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2005年3月号
判断学

企業の社会的責任論ブーム

奥村宏 経済評論家 企業の社会的責任論ブーム 第34回 MARCH 2005 68株式会社はそもそも社会的責任を負う主体とはなりえない。
CSR(企業の社会的責任)ブームはむしろ株式会社制度改革を阻む役割を果している。
ところが当人たちはそれを自覚していない。
まるで修身教科書のよう 企業の社会的責任 CSR あるいは 社会的責任投資 SRI という言葉が流行語にな ている 日本経済新聞 をはじめこれについての特集記事を掲載しているし 週刊誌や月刊誌でもその特集が組まれている 財界では 経済同友会がいち早くこの問題を採り上げた 市場の進化 と社会的責任経営 と題した第一五回企業白書を二○○三年に発表し 会員である企業が社会的責任を果たしているかどうかを自主的にチ クすることを要請した そして日本経団連も二○○四年二月に 企業の社会的責任 CSR 推進にあた ての基本的考え方 を発表している このような財界の動きを受けて政府もこれに乗り出し 経済産業省や厚生労働省がそれぞれこの問題についての懇談会や研究会をつくり その中間報告書を発表している さらに労働組合も連合や全労連などが企業の社会的責任について積極的にとりあげる姿勢を示している 一方 社会的責任投資 SRI という名の投資信託が作られ 社会的責任を果たしている企業に投資しようと呼びかけ 社会的責任を果たしているかどうかをチ クし 責任を果たしていない企業には投資しないという態度を示している このようなSRI流行りのなかで つぎつぎと社会的責任に関する本やパンフレ トが出されているのだが どれを読んでみても索漠とした思いにかられる まるで昔の修身教科書のように 清く正しく生きまし う と訴えているだけではないか 企業も個人と同じように 清く正しく 生きれば 社会から評価され そして投資家もそのような企業に投資する と言うのである ホンマかいな と 思うのだが それは別に茶化して言 ているのではない 企業に社会的責任などない! 企業に社会的責任などあるはずがない 株式会社は株主のものであり 株主の利益を追求するのが会社の目的だ とは きり言 たのは有名な経済学者のM・フリ ドマンだが フリ ドマンだけでなく一般に新古典派経済学では企業に社会的責任があるなどという主張は否定されている 一方 N・チ ムスキ のようなラデ カルな思想家も 株式会社に社会的責任があるというのは嘘 ぱちである と言う このことは最近翻訳が出たJ・ベイカンの ザ・コ ポレ シ ン に書かれているが この本を元にした映画が今年夏には日本でも公開される予定で そうなればき とこの問題が大きな話題になるだろう 企業というよりも 株式会社に限定して 果して株式会社に社会的責任があるのか ということを理論的に考えておく必要がある 問題は修身教科書のような次元の話ではないのである 日本の刑法では法人である株式会社は人を殺しても罪にはならない チ ソやミドリ十字など公害や薬害で多くの人を殺しているが 法人としての会社は罰せられず 活動を続けているし 欠陥車で人が死んだ三菱自動車も道路車両運送法違反でた たの二○万円の罰金だけである これは法人には意思がなく 犯罪能力がないという刑法学説によるものであるが このように犯罪に対して責任を問われない企業が他方で社会的責任を果すというのは矛盾している もし社会的責任を果すと企業が言うのであれば その前に犯罪に対して責任をとるべきではないか ところがむずかしいのは では法人である企業を刑務所に入れることができるか あるいは死刑にすることができるか という問題がある かりに企業を解散させたとしても 株式会社はすぐ作れる ここが人間と違うところだ 69 MARCH 2005社会的責任論が果している役割これまで企業の社会的責任ということが大きな問題にな たのは一九七○年代であるが その時 日本では公害反対運動や消費者運動が盛んになり それに対応するために企業の社会的責任ということがいわれた そしてそのためにトヨタ財団や日生財団などの財団法人が作られ 社会事業に寄付するということが流行した アメリカでもその前からR・ネ ダ などによる キ ンペ ンGM の運動が盛り上がり 企業批判の動きが高ま ていた 今から思えば一九七○年代は株式会社の危機であ たのだが その危機に対応するために大企業の方から社会的責任ということを言い出したのである そして社会貢献という名目で寄付をしたのであるが これによ て危機を乗り切 た ところが二○世紀末にな て株式会社は第二の危機に見舞われたのだが 今回の危機は根が深く しかもスケ ルが世界的である 果してこの第二の危機に対して 社会的責任論でうまく対応できるのだろうか このことがいま問われているのである 株式会社の危機の根は深く それに対応するためには株式会社のあり方そのものを変えていく必要がある 私はこのことを例えば 株式会社はどこへ行く 岩波書店 で訴えているし 最近では 最新版 法人資本主義の構造 岩波現代文庫 でそのことを主張している ところが企業の社会的責任論は問題がここにあることを自覚していないばかりか 人びとにそのことを知らせない役割を果している 株式会社を変えていくことが必要なのに 株式会社を守ることによ てこの改革を阻止しようとしている 企業の社会的責任論ブ ムはこのような役割を果しているのだが 当人たちはそのことを自覚していない これこそが問題だ おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷大学教授、中央大学教授を歴任。
日本は世界にも希な「法人資本主義」であるという視点から独自の企業論、証券市場論を展開。
日本の大企業の株式の持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判してきた。
近著に『最新版 法人資本主義の構造』(岩波現代文庫)。
株式会社の危機理論的に考えれば株式会社に社会的責任があるとはいえない 株主 あるいは経営者に責任があるのは当然だが 法人である株式会社に責任があるとは言えないし かりに責任があるとしてもそれを罰することができない このことは株式会社論の立場からは明らかなことで これまでの学説からは社会的責任などということは出てこない にもかかわらず株式会社が社会的責任ということを言わざるをえないのはなぜか このことこそが問題なのである もし公害や薬害 あるいは原発事故や欠陥車事件を起こした企業が 当社には責任がありません と開き直 たらどういうことになるか たちまちそのような会社の製品は誰も買わなくなり 会社はつぶれるかもしれない だからこそ 本心では社会的責任などないと思 ていても 反対のことを言わざるをえないのである 株式会社はそもそも責任の主体にはなりえないにもかかわらず 責任がありますと言わざるをえない これが今日の状況であるが このことを裏返していえば 株式会社はもはや社会の状況に適合しなくな ているということである 株式会社は株主のものであるというのが株主主権の考え方で この株主主権説に立 て会社法が作られ 株式会社論もその上に立 て展開されてきた フリ ドマンだけでなく新古典派経済学者たちもみなそのような考え方の上に立 ていた ところがこの理論ではもはや現実の社会状況に対応できなくな ているのである その結果 株式会社が自己否定し もはや株式会社ではや ていけなくな たのである これはまさに株式会社の危機であることを示しているのだが 不思議なことに誰もそのことに気が付いていない

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