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奥村宏 経済評論家
第11回 経済学者にだまされるな!
APRIL 2003 52
日銀総裁人事をめぐる論調
日本だけでなく世界中から注目されていた日本銀行の総裁
人事だが、結局は元日銀副総裁の福井俊彦氏に落ち着いた。
この人事に関する日本の新聞論調は概して好意的ないしは
「可もなく不可もなく」という評価であったが、外国の新聞
は激しい批判記事を載せている。
例えば「ニューヨーク・タイムズ」(二〇〇三年二月二五
日)は「日本は古いタイプの中央銀行総裁を選んだ」と題し
たケン・ベルソンの記事を載せているが、その中で彼は次の
ように書いている。
「デフレ退治よりも古い秩序を守ろうとする人を(日銀総
裁に)選ぶことによって小泉首相は日本の多くのエコノミス
トと外国の批評家を失望させた。
…速水氏と同じように福井氏も、インフレ・ターゲットを
作れという政治家の要求を拒絶してきた…」
その翌日(二月二六日)の「ニューヨーク・タイムズ」で、
やはりケン・ベルソン記者は速水総裁について、「ローマが
燃えている時に笛を吹いていた」というCSFB(クレデ
ィ・スイス・ファースト・ボストン証券会社)のエコノミス
ト、クリス・ウォーカーの言葉を引用している。
速水総裁は日本経済が長期不況とデフレに悩むなかで、何
もしなかった男。 「笛を吹いて遊んでいた」人として歴史に
残るかもしれないというのである。
それほど外国からの日本銀行総裁に対する批判は厳しいの
だが、日本の新聞は時の権力に迎合的なのか、それともあき
らめたのか、あまり批判しない。 福井氏を次期総裁に選んだ
のは小泉首相だが、デフレ対策に積極的な民間人を選ぶと言
っていたにもかかわらず、そうはならなかった。
小泉首相の威信が低下したことのあらわれでもあるが、デ
フレ退治がそれほど簡単ではないということを意味している
ともいえる。
アメリカの経済学の教科書に書かれていないことは間違っている――日本の
経済学者は本気で、そう信じている。 現実を知らない学校秀才には、そのよう
な人間が多い。 彼らの言葉に騙されてはいけない。
インフレ・ターゲット論
デフレ克服のために日本銀行はインフレ・ターゲットを掲
げてカネをばらまけ、という議論はアメリカのエコノミスト
が主張し、日本の経済学者にもそれに同調する人が多い。 な
かには「ヘリコプターから日銀券をばらまけ」という大学教
授もいる。
日本銀行も超金融緩和政策をとることによってそういう要
求に応えてきた。 速水総裁も遊んでいたのではなく、それな
りに努力した。 しかし、いくらカネをばらまいても景気は良
くならない。 日銀がばらまいたカネは市中銀行から先へは届
かず、銀行はせいぜい国債を買うだけで、カネは設備投資に
はもちろん、消費の増大にもつながらなかった。
ということは日本経済を悩ませているデフレについてのエコノミストや日銀の診断が誤っていたということである。
紙幣を増発すればインフレになる。 だからデフレを退治す
るには紙幣を増発すればよい、と教科書に書いてあるような
単純な理論が間違っているのだが、しかし日本の経済学者や
エコノミストは大まじめになってそういう議論を戦わせてい
る。
なかには一九三〇年代のシュムペーターとアービング・フ
ィッシャーの議論を再現させて『経済論戦は甦る』という本
を書いた大学教授もいる。
エコノミストと称する人たち、そして経済学者と自認する
人たちの判断力が問われているのだが、その判断の根拠が極
めてあいまいで、教科書に書いてある通り、あるいはアメリ
カのエコノミストが言う通りを信じている人が多い。
日本経済の九〇年代以後の長期不況、そしてデフレは日本
経済の構造から起こったものであり、日本銀行の金融政策に
よって生じたものではない。 その単純なことがまるで分かっ
ていないのではないか。 「エコノミスト、経済学者不信の時
代」になったのである。
53 APRIL 2003
輸入経済学の虚妄
かつてジョーン・ロビンソンという有名なケンブリッジ大
学の女性教授がこう言ったことがある。
「経済学を学ぶのは何のためか? それは経済学者にだま
されないためだ」と。
経済学の大家がそう言うのだから、間違いない。 というよ
りも、そういう外国の経済学を輸入してそれを金科玉条のよ
うに信じているのが日本の経済学者である。
ある有名な東大教授の経済学者が、「日本の株価形成は間
違っている。 新しい金融論を知らないからこういうことにな
る」と書いていたが、この東大教授は、アメリカの金融論の
教科書に書いてあることが正しいので、それに反している現
実が間違っている、と信じているのである。
これはまるで、教科書に書いてあることが正しいと教えら
れた小学生がそのまま大きくなって、「世の中は間違ってい
る」と言っているのと同じである。 現実を知らない学校秀才
にはこのようなタイプの人間が多い。
しかも、もっと困ったことに日本の経済学は全て輸入学問
であり、日本の現実から生まれた学問ではないということで
ある。 戦前はイギリスやドイツ、あるいはフランスの理論を
輸入していたが、戦後はもっぱらアメリカの理論を輸入して
いる。
そしてアメリカの経済学の教科書に書いていないことは間
違っていると信じている。 このような輸入経済学に立って、
日本の現実を診断しようとするからとんでもない間違いを犯
す。
インフレ・ターゲット論やヘリコプター・マネー論はそう
いう日本の経済学から生まれてきた議論である。 もっとも、
それに反対する日銀弁護派もまた同じように輸入経済学に立
っている。 輸入経済学者が輸入元の対立をそのまま日本に輸
入しているのである。
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 主な著書に「企業買収」「会
社本位主義は崩れるか」などがある。
法人資本主義の構造
私は若いときからこのような輸入経済学を批判し、そうい
う学者のあり方を批判してきた。 そして「現実から理論を作
っていく」ということをモットーとしてきた。
そういう戦いのなかから「法人資本主義論」という理論を
打ち立ててきたのだが、当然のことながら輸入経済学者から
は相手にされないし、こちらもそういう学者を相手にしない
できた。
法人資本主義という構造が日本経済の高度成長を生むと同
時に、それがバブル経済をもたらした。 そして法人資本主義
の構造が崩れたことからバブルが崩壊し、その後の長期不況
やデフレをもたらしたと私は主張してきた。
戦後の日本経済の構造とその歴史を理論的にとらえることによって法人資本主義論を構築したのだが、それは同時に、
法人資本主義の矛盾を明らかにするということを目的にして
いた。
ヘーゲルの弁証法ではないが、すべては内部に矛盾を持っ
ており、それが発展して歴史を作っていく。 日本の法人資本
主義もまたその例外ではない。
そこで一九八〇年代に流行した日本経済賛美論を批判し、
いずれこの法人資本主義の構造は崩れていくだろうと予言し
た。 その矛盾が九〇年代になって一挙に爆発したのであるが、
経済学者たちは単純に日本銀行の金融政策の誤りにその原因
を求める。 輸入経済学がいかに誤っているか、ということが
いまこうして白日の下にさらけ出されようとしているのであ
る。
にも関わらず、エコノミストや経済学者たちはこのことに
気づいていない。 これが最近の日銀総裁人事についての論調
にもあらわれているのだが、デフレを退治するためにはまず、
ジョーン・ロビンソンの言うように「経済学者にだまされな
いこと」が大事なのである。
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