ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2003年8号
ケース
フットワークエクスプレス――経営再建

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

ウルトラCでスピード弁済  約一四〇〇億円の負債を抱えて経営破たん した大手特別積み合わせ業者、フットワーク エクスプレス(以下、フットワーク)。
その再 建計画がようやくまとまりそうだ。
同社は二 〇〇一年三月に民事再生法の適用を申請し、 オリックス、ワールド・ロジなどの支援によ る経営の立て直しを模索してきた。
ところが、所有不動産の処理をめぐり、会 社側と大口債権者である銀行団との交渉がま とまらず、昨年四月には民事再生法を断念し 会社更生法に切り替えるなど、再建計画はダ ッチロールを起こしていた。
しかし、ここに きて銀行団と大筋での合意に達した模様だ。
これを受けて更正管財人は六月末、大阪地裁 に更正計画案の提出延長を申請。
九月末には 更正計画案を提出する。
その後、十一月の関係人集会、更正計画認 可を経て、十二月には更正計画を確定。
オリ ックスなどが共同出資して設立したオー・エ ス・エル(OSL)への営業譲渡などの再建 策を具現化させていく方針だ。
「もっと早い時期に提案してくれればよかっ たのに――」 ある銀行担当者は交渉の席でフットワーク の更正管財人代理を務める中島健仁弁護士 にこう漏らしたという。
更正計画案の提出期 限である六月末を目前に控え、フットワーク 側が合意に漕ぎ着けるための最終手段として AUGUST 2003 44 不動産処理巡り再建計画が二転三転 新スキームでドタバタ劇に終止符 2001年3月、約1400億円の負債を抱えて経 営破たん。
その後不動産処理で銀行団と折り 合いがつかず、再建計画がまとまらなかった。
今年6月末、弁済額の上乗せが期待できる「不 動産管理処分信託方式」の採用でようやく合 意。
オーナーの放漫経営で背負うことになっ た負の遺産を捨て、名門トラック運送業者と しての復活に向け再出発する。
フットワークエクスプレス ――経営再建 銀行団に提示したのは「管理処分信託」と呼 ばれる不動産処理方法だった。
銀行などの担 保権者に対して現金で弁済する代わりに、不 動産を処理できる権利を与えることで弁済を 完了するというものだ。
民事再生手続きを申請して以来、フットワ ーク側は競争入札を行い、投資家など特定企 業に保有不動産を一括で売却、その代金を担 保権者への弁済に充てる案を主張してきた。
物件のバラ売りには長期間を要する。
そのた め、売却作業を進めている間に不動産相場が より悪化し、保有物件が値下がりしてしまう 可能性があったからだ。
しかし、銀行団はこのやり方に不満だった。
管財人が弾いたフットワークの保有不動産評 価額は一六〇億円。
一方、銀行側は住宅用 地などへの転用を見込んで、少なくとも一六 〇億円の二〜三倍の評価額を想定していた。
一六〇億円を最低ラインにして競争入札が実 45 AUGUST 2003 施されると、ハゲダカファンドなどに不動産を廉価で買い叩かれてしまう恐れがある。
回 収額が小さくなることを懸念して、銀行団は これまでフットワークの再建にGOサインを 出さなかった。
これに対して、今回フットワーク側が新た に提案した管理処分信託の場合、フットワー クと銀行団の双方にメリットがある。
銀行団 は地価の推移を見ながら不動産を売却できる。
そのため一括売却に比べ高い回収代金を見込 める。
さらに売却するまでの間、不動産をフ ットワーク側に賃貸して収入を得られる。
一 方、フットワーク側は担保権者に受益権を譲 渡した時点で弁済を終えたことになるため、 更正手続きのスピード完了が可能だ。
管財人が計画している弁済までの流れはこ うだ。
まずフットワークが整理回収機構(R CC)に不動産管理処分信託を委託する。
こ れを受けてRCCは本来フットワークが受け るべき信託受益権を更正担保権者である銀行 団に譲渡する。
銀行団は地価の回復を待ちながら第三者に 不動産を売却。
もしくはフットワークの営業 譲渡先であるOSLと賃借契約を交わして賃 料を得る、という道を選択できる。
ただし、 銀行団は自由に不動産を売却できるわけでは なく、OSLが営業を続けていくうえで不可 欠な不動産については売却する権利を行使で きる時期が数カ月〜数年先に設定されるなど の制約を受けるルールになっている(図1)。
関係者によると、三井住友銀行から債権を 買い取った米モルガン・スタンレー証券の関 連会社「GHYキャピタル」、UFJ銀行、新 生銀行といった大口担保権者らはフットワー ク側が新たに用意した不動産処理方法を受け 入れる方向だという。
更正管財人の天野勝介弁護士は「(管理処 分信託の提案は)まさにウルトラCだった。
最終的にこの再建手法が採用されれば、日本 で初めてのケースとなる。
フットワークの場 合、早ければ来年三月には更正手続きを完了 できる見通しだ」と説明する。
現業部分を四子会社に分割 今回、不動産処理方法の見直しとともに、 フットワーク RCC (整理回収機構) 再生担保権者 (銀行団) GHYキャピタル,   第三者 UFJ,新生銀行など 不動産ディベロッ パーなど ?不動産管理処分  信託を委託 ?拠点賃借契約 ?賃料支払い ?市況をみながら  不動産を売却 ?売却代金 ?フットワークが  受けるべき  信託受益権を譲渡 ( 譲渡によって  弁済は完了) OSL (オー・エス・エル) 図1 管理処分信託による不動産処理  7月1日の記者会見で再建スキームの変更点を 解説する管財人の天野勝介弁護士(写真中央) 同様に四つの地域子会社もフットワークの看板を外さない。
経営破たんによって多少のイ メージダウンとなったものの、荷主にはフッ トワークブランドが浸透しており、社名変更 は営業戦略上マイナスに作用するとの判断が 働いたようだ。
ちなみにフットワークがOSLから受け取 る営業譲渡代金(のれん代)は約一六億円を 予定している。
これが一般債権に対する弁済 原資となる。
現在、フットワークが抱えてい る一般債務は一七〇〇億円弱。
一般債権者 への配当率は一%程度になる模様だ。
ジュニアの放漫経営が引き金 フットワークの前身である日本運送は一九 三八年、故・大橋實次氏によって兵庫県加東 郡に設立された(創業時の社名は東播運輸)。
戦後間もない五一年には他社に先駆けてトラ ックによる神戸〜東京間の直通長距離路線運 行を開始。
その後、全国の主要都市をカバー する路線便ネットワークを築き上げ、日本の 高度経済成長を物流面から支えてきた。
岐阜の西濃運輸、広島の福山通運とともに ?路線御三家〞と称され、常にトラック運送 業界のリーダー的存在だった。
八二年、實次 氏は西濃の創業者である故・田口利八氏の後 継として全日本トラック協会の会長に就任。
文字通り、業界のリーダーとして物流業界の 発展に大きく貢献した。
八〇年代に入ると、日本運送は主力の路線 便事業の強化と並行して、ヤマト運輸の追撃 を旗印に宅配便事業を本格化させた。
地域の 特産物を産地から直接、消費者に届ける「う まいもの便」を開発するなどユニークな事業 AUGUST 2003 46 営業譲渡のスキームにも多少の修正を加えた。
かねて予定していた通り、フットワークの営 業譲渡先はOSLで変わりはない。
ただし、一 気に譲渡を進めるのではなく、段階的に会社 機能をOSLに移管させていく「業務提携型 再建モデル」を採用することになった。
第一ステップとして今年十二月までに営業、 本社機能のみをOSLに移管する。
一方、路 線、集配、整備、仕分けなど現業部分はその ままフットワークに残す。
荷主からの運送依 頼をOSLが窓口となって引き受け、実務を すべてフットワークに委託する格好になる。
この体制でしばらく営業を続けていき、並 行して集配拠点の統廃合など輸配送ネットワ ークの再構築に着手する。
それにメドが立っ た時点で、今度は第二ステップとして現業部 分をOSLもしくは傘下に用意する四つの地 域別子会社に吸収させる。
第二ステップは二 〇〇四年にスタートし、二〇〇六年までに完 了する計画だ(図2)。
過去にフットワークは業界内でも高水準に あった社員の賃金になかなかメスを入れるこ とができず、高コスト体質が続いた。
その結 果、利益を確保できなかったという苦い経験 がある。
現業部分を四子会社に振り分ける案 が浮上しているのは地域水準に合った賃金体 系を確立することで人件費を抑制するのが狙 いだ。
フットワークを呑み込むOSLはいずれ社 名をフットワークに切り替える方針だという。
?営業機能のみを譲渡。
路 線、集配など現業部分は フットワークに残す ?すべてオー・エス・エル に譲渡 ?現業部分の一部をOSLに譲渡 ?残りを新生フットワーク傘下に設ける4 つの地域子会社に譲渡。
地域水準に合 った賃金体系に 運送業務を委託 譲渡 譲渡 ? ? ? ? 運送業務を委託 運送業務を委託 業務を全て委託 現 在 荷主 フットワーク フットワーク 荷主 OSL OSL OSL 地域子会社 新生フットワーク 荷主 第1段階 2003.12月〜 第2段階 2004〜2006年まで フットワーク 関東 フットワーク 中部 フットワーク 関西 フットワーク 山陽・四国・九州 組織図 営業譲渡の中身 営業譲渡の中身 更正管財人 (天野勝介弁護士) 総括部長 経営会議 営業,人事・労務, 財務部門の責任者らで構成。
週1回会議を開催 各支店 営業所 本社部門 各支店 営業所 各支店営業所 本社部門 図2 新たに発表された「業務提携型再建モデル」 を展開した。
この商品と赤いダックスフンド のマークが人気を博し、一時は取扱個数で業 界第三位にまで躍進。
当時は路線御三家の中 で最も勢いのある企業だった。
しかし、快進撃は長くは続かなかった。
實 次氏の実子である大橋渡氏が社長に就任し、 経営の主導権を握った頃から徐々に雲行きが 怪しくなっていく。
創業者が「日本一のトラ ック運送会社にしたい」との思い入れで名付 けた日本運送の看板を捨てて、社名を「フッ トワークエクスプレス」に改めた九〇年を境 に、経営のハンドルが利かなくなっていった。
この頃からフットワークはバブルという未曾有の好況を背景に青天井で融資を続ける金 融機関を後ろ盾にして海外投資を積極化し た。
まず、ドイツの物流企業ハリー・ハマハ ー・グループを一〇〇億円で買収した。
この 投資は物流の国際化をにらんだもので、当時 は「先見の明がある」と一定の評価を受けた。
しかし、ドイツの名門ホテル、オーストラリ アの賃貸ビル、韓国の食品商社など、その後 立て続けに手中に収めた企業は本業の物流業 とはほとんど無関係だった。
経営の多角化が 目的であると投資の正当性を主張していたが、 一連の買収劇はいずれも投機色が強かった。
当時話題となった英国のF1レースチーム の買収は、企業イメージを高める戦略の一環 として位置付けられた。
日本人ドライバーの 鈴木亜久里氏が所属するチームのメーンスポ ンサーとして四年間にわたり年間二〇〜三〇 億円を注ぎ込んだ。
結果を見る限り、これは 大橋社長の個人的な道楽と呼ぶしかないもの だった。
実際、会社へのリターンは皆無に等 しかった。
チームの成績も振るわず、「フット ワーク」のロゴがブラウン管を通じて流れる 機会は、ほとんどなかった。
結局、九〇年代初めに実行された身の丈を 無視した海外投資はバブル崩壊によって、そ の大半が焦げついてしまった。
残ったのは金 利負担と大きく膨らんだ借入金の返済だけ。
同業他社とのダンピング競争が激化し、業績 が下降の一途を辿る中で、バブル期に抱えた 負債は重く のしかかっ た。
それでも 九二年から 八年間、監 査法人を巻 き込んで粉 飾決算を繰り返し、金融機関から融資を引き 出して延命を図ってきたが、二〇〇〇年末、 主力銀行に見破られ支援打ち切りの引導を渡 された。
その後、大橋社長は国内外の有力物 流企業を自ら訪問して、スポンサーとして名 乗り出てくれるよう、時には土下座までして 懇願したが、救世主は現れなかった。
そして、 遂に二〇〇一年三月、大阪地裁に民事再生 法の適用を申請した。
法的手続き後もフットワークの受難は続い た。
全国に拡がる輸配送ネットワークや営業 権に興味を持つ企業は現れるものの、最終的 な契約に漕ぎ着けるまでには至らなかった。
かつて会社側と激しい闘争を繰り広げてきた 労働組合の存在に難色を示し、身を引く企業 も少なくなかった。
そもそも長引く不況によ る収益悪化の影響で、物流企業の多くにはフ ットワークを救済するだけの余力が残されて いなかった。
ようやく営業譲渡先が決まったのは民事再 生手続きからおよそ十一カ月が経過した二〇 〇二年一月末だった。
オリックス、物流ベン 47 AUGUST 2003 01.3.4 大阪地裁に民事再生法の適用を申請 01.3.30 株主総会で大橋渡社長ら旧経営陣が退任 落合章男氏(専務)が新社長に就任 02.1.31 01.12.20 02.4.30 会社更生法の適用を申請 03.6.30 更正計画案の提出を延長。
不動産処理の新スキームを発表 03.12 OSLへの第一段階の営業譲渡。
更正計画の確定 04.3 RCC経由で担保権者に不動産信託受益権を譲渡し、 弁済を完了 04〜06 OSLへの第二段階の営業譲渡。
図3 経営破たん後のフットワークをめぐる動き 証券取引等監視委員会が証券取引法違反(虚偽有価 証券報告書提出=粉飾決算)容疑で大橋前社長ら旧 経営陣を告発 オリックス、セムコープロジスティクス、ワールドロジ の三社が設立する新会社「オー・エス・エル(OSL)」 に営業譲渡することで合意 フットワークの大橋渡元社長 AUGUST 2003 48 チャーのワールド・ロジ、シンガポールの物 流企業であるセムコープロジスティクスの三 社が共同出資で設立したOSLが支援に名乗 りを上げた。
これでフットワークの再建への 道は開かれたはずだった。
ところが、OSLへの営業譲渡も一筋縄に はいかなかった。
不動産処理を巡って銀行団 との折り合いがつかなかったためだ。
営業を 継続させるため、物流拠点などに設定されて いる担保権の行使を一時ストップしてもらお うと銀行団に打診するフットワーク側、そし て担保権を行使することで不良債権処理を加 速させたい銀行団側との間でしばらく綱引き が続いた。
結局、フットワーク側はすべての 担保権者の同意を得ることができず、担保権 の行使を制限できる会社更生法に切り替え、 再建を目指すことを余儀なくされた。
会社更正手続き後も銀行団との交渉はスム ースには進まなかった。
前述した通り、不動 産売却の競争入札を開く直前の今年三月に入 って突如、銀行側から?待った〞が掛かって しまった。
こうしたドタバタ劇を目の当たり にして、業界内では「フットワークは最終的には破産に追い込まれるのではないか」とも 囁かれていた。
宅配事業縮小で赤字解消 ようやく再建に向けたスタートラインに立 つことになったフットワークの業績は順調に 回復しつつある。
民事再生手続き申請後、初 の決算となった二〇〇一年十二月期は売上高 約五五三億円に対し、経常損失約五七億円 の大幅な赤字を計上したが、翌二〇〇二年十 二月期には売上高約五一六億円に対して約三 八億円の経常利益を確保した。
さらに今期 (二〇〇三年十二月期)は売上高約五三六億 円、経常利益約四〇億円を計画しているとい う(図4)。
旧債務の弁済を停止しているという特殊事 情はあるものの、着実に赤字体質の改善は進 んでいる。
利益率水準も同業他社に比べ遜色 がない。
「内部留保の積み増しも順調に推移 している」とフットワークの安永知司財務部 長は説明する。
赤字解消に向けてフットワークが着手した のは不採算事業の見直しだった。
まず宅配便 事業の縮小に踏み切った。
「うまいもの便」の 一部、そして配送効率のいいB to B貨物だけ を残し、それ以外の宅配分野からは完全に足 を洗った。
コストパフォーマンスのいい特積 み事業に特化するという姿勢を鮮明にしてい る。
破たん直後には従業員の給与カットも断行 した。
カット幅は一律一〇%に達した。
これ によって債権者たちの批判の的となっていた 高賃金体系にメスが入り、ローコスト体制が 確立された。
その後、業績が回復基調に転じ たのを受けて、カット幅を五%にまで戻した ものの、社員たちの厳しい懐事情はしばらく 続いた。
「組合員たちは本当によく我慢して働いて くれた。
生活水準を維持するため、労働基準 法のギリギリの範囲内で月当たりの運行数を 増やしたりして減給分を補っている組合員も 少なくなかった。
中には会社を去っていった 組合員もいた。
しかし、多くの組合員はフッ 図4 フットワークの業績推移 売上高(百万円) 経常利益(百万円) 経常損失(百万円) (決算期) (予想) 96.12 2000.12 01.12 02.12 03.12 105,456 1,514 75,792 55,309 3,776 51,572 53,618 4,031 4,920 5,687 過去最高の売り上げ達成も後日、 粉飾決算であったことが判明 01,3/4 民事再生法 申請 02,4/30 会社更生法 申請 フットワーク労組の益田利幸 中央執行委員長 49 AUGUST 2003 トワークの看板を守るため歯を食いしばって 頑張ってきた」とフットワーク労働組合の益 田利幸中央執行委員長は述懐する。
オーナー経営者のプライド リストラ策の定石とも言える不採算事業の 見直しと賃金カットを早い時期に決断してい れば、フットワークは経営破たんを回避でき た可能性が高い。
法的手続き後の業績の急激 な回復ぶりがそのことを如実に物語っている。
にもかかわらず、傷口が大きく拡がるまで放 置されていたのは何故か。
かつては路線御三 家の一角を占めていた老舗物流企業のオーナ ー経営者としてのプライドが安易なリストラ を許さなかった。
一時は飛ぶ鳥を落とす勢いで取扱個数を伸 ばしていた宅配便事業はバブル崩壊後、年を 追うごとにマーケットでのシェアを同業他社 に奪われていった。
その結果、長らく赤字を 垂れ流し続けていた。
それでも大橋元社長の 口から撤退の二文字が発表されることは決し てなかった。
宅配便は創業者から会社を引き 継いで以降、唯一成功を収めた思い入れの深 い事業だったからだ。
「宅配便から手を引き、特積み事業に特化 すれば、黒字転換できるのは社員の誰もが分 かっていた。
ところが、誰も大橋社長に進言 できなかった。
余計なことを言えば、地方の 支店や子会社に飛ばされてしまう。
管理職は 皆、それを恐れていた」とフットワーク関係 者は打ち明ける。
九二年から続いていた粉飾決算も結局のと ころ、老舗物流企業の経営者としてのプライ ドが災いしたといえる。
粉飾決算の狙いの一 つは銀行からの融資を継続させることにあっ たとはいえ、それ以上に大橋元社長が強く意 識していたのは業界内での位置付けだった。
実際、民事再生手続き直後に開かれた株主総 会で、大橋元社長は粉飾決算を続けてきた理 由を「業界内での地位を維持するために行っ てきた」と説明している。
高級外車やジェットヘリを乗り回し、夜は 銀座や北新地で豪遊を繰り返す。
「創業者の 實次氏から学んだのは夜の帝王学だけ」(フ ットワーク関係者)と酷評される二世経営者 の暴走を誰も止めることができなかったのだ ろうか。
イエスマンで固められた役員たちに とっては荷が重い仕事だった。
それでも会社が傾き始めた頃、本社で開か れた会議の席上で、勇気ある役員が大橋社長 に辞任を迫ったことがあった。
ところが、当 の本人は「会社が潰れるのであれば、それを 最後まで見届けることこそオーナー経営者と しての責務である」と辞任要請を軽く突っぱ ねたという。
物流業界には他人の手に渡るくらいなら会 社を潰してしまったほうがいいと公言するオ ーナー経営者が少なくない。
株主総会以来、 公の場に一度も姿を見せず、国内外を転々と しているため、真意を確かめることはできな いが、恐らく大橋元社長も彼らとまったく同 じ感覚を持っていたに違いない。
関係者の間では、フットワークの経営破た んは放蕩を続けた無能なオーナー経営者が招 いた悲劇であると結論付けられている。
債権 者集会で経営指標に関する簡単な質問にすら 答えられず、呆然と立ちつくす大橋元社長の 姿を見れば、それもあながち間違った見方で はないと感じられる。
しかし、本来は大橋元 社長をサポートすべき立場にありながら、事 なかれ主義を貫いてきた他の役員たち、そし て社員たちにも責任の一端はあるのではない だろうか。
大橋元社長に全ての責任を転嫁す るのは公平さを欠くだろう。
今年十二月に始動する新生フットワークで は当然、オーナー色は一掃される。
?裸の王 様〞を作り上げてしまうという同じ轍を踏ま ないかぎり、再建は成功する可能性が高い。
(刈屋大輔) 現在、フットワークは赤字垂れ流しを続け た宅配便事業を縮小し特積み事業に専念し ている

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