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AUGUST 2003 62
確かな手応えを残して会議が終わり
大先生と関係者は宴席に向かった
退社時間を迎える頃、大阪支店での会議が終わ
った。 クライアント側の参加者の表情には一様に
疲労がにじんでいる。 だが心の中では、今回のプロ
ジェクトで会社に何か大きな変化が起こりそうな手
応えを感じながら、会議室を後にしていった。
会議室の中では、女性社長と物流部長が大先生
に近づいて挨拶をしている。 支店長と営業部長も
慌てて大先生に近づき声をかけた。 ついさきほど大
先生一行と激しい議論を戦わせた直後だけに、二
人の挨拶は何となくぎごちない。
大先生に対して、どう接したらいいのか距離感
をつかみかねているようだ。 「今日はご指導ありが
とうございました」とは言ったものの、後が続かな
かない。
明日は大阪支店の倉庫を見ることになっている
ため、大先生はじめ東京組は今晩は全員が大阪泊
まりだ。 社長の指示で、支店長が懇親会の場所を
セットしていた。 大先生一行と社長、物流部長、そ
れに大阪支店からは支店長と営業部長が参加する
ことになっている。
懇親会についての社長から支店長への指示は、「必
ず個室を取るように。 食事は和食にしてください」
という簡潔なものだった。 個室にこだわったのは大
先生との宴会に不安を感じていたためであり、和
食というのは事前に美人弟子から得た情報による。
和食をセットしておけば大先生から文句が出るこ
とはまずない。
大先生たちはクライアントとすでに三、四回会
っているが、揃って酒席につくのは初めてだ。 酒を
飲むと大先生の物言いはより一層、ストレートに
なる。 それが楽しく展開すればいいが、悪い方に向
かうと一波乱起きる。 美人弟子はどう展開するの
かを楽しんでいるようだが、体力弟子は不安を隠
せない様子だ。
「先生には大阪に永遠の恋人がいるんです」
美人弟子の言葉に座が再び凍りついた
社長が乾杯の音頭を取り、宴会が始まった。 座
の雰囲気はまだ固い。 それを和らげようと社長が大
《前回までのあらすじ》
主人公の“大先生”はロジスティクスに関するコンサルタント。 コン
サル見習いの“美人弟子”と“体力弟子”とともに消費財問屋の物流改
善を請け負っている。 前々回からはクライアントの大阪支店に出張して
いて、支店長をはじめ営業や仕入れ担当者を向こうに回した会議に出席
している。 当初、大先生一行による指導に反発していた大阪支店の面々
だったが、ほどなく支店長も営業部長もやり込められてしまった。 コン
サル側の述べる正論に反論できなくなったのである。
湯浅和夫 日通総合研究所 常務取締役
湯浅和夫の
《第
17
回》
〜卸売業編・第5回〜
63 AUGUST 2003
先生に話し掛けた。
「先生は、大阪に来ると必ず行かれるところがあ
るとお聞きしてますが‥‥」
ビールを片手に大先生が、びっくりしたような
顔をする。 さきほどの会議での傍若無人ぶりが嘘
のように返事に窮してしまった。 その様子を全員
が興味深そうに見つめている。 軽い気持ちで話を
振った社長は、思わぬ展開に少し慌てた。
大先生はゆっくりとグラスを置くと、箸を取った。 返事をするのをやめてしまったようだ。 社長は『ま
だ興が乗っていないところで、この話は早すぎたか
しら』と反省しながら、困惑ぎみに美人弟子の顔
を見た。
「はい、先生は、大阪に永遠の恋人がいるんです
‥‥」
美人弟子の思いもかけない大胆な発言に、全員
が仰天しながらそちらを見る。 それから大先生の顔
をそっと窺った。 大先生は、そ知らぬ顔で前菜に
箸をつけている。
そのとき物流部長が、思いついたまんまの質問
を発した。
「昔お付き合いのあった方とかですか‥‥」
思わず美人弟子と社長が吹き出しそうになる。 大
先生は呆れた様子で物流部長を見ながら、くだけ
た口調で叱咤した。
「あんたねー、思ったことを口にするのはいいけ
ど、一緒に酒飲むのは今日が初めてだよ。 しかも宴
が始まったばかりで、その手の話がふつー出ると思
う? もう少し常識的に考えてごらんな」
言葉はきついが、別に怒ってはいないようだ。
IllustrationELPH-Kanda Kadan
AUGUST 2003 64
「はぁ、すいません。 先生ならあるかなと‥‥」
大先生がビールをかける真似をした。 物流部長
が大げさにのけぞる。 大先生なら本当にかけるかも
しれないと思ったためだ。
このやりとりで、座は一気に和らいだ。 やはり物
流部長は貴重な存在だ。 笑みを浮かべた美人弟子
が後を引き取り、その場の雰囲気に合わせてざっ
くばらんに解説した。
「先生の恋人というのは青磁の花瓶です。 中ノ島の
美術館にあるのですが、先生はあの花瓶にぞっこん
なんです。 大阪に来るたびに、無理にでも時間を作
って会いに行くんです。 明日も仕事を早く切り上
げて行くぞとおっしゃってます」
物流部長が、またも思いつきを口にする。
「せいじって名前ですか?」
「はい、焼きものの種類の名前です」
美人弟子が当意即妙の返事をする。 物流部長が
首を傾げながら中途半端に頷く。 物流部長がまた
何か変なことを言い出したら大変だとでも思ったの
か、すぐに社長が一つの提案をした。
「お邪魔でなければ、私どももご一緒してよろし
いでしょうか。 先生がぞっこんという花瓶に私、す
っごく興味があります」
そこに、それまで妙に真面目な顔で話を聞いて
いた営業部長が突然、口を挟んだ。
「それは『飛び青磁花生け』のことですか? そ
れなら私も大好きです。 あんな美しいものはないと
思ってます」
その言葉を聞いた途端、大先生の目がきらっと
光った。 大先生が身を乗り出して営業部長に話し
掛ける。
「そうですか、あなたもあれが好きですか。 美し
いと思いますか。 へぇー、そうですか‥‥」
大先生の言葉に、営業部長が頷きながら返事を
する。
「はい、しょっちゅう見に行きます。 行くたびに
違った表情を見せてくれます」
今度は大先生が同意する。 大先生の顔がほころんでいる。 そして、社長の提案を快く受け入れた。
「それじゃあ、明日、一緒に行きましょうか」
社長が嬉しそうに大きく頷いた。
宴席が順調に盛り上がってきたとき
唐突に営業部長が本音を語り始めた
酒が進むにつれて、それぞれの個性が出てきた。
社長と美人弟子は、いくら飲んでも毅然としてい
る。 酒に弱い体力弟子は、いつものように半分寝
ているようだ。 物流部長は真っ赤な顔で他愛もな
いことを次々と口にして、みんなを笑わせている。
アルコールが入って緊張が解けたためか、支店長
も結構饒舌だ。 自宅での趣味の野菜作りの苦労な
どを、物流部長と話題を奪い合うように話してい
る。 営業部長は静かにみんなの話に合わせているだ
けだ。
大先生はと言えば、話を聞いているのかいないの
か、考えごとでもしているのか、孤高の境地にいる
ようだ。 ときどき社長が気遣って大先生を見てい
るが、声の掛けようがない。
宴たけなわの頃、それまで黙っていた営業部長
が、独り言のようにゆっくりと話し始めた。 酔っぱ
65 AUGUST 2003
らってはいるが口調はしっかりしている。 それまで
騒々しかった座が静まり返った。
「実は、今日、先生方の質問を受けながら、私は忸
怩たる思いだったんです。 先生方のおっしゃる通り
です‥‥。 そのとおりです。 始めはいったい何のコ
ンサルだという反発のような気持ちがあり、いろい
ろ言いましたが‥‥。 それに対して先生が何もおっ
しゃらないので、自分はなんか言い訳ばっかりして
いるような気持ちにさせられて、最後の方は情けな
い気持ちになりました‥‥」
こう言って、営業部長は大先生を見た。 営業部
長の顔が歪んでいる。 大先生と目が合うと慌てて
支店長の方に視線を移した。
「これは、支店長も同じではないでしょうか?」
神妙な顔で聞いていた支店長も深く頷く。 営業
部長が続ける。
「正直言いまして、私どもでは提案営業なんても
のはやっておりません‥‥あ、一人、若手で優秀
なやつがいて、こいつはそれらしきことをやってい
るようですが、あとは、行け行けどんどんの営業で
す。 お客様のためなんて口では言っていますが、正
直、お客のことなんか考えていませんでした。 とに
かく、押し込んで来い、売り上げを上げろばっかり
でした‥‥」
ここで営業部長は一気に杯をあおった。 空いた
杯に、隣に座っている支店長が酒を注ぐ。 何とな
く、しんみりとしてきた。
こういうとき大先生は、わざと水を差すことが多
い。 何かとんでもないことを言い出すのではないか
と体力弟子は気がきでない。 さすがの美人弟子も
ちょっと心配そうだ。 二人の不安をよそに大先生
が静かに口をはさんだ。
「でも、もうそんなやりかたでは通用しなくなっ
てきた。 営業を変えなきゃと思いながら、これまで
のやり方にどっぷりつかった営業マンたちをどう変
えるか、思い悩んでいた‥‥」
大きく頷きながら、営業部長はすがるような目
で大先生を見た。 みんな営業部長の心情を思いや
って、静かに見守っている。 いい場面だ。 今にも傍らの支店長が『君の気持ちはよくわかる』なんて言
いながら、営業部長の手を握りそうな気配だ。
下手な芝居に流れそうな雰囲気を、大先生が破
った。
「でも、あなた方の営業にも販売技術はあるでし
ょう」
みんなの、びっくりした視線が大先生に集まる。
いったい何を言い出すつもりなのか。 まさか、あの
大先生が営業部長をフォローしようとでもいうのか。
「二大販売技術というやつがね。 一つは、安くし
ますから買ってください。 もう一つが、売れ残った
ら引き取りますから、いくらでも仕入れてください
‥‥かな」
そう言うと、大先生はにっと笑った。 決してフォ
ローではなかった。
一瞬、座に妙な空気が流れる。 みんな、どう受
け止めたらいいのか戸惑っている。 その空気を当の
営業部長が引き取った。
「まったく、おっしゃるとおりです。 おかげで売
り上げは下がるし、返品は多い。 ひどい目に遭って
ます‥‥」
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「なるほど、いい話だなー」
物流部長のわけのわからない相槌が、みんなの笑
いを誘った。
「そういうのを机上の空論と言うんだ」
宴会は大先生の指導の場へと一変した
「それで、営業のやりかたを変える気になった?」
大先生が、支店長と営業部長の二人を見ながら
問い掛けた。 支店長が即答する。
「はい、前からそう思ってましたので、今度こそ
‥‥」
支店長の発言を遮って、大先生の叱責が飛んだ。
「前から思ってたなんて言い訳のような発言はよ
しなさい。 結局、何もしなかったんだから。 しなか
ったってことは思ってなかったってことだよ。 今後、
私の前では、言い訳やできない理由の類の発言は
一切ご法度。 いいね」
大先生の勢いに圧倒されて、すぐに二人が頷く。
つられて物流部長も、何度も大きく頷いている。 そ
れを見ながら大先生が続ける。
そろそろ宴席も終盤なのだが、すっかり指導の場
に変わってしまった。
「それで、変えるためにどうする?」
ちょっと間を置いて支店長が自信なさげに答え
る。
「やはり、営業の連中の意識を変えることから始
めるべきかと‥‥意識改革のための指導とかマニ
ュアルをつくるとか‥‥」
美人弟子が『まずいっ』と思う間もなく、再び
大先生の怒声が飛んだ。
「だから、考えていないっていうんだよ。 指導と
かマニュアルなんぞで意識が変わると本気で思って
るの?」
支店長が、慌てて首を振った。
「そういうのを机上の空論って言うのさ。 よく学
者の話を机上の空論なんて言うけど、それは間違
い。 実は、机上の空論は実務家にこそ多い。 わかる? その手の空論で多くの企業がお金と時間の
浪費をしている。 それが実態さ」
ここで大先生は一息入れた。 空の杯に手を伸ば
す。 慌てて前に座っていた社長が酒をつぐ。 一気
に飲み干さなければいいがとの美人弟子の心配を
よそに、大先生は杯をあおった。
「いいかぁ、意識なんか変える必要はないのさ。 ま
ず行動を変えさせる。 意識はそれについてくる。 新
しい営業の考え方だとか方針はそこで伝えればいい。
行動が変わり始めていれば、意識も自然に変わる。
これが手順。 わかる?」
支店長と営業部長が曖昧に頷く。
「よしっ。 それでは、行動を変えさせるために具
体的にどうするか、そちらで考える。 簡単なことだ
からね。 難しく考えないこと。 いいね」
大先生から宿題が出たところで、宴会は終わっ
た。
宿泊先への道すがら、「今日の師匠はおとなしか
ったですね」という美人弟子の言葉に、心配性の
体力弟子も安堵の表情を見せた。
(次号に続く)
ゆあさ・かずお1971年早稲田大学大学
院修士課程修了。 同年、日通総合研究所入
社。 現在、同社常務取締役。 著書に『手に
とるようにIT物流がわかる本』(かんき出
版)、『Eビジネス時代のロジスティクス戦
略』(日刊工業新聞社)、『物流マネジメント
革命』(ビジネス社)ほか多数。
PROFILE
*本連載はフィクションです
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