ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2003年1号
CLO
「Y2Kで思い知らされた日米間格差

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

本企業と欧米企業のマネジメントの違 いを探るうえでも有用のため、今回は Y2Kへの対応を振り返りながら日 米の企業について考えてみたい。
Y2Kは日本の食品メーカーにと って大きな転換点だった。
このとき結 果として日本企業の多くが、情報シ ステムの世界でよく言われるダウンサ イジングの流れと、完全に逆行する選 択をしてしまった。
これによって従来 から存在していた日米のIT格差は、 一段と開くことになったと私は認識し ている。
日本でY2Kが注目され始めたの は九八年以降の話だ。
各企業の対策 が社会問題でもあるかのように喧伝さ れ、マスコミを賑わすようになったの も同じ時期に入ってからだった。
この ことを裏付ける材料として、本誌の編 集者が日本経済新聞の過去の関連記 JANUARY 2003 54 「コンピューター2000年問題」 への対応は、日本の食品メーカーにと って大きな転換点だった。
日本企業の 大半が九八年くらいから対策を本格 化したのに対し、米クラフトフーヅは 既に九五年に本腰を入れていた。
しか も彼らは二〇〇〇年一月一日に発生 するであろう事態にどう対処するかだ けでなく、なぜ問題が発生したのかを 徹底的に追及した。
このときの対応の 違いが、双方の差をさらに広げてしま った。
対症療法に終始した日本企業 私がロジスティクスを学んだ米クラ フトフーヅでは、問題解決の際に、ま ず究極的な到達点を描くことからスタ ートする。
例えば、小売業者の立場で 物流の効率化を考えるのであれば、す べての商品の店舗納品を一回で済ま せることが究極のゴールになる。
また メーカーの立場では、在庫をゼロにで きれば、そのための物流コストもゼロ にできるといった具合に考える。
在庫ゼロというのは現実には不可能 のため在庫管理が必要になるわけだが、 ようは問題解決に臨む姿勢が一般的 な日本企業とはまったく違う。
最初に あるべき姿を描いて取り組むのと、そ れをせずに単に非効率な状況の改善 を進めるのとでは、結果はまったく異 なってくる。
これは何もロジスティク スに限った話ではない。
つい数年前にも、この日米企業の 姿勢の違いが如実にあらわれた一件が あった。
いわゆる?コンピューター二 〇〇〇年問題〞(Y2K)への対応で ある。
情報システムの世界の話ではあ るが、ロジスティクスと情報システム が不可分なことは周知の事実だし、日 事を調べてみてくれた(図1)。
これによると、日経四紙で取り上げ られたY2Kに関する記事の本数は、 キーワード検索で調べる限り九九年の 大晦日までに累計二四八二件あった。
このうち二割が九八年で、七割は九 九年に掲載されている。
九五年に初 めて年間三件の記事を取り上げて以 味の素ゼネラルフーヅ 常勤監査役 川島孝夫 「Y2Kで思い知らされた日米間格差」 《第2回》 図1 Y2Kに関する日経記事の本数の推移 2,000 1,500 1,000 500 0 94年 0件 3件 55件 142件 1,796件 95年 96年 97年 98年 99年 486件 55 JANUARY 2003 降、マスコミも直前になって大騒ぎし たことがよく分かる。
多くの日本企業の関心度の変化も、 これと似たりよったりだった。
もちろ ん、それ以前にもシステム部門の担当 者や、一部の先進的な企業では知ら れていた。
だが一般的な企業がY2K に本腰を入れた、対策本部を設置し たのは九八年以降の話だった。
しかも、その頃になって、いきなり 「このままではソフトウエアの書き換 えが間に合わなくなる」と焦り出し、 二〇〇〇年一月一日の直前まで?現 象対応型〞の作業に追われることに なった。
不足していたのは「標準化」 Y2Kが発生した理屈そのものは 難しいものではない。
かつて処理能力 の低いコンピューターを使っていた時 代には、ハードへの負担を軽減して処 理効率を向上させる狙いで、ソフトウ エアに登録する西暦を本来の四桁で はなく下二桁だけ使うことが多かった。
こうしたシステムでは二〇〇〇年一月 一日になったとたん日付を一九〇〇 年一月一日と認識してしまい、決済 や制御システムに大混乱を招くという 理屈である。
このとき、ほとんどの日本企業がと った対策は、ソフトウエアの二桁の箇 所をいかにして四桁に改めるかという ものだった。
専用のソフトウエアを使 って自動的に修正できる部分は、これ を使って処理する。
それができない部 分については、多数のプログラマーを 動員して人海戦術的に処理しようと した。
だが旧来のプログラム言語に精通し たプログラマーの人数には限りがあっ たうえ、問題の発生時期が重なったた め人材を確保できない企業が相次い だ。
九〇年代末になってから、あたふ たした企業が目立ったのもこのためだ。
ただでさえ対症療法に過ぎない処置だ ったのに、それすらも満足に進めるこ とができなかったのである。
一方、米クラフトフーヅの対応は、 これとはまったく次元の異なるものだ った。
所属するフィリップモリス・グ ループの方針もあって、すでに九五年 には社内にY2Kの対策チームを作 って原因究明をスタートしていた。
そ して、なぜ問題が発生したのかを一年 半くらいかけて徹底的に究明した。
私 も当時、AGFのIT担当責任者と して何度か国際会議に出席したが、 我々が「もういいじゃない、そんなこ と」と思うようなことを延々と話し合 っていたのを憶えている。
クラフトにしても実際の処置自体は、 プログラムの西暦を二桁から四桁に修 正したり、新たに投資をしてシステムを刷新したりと、一般的な日本企業の 対応と基本的に同じだった。
ただし、その前段として彼らは、な ぜ自分たちのグループ内で世間一般と 同じような問題が発生してしまったの かを徹底的に突き詰めた。
犯人探し をするのが目的ではない。
将来、同じ ような過ちを繰り返さないための取り 組みだった。
結局、クラフトの対策チームは、Y 2Kの発生した原因を?標準化が未 整備だった〞ためと結論づけた。
同社 は以前からグローバルスタンダードを 定め、それ以外は認めないというルー ルを厳格に運用していた。
にもかかわ らず問題を回避できなかったのは、標 準形というものに対する認識が甘かっ たからだ。
だからY2Kへの対応を機 に、改めて標準化を徹底しよう――。
これが彼らの到達した結論だった。
つまり、このときのクラフトは、二 〇〇〇年対応のシステムに置き換え るという当面の作業とはまったく違う 視点からY2Kに取り組んだ。
その結 果、業務プロセスの標準化を改めて徹 底しようという結論に行き着き、これ を前提としながらシステムの再構築に も当たったのである。
ERPブームの本当の意味 新たな標準形を策定するため、クラ フトはグループ全体の経営ナンバー2 がリーダーを務める強力なプロジェク トチームを発足した。
そして全世界で およそ五兆円を売り上げるクラフトグ ループの業務プロセスを徹底的に洗い 直した。
その時点で、どうしても変更 できない工場の生産ラインなどは除外 したが、それ以外の情報システムにつ いては標準化する道を模索した。
その結論として、世界中のグループ JANUARY 2003 56 企業が使っていた情報システムを一種 類に統一することを決定。
ERP(統 合業務パッケージ)の世界規模での導 入や、ハードをIBMの特定の機種 に統一するといった方針を打ち出した。
そして変更が必要な情報システムにつ いては、明確な移行プランを作り、そ れから二、三年間をかけて新たな仕組 みに置き換えていった。
ようするに従来の手作りの情報シス テムから、SAPのR/3というパッ ケージの利用へと方針を転換したので ある。
もちろん効率重視の米国では、 九〇年代の初めから手作りのシステム などは使っておらず、パッケージを最 大限に活用してきた。
しかし、この方 針を全世界のグループ企業に強制す るまでには至っていなかった。
これを九〇年代末には問答無用で 押し進めた。
世界中の基幹システムを SAPのR/3に統一し、ロジステ ィクスに関する部分はマニュジスティ ックス社のソフトに全面的に置き換え させた。
同時に、ビジネスプロセスそ のものをソフトウエアの機能に合わせ て一気に標準化してしまった。
一般的 な日本企業ではあり得ない対応だった。
もっとも対症療法に走った日本企 業にも、同情の余地はあった。
当時、 日本企業の経営者の多くは、世界中 でERPの導入が進んでいる理由を それなりに理解していた。
そして自分 たちもERPの導入を進めるべく、S APにしようか、ジェイ・ディ・エド ワーズにしようかなどと検討を繰り返 してもいた。
だが結果として、大半の 企業が導入を諦めてしまった。
SAPであれ何であれ、日本ではE RPの導入サポートをきちんと提供し てくれる体制が不十分だったためだ。
例えば、ERPの全機能のなかで主 要な部分は日本語バージョンがあった が、それ以外は英語バージョンしかな いといった話が少なからずあった。
こ んな状況では基幹システムの全面刷新 など怖くてできない。
ERP導入のためのSE(システ ム・エンジニア)も決定的に不足して いた。
SAPの専門技術者というの は基本的にSAP自身が養成してい るのだが、同社が正式に認定していて、 しかもかなり高いスキルを持っている 人材となると日本には数百人しかいな かった。
このため当時、こうした技術 者の人件費はべらぼうに高騰した。
しかもIT技術さえ優れていれば導 入が上手くいくわけでもない。
情報シ ステムというのは経営のためのインフ ラに過ぎないが、ビジネスプロセスそ のものでもある。
ERPの導入によっ てビジネスプロセスが変わるのだから、 簡単に社員の首をすげ替えることので きない日本企業では、それまで業務を 担当していた人間が新たなシステムを 使いこなすのをサポートしてもらわな ければならない。
そのための導入支援 を日本では経営コンサルタントなどが 手掛けてきたのだが、多くは使いもの にならなかった。
実際、フィリップモリスの日本法人 では、SAPの導入にあたって何人か 日本人の技術者を使うことを検討し たが、結局は採用しなかった。
米国の 本社で導入実績を持つチームがそのま ま来日し、導入が終わってからもその 中の二、三人が日本法人に残って財 務部長などの職に就いた。
グローバル に競争を勝ち抜いている企業というの は、こうした手法で世界中のシステム を一気に刷新してしまったのである。
標準形を自ら創り出す もちろん日本企業のなかでも国際競 争力のある一部の有力企業は、Y2 Kにも悠々と対応した。
だが大半のケ ースでは、旧来の手作りのソフトを、 そのままアップグレードするという、 その場しのぎの対応をしてしまった。
ただでさえ従来からビジネスプロセス の部分で高い買い物をしてきたのに、 これをそのまま置き換えてしまった。
これでは徹底して固定費を削減してい るグローバル企業と勝負になるわけが ない。
そもそもメーカーにとって、情報シ ステムが強いとか、物流が強いなどと いうのは基本的にどうでもいい話だ。
食品メーカーの競争力は、良い品質 の食品を、いかに安く作るかで決まる。
だから自社開発の情報システムにお金 をかけて、「うちの情報システムは強 い」などと言っている企業は勘違いも 甚だしい。
Y2Kは日本企業が変わ る大きなチャンスだったのだが、結果 57 JANUARY 2003 として格差はさらに拡大してしまった。
日本と米国では、標準化を進める ときの社会的な役割分担にも差があ る。
標準化への認識が社会の隅々ま で浸透している米国では、これを進め るうえで業界団体が歴史的に重要な 役割を担ってきた。
クラフトも所属し ている全米食品雑貨工業会(GMA: Grocery Manufactures of America ) は、いま世界中で使われているバーコ ードの元になった「UPCコード」を 約三〇年前に作った団体として知ら れている。
メーカーが中心になって組織してい るGMAは、自分たちが標準化のリ ーダーシップを取るという強烈な自負 を持っている。
実際、バーコードやP OSなど、GMAが音頭をとって作 り上げてきた標準形は少なくない。
A Tカーニーやカート・サーモン・アソ シエイツといった大手コンサルティン グファームや、IBMなどをパートナ ーとして参画させることで標準化をリ ードしてきた。
最近ではeマーケットプレイスの規 格を巡って存在感を発揮している。
昨 今、ウォルマートやカルフールといっ たグローバル小売り業者は、それぞれ に独自の規格を作ってeマーケットプ レイスを運用しようとしてきた。
だが、 これはメーカー側にとっては複数の規 格に対応することを意味し、効率の良 い話ではない。
そこでGMAでは、クラフトなど大 手メーカー四九社が中心になって、「ト ランゾーラ(TRANSORA )」の設置 に乗り出した。
顧客である小売りの言 いなりになるのではなく、業界として 複数の小売りの窓口になる標準化し たシステムを構築する。
これによって メーカー各社は「トランゾーラ」の規 格にさえ対応すれば、どの小売り業者 ともeビジネスを進められるというも のである(図2)。
現時点でのeマーケットプレイスの有効性や、この機能 を使いこなすための前提条件などは次 回以降に述べるが、ここでは標準化と いう行為への日米の取り組み姿勢の 違いだけを強調しておく。
こうした事象の本質を理解すること は、CLO(ロジスティクス最高責任 者)の必須条件でもある。
九〇年代 末に世界中で繰り広げられたERP ブームの背景には、Y2Kを契機とす る標準化競争があった。
ERPの個 別機能について使い勝手が悪いなどと 批判するのは簡単だが、CLOはもう 一段、高いレベルからブームを認識す る必要がある。
(かわしま・たかお) 66年大阪外語大学ペルシャ語 学科卒業・米ゼネラルフーヅ(GF)に入社し人事部 配属、73年GF日本法人に味の素が50%を出資し合弁 会社「味の素ゼネラルフーヅ(AGF)」が発足、76 年AGF人事課長、78年情報システム部課長、86年情 報物流部長、88年情報流通部長、90年インフォメー ション・ロジスティクス部長、95年理事、2002年常 勤監査役に就任し、現在に至る。
日本ロジスティク スシステム協会(JILS)が主催する資格講座の講師 なども多数こなし、業界の論客として定評がある。
図2 米クラフトのeマーケットプレイスへの対応 メーカー側 1.e-Procurement 2.Data Catalogue 3.CPFR i2 Ariba(e-Procurement) UCCnet/EAN Vialink クラフト T R A N S O R A 小売り側 ※GMA(49メーカー) R N 米ウォルマート GNX 仏カルフール/独メトロ WWRE 英テスコ/イオン CARGIL

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