ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2003年9号
ケース
長浜キヤノン―― 現場改善

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

SEPTEMBER 2003 42 生産管理から物流に転身 「同じ仕事を二〇年以上も続けていれば、誰 だって飽きちゃいますよ」――。
会社に忠誠 を誓うサラリーマンとしては、いささか不謹 慎な発言なのかもしれない。
しかし、それが 長浜キヤノンの丹治克之第一製造部長の本音 だった。
同氏は入社以来、一貫して製造畑を歩んで きた。
専門は部品の過不足や組み立て作業の 進捗を監視するといった生産管理の仕事。
長 浜キヤノンを代表する生産管理のプロフェッ ショナルとして二〇年以上にわたって活躍し てきた。
しかし、次第に日々の業務に物足りなさを 感じるようになっていたという。
生産管理を 極めた結果、すっかり仕事に飽きてしまった のだ。
「工場の業績は生産管理の成否に大き く左右される。
それだけにやりがいもあった。
ただし、私個人としてはもう十分だった。
ま ったく畑違いの仕事に挑戦してみたいという 気持ちが徐々に強まっていった」と丹治部長 は打ち明ける。
九五年、そんな丹治部長に転機が訪れた。
この年、長浜キヤノンは物流センターを経由 せず、工場から直接顧客に製品を配送する 「工場バンニング」を開始した。
同社にとっ て工場バンニングとは、製品の工場直送化を 指す。
丹治部長はこの物流改革プロジェクト のメンバーとして参画することになった。
生産管理のプロが考案・実行した 物流を切り口にした工場の全体最適 キヤノンが100%出資する生産子会社。
98年 以降、「生産革新」活動の一環として工場物流 の改善に着手、一定の成果を上げてきたが、 プロジェクトチームは満足していなかった。
2002年、物流を軸に生産のあり方を見直すと いう新たなアプローチで再び改善に取り組む ことになった。
長浜キヤノン ―― 現場改善 43 SEPTEMBER 2003 生産管理一筋で過ごしてきた丹治部長にと って、物流はまったく未知の世界だった。
そ れだけにプロジェクトでの活動はどれも新鮮 に感じられた。
同社の生産管理システムは完 成度が高く成熟していたのに対して、物流の 仕組みには荒っぽさが残っていた。
手つかず の領域が多いことが、逆に丹治部長をやる気 にさせた。
「物流には改善の余地がまだまだたくさん ある。
これから面白くなりそうだ」――。
プ ロジェクトを進めていくにつれ、丹治部長は すっかり物流のとりこになった。
そして今後 のサラリーマン人生を生産管理ではなく、物 流に捧げたいという気持ちになっていった。
しかし、プロジェクト終了後は再び生産管理 の仕事に従事する毎日に舞い戻った。
それから二年後。
丹治部長に生産管理から 物流に転身するチャンスが再度、巡ってきた。
九七年、キヤノンはグループの生産拠点を対 象に「生産革新」プロジェクトを立ち上げる と発表。
長浜キヤノンではプロジェクトの一 環として工場の製造工程を従来の流れ作業の 「ライン方式」から、作業員一人が多工程を担当する「セル方式」に切り替えることにな った。
これに伴い、生産物流の見直しも不可 欠に。
社内に物流改善のための専門部隊を用 意することが決まったのだ。
この話を耳にした丹治部長は真っ先に手を 挙げた。
願ってもないチャンスだ。
「どうして も物流に携わりたい」と上司に懇願した。
そ の熱意が伝わったのか、会社側は丹治部長が 統括していた「生産管理二課」を、事実上の 物流部隊として生産物流の見直しを主導して いくことを認めた。
所属はあくまでも生産管 理部門だったが、物流に専念したいという二 年越しの希望がようやく叶った。
最初の改善は不完全燃焼 わがままを許してくれた会社への恩返しは 大きな成果を上げることだ。
物流改善に対す る丹治部長の意気込みは相当なものだった。
その熱意はプロジェクトチームのメンバーた ちにも十分伝わっていた。
当時のメンバーの 一人は「(丹治部長は)物流は門外漢である はずなのに、物流にとても詳しくなっていた。
工場バンニングのプロジェクト以降、恐らく 先進的なメーカーの改善事例などについて研 究を重ねていたに違いない」という。
「生産革新」プロジェクトで丹治部長率い る生産管理二課が最初に取り掛かったのは、 工場の「納品」と「出荷」部分の物流改善だ った。
納品は組み立て作業を行うセルに部品 を供給するまで。
一方、出荷は組み立て作業 を終えた製品を配送トラックに積み込むまで を指している。
つまり構内物流の「入り」と 「出」の両端部分にメスを入れようというも のだった。
次ページの図1のように、八九年の操業開 始以来、長浜キヤノンの工場は、工場の東側 から西側に向かってモノが流れるようにデザ インされていた。
東側に部品用の自動倉庫を 置き、そこからコンベアに部品を流していく。
そして流れ作業で組み立てた製品を西側の製 品自動倉庫にいったん格納後、配送トラック に積み込む、というフローだった。
東から西 へ、物流の動線はすっきりとしたかたちにな っていた。
しかし、コンベア生産からセル生産への移 行に伴い、物流動線が錯綜するようになった (図2)。
部品の投入から組み立て、製品出荷 に至るまでの流れが、直線からクランク(折 れ曲がり)状態に歪められ、搬送距離は従来 に比べ大幅に伸びてしまった。
そこでプロジェクトチームは工場レイアウ トの刷新を提案した。
工場の東側から西側へ モノを流すのではなく、東西両側から部品を 供給してセルで組み立て作業を行い、北側か ら製品を出荷していく、というものだった。
結局、この改善案が認められ、工場レイアウ トは大きく様変わりした。
これに伴い、部品用と製品用の自動倉庫を 撤去した。
従来は部品納入と部品の空箱の回 長浜キヤノンの丹治克之第一製 造部長 SEPTEMBER 2003 44 収をそれぞれ別の場 所で行っていたが、 それを同一の場所で 行えるようになった。
もともとはセルで組 み立てた製品を溜め ておくスペースを用 意していたが、セル から直接出荷する体 制に切り替えること もできた(図3)。
こうして納品と出 荷の部分の効率化は 一気に進んだ。
しか し、丹治部長にはま だ不満が残っていた。
モノの出入りの部分 は理想的な姿となっ たが、肝心の製造物 流にはまったくメス を入れることができ ていなかったからだ。
各セルにおける人と モノの動きは従来の まま。
モノの「乱 流」や「逆流」現象 が発生し、整理され た流れとは言えなか った(図4)。
実は丹治部長には 以前から温めていた一つのアイデアがあった。
それは「物流を切り口にした工場の全体最適 化」である。
それまでの生産管理の発想を一 八〇度改め、生産ではなく、物流を最優先す る。
スムースな物流を実現するために生産の あり方そのものを見直してしまおう、という アプローチだ。
まず工場内のマクロ的なモノの流れを決め てしまう。
これは長浜キヤノンの工場でいう と、九八年から始めた東西から北側に向かう 流れを指す。
そして、このマクロ的な流れに 沿うかたちで、セルでの組み立て作業の動き を改める。
マクロ的な流れと逆行する動き、 例えば、組み立て作業員が流れとは反対の方 向に歩いて部品を取りに行ったりする動きな どをすべてなくしていく、というものだった。
ところが、このアイデアはなかなか受け入 れてもらえなかった。
製造部門に提案したも のの、すぐに現場から反対の声が上がった。
物流のために大幅な生産体制の見直しを余儀 なくされることに抵抗があったためだ。
他の メーカーと同様に長浜キヤノンでも、製造部 門は物流部門に比べ社内的な発言力が強い。
プロジェクトチームが持ち込んだ斬新なアイ デアも製造部門にしてみれば?生意気な提 案〞にすぎなかった。
それでも当時の工場長は「物流を切り口に した工場の全体最適化」を理論的には認めて くれた。
しかし現場が首を縦に振ろうとはし ない。
結局、「生産革新」プロジェクトのス タートとともに発足した物流改善プロジェク トは二〇〇二年三月をもって解散。
丹治部長 のアイデアはお蔵入りとなった。
改善の六つのステップ プロジェクトチームの解散から三カ月後、 丹治部長に三度目のチャンスが訪れた。
人事 異動によって現在のポストである製造部長へ の昇進を果たしたのだ。
「今度は自分が首を 縦に振れさえすれば、アイデアを具現化でき る」――。
一気に視界が開けた。
幸運は重なった。
同じタイミングで物流部 隊であるロジスティクス推進課(二〇〇〇年 四月、生産管理二課から改称)の課長に、プ ロジェクトチームの一員だった下司昌孝氏が 就任した。
丹治部長のアイデアに同感する仲 間が集まり、「物流を切り口にした工場の全 図1 89年〜 ベルトコンベア 北 南 西 東 部品 自動 倉庫 製品 自動 倉庫 北 南 東 西 部品 自動 倉庫 製 品 自 図2 セル生産開始直後 セル セル セル セル セル セル セル セル セル セル セル セル 搬送距離が長い 部品ストア 製品 ストア リフター 北 南 西 東 図3 現在 製造エリア 長浜キヤノンの工場レイアウトの変遷 図4 製造物流では「逆流」「乱流」が発生していた 納品場 納品場 出荷場 乱流 北 西 東 逆流 セル中心のレイアウト 45 SEPTEMBER 2003 体最適化」を実行に移す体制が整った。
善は急げと言わんばかりに、その後の動き は極めて迅速だった。
人事異動の翌月には早 くも新たなプロジェクトを発足させた。
さら に二週間後にはプロジェクトのゴールとなる 「無駄な物流動線がない新たな工場レイアウ ト」の概略を決定。
すぐにセルの配置替えな ど具体策を実行した。
そして当初の予定通り、 九月末までにすべてのレイアウト変更を済ま せてしまった。
「土日の休日、さらに夏休みも返上してプ ロジェクトを進めていった。
工場での生産を 停止させるわけにはいかなかったので、レイ アウト変更は三段階に分けて実施した。
九月 末までの三カ月間は目が回るほどの忙しさだ った」とプロジェクトに参加したSA部ロジ スティクス推進課の若林房和課長代理は当時 の様子を振り返る。
プロジェクトチームは、「?意識改革」、「? 整理・整頓」、「?一元化」、「?整流化」、「? サイクル化」、「?からくり」――の六つのス テップを踏んで物流改善を進めていった。
最 初に「?意識改革」の段階でプロジェクトの 最終的なゴールを決めた。
ここでいうゴール とは改善終了後の工場レイアウトだ。
マクロ 的なモノの流れとは逆行しない格好で作業が 進められるようにセルを配置した工場の見取 り図である。
以前、製造部門に対して提案し たアイデアに若干の修正を加え、レイアウト 図を完成させた。
続いて「?整理・整頓」に取り掛かった。
これは作業現場から不要物を取り去り(整理)、 必要物をすぐに取り出せる(整頓)環境に改 めることを意味する。
プロジェクトチームは この整理・整頓こそが現場改善の基礎である と位置付け、?二つの作戦〞を展開した。
そのうち一つが「赤札作戦」だ。
工場のス タッフ全員で工場内に置かれている不要と思 われるモノに赤い札を貼っていく。
スペース を有効活用するための「間締め」といわれる 活動だ。
身の回りのモノを自分で不要と判断 するのはなかなか難しい。
そこで第三者の目 に赤札貼付を委ねた。
二つ目は「イチロー作戦」。
これは雑巾が けを習慣づけるための活動だ。
作業員全員に 雑巾を一枚ずつ配り、毎日決まった時間に一 分間だけ身の回りを拭き掃除させる。
汚れ具 合をチェックして、評価の低い職場には改善 を促した。
「ダラダラと雑巾がけをするのではなく、汚 れを探して拭くように、と指示した。
簡単に 掃除を済ませるためには身の回りにモノを置 かないほうがいい。
イチロー作戦には職場を 綺麗にすることのほかに、工場内から不要物 を排除するという狙いも込められている」と 丹治部長は説明する。
ちなみにこの作戦の名前は米国メジャーリ ーグで活躍中のイチロー選手に由来している。
同選手は幼い頃からバットやグラブ、スパイ クなど野球道具の手入れを毎日欠かさないと いう。
この習慣を見習おうという意味で「イ チロー」の名が付けられた。
作業場をU字型からI字型に変更 「?一元化」のステップでは在庫の集約化 に取り組んだ。
部品ベンダーから納入された 部品を一時保管する場所を「ストア」、一方 セル側での保管場所を「レイゾウコ」と名付 け、この二カ所以外には部品在庫を一切置か ないというルールを設けた。
部品在庫が散在 するのを防ぐことで、在庫削減に結びつける のが目的だった。
次の「?整流化」は、モノの流れや人の動 きを一定方向に改めるステップである。
最初 にセルのレイアウトを見直した。
マクロ的な 流れと逆行する動きを引き起こすのは作業レ イアウトが「U字」型になっているためであ 作業員全員に雑巾を 配布し、身の回りを 拭き掃除させる「イ チロー作戦」を展開 した SEPTEMBER 2003 46 ると判断。
作業員の動きが一定になるようセ ルを「I字」型に切り替えた。
部品や製品の搬送をスムースに行うために 工場内の通路レイアウトも大幅に改めた。
通 路にクランクした箇所があると、どうしても ムダな動きが発生してしまう。
そのため、基 本的に通路は直線型にした。
また、搬送作業 の安全性や作業性を確保するため、歩行者が 進入できるエリアを制限するといったルール も新たに設けた。
続く「?サイクル化」は工場内で発生する 作業をできるだけ少ない人員で済ませるため に、繰り返し型の作業に切り替えていくステ ップだ。
ここではベンダーが納品した部品を 保管する「ストア」から、セル側の保管場所 である「レイゾウコ」に部品を補充する作業 を改善した。
従来、「レイゾウコ」に部品補充する作業員は目視で「レイゾウコ」内の部品の過不足 をチェック。
部品が足りなくなるのを見計ら って、「ストア」に部品を取りに行き、「レイ ゾウコ」に補充していた。
部品を取りに行く タイミングはいつもバラバラ。
作業員の勘に 頼っていた。
そのため「レイゾウコ」内の部 品が不足して組み立て作業が滞るなどの問題 が生じていた。
そこで新たに「買い物カード」を導入した。
このカードにはどのタイミングで、どの「レ イゾウコ」に、どの種類の部品をどれだけの 量補充すればいいのかが細かく記されている。
「レイゾウコ」に部品補充する作業員はカー ドの指示に従って、「ストア」に部品を取り に行けばいい。
この仕組みによって「レイゾ ウコ」で発生していた部品在庫の過不足は解 消された。
最後のステップは「?からくり」だ。
ここ では工場内で繰り返し行われる作業をムダな く行うための様々な道具を開発した。
具体的 にはセルで使用される製品組み立て用台車を、 組み立て作業の最終工程から先頭工程へ無人 で戻せる道具を開発、導入した。
そのうちの一つが「モドレール」だ。
組み 立て作業の最終工程から先頭工程までの間に レールを敷き、その上を製品組み立て用台車 が走り、自動的に先頭工程に戻っていくとい う装置だ。
導入後、作業員たちは台車をわざ わざ歩いて戻しにいく必要がなくなった。
物流強化が生き残りの条件 長浜キヤノンでは今回の物流改善によって、 工場内の搬送人員を約三割カット、部品在庫 の一八%削減に成功した。
それでも丹治部長 は「工場にはまだまだ課題が多く残されてい る」と気を緩めない。
引き続き改善に取り組 み、キヤノングループ各社から「物流の長浜」 と呼ばれるのに相応しい事例を次々と世に送 り出していきたいと意気込んでいる。
丹治部長は、こうして物流に力を注いでい くことこそが中国や東南アジアの新興メーカ ーとの競争に勝ち抜いていくための絶対条件 になるという信念を持っている。
そして「当 社のような製造に特化した会社は、生産その もの、つまり工場の仕組みそのものを商品と してセールスしていかなければならない。
他 社には真似のできないような革新的なものづ くりの仕組みを持たなければ、これからは競 争に負けてしまう。
現在、物流を切り口に効 率化を進めている工場はほとんどない。
だか らこそ物流が最大の武器になる」と力説する。
一般に日本の有力メーカーの生産拠点は、 乾いた雑巾をまた絞ると言われるほど改善が 進み、ムダが少ないと認識されている。
しか し、これはごく一部の企業の話だ。
これまで 製造部門主導で進められてきた生産拠点の改 善に、物流という新たな視点を加えることで、 新たな道が開ける可能性がある。
長浜キヤノ ンが、それを証明している。
(刈屋大輔) 通路レイアウトの見直 しで部品や製品の搬送 はスムースになった

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