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奥村宏 経済評論家
第10回『 アメリカ帝国』は強いのか
MARCH 2003 52
ハート&ネグリの『エンパイア』
マイケル・ハートとアントニオ・ネグリが書いた『エンパイ
ア(帝国)』という本がアメリカで評判になり、日本でも最近
になってやっと翻訳が以文社から出版された。
ネグリはイタリアの左翼で、この本が出た時はローマの牢獄
に入れられていたが、この本では、「今や世界は帝国の時代に
入っており、それを認めた上でアメリカ帝国主義に対抗してい
かねばならない」ということを主張している。
原書で四七〇ページもある大部の本だが、読み進むうちに不
思議な感覚にとらわれる。 ローマ帝国の歴史を振り返るととも
に、現代の多国籍企業やグローバリゼーション、そしてコンピ
ュータ・ネットワークを分析しながら、「帝国の時代」が必然
的にやってきたと言う。
これではまるでアメリカの帝国主義を合理化しているように
みえる。 アメリカ国務省の中でもこの本を評価する者がいると
いわれるが、さもありなんと思わせる。
しかし、実はアメリカ帝国主義に反対するために書かれてい
るのである。
ベルリンの壁崩壊によって冷戦体制が終結して以来、アメリ
カの右翼には公然と帝国主義政策を揚げる主張が出てきた。 彼
らは帝国主義(インペリアリズム)とは言わないで、帝国(エ
ンパイア)と言うのだが、アメリカは今や世界を支配するよう
になったのだから、アメリカの外交政策は帝国としての政策を
公然と打ち出すべきだというのである。
先のマイケル・ハートとアントニオ・ネグリの本がこのよう
な右翼的主張を理論付けているというのはまことに皮肉な話
だ。
ともあれ、今やアメリカでは「二十一世紀はアメリカ帝国の
時代になった」ということが公然と語られている。 いま、二〇
〇〇年も前のローマ帝国がこの地上に再現してきたというわけ
だ。
アメリカが一国支配主義をむき出しにしている。 しかし、これは「アメリカ
帝国」の強さのあらわれではない。 むしろ今、アメリカは揺らいでいると判断
すべきだ。 アメリカ経済の土台をなす巨大株式会社の危機がその背景になって
いる。
「ハイパーパワー」
ブッシュ大統領のイラク戦争に対する態度はまさにこのよう
なアメリカ帝国の政策を象徴しているように思える。 たとえ他
国が反対しても、アメリカはイラクを攻撃する。 イラクに大量
破壊兵器があろうとなかろうと、国連の安保理事会で反対され
ようと戦争する。 というのはまさに「アメリカ帝国」の一国支
配のあらわれ以外のなにものでもない。
ラムズフェルド国防長官が、「アメリカのイラク攻撃に反対
するフランスやドイツは古くさいヨーロッパのあらわれだ」と
発言して大きな問題になっているが、この発言もまさにアメリ
カ帝国のあらわれだと言ってよい。
フランスのベドリーヌ外相は、冷戦後のアメリカを「ハイパ
ーパワー」と呼んでいるが、それは「冷戦時代の軍事力主体のスーパーパワーにとどまらずに、経済も文化も何もかも全ての
パワーにおいて圧倒的な力を持つパワーという意味で使ったの
だ」と「朝日新聞」の船橋洋一氏は書いている(「朝日新聞」
二〇〇三年一月九日)。
そしてこのベドリーヌ外相は「アメリカは人類の歴史で最大、
最強のパワーだ。 ローマより強い。 ローマ帝国時代はペルシャ
や中国という帝国が並び立っていた。 いまはアメリカしかない。
それも軍事力だけではない。 CNNも英語もハリウッドもある。
敵性国家の指導者の子弟もアメリカの大学に留学する」とも言
う(同)。
アメリカ帝国という言葉は冷戦後になって生まれたものでは
ない。 もともとアメリカには一八世紀の建国時代から、「マニ
フェスト・デスティニー(明白な使命)をアメリカは持ってい
る」という考え方があり、それが一九世紀から二〇世紀はじめ
にかけての「ドル外交」にあらわれていた。
このようなアメリカ帝国の歴史を忘れて、冷戦後になって急
にアメリカ帝国が出現したと考えるのは歴史を忘却するもので
はないか。
53 MARCH 2003
揺らぐ経済
「アメリカ帝国は強い」という考え方が先のマイケル・ハー
トやアントニオ・ネグリの本にあらわれているし、そしてアメ
リカの右翼やブッシュ政権の政策にも明白にあらわれている。
そしてアメリカに反対しているはずのフランスのベドリーヌ外
相の考えにも出ている。
しかし本当にアメリカは強いのだろうか。 アメリカの強さの
源泉になっているのはアメリカ経済で、それを象徴しているの
がドルだが、そのドルはいまイラク戦争を控えて売られている。
もともとアメリカ経済は外国からの投資資金によって支えら
れている。 外国からの投資があるのはドルを信認しているから
である。 そのドルが弱くなれば、アメリカから投資を引き上げ
る。 そうなると外国からの投資に依存しているアメリカ経済は
たちまち大打撃を受ける。
ブッシュ政権はイラクに対して強硬な姿勢を示すだけでなく、
京都議定書にもみられるように環境問題などにも一国支配主義
を貫いている。 ところが経済政策となると混乱が目立っており、
その姿勢は揺らいでいる。
それはエンロン問題でSEC(証券取引委員会)のビット委
員長が辞任に追い込まれた事件などにもあらわれているが、先
のオニール財務長官の辞任にもまたそれがあらわれている。 つ
い最近は配当の二重課税撤廃などの大幅な減税政策を打ち出し
たハバードCEA(大統領経済諮問委員会)委員長の辞任騒
ぎにもそれがみられる。
エンロン問題はそれこそアメリカ経済の土台をなしている巨
大株式会社が危機に直面していることを示しているが、それは
アメリカ帝国が揺らいでいることを物語っている。
さて、そこでわれわれは「アメリカ帝国は強いのか、それと
も揺らいでいるのか」という判断を迫られている。 これをどう
判断するか、ということがこれからの日本の運命にも関わるこ
とは言うまでもない。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 主な著書に「企業買収」「会
社本位主義は崩れるか」などがある。
奴隷制と巨大株式会社
アメリカ帝国をローマ帝国に対比するということはマイケ
ル・ハート、アントニオ・ネグリの「エンパイア」以来、流行
のようになっている。 もちろん二〇〇〇年前の世界といまの世
界とでは大きく違っている。
なにより古代奴隷制の上に立脚していたローマ帝国と巨大株
式会社を基盤としているアメリカ帝国とでは構造が違う。 しか
し奴隷制が崩れていったことで古代ローマ帝国は亡びていった
のだが、それに対比していえば、現代のアメリカ帝国はそれを
支えている巨大株式会社がどうなるか、ということにその運命
がかかっていると言えるだろう。
ということは、アメリカの巨大株式会社をどう見るかによっ
て、アメリカ帝国に対する判断は分かれるということである。
エンロン、ワールドコム事件がアメリカの巨大株式会社が危
機にあることを物語っているということを私は『エンロンの衝
撃』(NTT出版)で書いたし、このシリーズの前回でもその
点について触れた。
一九八〇年代に起こったアメリカの会社乗っ取りに関連して
『バーバリアンズ・アット・ザ・ゲイト(野蛮な来訪者)』とい
う本が出た。 これはローマ帝国にバーバリアンとしてのゲルマ
ンが侵入し、それによってローマ帝国は亡びたが、それと同じ
ようなことが八〇年代のアメリカに起こっているという意味を
込めたタイトルであった。
しかし古代ローマ帝国はゲルマンが外から侵入してくる以前
に内部から崩れていった。 同じように今のアメリカ帝国もその
内部から崩れ始めている。 それがエンロンやワールドコムの事
件にあらわれているのだが、さらにアメリカ経済そのものがお
かしくなっていることがいろいろな面に見られる。
貧富の差の拡大もそのあらわれだが、いずれこのような矛盾
は何らかの形で爆発するだろう。
アメリカ帝国は強いのではなく、揺らいでいるのだ。
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