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佐高 信
経済評論家
AUGUST 2013 64
安倍晋三がトップの自民党が、TBSの「N
EWS
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」の報道が公平さを欠いていると
して、党幹部に対する取材や幹部の番組出
演を拒否すると発表したのには驚いた。
批判に学ぶという姿勢はこの党にはなく
なってしまったらしい。 六月五日付の『毎
日新聞』にジャーナリストの江川紹子が次の
コメントを寄せていたが、その通りだろう。
「自分とは違う意見に対し『倍返し』をし
ようとする一種の脅しで、『お子ちゃま』的
な対応。 権力を持つものとしてのたしなみ
が全くない。 党のPRのために言論を利用
することしか考えていない姿勢がよく表れ
ている。 ましてや今は参院選のさなか。 各
党の主張をテレビで知ろうとする市民は多い
はずで、常軌を逸した対応だ。 報道機関の
対応も問われる」
私は今度、『自民党首相の大罪』(七つ森
書館)を出した。 副題が「安倍晋三から中
曽根康弘まで」。 安倍から中曽根までを逆の
ぼって徹底批判したのだが、とりわけ安倍
の狭量さが目立つ。 トップの器ではないと
いうことである。
たとえば最初の首相の時、二〇〇六年九
月一二日付の『夕刊フジ』では、
「五五年体制の残滓が残っていて、かつて
の社会主義体制を賛美していた人たちが政
界やマスコミ界などに形を変えて存在してい
る。 そういう人たちが『何とか安倍晋三を
引きずり下ろそう』といろんな場面で攻撃
を仕掛けてきている」
と力んでいた。 「弱い犬ほどよく吠える」
というが、お坊ちゃんの安倍には、批判は
すべて攻撃に見えるのである。 この体質は
まったく変わっていない。
自民党ながら野党の支持も受けて参議
院議長となった河野謙三の次のような粋な
発言を安倍が理解できるかどうか疑わしい。
おそらく、わからないだろう。 河野はこう
言った。 「七・三の構え」を掲げて、
「算術的に七・三というんではないんだよ。
野党寄りに構えていると野党もぼくを信頼
して、うまくいくってこったよ。 結局は公
平にやろうってことですよ。 公平というの
は真っすぐ座っていればいいっていうけど、
それでは野党のほうが公平とはみませんよ。
七・三の構えっていうのはね、昔、芸者は
人力車に乗りましたよ。 そのとき、真っす
ぐに座ると帯がつぶれちゃうんで、帯をつ
ぶさないために、はすに座ったんだよ。 イ
キなもんですよ。 そうすると人力も体を七・
三に開いて車を引いたんだ。 イキなもんな
んだよ。 それがわからないんだな。
少数意見をつぶさん、これですよ、七・三
の構えというのは。 具体的にいえば何でも
ないことですよ。 野党に、少数党に質問の
時間を与えないというから『与えろ』とい
ったのであり、発言時間を五分に限るとい
うから、『五分じゃあ、何もできんから一〇
分、一五分質問させたらどうか』といった
んで、これは『野党寄り』でもなんでもな
いんですよ」
河野議長は、その前の議長の重宗雄三が
独裁的に振舞い、その「重宗王国」を打倒
しようとして誕生した。 重宗は同じ山口県
出身の佐藤栄作と組んで、佐藤長期政権の
原動力となったのである。
その重宗独裁が崩れたことも佐藤政権の
終焉の一因だった。 そして生まれたのが田
中(角栄)政権である。
安倍の祖父である岸信介の弟の佐藤は安
倍の叔父に当たる。 岸も佐藤もメディアを敵
視した。 特に佐藤は最後の会見で新聞記者
を追い出し、テレビだけに向かって一方的に
語った。 その傲岸不遜の血を安倍は受け継
いでいるらしい。 田中は自分を厳しく批判
した新聞記者の早坂茂三を、記者は書くの
が仕事だからと言って咎めず、のちに秘書
にした。 小心な安倍とは大違いである。
批判はすべて自分への攻撃と見る安倍晋三
歴代自民党首相の中でも際だつ狭量と小心
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