ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年4号
特集
路線業の終わり 特積みトラック運送の50年

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

APRIL 2004 8 特積みトラック運送の50年 特別積み合わせ貨物運送事業、かつての路線業がその歴史 的役割を終えた。
トラックによる配送ネットワークを構築す ることで、路線業は鉄道からトラックへのモーダルシフトに成 功した。
しかし今日、路線業は共同配送と宅配便の台頭によ って、市場ドメインを失った。
淘汰を経て日本の物流市場は 新たな時代を迎える。
(大矢昌浩) ?解散価値〞を割り込んだ業界の盟主 トラック一台分に満たないB to Bの小口貨物を混 載する「特別積み合わせ貨物運送事業(特積み)」の 市場が消えようとしている。
インフラ稼働率の低下に 苦しむ特積み業者は、リストラによる縮小均衡に躍起 になっている。
中堅以下では事業撤退も目立ってきた。
日本通運と西濃運輸は現在、特積み事業の提携で 交渉を進めている。
施設の共同利用や末端配送の相 互委託、情報システムの連結まで含めた共同化を模 索している。
軌道に乗れば他の中堅特積みにも合流を 呼びかけるという。
最大手クラスでも、今や単独では 特積み事業の採算をとることが困難になってきている のだ。
日本のトラック運送業は行政区分上、基本的に特 積みと「一般貨物運送自動車事業(一般)」の二つに 分類される。
日通やヤマトのように誰もが名前を知る 全国区の運送会社は、ほとんどが特積みだ。
特積みの 数は日本の運送会社約六万社のうち三〇〇社足らず に過ぎない。
そのため「特積み」のレッテルは物流市 場では大手運送会社の代名詞となってきた。
ところが今日、特積み事業は構造的に儲からないビ ジネスになっている。
左頁に株式を上場している主な 特積み業者の「株価純資産倍率(PBR)」を掲載し た(図1)。
売上高に占める特積み事業の比重が小さ い日通とヤマトを除き、軒並み一倍を割り込んでいる。
PBRは別名「解散価値」とも呼ばれる。
負債を全 て返済した後に残る資産を発行株数で割った金額を、 株価と比較したものだ。
PBRが一倍以下ということ は、会社を解散した時点で株主が手にできるお金より も実際の株価のほうが安いという意味だ。
つまりPB R一倍以下の企業は、帳簿に現れていない含み損を 抱えているか、あるいは今の資産をこれから食いつぶ していくと株式市場から目されていることになる。
老舗の特積み業者の場合、高度経済成長時代に幹 線道路沿いに多くのターミナル用地を取得している。
いくら地価が下がったとはいえ、含み損のリスクは小 さい。
となると主な特積み業者のPBRが解散価値を 割り込んでいるのは、特積み事業そのものの将来に対 するマイナス評価と受け止めるしかない。
物流市場に詳しい野村証券金融研究所の橋本尚人 企業調査部研究員は「特積み事業は今後ゆっくりと 衰退していく。
もっとも老舗の特積みは潤沢な資産を 抱えているので倒産することはない。
しかし、成長も ない。
少しずつ資産を食いつぶしていくだけだ。
少な くとも株式市場はそう見ている」という。
特積み業者同士の事業統合や吸収合併などのドラ スティックな再編も期待薄だ。
日通と西濃の共同化 構想にしても具体化については懐疑的な見方をするも のが両社の社内にさえ少なくない。
この共同化に関し て一部の経済紙には、四月中にもシステムを接続し東 京〜大阪間の幹線輸送や、輸送量の少ない日曜祭日 の幹線輸送を西濃に統合するとの報道があった。
しかし西濃の内部関係者は「もともと休日の物量は 個人宅配の少ない当社より、日通のほうが多い。
当社 に集約するどころか日通にお任せしたいぐらいだ。
情 報システムの統合も、当社と日通では送り状のフォー マットはもちろん、そこで使っているコードの桁数さ え違う。
四月中にシステムを接続するなどまず無理。
共同化の構想自体、どこまで本気なのかよく分からな い」と首を傾げる。
特積み事業は通常の貸し切り輸送とは異なり、ネッ トワーク全体を一つの仕組みとして運営しなければな らないインフラビジネスだ。
それだけに事業統合でも 第1部 路線業の終わり トヨタ方式に挑む 第1特集 路線業の終わり 9 APRIL 2004 しない限り、共同化は小手先にならざるを得ない。
実 際、九五年に設立された日本路線トラック連盟(路 線連盟)で実施した幹線輸送の共同運行も現在は休 止状態となっている。
特積み業界に淘汰の傾向が現れたバブル崩壊以降、 水面下では有力路線業者同士の事業統合や合併構想 が、浮かんでは消えるというダッチロールを繰り返し てきた。
経営層に危機感はあるものの、主な特積みの 多くは同族経営で家業への執着も強い。
労働集約産 業であるため経営統合に伴う労務管理対策も一筋縄 にはいかない。
事業統合によって規模のメリットを追 求するというスキームがダメ。
共同化も部分的となる と、後は事業撤退のほか有効な選択肢が見当たらない のが現状だ。
戦後間もない昭和二五年、西濃の創業 者、田口利八氏が東海道を結ぶ「路線業」を開始し て以来、半世紀以上にわたって続いた物流市場の「路 線時代」が、ゆっくりと幕を閉じようとしている。
路線業の果たした歴史的役割 一九九〇年に「物流二法(貨物自動車運送事業法 と貨物運送取扱事業法)」が施行されるまで、特積み は「路線」、一般は「区域」と呼ばれていた。
「路線」 とは、特定のターミナル間を定期運行する幹線輸送を 指している。
鉄道輸送をトラックに置き換えたものだ。
ドア・ツー・ドアの混載輸送ネットワークを構築する ことで、路線業者は鉄道貨物からトラックへのモーダ ルシフトを実現した。
当時の鉄道貨物輸送は使い勝手が悪かった。
末端 の集配は「通運」と呼ばれる民間運送会社が行うため 比較的融通も利くが、貨物駅のターミナルで荷物が滞 留する。
リードタイムが長いというだけでなく、いつ 着くのか分からない。
鉄道会社は殿様商売で、繁忙 期には荷物の受け付け自体を断られる。
そんな鉄道貨物から、路線業者は荷物を奪っていっ た。
図2は、各輸送モードの輸送トンキロベースの分 担率の推移を表している。
路線業が誕生した一九五 〇年の時点で鉄道輸送は日本の国内輸送のちょうど 半分のシェアを握っていた。
しかし、その後は路線業 の成長と反比例する形で鉄道の分担率は下がっていく。
六〇年代の中頃にシェアはトラックと逆転。
国鉄民 営化後も分担率は下がり続けた。
今では鉄道は補助 的な輸送モードとしてしか機能していない。
不採算路 線の撤収によってネットワークも崩壊。
幹線をピスト ン輸送するだけのモードに役割を落とした。
このモー ダルシフトで最大の牽引役を果たしたのが特積み業者 だった。
しかし、鉄道貨物をライバルに想定した路線業はい くつか弱点も抱えていた。
一つは小規模荷主への対応 だ。
路線業がターゲットとするのは混載といっても、 トラック一台を数社で満載にできるような中ロット貨物だ。
一個、二個というレベルの小ロットに対応でき るネットワークではない。
そのスキを突いたのが佐川 急便だった。
ある大手特積みのOBは「今になって考 えると特積みは佐川にやられた部分が大きい。
昭和五 〇年代に佐川の全国展開が目立ってきた頃、特積み の仲間内では佐川を潰そうという話も出たが結局、足 並みが揃わなかった」と、かつてをふり返る。
佐川の成り立ちは他の路線業とは異なり、江戸時 代の飛脚を前身とする「急便」や「常便」と呼ばれた 小口配達業から出発している。
トラック運送業という より便利屋に近い。
ネットワークのコンセプトも全く 違う。
路線業が幹線の長距離輸送をコアにしたのに対 し、佐川はセールスドライバーによる末端の集荷から 出発して仕組みを作った。
五七年に創業して以来、佐 図1 主な路線業者の株価純資産倍率(PBR) 日本通運 ヤマト運輸 西濃運輸 福山通運 トナミ運輸 名鉄運輸 岡山県貨物運送 エスラインギフ カンダコーポレーション 1.81 1.87 0.70 0.75 0.68 0.77 0.36 0.33 0.56 2004年3月19日現在 100 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 航空 自動車 鉄道 内航海運 (%) 平成13年度「陸運統計要覧」より本誌が作成 1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 図2 モード別輸送分担率の推移(輸送トンキロ) ●路線業は鉄道からトラックへのモーダルシフトを推進した APRIL 2004 10 川は小口貨物市場で急成長を遂げたが、路線業から 直接、荷物を奪ったたわけではない。
実際、当時の路 線業者は佐川が扱っていたような小ロット荷物の扱い は断ることが珍しくなかった。
路線業者にとって採算 の合わない、儲からない荷物という認識だった。
本来、路線便の料金表は一口当たりの重量が小さ いほどキロ当たり単価は高くなる。
しかし、それだけ オペレーションの手間も発生する。
苦労して小規模荷 主をたくさん回るよりも、一カ所から大量の荷物が発 生する大企業に張り付いたほうが手っ取り早い。
実際、 そうすることで大きな売上げを確保することができた。
こうして企業から出荷される小ロット貨物を切り捨て たことが、後々の路線業にボディブローのようなダメ ージを与えることになった。
一個口からの集荷と並んで佐川が急成長したもう 一つの理由はスピードだ。
「当時の特積みで三日以上 かかっていたところを当社は翌日に届けた。
このスピ ードが物流の多頻度小口化を可能にした。
短い配送 リードタイムを活かして発注頻度を増やすことで、荷 主企業は在庫水準を下げることができるようになっ た」と佐川の若佐照夫取締役経営企画本部長は説明 する。
佐川と同じ全国翌日納品を旗印にしたヤマトの宅 急便の普及が、それに拍車をかけた。
小口のB to Bに 特化した佐川と違い、ヤマトの宅急便は当初、郵便が 扱っていたC to Cの消費者物流を想定したものだった。
しかし蓋を開けてみれば過半数は企業発のB to Bある いはB to Cの荷物だった。
ちなみにヤマトの宅急便も佐川と同様に「急便」か ら多くのノウハウを吸収している。
一般に宅急便は米 国のUPSをモデルにしたとされているが、小倉昌男 元社長は急便事業者が密集する京都にも足繁く通っ た。
「一時は急便関係の祝い事となると、決まって小 倉さんが幹事というぐらい、急便のノウハウの獲得に 熱心だった」と当時を知る関係者はいう。
ヤマトと佐川は宅配便によって新しい物流需要を創 造した。
並行して企業間取引の多頻度小口化が進ん だことで、それまで路線便を使って中ロット単位で出 荷されていた荷物が徐々に小ロットに流れていった。
他の路線業に全国翌日納品が広まったのは、宅急便 を追う形で宅配便市場に参入するようになってからの こと。
スピード競争に出遅れた路線業者は市場ドメイ ンをヤマト・佐川に浸食された。
最後の賭けに失敗 それでも右肩上がりの輸送需要と保有していた土地 資産の高騰に助けられ、路線業者の経営が揺らぐこと はなかった。
それどころかバブルの絶頂期ともなると ドライバーの人手不足が深刻化し、路線業者は売り 手市場を背景にして荷主に過酷な条件を強要するよ うになっていた。
大手日用雑貨メーカーの物流部長は 「当時は毎月のように路線業者から運賃値上げを要請 された。
断れば配送契約自体をご破算にしましょうと いうような高圧的な姿勢だった。
脅しではなかった。
実際、値上げを認めなかったために、配送してもらえ なくなったメーカーもあった」と振り返る。
しかし、バブル崩壊によって事態は一変する。
物流 需要が縮小に転じた。
それでも貸し切り専門の区域業 者であれば減車や傭車のカットで対応できるが、イン フラの維持に固定費のかかる路線業者はダメージを避 けられない。
運賃相場も反転。
九〇年の規制緩和が 下落に追い打ちをかけた。
バブル崩壊がはっきりしてきた九〇年代の初頭に、 西濃や福山通運など一部の路線業者は賭けに出た。
ネ 路線業の終わり トヨタ方式に挑む 第1特集 路線業の終わり 11 APRIL 2004 ットワークを拡充するための巨額の拠点投資を断行し たのだ。
自由競争の下で需要が縮小すれば、路線便や 宅配便のような装置産業では上位集中による淘汰が 避けられない。
しかしその時点で日通、ヤマト、佐川 を除く路線業者は全国ネットワークを完成させていな かった。
ジグゾーパズルに穴があった。
リスクをとっ て、その穴を埋めようという判断だった。
しかし結果 として投資は失敗だった。
インフラ整備に追加資本を 投下したのに荷物が集まらない。
売上げの増えないま ま固定費負担だけが重くなった。
ROA(総資本利 益率)が極端に下がった。
この間に荷主側では、流通チャネルの変化が起きた。
小売業では自社物流センターを持ったチェーンストア が台頭し、食品業界や日用雑貨業界の中間流通では 物流機能に強みを持つ全国規模の卸が勢力を伸ばし た。
メーカー主導で構築された物流インフラを川下か ら再編する動きが顕著になった。
路線業には痛手だっ た。
メーカー物流の納品先が店舗や卸の支店から、物 流センターに換わったことで、輸送ロットが大型化し た。
トラック一台分に荷物がまとまるのであれば、メ ーカーからの出荷は中ロットの混載と比較して割安な 貸し切り輸送で処理できる。
多頻度小口化と共同化 という輸送ロットの二極化によって路線便の市場が狭 まっていった。
その結果、「路線業者のターミナルは今や稼働率が 落ちて中味の抜けたスポンジ状になっている。
必要な 投資ができず施設の荒廃が進んでいる。
しかし、路線 業者に投資の余力はない。
原資となる営業キャッシュ フローが絶対的に足りない。
一方のヤマトは毎年五〇 〇億円規模の投資を実施するキャッシュフローを持っ ている。
もはや両者の溝は永遠に埋まらないだろう」 と、野村証券の橋本研究員は解説する。
米国LTL市場の教訓 寡占化は終了した。
現在、市場の勝ち組として残 っているヤマト、佐川、日通以外に今後、日本に全国 規模の運送会社が出現する可能性は低い。
全く同じ 現象が海の向こうの米国でも起きている。
日本の路線 便に当たる中ロットの混載輸送を米国ではLTL ( Less Than Track Lord )と呼ぶ。
米国のLTL市場 の勢力図はここ数年で一変した。
昨年、業界最大手のイエローがライバルのロードウ ェイ・エクスプレスを買収したことで、全国規模の路 線業者は実質的に同社一社に集約された。
これに先 立ち二〇〇二年には業界三位のコンソリデーテッド・ フレートウエイズが倒産。
また五位と六位だったアメ リカン・フレートウエイズとバイキング・フレートは フェデラル・エクスプレスに買収されている。
米国のトラック運送業界は八〇年に規制緩和が実 施された後、猛烈な淘汰の時代に入った。
それまでの売上高上位五〇社の半数が約一〇年で倒産や吸収合 併によって姿を消した。
とりわけ全国規模の路線業の 収益悪化は深刻で、路線業者は厳しいリストラを断 行したが、最終的には一社しか生き残れなかった。
もっとも米国では全国路線業者の衰退と同時に翌 日配送のネットワークを持つ地域限定の路線業者が 新たに登場し現在、勢力を伸ばしている。
国土の広い 米国ではトラック輸送による翌日配送エリアは限定さ れる。
その単位で小口配送のプラットフォームが再構 築されようとしているわけだ。
しかし、全国を翌日配送で網羅できる日本の場合、 地域限定型の路線業が成り立つとは考えにくい。
残る 道は3PL以外に見当たらない。
日本の路線業者は 3PLへの業態転換を迫られている。
大ロット 中ロット 小ロット 貸し切り輸送 共同配送 宅配便 輸送ロットの大小二極化 路線便 ●輸送ロットの二極化によって  路線業の市場は狭まった

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