してもらうのは現実的ではないとしても、 現時点で永大産業が協力メーカーなどに外注 している加工業務を受託できれば、永大産業 にとっては横持ちが減って効率化につながる と見込んでいる。
 このとき永大産業向けの加工業務を手掛け たことは、日梱が物流の付帯業務に関するノ ウハウを蓄積する上で貴重な経験だった。
そ の後、同社が住宅関連事業を拡大していく中 で、ここで培ったノウハウが有効な武器にな ったという。
 一方で日梱から永大産業に提供できる価値 もある。
日梱は創業時から本田技研工業(ホ ンダ)を中核荷主として、その要求に応える ことで成長してきた。
自動車産業では当たり 前の?後工程から考える企業体質?が組織に 深く浸透している。
着荷主が作業しやすい出 荷や輸送のあり方を、前工程である発荷主の 業務にまでさかのぼって改善していくという アプローチだ。
 「建材業界にはまだこうした発想に基づく 改善の余地が残されている。
これまではもっ ぱら効率を重視して荷姿を考えてきた。
しか し荷物を受け取る立場で考えれば、お客様ご とに最適な荷姿というのは違ってくる。
例え ば積み方の順番を変えたほうが後工程の作業 がやりやすくなるといったことがある。
情報 システムも駆使しながらこうした個別の要望 に応えていければ新たな付加価値を提供でき るはず。
そうやって生産性を高めて、そこで 改善できた成果を永大産業さんとシェアして いきたい」と杉浦部長は言う。
 三〇年以上の長きにわたって苦楽を共にし てきた永大産業と日梱の間には、良くも悪く も特有の関係がある。
現行のやり方にメスを 入れるのは簡単ではない。
 だが国内の住宅市場の飛躍的な伸びはもは や期待できない。
永大産業としても従来と は異なる製品開発や、リフォーム事業などへ の展開を視野に入れざるを得なくなっている。
ベトナムへの生産移管は変化の第一歩にすぎ ない。
将来の変化まで見越して効率化を進め ることが物流部門には求められている。
 品川部長としても、「製品体系や生産拠点 などが変わるのをきっかけに、我々も物流を 大きく変えたいと思っている。
日梱さんはほ かの物流パートナーに比べると当社の業務を よく知っている。
互いにウィン−ウィンの状 態になっていくためにも、固定観念にとらわ れない提案を期待したい」と言う。
(フリージャーナリスト・岡山宏之) 「東日本物流センター」から関東全域に製品を 供給している。
関東の中央に位置するこの拠 点は、商圏をカバーする上では好都合の立地 だ。
しかし、ベトナムから輸入した製品を扱 うためには、京浜港から一〇〇キロメートル ほど内陸まで横持ちすることが避けられない。
その上で首都圏に供給するという動線には効 率化の余地がある。
 品川部長としては、「床材は当社の柱の一 つ。
これを海外で生産して国内に供給してい くために最適な受け入れ体制をどう構築する かは、現在の我々にとって一番の課題だ。
今 はそれを探っているところだが、ドレージの 距離を短くできれば大きなコストダウンにつ ながるはず」と考えている。
今後、東日本物 流センターの運営を委託している日梱とも協 議しながら、事業環境の変化に対応していく 方針だ。
 こうした荷主の要望に、日梱も手をこまね いているわけではない。
既に複数の対応策を 永大産業に提出しているという。
ベトナムか ら入ってくる床材の物流だけを分離して処理 することを望まれれば、「私どもの営業所は 沿岸部にもたくさんある。
古河でやっている ノウハウをそこに移管すれば、いくらでも対 応できる」と日梱の第二営業部で永大産業を 担当している杉浦吉則部長は強調する。
新たなパートナーシップを模索  九〇年代後半に一時期、請け負っていた加 45  AUGUST 2013 日本梱包運輸倉庫の第二営 業部で永大産業を担当してい る杉浦吉則部長

購読案内広告案内