ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年12号
特集
物流マンのIQ 脱・子会社を実現したチェンジリーダー

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

DECEMBER 2004 24 子会社出向の辞令に落胆 S社は関東圏を中心に事業を展開するアパレル品・ 日用雑貨品製造小売りの物流子会社である。
著者が 某外資系証券会社の紹介でS社のK社長とお会いし たのは、七年ほど前にさかのぼる。
当時、S社は年商 二〇億円という規模で、社名に親会社の冠こそついて いなかったが、親会社向けの売り上げが全体の九五% を占めていた。
初対面の時に交換したK社長の名刺には、親会社 の部長の肩書きが書かれていた。
親会社の人事異動で、 翌月からS社に社長として就任するという話だった。
K氏は入社以来ずっと親会社の管理畑を歩み、ゆく ゆくは取締役はもちろんトップをもうかがえる人材と して、将来を嘱望されたエリートサラリーマンだった。
そんなK氏が物流子会社の社長に起用されたのは、 親会社への依存体質が目立っていたS社の建て直し が目的だった。
必ずしも左遷というわけではなかった が、K氏が自ら望んだわけではない。
少なくともK氏 にとって子会社への出向は、キャリア的な遠回りを宣 告されたのと同じであった。
実際、K氏は辞令がおりるまで自分が物流子会社 に出向になることなど全く予想もしていなかった。
物 流の現場を経験したこともなかったし、知識も持ち合 わせていなかった。
筆者との初めての面談でも「物流 とは一体何ですか」と言ったレベルで、何から手をつ ければよいかわからないという状態であった。
気持ちは分からないでもなかった。
S社は親会社を 背景とした「資金力」だけが唯一の強みであった。
物 流会社の生き残りに不可欠な「提案力」「現場改善力」 「コスト競争力」などは皆無といってよかった。
しか も社名に親会社の冠がないため、一般的な物流子会 社のようにブランド力・知名度で戦うこともできない。
改革が容易ではないことは明白だった。
初対面から約一カ月後、S社の社長となったK氏 が改めて弊社に連絡を入れてきた。
「ようやく正式に 就任しました。
ついては話し合いの場を持たせて下さ い」とのことであった。
早速、筆者はK氏の待つS社 の本社事務所を訪れた。
受付を済ませると事務の女 性社員の案内で応接室に通された。
応接室といっても、 電算室を改装した外から丸見えの部屋に、肘掛けナシ のイスが無造作に並べられている殺風景な造りだった。
出迎えてくれたK社長は、部屋の様子を見て困惑 した表情を浮かべ、挨拶もそこそこにいったん席を外 した。
待つこと一〇分。
戻ってくると「申し訳ないで す。
S社には社長室がないんですよ」と頭を下げた。
面談に相応しい部屋を探してみたものの、見つからな かったようだ。
高級なソファーセットを備えた応接室 を与えられていた親会社の部長時代とは大きく違う、 まさに環境適応からの船出であった。
それからK社長と週一回のペースで会い、物流業界 についてのレクチャーを行うことになった。
K社長の 吸収力は、さすがにエリートと呼ぶに相応しいものだ った。
会うたびに情報を知恵に変え、筆者に鋭い質問 をぶつけてくる。
愚痴をこぼしがちだった当初の口調 も徐々に建設的なものに変わっていった。
さらに一カ月が経ち、K社長は改革の骨子をまとめ た。
筆者がそれを見たのは、まだ役員会のメンバーに も話していない草案の段階であった。
K社長は自分の 任期を二年、長くても三年と決め、それを前提に次の ように改革の概要と手順を定めていた。
?親会社からの出向メンバーに危機感を共有させる ?3PL企業への進化に向けた外販比率向上と提案 営業の推進 流通系物流子会社S社 脱・子会社を実現したチェンジリーダー 売り上げの大部分を親会社に頼る物流子会社。
経営幹部はいず れも親会社からの天下りで、どっぷりとぬるま湯に浸かっていた。
それがわずか二年で外販比率65%を誇る有力企業に生まれ変わっ た。
物流については全くの素人、しかしリーダーシップに溢れた 熱血社長がゴーン改革さながらの大手術を成功させた。
日本ロジファクトリー青木正一 代表 事例で学ぶ現場改善《特別版》 25 DECEMBER 2004 ?高付加価値物流センターの開発 ??に伴う本社移転 ?中間管理職の育成 「?親会社からの出向メンバーに危機感を共有させ る」について、S社には一般的な物流子会社の例に漏 れず親会社からの片道切符の出向者が少なくなかった。
多くは本社で営業や生産部門などを経た後、本社物 流部に異動。
その後にS社に出向という流れであった。
定年になるまでの年数を指折り数えているような出向 者たちには当然、危機感が欠如していた。
熱心に机に向かう常務のパソコンをこっそりのぞい たところ、ポーカーゲームを楽しんでいることが分か り、唖然とさせられたこともあった。
もっとも驚くま でもないのだろう。
ミッションなき子会社への出向者 には、この常務のような?企業内失業者〞とも呼ぶべ き人物が現実に少なくないのである。
改革の実施に先立ち、休日を使って親会社の保養 所で少人数の研修を実施することにした。
K社長が御 膳立てした経営幹部研修であった。
出席した五人の 幹部たちはいずれも親会社出身者で、物流の実務はほ とんど知らない。
K社長の就任以来、幹部たちの間に もさすがに多少はピリピリした空気が出てきていたが、 何一つ具体的なアクションには至っていなかった。
研修は、物流業界の現状と業界におけるS社ポジ ション、S社の強み・弱み、S社の将来の方向性など をテーマに、ディスカッション形式で半日実施した。
この研修を通して筆者は、メンバーの中にK社長と共 に改革を実行できる人物を見つけたいと期待していた。
しかし、結果はノーであった。
皆、頭でっかちで保身 型の人間であった。
それでも収穫はあった。
自分で判断して動くことは できないが、指示されれば最低限の任務を果たすこと はできるY取締役を見出すことができた。
彼を社外・ 社内の調整役に仕立て改革を進めていくことになった。
改革のキーマンを探す 結局、改革の真のキーマンは幹部ではなく、物流子 会社のプロパー社員の中にいた。
このプロパー社員T 氏は某物流専業者からS社に転職したものの、次々 と変わる天下りの経営幹部と、何をやっても正当に評 価されない組織体制にかねてから不満を持っていた。
その点がK社長の目にとまり、改革を担う中間管理 職として白羽の矢が立ったのだ。
次のステップ「?3PL企業への進化に向けた外 販比率向上と提案営業の推進」は物流子会社の方向 性としては定石と言えるものであった。
ベンチマーク の対象として当時から既に有力3PLとしての地位を 築いていた上場物流企業B社を選び、K社長が音頭 を採って各方面からB社に関する情報を集めた。
同時にK社長は足元を固めることも忘れなかった。
親会社時代の人脈や金融機関に呼びかけて営業案件 の獲得に努めた。
その甲斐あってX銀行の紹介で中堅 日用雑貨メーカーP社の案件が持ち込まれた。
K社 長就任から四カ月目のことだ。
これがS社にとって、 初ともいえる本格的な外販案件になった。
それまでもS社は親会社向けの事業でP社と同様 の日用雑貨品を取り扱っていたため、新規案件といっ ても心理的な抵抗感は少なかった。
しかし親会社とは 異なり、P社の販売先は量販店向けがメーンであった ため商品の「回転率」に雲泥の差があった。
親会社の 約五倍という回転率であった。
当然、一日当たりの受 注数、出荷頻度、作業効率などが全く違ってくる。
慣れない作業に現場は当初、混乱を極めた。
K社 長をはじめ幹部や事務スタッフまで総出で徹夜をする DECEMBER 2004 26 こともしばしばであった。
結局、混乱は一カ月ほど続 いた。
この時の悪戦苦闘ぶりは七年たった今でも社内 で話題に上るほどの逸話となっている。
しかし、この苦労がS社に様々な効用ももたらした。
まず現状の体制で対応できる限界と課題、S社に何 が足りないかが明確になった。
新たな発見もあった。
自社ではそれほどでもないと認識していた「システム 力」が、量販店の受注などにも対応できたことで一定 のレベルに達していることが分かった。
K社長は「なんとかなる」と手ごたえを感じ、これ を機に外資系アパレルメーカーを新たな営業ターゲッ トに据えた。
メンズ・レディスのカジュアルブランド の物流コンペには必ず参加するようにした。
戦績は勝 ったり負けたりで五分の戦いであったが、着実に荷主 は増えていった。
新規荷主開拓の原動力となったのが前述のプロパー 社員、T氏の営業力であった。
T氏は自社で対応す る業務と同業者に依頼する業務を切り分け、協力し てくれる同業者を見つけるのがうまかった。
S社をヘ ッドとした協力業者とのネットワークで対応する、こ の「連合軍」でほとんどの物流コンペを戦った。
T氏は文字通り東奔西走し、一日四〜五社の物流 会社を訪問していた。
そしてまだ提案営業と言えるレ ベルではなかったが、T氏オリジナルの提案書と見積 書を持ち、物流コンペにせっせと足を運んだ。
筆者も T氏に帝国データバンクの企業情報の活用方法などを 伝え、荷主、物流企業の事前情報収集を支援した。
その結果、今ではS社はアパレル・日用雑貨以外 にも業務用機部品や食品などに取扱いを拡大させてい る。
ちなみに、S社が物流コンペや提案型営業で受注 にたどりつけた理由の一つに社名があった。
社名に親 会社の冠のないことが逆にプラスになった。
会社説明 で物流子会社であることを隠すわけではなかったが、 冠のないことで荷主には「中立性のある物流会社」と 評価されたのであった。
先行投資で事業を拡大 「?高付加価値物流センターの開発」は、以下のよ うな様々な要素を背景にして打ち出された方針だった。
もともとK社長は3PLにはアセット型が有利という 考えを持っていた。
車両は傭車でまかなえても、セン ター/倉庫は自社所有することによるメリットのほう が大きい。
それによって流通加工業務などを請け負え る、という発想だ。
もともとS社には投資余力があったうえ、親会社は 遊休地を抱えており、これを安く賃借できる環境にあ った。
またK社長には、在任期間中にS社の再建に 貢献したことを示すシンボルを残しておきたいという 気持ちもあったようだ。
もっとも、これらの理由だけなら、筆者としては 「待った」をかけたいところだ。
しかし新規受注が増 えたことで、既存の三カ所のセンターは既に手狭にな っていた。
今後も売り上げの拡大を続けて行くには先 行投資も間違いとはいえなかった。
前向きな投資には 社内の士気を高める効果もある。
こうして延べ約二〇〇〇坪の新センター建設が決 断された。
着工から一年、一階には荷捌きレーンと流 通加工スペース、二階に保管スペースを擁した立派な 物流センターが完成した。
結局、この新センターが同 社の武器となり、その後の荷主拡大に大きく貢献する ことになった。
さらに兄弟会社である食品スーパーの受託をきっか けに冷凍・冷蔵・チルド分野にも手を拡げた。
定温 物流には一般物流とは異なる運営ノウハウが必要だ。
第1部 基本内容 第2部 第3部 第1部 第2部 第3部 マーケティング コース 提案営業の進め方 マネジメント コース 高品質物流サービスを 目指して 物流会社における提案営業 のあり方 提案営業ツールパッケージ 20の作成? 荷主情報収集とアプローチ のポイント 物流ABC(原価計算によ る応用と提案方法) 物流コストの把握による 改善提案手法 配送員・パートの教育管理 方法 物流現場で使える「物流コ ストダウン9つの方法」 提案営業ツールパッケージ 20の作成? 物流管理指標による 現場マネジメント 他社との差別化のための 物流サービス品質の向上 第1回 第2回 第3回 コストダウン9つの方法? コストダウン9つの方法? 荷主固定客化提案手法 事例研究 (ケーススタディ) 事例研究 (ケーススタディ) 各回  確認テスト  質疑応答 各回  確認テスト  質疑応答 現場マネジメントの考え方 物流現場予算の組みかた 在庫管理手法 (在庫差異の撲滅方法) カリキュラム 例 物流マネージャー育成講座(マーケティングコース・マネジメントコース)カリキュラム例 資料:日本ロジファクトリー 27 DECEMBER 2004 そのため定温物流の専門業者と提携。
当初は担当者 を派遣してもらい対応した。
インフラ投資も行った。
定温物流進出から三年後、 既にK社長は退任していたが、前述の新センターに隣 接して三温度帯の食品物流センターを完成させた。
周 辺エリアに同タイプのセンターがなかったため、現在 では、ほぼ満庫状態となっている。
「?センター建設に伴う本社移転」も計画通り実施 した。
それまでS社の本社は親会社の物流部と同じ建 物内にあった。
エレベーターの中で親会社の物流部と 外販好調のS社のメンバーがかち会うと独特な雰囲気 に包まれた。
「脱・子会社」を目指すK社長はじめと した改革メンバーにとっては、鼻をつまみたくなるよ うな建物であった。
そこで物流センター完成と同時に S社は本社を移転させた。
「?中間管理職の育成」は、K社長就任中には実現し なかった。
もともと時間のかかるテーマであることに 加え、ぬるま湯体質の幹部・中間管理職の意識を変 えるのは容易なことではない。
それでも先ずは正攻法 の研修という方法を取ることにした。
カリキュラムの 作成は実務を熟知し、自社の体質に危機感を持って いた現場担当者に任された。
筆者はその担当者と打ち 合わせて、人材育成の基本方針を確認しあった。
その 基本方針とは、「やる気と向上心のある人物とそうで ない人物を分ける。
そしてやる気と向上心のある人物 に対してだけスキルアップ・レベルアップを図る」と いうものであった。
やる気のある人物を見出すため、最初にやや精神論 的な意識改革研修を管理職全員対して実施し、感想 文を提出させた。
それを元に、我々NLFと現場担 当者で振り分けを行った。
結局一五人ほどの人員に 絞られた。
彼らを対象に本格的なマネージャー育成研 修を実施した。
この研修は現在も継続している。
教育研修の効果測定は難しい。
しかし改革着手か ら七年でS社の年商は当初の二倍、四〇億円近くに 拡大している。
同時に九五%を占めていた親会社向け 売り上げ比率は激減。
現在は外販比率が六五%を超 えた。
今もなお新規荷主は増え続けている。
改革のキ ーマンとなったプロパー社員のT氏は現在、部長に昇 格し、組織を引っ張っている。
素人社長の凄さ K社長は公約通りS社を二年で卒業し、その後も 別の関連会社改革に起用され、やはり二年で改革を 成功させた。
現在は既に引退しているが、この?リト ル・ゴーン〞とも呼ぶべき改革リーダーの活躍は筆者 には印象的であった。
独断力、わがままなほどの実現 力、威圧感とアクを持っている。
そして「モウレツな勉強家ですよ」と、紹介者であ る外資系証券会社の担当が言った通りの熱い人物であった。
実際、就任六カ月目には物流のプロ経営者に すっかりなり切っていた。
改革には反対勢力がつきも のであるが、S社の場合はK社長のキャラクターと熱 意、姿勢がそれを限りなく無にさせた。
これは筆者には大きな出来事であった。
大企業のエ ースクラスともなると、やはりこれぐらい優秀なのか と思うと同時に、物流業界の常識に縛られないK社 長の?素人性〞の威力には唸らされた。
それとは対照 的に現在の物流業界には?負け組〞とされる企業に 何もせずに居座る経営者が珍しくない。
「業界の革命 者は異業種から現われる」と言う。
そしてビジネスに は幕を開ける人物と継承していく人物、そして幕を閉 じる人物がいる。
K氏の物流業界における活躍をもう 一度見てみたい。
そう思うのは私だけだろうか。
あおき・しょういち  1964年生まれ。
京都 産業大学経済学部卒業。
大手運送業者のセールス ドライバーを経て、89年 に船井総合研究所入社。
物流開発チーム・トラッ クチームチーフを務める。
96年、独立。
日本ロジフ ァクトリーを設立し代表 に就任。
現在に至る。

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