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佐高信
経済評論家
61 JUNE 2004
数年前、長崎大学に集中講義に行った時、
三菱重工の造船所のある長崎は、いわば?三
菱の街〞で、「三菱の方、県庁の人、市役所の
奴」というコトバがあると聞いた。 それほど
持ち上げられているだけに頭が高いというこ
とだろう。
その三菱重工の分家である三菱自動車も、
社会というか一般を見下ろしている点では変
わりがない。 つまり、会社と社会の間にある
段差が何段もあるのである。 しかし、社員が
それを自覚していないので、何度?反省〞し
ても、繰り返し不祥事を起こすことになる。
私が「日本株式会社」の?社内報〞とヤユ
した『日本経済新聞』の役目は、本来、その
段差を低くするか、なくすることにあった。
ところが、『日経』自身が鶴田卓彦というワ
ンマンの独走を許し、三菱自動車と同じよう
になってしまった。 ジャーナリズムの使命で
ある批判の根拠、立脚点を失ったのである。
西武鉄道の?裸の王様〞堤義明が総会屋事件
でようやく会長を辞任したことが問題になっ
たが、堤に比べれば小型とはいえ、鶴田の会
長辞任も似たような?雪隠詰め〞だった。
その堤辞任を『日経』はどう書くのか、注目
していたら、四月一五日付の同紙にブラック・
ジョーク(悪い冗談)のような社説が載った。
「会長辞任に至った西武鉄道」という見出し
のそれで、同紙はこう書く。
「ようやく最高実力者が自ら事件の収拾に動いたわけだが遅すぎる」
鶴田が「ようやく」会長を辞任した時、同
紙は何も書かなかった。 それでいて「遅すぎ
る」と怒れる神経はなかなかである。
「三月初めに事件が発覚してからの同社の対
応は首をかしげるようなことばかりだった」
と社説は続くが、この筆者は自社の「首をか
しげるような」対応については、まったく頭
に浮かべなかったのか。
「社内処分も『甘い』内容のものを小出しに
してきた」とも書いているが、内部告発をし
た大塚将司に対して懲戒解雇という「辛い」
処分をしたから、ウチは西武鉄道とは違うと
言いたいのかと皮肉りたくもなる。
あるいは、すべてを承知の上で戯画化して
自社のことを書いたのではないかと思いたく
なるほど、この社説はマンガチックである。
謹んで引用させていただこう。
「経営トップに早く辞めろと言いたいのでは
ない。 同社の経営者がどこを向いて事件に対
処しているのか、あいまいだったところが問
題なのである」
「この種の事件を起こした企業の経営者は、
問題の所在を可能な限り解明して社会にきち
んと説明し、必要な社内処分を実施する責任
がある」
笑いをこらえて引かせてもらったが、さす
がに「西武鉄道では、最高実力者の堤氏が辞
任の発表まで記者会見をしなかった」という
記述には吹き出してしまった。 鶴田卓彦はい
まに至っても、きちんと記者会見をしていな
いではないか。
「これではまるで他人事である。 鉄道事業は
社長以下に任されていたというが、それは西
武側の論理である」という指摘も笑えた。
ズルズルズルズルと「日経側の論理」でご
まかしてきたのは、どこの新聞社なのか。
社員株主がほとんどの株主総会で、現場の
記者がどれほど取材に困っているか経営陣は
わかっているのか、という沈痛な声があがっ
たともいわれるが、この社説を書いた論説委
員にも、それらは「他人事」なのだろう。 笑
っているうちに肌寒くなる社説の結びはこう
である。
「これまでの同社の姿勢はオーナー的な堤氏
の方に向いていて、社会とはずれている。 堤
氏は同社の筆頭株主であるコクドの会長であ
る。 西武鉄道が開かれた会社になれるかどう
かは今後の努力にかかっている」
これを書いた筆者の顔が見たいものだ。
本来の役目を果たさず戯画化する『日経』
鶴田問題に蓋をしたまま西武鉄道を叱る
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