ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2004年5号
メディア批評
『週刊文春』出版差し止め事件の波紋 言論の自由を再認識させる立花論文

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高信 経済評論家 49 MAY 2004 『週刊文春』四月二日号の出版差し止め事件 について、筑紫哲也が『週刊金曜日』四月二 日号にちょっとちがったアングルからの情報 を書いている。
一般にこれは「?宿敵〞田中眞 紀子を搦め手から攻めようとした文春側に対 し、眞紀子側も長女の告訴という?代理戦争〞 で応じた」と見られているが、少し違うとい うのである。
田中角栄がジャジャ馬娘の眞紀子に手こず ったように、「眞紀子の娘」も眞紀子の言うこ とを聞かず、彼女自身の決意で訴えた。
「これ も世間ではあまりわかってもらえないことだ が、世間に名の知れた親を持つ子どもの苦痛 と負荷は相当なものである」と筑紫は続ける。
たしかに事情はそのようである。
眞紀子が 訴えるつもりなら、これまで、もっと?いい 機会〞があった。
「若気の至り」ともいうべき長女の性急な差 し止め訴訟は、東京地裁裁判官の勇み足もあ って、取り返しのつかない波紋を描いた。
これについて、当の『週刊文春』は四月八 日号の反論第二弾で、立花隆の委曲を尽くし た緊急寄稿を掲載した。
題して「言論の自由 の基本を忘れた裁判所・朝日・読売」 立花は、これらはすべて「悪いのは週刊誌 だという論調」を背景にしていると指摘し、 一九七〇年代にペンタゴンの秘密文書をスッ パ抜いた『ニューヨーク・タイムズ』に政府 が掲載の差し止め請求をした際、最高裁が言論の自由を理由にそれを拒否した判決を下す 根拠となった「ニア対ミネソタ」という判例 を引く。
これはミネソタ州が「公共迷惑法」という 州法をつくり、ワイセツな新聞雑誌並びに 「悪意を持ちスキャンダルで人の名誉を傷つけ る」ような悪質低俗な新聞雑誌に州政府が永 久発行差し止め命令を出すことができるとし たことに対して低劣きわまりない新聞の発行 者ニアが起こした訴訟の判例で、アメリカ最 高裁はミネソタ州法の取り消しを命じたので ある。
立花は前号で、R・ボイントンNY大学教 授が、もしアメリカで文春に出されたと同じ ような出版事前差し止め命令がどこかの社に 出されたとしたら、『ニューズウィーク』や 『タイム』、『ワシントン・ポスト』など全メデ ィアが一致して戦いに立ち上がり、全米の弁 護士が駆けつけて来るだろうと喝破したこと を、『朝日』や『読売』の本質をはずした議論 と比較して引いている。
そして、欧米の言論の自由の原典であるジョ ン・ミルトンの『アレオパギティカ』を紹介す るのである。
これは味読すべき価値がある。
「我々は清浄な心をもってこの世に生まれる のではなく、不浄の心をもって生まれてくる。
我々を浄化するのは試練である。
試練は反対 物の存在によってなされる。
悪徳の試練を受 けない美徳は空虚である。
美徳を確保するた めには、悪徳を知り、かつそれを試してみる ことが必要である。
罪と虚偽の世界を最も安 全に偵察する方法は、あらゆる種類の書物を 読み、あらゆる種類の弁論を聞くことだ。
そ のためには、良書悪書を問わずあらゆる書物 を読まなければならない」 「神が人に理性を与えたときに、選択の自由 も与えた。
神は彼を自由なままにおき、いつ もその目に入るように誘惑物を眼前に置いた。
その自由な状態にこそ彼の真価が存する。
も し彼の行動がすべて許可され、規定され、強 制されたものだったら、どこに彼の美徳の価 値があるか。
どこに彼の善行の価値があるか。
悪の知識なくして、どこに選択の知恵があるか」 私たちは善悪を裁判所に決定してもらわな ければならないほど弱くはない。
自分たちで それを選択するのである。
大体、現在の日本の裁判所はわれわれが信 頼するに足りる所か。
そこにはミルトンの古 典をじっくりと読んでいるような裁判官がい るか? 私にはとてもそうは思えない。
『週刊文春』出版差し止め事件の波紋 言論の自由を再認識させる立花論文

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