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奥村宏 経済評論家
第16回 流行する陰謀理論の虚実
SEPTEMBER 2003 52
ネオ・コン=ユダヤ系アメリカ人が世界を支配しようとしている――そんな
陰謀説が流行している。 その真偽のほどはともかく、アメリカの多国籍企業や
ウォール街の金融資本が世界経済の支配を狙っているのはれっきとした事実だ。
ただし、彼らとて決して万能ではない。
「帝国」とネオ・コン
「イラクにデモクラシーを持ち込み、全体主義の体制を倒
すためにアメリカは攻撃したのだが、当のアメリカが全体主
義に近づき、デモクラシーが弱まっている」
アメリカの著名な政治学者であるシェルドン・ウォーリン
はこのように指摘している(「逆・全体主義」―『世界』二
〇〇三年八月号)。
そして、アメリカではこれまでめったに使わなかった二つ
の政治用語が急に使われるようになった。 それは「帝国」と
「超大国」という言葉だ、とウォーリンは言う。
「超大国」という言葉はともあれ、「帝国」とか「帝国主
義」という言葉は、ソ連解体後は死語になっていた。 ところ
がアントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『帝国』(水島
一憲訳、以文社)という本が二〇〇〇年にアメリカで出版
されて以来、「帝国論」ばやりである。
「帝国」と並んで、もうひとつ流行語になっているのが「ネ
オ・コン」である。 ネオ・コンサーバティブ、新保守主義の
略語だが、イラク戦争はこのネオ・コンが仕掛けたものであ
り、いまやアメリカを支配しているのはネオ・コンだといっ
た議論が流行している。
ウオルフォウィツ国防副長官などに代表されるネオ・コン
の多くはユダヤ系アメリカ人であるところから、ネオ・コ
ン=ユダヤ人が世界を支配しようとしているという議論が盛
んに聞かれる。
もうひとつ、「イラク戦争はアメリカの石油資本の陰謀だ」
という議論も盛んだ。 イラクをはじめとする中東の石油資源
をおさえることによって、アメリカの多国籍企業が世界を支
配しようとしているというわけだ。
こうしてイラク戦争はアメリカの多国籍企業、そしてネ
オ・コン、さらにユダヤ人が世界を支配しようとする陰謀に
よるものだ、という主張がいまや世界的に流行している。
石原慎太郎の陰謀理論
「ユダヤ人が陰謀をめぐらせて世界を支配しようとしてい
る」といったような議論は第二次世界大戦前から盛んにあ
った。 ヒトラーのナチスがそうだったし、スターリンもその
ように信じていた。
この陰謀理論(コンスピラシー・セオリー)の現代版とも
いうべきものが石原慎太郎東京都知事の主張だ。 『宣戦布告、
「NO」と言える日本経済』(光文社)がそれで、一九九八
年、石原氏がまだ東京都知事になる前、そしてイラク戦争
の前に出している。
この本の著者は石原慎太郎と一橋総合研究所となってお
り、鈴木壮治と市川周という、ともに一橋大学を出て三井
物産に勤めていた人の名前が表紙カバー裏に記されている。
この本が出た当時はクリントンが大統領で「ネオ・コン」
も「帝国」という言葉もまだ流行していなかった。 しかし、
この本は当時の財務長官ルービンも副長官サマーズも、そし
てオルブライト国務長官もユダヤ系で、これらの人がクリン
トン政権を支えている。 そして有名なヘッジ・ファンドのジ
ョージ・ソロスもユダヤ人で、彼らが日本をやっつけて支配
しようという陰謀をめぐらせているというのである。
日本の株価をあおっておいてバブルを起こさせたのも彼ら
であり、そして株価を暴落させたのも彼らである。 山一証券
を経営破綻に追い込んで、支店と従業員を安く買い取った
り、日興証券をアメリカ資本の配下に入れたのも彼らである。
そればかりか一九九七年のアジア通貨危機はユダヤ系の先
兵として働いたジョージ・ソロスが仕掛けたものであるとい
うわけだ。
「現代の日本の深刻な状況を招き起こした日本のバブルに
火をつけたのも、ビッグバンという名のグローバリゼーショ
ンを押しつけてきたのも、アメリカ自身ではないか」(同一
六頁)と石原氏は言う。
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陰謀によって搾取されているというような主張が盛んであっ
た。 この陰謀理論を唱えたのはポピュリストたちだったが、
ホーフスタッターはこれについて上記のように述べている。
アメリカは万能か
そのホーフスタッターは「歴史には陰謀などの働く余地は
ないのだと考えることはもちろん誤りであろう」、「しかし陰
謀を歴史の中に位置づけることと歴史は事実上、陰謀であ
るということ、すなわち、時として起こってくる陰謀的な行
為を選び出すことと、社会についての説明という大きな織物
を悪しき陰謀という糸だけで織り出すこととの間には大きな
差異があるのである」(同六六頁)と書いている。
ユダヤ人が世界を支配しようとしているかどうかは別とし
て、アメリカの多国籍企業が中東石油を支配しようとしているのは、れっきとした事実だし、ウォール街の金融資本が
世界経済を動かそうとしていることも事実である。
しかし、ユダヤ人にせよ、ネオ・コンにせよ、万能ではな
い。 彼らがいくら陰謀をめぐらせても世界を支配することは
できない。 また、アメリカの多国籍企業やウォール街の金融
資本が世界経済を支配しようとしてもそれは容易ではない。
アメリカは外国からの証券投資によって成り立っているの
で、いうなれば「世界の乞食だ」と言うのがフランスの人口
論学者エマニュエル・トッド(『帝国以後』石崎晴巳訳、藤
原書店)だし、さらに「世界システム論」者として日本でも
有名なイマニュエル・ウオラースティンも「アメリカの弱さ
とへゲモニーのための斗争」という論文(『マンスリー・レ
ビュー』二〇〇三年七、八月合併号)で同じような主張を
している。
アメリカ資本が世界経済を支配しようとしていることは事
実だが、しかしそれは万能ではない。 それどころかその弱さ
のあせりがイラク戦争であり、ネオ・コンはそのあせりを代
表しているのだとウオラースティンは言う。
「マネー敗戦」と「売られるアジア」
この石原慎太郎氏の主張は俗受けし、先きの本も当時は
ベストセラーになった。 ところが、このような陰謀理論はあ
ながちナチスやスターリン、そして石原慎太郎のような人物
によって主張されているだけではない。
最近出た本でいえば、例えば神奈川大学教授吉川元忠氏
の『マネー敗戦』(文春新書)がそうだし、京都大学教授本
山美彦氏の『売られるアジア』(新書館)もそうである。
これらの本は日本のバブル崩壊、そしてアジア通貨危機は
いずれもアメリカ資本の陰謀によるものだとしており、吉川
氏の主張は石原氏の本にも取り上げられている。 これに対し
て本山美彦氏はもともとマルクス経済学者であり、いうなれ
ば左翼であるが、この本では右翼と似たような陰謀理論を
展開している。
ごく最近では田中宏神奈川大学教授の『時価会計不況』
(新潮新書)という本が評判になっているが、これは国際会
計基準の統一による時価会計の導入は日本をやっつけるた
めのアメリカ資本の陰謀だという議論である。
このような陰謀理論の流行をどのようにとらえるか、われ
われの判断力がためされている。 歴史家のR・ホーフスタッ
ターによると、陰謀理論が流行するのは、政治的、社会的
な対立が激しいときで、これに特に動かされ易いのは、
「程度の低い教育しか受けておらず、知識や情報を受けに
くい立場にあり、そして、権力の中枢に接近することからは
完全に閉め出されている結果、自分たちは自己防衛の手段
を全く奪われており、権力を揮う人々による操縦に無制限
に従わされていると感じているような人々である」(R・ホ
ーフスタッター、斉藤真他訳、『アメリカ現代史』みすず書
房、六五頁)という。
アメリカで陰謀理論が流行したのは十九世紀後半、南北
戦争の後だが、アメリカの農民はウォール街の金融資本の
おくむら・ひろし 1930年生まれ。
新聞記者、経済研究所員を経て、龍谷
大学教授、中央大学教授を歴任。 日本
は世界にも希な「法人資本主義」であ
るという視点から独自の企業論、証券
市場論を展開。 日本の大企業の株式の
持ち合いと企業系列の矛盾を鋭く批判
してきた。 主な著書に「企業買収」「会
社本位主義は崩れるか」などがある。
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