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DECEMBER 2004 28
建値からオープン価格への移行
「卸さんの理解を得るためにずっと活動してきたが、
やっと前向きに取り組んでもらえるようになった。 当
初は卸さんとしても『本当にできるの? うちがやっ
てもまたヨソの卸が値下げするんじゃないの?』とい
う不安が大きかったようだ。 しかし、ようやく今こそ
千載一遇のチャンスと、小売りさんに見積もりを持っ
ていってくれるところまできた」
キリンビール・酒類営業本部の流通戦略(SCM)
室で、今回の取引制度改革に携わってきた小鹿幸治
氏はこう胸をなでおろす。
キリンは今年一月、三〇年来守り続けてきたビー
ル・発泡酒の「建値制」の廃止を宣言した。 メーカー
主導で表示していた希望卸売価格、希望小売価格を
放棄し、二〇〇五年一月からは「オープン価格」を導
入する。 新たな価格制度では、キリンは生産者価格し
か設定しない。 卸や小売りなどの流通業者は、ここに
取引コストや利益を上乗せして自ら売価を決める。
オープン価格の導入と同時に、流通に対するリベー
ト(割戻金)制度も抜本的に改める。 これまでキリン
のリベートは、販売数量に応じて支払う「応量謝礼」
(応量リベート)と、受注方法や物流など卸の効率化
に対して支払う「機能謝礼」(機能リベート)の二本
立てだった。 これを二〇〇五年一月から機能リベート
に一本化し、物流や取引などのコスト削減に寄与した
流通業者に対してのみ支払うように変える。
キリンが今回、「三〇年目の大改革」と自負する制
度改革に踏み切ったのは、ビール・発泡酒をめぐる近
年の際限のない安売り競争に歯止めをかけるためだ。
これを実現するには、キリンだけでなく、ビール業界
が一丸となって取り組む必要がある。 このためにキリ
2005年1月から国内ビールメーカー4社の取引制度が
変わる。 価格体系を「建値制」から「オープン価格制」
に移行。 累進制だった「販売リベート」を「機能リベ
ート」に転換する。 欧米流の取引制度の普及が、中間
流通のロジスティクスを一変させる。 (岡山宏之)
解説欧米化する日本の中間流通
29 DECEMBER 2004
特集2
ンは、今年一月の発表から実施までに一年間という長
い準備期間を設けた。
キリンの思惑通り、今年四月にはアサヒビールが同
様の方針を発表。 一〇月にはサッポロビールとサント
リーも追随し、国内の大手ビールメーカー四社が足並
みを揃えた。 細部の違いはあっても、建値制を廃止し、
これまで安売りの原資にまわっていた販売リベートを
見直す点では四社とも同じだ。
談合すれすれの話にも聞こえるが、体裁を気にして
いられないほど値崩れは凄まじい。 キリンの調査によ
ると、発泡酒の三五〇ミリリットル缶をケース単位
(二四本)で購入するときの実勢価格は、メーカー希
望小売価格が三四八〇円(一本当たり一四五円、税
抜き)なのに対し、大手スーパーや酒類ディスカウン
トショップなどでの平均的な特売価格は二六八〇円
(同一一一・七円)となっているという(図1)。
これだけでは値崩れの実感がわかないかもしれない
が、ビール・発泡酒の売価には酒税が含まれている。
酒税は工場から出荷する時点で発生し、売価がいくら
であろうと本数に応じてメーカーが国に納めなければ
ならない。 たとえば三五〇ミリリットル缶の発泡酒で
あれば、一本当たり四七円の酒税がかかる。
つまり一一一・七円の発泡酒は実質的には一本六
四・七円で売られていることになる。 メーカー・卸・
小売りはここから利益とコストを捻出しなければなら
ない計算だ。 ケース単位の価格とはいえ、これではた
しかに厳しい。 現在、流通事業者にとってビール・発
泡酒は、極めて利幅の薄い商材になってしまった。 と
りわけ卸へのしわ寄せが大きい。 経営規模の大小を問
わず、食品卸の酒類販売に関する収支は軒並み赤字
だという。 このままでは業界の将来はないという危機
感が、今回の取引制度改革へとつながった。
応量リベートから機能リベートへ
もっとも小売りにしてみれば、原資がなければ値引
き競争はできない。 その安売りの原資になってきたの
が、メーカーが流通に支払う販売リベートだった。
九〇年代に酒類販売の分野でも急速に台頭した大
型小売店は、販売量に応じてメーカーから事後に支払
われるリベートを見越して店頭価格を下げ、それによ
って売上高を増やそうとした。 ところが、いつしかこ
れがリベートに依存する経営へと変質し、リベートを
もらうために無理な安売りをして大量に売るという悪
循環に陥ってしまった。
キリンのようなビールメーカーは直接、小売りとは
価格交渉をしない。 従来通りすべて卸を介している。
だが、もはや卸に小売りをいさめる力はなくなった。
この構図にビールメーカー同士の熾烈なシェア争いが
加わって、店頭価格は完全に一人歩きをはじめた。 酒
類ディスカウンターを中心に「隣の店はもっと安いから値下げしよう」という安売り合戦がエスカレートし、
メーカーの意思で価格を制御することが不可能になっ
てしまった。
九〇年代後半になると、この状況を見かねた国税
庁や公正取引委員会によるビール業界への指導が頻
発した。 二〇〇一年にはビールメーカーも取引の正常
化に本腰を入れ、ようやく不毛な競争に歯止めが掛か
るかに思われた。 ところが二〇〇二年五月に、またぞ
ろ業界を揺るがす値下げ競争が勃発した。
当時、急成長していた発泡酒に対するシェア争いの
一環で、メーカー各社が一部の発泡酒の希望小売価
格を揃って一〇円引き下げたのである。 ビール業界の
関係者ですら「まったくバカげた値下げ競争」と自嘲
するこの行為によって、さらなる消耗戦がスタートし
キリンビール・酒類営業本部、
流通戦略室(SCM)の
小鹿幸治氏
図1 ビール・発泡酒の価格構造 (単位:1缶あたり)
出典:キリンビール
発泡酒350缶
(希望小売価格)
発泡酒350缶
(特売)
ビール350缶
(希望小売価格)
ビール350缶
(特売)
\0.0 \50.0 \100.0 \150.0 \200.0 \250.0 \300.0
\145(消費税抜き)
\111.7(消費税抜き)
\165.8(消費税抜き)
\218
(消費税抜き)
\98.0
\64.7
\140.0
\87.8 \78.0
\78.0
\10.9
\8.3
\47.0
\47.0
\7.3
\5.6
酒税比率:34→45%
酒税比率:31→40%
※特売価格はSM/DSの店頭価格調査(当社調べ)の1箱あたりの平均消費税抜き特売
価格(発泡酒2,680円・ビール3,980円)を1缶あたりに換算した。
※通常広報上で使用するビールの酒税率は大びんの希望小売価格に基づくものを使用し
ており、その際の酒税率は46.5%となる。
酒税率の低い発泡酒でさえ、特売時にお客様にご負担いただく税率は消費税も合わ
せると45%にも上る。 その際、税抜き価格は1缶64.7円となり、メーカー・卸・小売り
各々は取引にかかわるコストを十分転嫁できていない。
酒税抜き価格 酒税額 消費税額
DECEMBER 2004 30
た。 発泡酒の登場でただでさえ分かりにくくなってい
た店頭価格は、ますます不明瞭になり、店頭価格は混
乱をきわめた。 価格を正常化しようとする動きなど吹
き飛んでしまった。
二〇〇二年六月、卸の業界団体である全国卸組合
中央会がついに切れた。 メーカー主導で「これまで以
上に過度なシェア争いが起きる」ことを懸念し、卸業
界は足並みを揃えて公正取引を遵守すると宣言。 強
い態度でメーカーにも実行を迫った。 これを受けたメ
ーカー四社は翌七月に「自主ガイドライン」を設定。
今度こそ値引き競争に歯止めをかけると意志表示した。
このガイドラインによって、不透明なリベートの縮
小はかなり進んだ。 しかし店頭の値崩れを反転させる
までには至らなかった。 ある一つの出来事が流れを変
えてしまったからだ。 「メーカーの意向を受けて、あ
る卸が小売りに高い見積もりを持っていったところ取
引を切られてしまった。 この話が業界にパーッと広が
ったことで、店頭価格を是正しようという動きは一気
に凍りついてしまった」(キリン・小鹿氏)
卸とメーカーが業界ぐるみで現状を打破すると誓っ
たにもかかわらず、現実には安売りをする卸が出てし
まった。 自主ガイドラインという拘束力のない制度の
限界だった。 もはやメーカーには、自らの取引制度に
メスを入れるしか道は残されていなかった。
こうした経緯があったため今回、キリンは販売リベ
ートをいったん全廃し、機能リベートに一本化するこ
とを決めた。 新たな機能リベートの内容は非公開だが、
ビールメーカー四社の内容はほぼ似通っている模様だ。
業界関係者の話を総合すると、だいたい以下の六つの
ポイントが共通項になりそうだ。
?累進制ではない大口割引、?パレット単位での
受注、?工場での生産性向上のための早期受注、?
売掛金回収サイトの短縮、?オンライン受発注、?
流出パレットの回収――。 それぞれの項目について協
力度の高い卸に機能リベートを支払う。 物流効率化
に関する項目が多い点に注目してほしい。 二〇〇五年
一月に新たな取引制度が動き出せば、中間流通の物
流効率化は確実に後押しされることになるはずだ。
取引制度が中間流通のあり方を規定する
メーカーによる取引制度の改革は、中間流通のロジ
スティクスのあり方に大きな影響を及ぼす。 そして、
変化はメーカーと流通が呼応しあいながら進む。 経済
環境が大きく変化した九〇年代には、食品や日用雑
貨を扱う大手グロサリーメーカーが相次いで取引制度
の改革に踏み切った。
この分野の第一人者である拓殖大学商学部の根本
重之教授の調べによると、代表的なところだけでも九
一年ライオン、九二年桃屋、九三年カゴメ、九五年
味の素と続いた。 さらに九〇年代末になると従来の日
本企業にはなかった取引制度が続々と生まれた。
いま制度改革を行う企業が、必ずといっていいほど
ベンチマークしているのが、九九年に日用雑貨品メー
カーのP&Gファー・イースト・インクが導入した取
引制度である。 同社は卸でも小売りでも同じ条件で商
品を販売する。 そこでは買い手の持つ物流機能によっ
て価格に差がつく。
このP&Gの取引制度の策定に参画した経営コン
サルタントは、「取引制度はビジネスのあり方を規定
する。 従来のビジネスのあり方を変えたければ、取引
制度の構造や中身を変えなければならない」と強調す
る。 実際、P&Gの取引制度は明快な事業戦略に基
づいている。 優れた物流機能を持つ顧客が有利になる
ように設定することで、時間をかけて中間流通そのも
営業革新
出典:『新取引制度の構築』(根本重之著)
取引制度 チャネル情報
システム
図2 取引制度の戦略展開上の位置付け
市場、流通などの環境の変化
事業戦略
チャネル戦略
特集2
31 DECEMBER 2004
のを高度化していこうとする意志が込められている。
それを実現するために、多少の波風が立つことも甘
受した。 実際、新しい取引制度を導入した直後に同
社の売上高は一時的に落ち込んだ。 それでもサプライ
チェーンの効率化を推進することが中長期的には競争
力強化につながる。 取引制度の内容が合理的で公正
なものであれば、いずれは競合メーカーも同じ方向に
動くという確信があった。 この読み通り、ほどなく日
本リーバやライオンといった日雑メーカー大手が後追
いした。
P&Gの取引制度のポイントは「メニュープライシ
ング」と呼ばれる価格体系だ。 機能の対価をメニュー
化し、それを卸や小売りにも公表する。 その一方で、
センターフィーや協賛金などのメニューにない支払い
要請は一切拒否する。 過去の日本ではあやふやだった
流通との役割分担を、欧米流に明確に規定し直す制
度といえる(本誌三四ページ参照)。
コストオンによる透明な価格体系
これと比較すると、ビール業界の今回の取引制度に
はまだ多くの課題が残されている。 たとえばキリンは
今回、リベートを機能リベートに一本化するが、「実
質的には、応量リベートを失う大手卸に対する補填に
過ぎない」(食品メーカー幹部)という厳しい見方が
少なくない。
現にキリンも「今回の取引制度の変更はリベート費
用の削減が目的ではないため総額は横這い」だという。
つまり、流通段階にメーカーから流れる金額は従来と
同じで、しかもその配分ルールが小売りには見えない。
このような取引制度では、再び流通段階で腹の探りあ
いが始まらないとも限らない。 過去に値引き交渉が発
生してきた最大の理由は、情報が不透明だったからだ。
価格体系に不明朗な部分が残されている限り、買い
手は可能な限りの金額を引きだそうとする。
これを防ぐ価格制度が「コストオン」と言われる考
え方だ。 従来のように希望小売価格からの値下げ額で
交渉するのではなく、取引コストや利益といった流通
上の必要金額を積み上げて売価を決める(図3)。 ビ
ール業界のオープン価格制度も基本的には同じだが、
卸のコスト把握が甘いことや、過去の商習慣を引きず
っているためまだ欧米流の分かりやすさには程遠い。
トップシェアを競い合うキリンとアサヒにとって累
進リベートの効果はもはやない。 しかし、下位メーカ
ーが、ここぞとばかりにシェア拡大のために販促費を
投入するという可能性は否定できない。 メーカーの足
並みが乱れれば、業界ぐるみの取り組みがまたしても
空中分解する。
既存顧客への遠慮から急激な変化を避けたビールメ
ーカーにとって、今回の制度改革は最初の一歩に過ぎ
ない。 不備があったら段階的に手直しして行くしかない。 ただし今後、再び取引制度を手直しするときには、
より明確な戦略と覚悟が問われることになる。 P&G
の取引制度は何も理想を追い求めた結果、生み出さ
れたわけではない。 世界標準だから強行したのでもな
い。 その方が合理的で、花王という日本市場のガリバ
ーを追撃するうえで有効と判断したからやったに過ぎ
ない。
歴史的なしがらみの多い日本の食品産業で、すぐに
欧米流の取引制度がスタンダードになるとは考えにく
い。 しかし、仮にダイエーの再建が米ウォルマートに
委ねられるといった変化が続けば、近い将来、日本市
場の商習慣がガラリと変わる可能性もある。 出遅れた
プレーヤーは、そのときに厳しい立場に追い込まれる
ことを覚悟しておく必要がある。
販売
管理費
利益
図3 コストオンによる価格設定とは
従来の価格設定方法
生産者価格
リベート
ネット生産者価格
希望卸売価格
値 引
小売粗利
ネット卸売価格
希望卸売価格
値 引
小売粗利
ネット卸売価格
メーカー 卸 小売店
取引にかかわるコストを
把握できていないため、
結果として利益がでてい
ない場合も考えられる
これまでの取引では希望
小売価格からどれだけ値
引きできるかが商談の中
心であり、過大な値引き
になりがちである
コストオンによる価格設定方法
生産者価格
メーカー
卸仕入価格
取引必要
コスト
卸
小売仕入価格
小売店
利益
出典:キリンビール
取引にかかわる費用に適
正な利益をプラスしていき、
納入価格を決定していく
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