ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
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2004年12号
メディア批評
堤義明を叩くまで二〇年かかったマスコミ?解禁待ちジャーナリズム〞の虚しい実情

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

佐高信 経済評論家 65 DECEMBER 2004 一九八六年五月一五日付の『内外タイムス』 のコラム「マスコミ唐竹割り」にこう書いて ある。
筆者の名前が出てくるのでテレくさい が、事実関係を示すためにそのまま引く。
「毎年、五月のはじめになるとユーウツにな る。
例の堤義明の、知性のカケラすら感じら れないタの字面をあちこちの媒体で見せつけ られるからだ。
なぜ五月はじめかというと、四月二六日が 堤康次郎の命日で、成り上がり根性丸出しの 墓参の模様が毎年いくつかの媒体に紹介され るからである。
今年も『週刊文春』、『フライ デー』などが、デカイだけの墓の前にぬかず く義明の写真を意味あり気に掲載していた。
自社従業員に、自分の親の墓掃除や守りを 強要することなど、今日では土建屋といえど もよくしない。
ところが、そうした方面での 経営センスゼロの義明は茶坊主幹部以下社員 たちに平気でそれを命じて恬としている。
不愉快なのは、どのマスコミも広告費欲し さにそうした堤をさも大物のごとく持ち上げ てみせる風潮だ。
まともな人間で堤を面と向 かって批判したのは評論家の佐高信ぐらいで はないか。
あとは、税金を払わぬことを社是 としているかのようなこの二代目田舎者をヨ イショするばかりである。
いやはや後進国な らではのマンガだ」 それから二〇年近く経って、ようやく、堤 義明の?裸の王様〞ぶりが指弾されようとしている。
ここに出ている『週刊文春』や『フ ライデー』もその批判の列に加わっているが、 自分たちが「持ち上げ」たことは忘れたかの ように手きびしい。
奥村宏は日本のマスコミを?解禁待ちジャ ーナリズム〞と批判したが、自ら禁を解くの ではなく、アユ解禁のように解禁となるのを 待って批判を開始する。
その体質はまったく 変わっていない。
ジャーナリズムとは触れて はならぬとされているタブーに挑むことをそ の本質とするのではなかったか。
「マスコミ唐竹割り」の「税金を払わぬこと を社是としているかのような」は『日経ビジ ネス』の「強さの研究」にリポートされた 「法人税ゼロ」を指している。
西武鉄道グループの中核会社、コクド(当 時は国土計画)の経理は、資金の社外流出を 防ぐという点では完璧であり、一九七九年度 以降三年間の納税証明書を見ると、法人税を 支払った痕跡はない。
それについて、ある国 税関係者は、 「大正九年、(先代の)堤康次郎氏が国土計 画の前身である箱根土地を設立して以来、こ の会社は法人税を支払ったことがないのでは ないか」 とまで言っている。
一億円でも利益が出て いれば法人税がかかるはずなのに、コクドは 利益を出し、配当を続けながら法人税はゼロ だった。
プリンスホテルを含む西武鉄道グル ープ約七〇社のうち、上場企業は西武鉄道と 伊豆箱根鉄道だけなので、そのカラクリは不 明だが、『日経ビジネス』は、さまざまな仮説 を立てて真相に迫っていた。
しかし、マンガをマンガでなくするために 二〇年もかかったわけである。
私は、いま、 堤義明が叩かれれば叩かれるほど、マスコミ の無力さを感じる。
非力さと言ってもいい。
彼らはそれをごまかすために、義明を叩いて いるのではないかとさえ思うのである。
現代のマスコミのタブーの一つが創価学会 だが、池田大作が堤義明のようにその横暴ぶ りを白日の下にさらされる日は来るのか。
義明は、会社をどう動かすかは自分がすべ て決めるから社員に頭は要らない、と広言し てきた。
そして、秘書嬢には、客に対し、片 膝をつかせてあいさつをさせていたのである。
魯迅は「暴君治下の人民は暴君よりもさら に暴である」と喝破した。
裸の王様の取り巻 きたちは、王様よりもいばるということであ る。
マスコミもそうかもしれない。
堤義明を叩くまで二〇年かかったマスコミ ?解禁待ちジャーナリズム〞の虚しい実情

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