*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。
MAY 2004 14
導入効果を得られない理由
米ウォルマート、英テスコといった欧米の流通大手が相次
いでICタグの実用化に踏み切る。 最大の狙いは「シュリンケ
ージ」。 流通過程での盗難や万引きによる損害の防止だ。 これ
までロスが大きかった分、投資効果も期待できる。 しかし、日
本の場合は全く事情が異なる。 (岡山宏之)
今日のICタグの普及で最大の牽引役となっている
のが米ウォルマートだ。 過去三年間にわたりICタグ
の研究を続けてきた同社はすでに、取引高上位一〇
〇社のサプライヤーに対して二〇〇五年一月から全て
のケース/パレットにICタグを添付して商品を納入
するよう要請済みだ。
この方針をウォルマートが明言したのは昨年六月の
こと。 十一月には一〇〇社の担当者を招いて説明会
を開き、「RFID Guidelines and Requirements(I
Cタグに関するガイドラインと要求条件)」と題する
書類を配布した。 そこには二〇〇四年中に一部の倉
庫と店舗でテストを実施し、二〇〇五年一月から取
引先上位一〇〇社にICタグの添付を求めること、さ
らに二〇〇六年末までにその対象を全取引先に拡大
することなどが明記されていた。
一連の取り組みに同社は、向こう五年間で三〇億
ドル(一ドル一一〇円換算:三三〇〇億円)を投資
し、それによって八〇億ドル(八八〇〇億円)の投資
効果を狙っている模様だ。
ICタグの添付によって改善を期待できる分野とし
て、ウォルマートは次の五分野を挙げている。 ?在庫
管理の改善、?在庫の可視化、?運用の改善、?商
品紛失への対応、?資産の追跡――。 こうした改善が
経営に及ぼす具体的な効果として、店舗における棚管
理の強化(販売機会損失の低減)と、店頭在庫の削
減による資産回転率の向上を見込む。
シュリンケージに悩む欧米企業
当面は商品の流れの「可視化:Visibility」に焦点
を当てて活動を進めていくという。 その意味と理由を
理解するには、前提として、米国の流通が抱える「シ
ュリンケージ」について知る必要がある。 帳簿上の在
庫金額より実際の商品在庫が少なくなる現象を指す。
早い話が、窃盗や万引きなどの犯罪行為によって本来
はあるべき商品が目減りしてしまうという話だ。
日本の常識では考えにくいが、米国の小売業者にと
っては頭痛の種だ。 フロリダ大学では毎年、全米の小
売業者を対象にアンケート調査を行い、シュリンケー
ジの実態を「National Retail Security Survey(N
RSS)」として報告している。 二〇〇二年度版では、
全米の小売り業者一一八社から回収したアンケート
調査の結果と分析をまとめた。
同報告書によると、一一八社の売上総額は一兆八
四五〇億ドル(約二〇三兆円)だった。 このうちシュ
リンケージによって目減りした金額は三一三億ドル
(約三・四兆円)。 売上構成比にして約一・七%の商
品が、仕入れから店頭販売に至るプロセスのどこかで
消えてしまったという。 これは二〇〇二年だけの特別
な出来事ではない。 米国では売り上げの一・八%前
後のシュリンケージが毎年、発生している。 シュリンケージの原因は複合的で、「従業員による
窃盗」、「万引き」、「管理ミス」、「ベンダーによるごま
かし」などからなる。 事後に損失理由を特定するのは
不可能だが、NRSSでは各社の担当者に推察して
もらうことで実態分析を行っている。
被害額が大きいこともあって、米国の小売各社は専
門の担当者をおいて損失を抑えようと躍起になってき
た。 しかし、懸命に対策を講じながらもシュリンケー
ジを一定レベル以下に抑制できないことは、従来の管
理手法の限界を示していた。
例えば「従業員による窃盗」の常套手段の一つとし
て、小売りのレジ担当者と外部の人間がグルになり、
来店客を装った外部協力者がAという商品を三ケー
ス購入。 しかし、レジでは一ケース分の代金しか支払
第2部
15 MAY 2004
わずに堂々と持ち去るといったものがある。 これは防
犯カメラや担当者による監視では防げない。
欧州でも同様の悩みを抱える小売業者は少なくない。
世界的に見れば日本の方が特殊なのである。 欧米の小
売業者がICタグに飛びついた最大の理由はここにあ
る。 すべての商品を電子的に追跡し、常に監視するこ
とで犯罪の入りこむ余地を狭めてしまおうという発想
である。
それによって期待できる効果の大きさは、NRSS
の調査結果をウォルマートに当てはめて考えてみると
よく分かる。 同社の米国国内での最新期の売上高は
二〇八七億ドル(約二三兆円)だった。 このうち全米
平均の一・七%をシュリンケージの被害額と仮定する
と、年間約三五億ドル(約三九〇〇億円)の損害が
発生している計算になる。
同社がICタグの導入によって、八〇億ドルのコス
ト削減を見込む根拠の一つがこれだ。 もちろんICタ
グの導入でシュリンケージをどこまで防げるのかは不
透明な部分もある。 だからこそウォルマートは過去三
年間にわたって検証を繰り返してきた。 その上で本格
導入を決断した以上、手応えは得ているはずだ。
日米の流通事情の違い
ウォルマートにとっては、もう一つ確実にコストメ
リットを見込める使い方がある。 店頭管理の充実であ
る。 同社の売場を実際に見たことのある人なら分かる
と思うが、欠品や空棚は日本の小売業の比ではない。
当然といえば当然で、彼らはそういうビジネスモデル
をあえて選択してきた。
同社は中間流通を可能な限り簡素化し、さらに商
品の移動を大ロット化することで原価低減を図ってき
た。 日本の小売業がきめ細かく店舗に商品を供給し、
多くの人手を割いて店頭管理の充実を図るのとは対
照的に、ウォルマートは一定の欠品率を甘受する代わ
りに販売管理費を下げ、ライバルより安く商品を並べ
ることで競争優位を確保してきた。
このコスト・オペレーションによって同社は世界最
大の小売業者に登り詰めた。 とはいえ、欠品による売
上げ機会の損失に課題を感じていなかったわけではな
い。 そこに登場したのがICタグである。 これを使え
ば人手(=コスト)をかけなくても、店頭の棚の在庫
状況をリアルタイムかつ自動的に把握できる可能性が
ある。 仮に〇・五%の機会損失を防止するだけでも、
同社にとっては一〇〇〇億円の売上増を意味する。
マサチューセッツ工科大学(MIT)に九九年に設
置されたICタグの研究機関、オートIDセンターの
活動に、当初のウォルマートはさほど乗り気ではなか
ったようだ。 それが二〇〇一年頃から俄然、本腰を入
れはじめた。 P&Gなどの大手取引先と組んで実験を
繰り返し、実用化の可能性を探った。 途中、計画の修正も迫られた。 実験に取り組みはじ
めた頃のウォルマートは、ケース/パレット単位だけ
でなく、商品単品レベルでICタグを添付することも
検討していた。 これに対応して昨年一月、剃刀メーカ
ーのジレットは五億枚のICタグの購入を発表。 大手
メーカーと大手流通業者による初の本格的な実用化
計画に世界中の注目が集まった。 ところがプライバシ
ー情報の漏洩を理由に消費者団体が計画に強く反発。
激しい不買運動が起こったことから結局、ジレットは
計画を撤回せざるをえなかった。
商品単品レベルのICタグの導入は今のところ消費
者団体に容認される見込みがない。 そのため他の大手
消費財メーカーの多くもジレットと同様に単品レベル
の導入は当面、見送ると公約している。 ただし、バッ
MAY 2004 16
クヤードで使用する分には個人情報の問題は関係ない。
そこから欧米市場におけるICタグの実用化は、ケー
ス/パレット単位に焦点が絞られることになった。
もともとウォルマートのロジスティクスには単品レ
ベルのオペレーションはない。 ケース単位のまま店頭
に陳列する商品も多い。 そのためケース/パレット単
位でICタグを添付するだけでも、実質的には十分な
コストメリットが見込める。
翻って日本では、そもそもシュリンケージの問題が
ほとんど存在しない。 店頭の欠品も桁違いに少ない。
さらにサプライチェーン上の商品の輸送は、かなりの
割合が単品レベルで動いている。 実際、日本の日用雑
貨品卸では数量ベースで約二割にピースピッキングが
必要で、その処理のためにケース商品を含めたトータ
ルコストの約八割を割いているのが実状だ。
こうした流通事情の違いを考えると、日本ではケー
ス/パレット単位でICタグを導入しても、投資に見
合うコストメリットを得るのは困難だ。 そもそも欧米
のように寡占化が進んでおらず、しかも多段階流通を
特徴とする日本でサプライチェーン全体にICタグを
導入しようとすれば重複投資が避けられない。 小規模
の物流拠点が分散している分、投資効率も落ちる。 仮
に将来、多段階の流通の中抜きが発生すれば、そこへ
の投資はムダになってしまう。
国家主導のICタグ?バブル〞
自明に思える日米の流通事情の違いにもかかわらず、
現在の日本でICタグのブームがここまで盛り上がっ
た理由は何なのか。 結論から言うと、それはICタグ
の普及がIT産業の振興策として扱われているからだ。
現場ユーザーのニーズを後回しにしてICタグの普及
を急ぐ。 本末転倒したこの構図が、少なくとも物流分
野に関する限りは空騒ぎというべき現状を招いた。
日本におけるICタグ?バブル〞の生成過程を振り
返ると、ITバブル真っ盛りの二〇〇〇年七月に国
が設置した「IT戦略会議」に行き着く。 まだ当時は
ICタグという概念が普及しておらず、この会議で俎
上に上ったのもICカードだった。 両者は兄弟分とも
いうべき関係にある。 平たくいえば、ICチップを物
品に付けて荷札として使うのがICタグで、カード型
で利用すればICカードとなる。
このときは俎上に乗ったトーンはまだ弱かった。 J
Rのプリペイドカードを始め公的部門が率先してIC
カードを導入することで「ICカードの生産および運
用に関する産業が、携帯電話に続いて日本が得意と
するIT産業として国際競争力を持つようになる」(同
会議の資料より)と期待していた程度だった。
ところがその後、欧米などの影響も受けながら、国
のIT政策におけるICタグの存在感は加速度的に
高まっていく。 二〇〇一年一月にIT戦略会議を引き継ぐかたちで内閣に「IT戦略本部」が設置される
と、そのメンバーとして出井伸之ソニー会長や、通信
技術の世界的権威として知られる村井純慶應義塾大
学教授がIT戦略会議から横滑りする格好で参画。 こ
の組織が「e-Japan戦略」など、現在の日本のIT政
策の背骨ともいうべき指針を生み落としていくことに
なる。
二〇〇二年十二月、村井教授らが中心になりなが
ら、内閣官房として「産業発掘
―技術革新」戦略とい
う報告書がまとめられた。 日本のIT産業をどうする
かという観点で作られたもので、IT戦略本部で承認
を受けた文書である。 このなかでICタグに関する具
体的な方針が示され、国政の中枢レベルで恐らく初め
てICタグの普及振興が規定路線となった。
首相官邸公式
サイトより
17 MAY 2004
同文書のなかでICタグは、産業分野での「きめ細
かな商品管理を無人で可能」とするツールとして、ま
た「食品の履歴情報の提供」を担うものと位置づけら
れている。 そして、この時点から三〜五年後を目標に
ICタグの普及を図ることも明示。 同時に「標準化
活動を中心とした国際的な戦略」を主張する村井教
授らの意向もIT政策の重要課題として示された。
それからわずか二カ月後の二〇〇三年二月、経済
産業省は「商品トレーサビリティに関する研究会」を
発足。 ICタグの国際標準を促進するための地ならし
を行った。 計二回、延べ四時間に過ぎなかった同研究
会で採択された商品コードの体系は、経産省によって
日本の産業界の総意としてISOに申請された。 今
夏にも正式に登録される見込みだ。
このときの急速な動きの背景には、当時、米国のオ
ートIDセンターが進めていたICタグの標準化に対
抗する狙いがあった。 次世代ITのコア技術として脚
光を集めつつあったICタグの分野で、米国に遅れを
とるまいとして打たれた手だった。
標準化を巡る国際競争はその後も目まぐるしく展
開している。 二〇〇三年一〇月にはオートIDセンタ
ーから標準化運動を引き継ぐかたちで米国のバーコー
ド標準化団体「UCC」と欧州の標準化団体「EA
N」がEPCグローバルを設立。 欧米にまたがるIC
タグの標準化団体として再出発した。
そこで中心的役割を果たしているのがウォルマート
だ。 同社はEPCの規格に沿ったICタグの技術開
発に積極的に関与していく姿勢を表明すると同時に、
取引先サプライヤーにもEPCへの参画を強く呼びか
けている。 バーコードの標準化団体と主要ユーザーが
EPCに集結したことで、少なくとも欧米市場におけ
るデファクトスタンダードはほぼ固まった。
ISOの認証登録をベースに独自規格の普及を目
指す日本は苦しい立場に追い込まれた。 このまま日本
がEPCグローバルの規格とすり合わせることができ
なければ、日本の標準化戦略は宙に浮くことになる。
ユーザーの視点を欠く日本
このように、日本におけるICタグの推進は一貫し
て国の主導で行われてきた。 その象徴的な出来事が二
〇〇三年八月の小泉首相による回転寿司店の視察だ。
この回転寿司店での活用事例は、経産省が今年四月に
出した「ICタグの普及に向けた日本の戦略」という
文書の中で実用化事例のトップに登場している。 九月
には小泉首相のメールマガジンでも取り上げられた。
これ以上ないほどトップダウンの政策決定を受けた
関係省庁は、ICタグの実証実験を急速に積極化し、
それが現在のブームにつながった。 技術に明るい学者
や財界人が政治家を動かし、その意向を受けた官僚が
動く。 ユーザー主導で実用化が進む米国とは対照的だ。 この構図が生み落とした結果については、ICタグ
関連のビジネスモデル特許が参考になる。 この分野の
日本でのビジネスモデル特許の数は、欧米のそれに比
べると桁違いに多い。 物流関連だけで五九件が公開さ
れている。 しかし一見する限り、即効性があって、実
際にコストメリットを発揮できそうなモデルはほとん
ど見当たらない(三〇ページ一覧参照)。
ICタグが夢のある技術であることは間違いない。
将来的にバーコードにとって代わる可能性も否定はで
きない。 しかし、物流の実務担当者が焦る必要はない。
実証実験などの結果を確認しつつ、当面はウォルマー
トの動向を注視していれば十分だろう。 導入を急いで
も先行者利益を得られる見込みは薄い。 むしろ失敗に
学べる後発組のメリットのほうが大きい。
|