ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2003年9号
特集
失敗に学んだ物流 日米の物流カルチャーの違いを痛感

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

SEPTEMBER 2003 22 米国で3PLの台頭に直面 センチュリーロジスティクス(CLC)が運営して いた案件を伊藤忠倉庫に移し、最終的に会社をたた んだのは九九年三月でした。
創業が九六年一〇月で すから、清算まで二年半ということになりますが、最 後の半年は残務整理に入っていたので、実質的な活 動期間はちょうど二年でした。
二年で軌道に乗らなけ れば撤退するというのは、CLCの株主である伊藤忠 商事や伊藤忠倉庫との当初からの約束でした。
CLCのアイデアは私がアメリカで3PLと出会っ たことがキッカケでした。
私は九三年から三年あまり、 シカゴにある伊藤忠の現地法人、ゴトウディストリビ ューション(Gotoh Distribution Service, Inc )の社 長をしていました。
当時、アメリカのマスメディアに は「3PL」という言葉が毎日のようにとりあげられ ていました。
ブームと呼べるほどでした。
日系自動車メーカーや小売りチェーンなどを荷主と する我が社(Gotoh )も、毎年のように物流経費の削 減を要求されていました。
そのまま要求を呑めば物流 会社である当社の売り上げは減ってしまう。
売り上げ は減っても粗利を減らさない方法はないかと色々と考 え、改善提案を実施していきました。
この時の経験か ら3PLのノウハウを学びました。
九五年に日本に戻りました。
米国流の3PLを日 本市場にも導入できるのではないかと考え、事業計画 を練りました。
日本でいきなり3PLと言っても、す ぐに荷主に理解してもらうのは難しいかも知れない。
そこで事業の柱として3PLともう一つ、求車求貨シ ステムに目を着けました。
米国では3PLブームと同じ頃、求車求貨システム も登場し、市場に定着し始めていました。
3PLから 定温物流に特化した求車求貨システムの運営と物流コンサルティン グを2本柱に、本格的な3PLを日本市場に導入する――そんなシナ リオを描いて伊藤忠商事は96年にノンアセット型3PLのセンチュリ ーロジスティクスを立ち上げた。
2001年までに運送会社1000社、車 両2万台を組織化しようという意欲的なプロジェクトだった。
岸井巍次 伊藤忠商事 北陸企画開発室室長兼本社物流部門担当部長 元センチュリーロジスティクス社長 入るのは敷居が高いけれど、求車求貨システムによる 支払い運賃の削減であれば、効果がはっきりしている だけに荷主の懐にも入り込みやすい。
そこから3PL へアウトソーシングの範囲を拡大するという戦略です。
しかも求車求貨システムを運用することで、CLC は自分で車両やドライバーを抱えないで済む。
ノンア セット系3PLが可能になるという点も魅力でした。
事実、米国市場ではノンアセット系3PLが、アセッ ト系よりも高い利益率と成長率を示していました。
通常のドライ貨物ではなく定温物流をターゲットに したのは、扱う荷物を絞ったほうが求車求貨システム のマッチングがスムーズになると判断したからです。
しかも定温物流は将来的に市場規模の拡大が期待で きるマーケット。
年率七〜八%の伸び率を示しており、 一〇年で市場規模が倍増する見通しでした。
また伊 藤忠自身が食品に強いということもありました。
マッチングする荷物の対象を絞ったことは今でも正 解だったと思っています。
そうしなければ求車求貨シ ステムの運営は成功しない。
荷物によって輸送の仕方 は違います。
荷物の種類が幅広くなればなるほど、収 拾がつかなくなってしまうことは目に見えていました。
マッチングにITを活用することにも迷いはありま せんでした。
昔から日本では電話でマッチングする業 者として「水屋」がいて、市場でそれなりの役割を果 たしていることは知っていました。
しかし電話だけで は全国規模の展開は難しい。
コンピュータを使わない 手はないと判断しました。
CLCの事業計画書は、会社の稟議をパスしまし た。
事業を立ち上げるにあたって、まず全国の定温物 流の運送会社の参加を募りました。
伊藤忠倉庫や関 係会社の各地の協力会社を中心に声をかけると、すぐ に一〇〇社ぐらいが集まりました。
全国をブロックに 特集2 失敗に学んだ物流 日米の物流カルチャーの違いを痛感 Keyword 3PL&求車求貨システム 23 SEPTEMBER 2003 分けて、最初に各ブロックのヘッドになる会社を決め ました。
するとヘッドになった会社が地元の仲間を集 めてくれました。
なかには口コミで自発的に参加して くれる会社もありました。
彼らに3PLやマッチング事業の詳細を説明し、C LC側からも各社の概要を調べたりして絞り、実際に 会員として入会したのが八〇社くらいでした。
3PL について、会員会社がどれくらい理解してくれたのか は分かりません。
彼らからすれば伊藤忠関連のいろい ろな荷物がもらえるのではないかという期待が先に立 っていたと思います。
それでも全国規模のネットワー クを作るための足がかりができたことには満足してい ました。
悪くないスタートでした。
地域限定という発想は、始めからありませんでした。
CLCの顧客ターゲットは全国規模の食品メーカーや 流通業者です。
そうした荷主に提案するのに、あそこ はできませんとか、ここはダメですとは言えない。
全 国どこでもできるという形をとる必要がありました。
全国の中小運送業者を組織化 会員企業の多くは車両保有台数で一〇台から一〇 〇台ぐらいの中小業者です。
最終的には会員を一〇 〇〇社ぐらいまで拡大して、二万台規模の定温物流 の全国ネットワークを作る。
それを荷主企業約五〇〇 社が利用する。
事業規模にして年間約一〇〇〇億円 を目標におきました。
その全体をCLCがコントロールするわけですが、 CLC自体が資産を持つわけではないため、資本金は 六〇〇〇万円という規模でした。
スタッフ数も私を入 れて男性五人、女性三人の計八人という小さな所帯 でした。
念頭にあったのは、もちろん米国のノンアセ ット系3PLです。
ただし、オーナーオペレーターと呼ばれる個人事業 のトラックドライバーが認められている米国とは違っ て、日本では運送業の最低車両保有台数に制限があ ります。
そのため米国のモデルをそのまま日本に持ち 込むことはできません。
実際、シカゴでは約一五〇台の車両を運用していま したが、そのリソースとして三つのパターンを使って いました。
一つは自社便。
もう一つがオーナーオペレ ーター。
そして三つ目がコントラクターといって会社 単位で契約している車両です。
これらを約五〇台ずつ 分散して管理していました。
米国の場合、組合対策と いう意味合いもありました。
一方、いわゆる?一人親 方〞が認められていない日本の場合、各地の中小運 送会社を組織化する形しかありませんでした。
求車求貨のマッチングシステムの構築には、富士ロ ジスティクスさんの協力を仰ぎました。
従来から日本 では富士ロジさんが「アクション」という求車求貨シ ステムを運営していることは知っていました。
実際に見学させていただき、よくできたシステムであること が分かりました。
求車情報を入力すると画面に五台くらいのトラック が候補として出てきます。
そこから先は人間系で、ど のトラックにするかを選択する仕組みでした。
自動的 に一番安いトラックにマッチングすると、安かろう悪 かろうが起きる。
それを避けているわけです。
IT屋 ではなく、物流のことをよく知った、物流屋の作った システムだと感心しました。
輸送中の状況を把握するために、デンソーの「オム ニトラックス」の導入も決めました。
GPS(衛星利 用測位システム)を利用して、車両の位置と庫内の温 度を三〇分間隔で把握するものです。
品質が重視され る食品物流では、こうしたIT武装が大きな武器にな SEPTEMBER 2003 24 るという判断でした。
荷主企業への営業は、私を中心にCLCの男性スタ ッフが当たりました。
荷主ごとに提案書を作って冷凍 冷蔵分野の荷主企業を回りました。
提案内容は相手 によって様々です。
3PLについて既に理解のある伊 藤忠関連の荷主などは、事前にデータをいただいて最 初から生産物流の改革案など突っ込んだ提案を持って いく。
他の荷主には求車求貨システムの利用から入る。
「提案書」で新規荷主を開拓 一社ずつですから手間はかかりますが感触は悪くあ りませんでした。
実際、日清食品、森永製菓、ホクト といった大手企業から注文をいただくことができまし た。
森永さんは求車求貨の利用から3PLに発展し たケースでした。
それまで日本では物流会社が提案書 をもとにプレゼンテーションすることなどありません でしたから、CLCのアプローチは新鮮だったのだと 思います。
富士ロジさんからの応援もあり、会社設立から半年 後の九七年四月にはマッチングシステムも稼働し、実 際に運営が始まりました。
最初に中部地区が動き出し、 他のエリアの会員からも早く全国展開を始めてくれと の声が上がりました。
会員からの要請で私が地方の荷 主企業に提案に出向くことなどもありました。
もっともビジネスの規模としては、最初の一年は月 商で五〇〇万円程度に過ぎませんでした。
最後の九 八年九月時点でも七〇〇万円程度。
当然、赤字です。
徐々に売り上げが伸びているとはいえ、成長のスピー ドは遅い。
言い訳はできません。
当初の約束通り会社 を整理するしか仕方ありませんでした。
会員からは当然、「今辞めるのはもったいない。
こ れからだ」という声が上がりました。
実際、CLCの 仕事はその後、伊藤忠倉庫が引き継ぎましたが、今で は月商で一億円ぐらいの規模になっているはずです。
個人的にもあと一年あれば、CLCは成り立っていた と思います。
しかし、その一年のギャップが大きかっ た。
当時は伊藤忠グループ全体が大規模なリストラに 入っていた時期でもあり、CLCだけ例外というわけ にはいきませんでした。
ご存知のようにCLCの清算の後、二〇〇〇年頃 になって日本でも求車求貨システムがブームになりま した。
しかし、そのほとんどがITバブルの崩壊と共 に撤退してしまいました。
米国市場でできていること が、なぜ日本では上手くいかないのか。
日本でも水屋 が成り立っている以上、ニーズとしては米国と変わら ないはずです。
私の経験から判断すると、一つはインターネットの 利用率の問題があります。
今や日本の中小運送会社 にもパソコンぐらいはある。
しかしインターネットに つながってはいない。
もしくはインターネットを日常 的に使う環境にはないところがほとんどです。
実際、CLCではホームページを作り、会員会社に 利用を呼びかけましたが、ほとんどアクセスがなかっ た。
聞けば、キーボードを打つのが面倒だという。
イ ンターネットを使うより、電話で水屋に「何かないか」 と聞いたほうが楽だというわけです。
それともう一つ、マーケットの成熟度の問題があり ます。
私は長く商社マンとして海上輸送の仕事に携わ ってきたため、完全に成熟して世界的にも出来上がっ ている海上輸送マーケットの発想から、トラックの求 車求貨システムについても成り立つだろうと考えてい ました。
実際、米国を見る限り、求車求貨システムは海上 輸送のマーケットとほとんど変わらない構造で運営さ 25 SEPTEMBER 2003 れていました。
米国では、日本の水屋と似ていますが、 電話以外にインターネットなども使う組織的なブロー カービジネスが従来から成り立っています。
船の世界 に昔からいるブローカーと全く同じ構造です。
求車求 貨システムも、その延長線上にあるものとして認識さ れていました。
しかし日本国内の陸運市場は違いました。
日本の 陸運市場には大手路線業者もしくは物流子会社を頭 にして、下請け、孫請け、ひ孫請けというピラミッド 構造が定着しています。
中小の運送会社はその構造に ガッチリ組み込まれていて、荷主から直に仕事を取る という考え方をあまりしない。
そして日本では誰も自分の情報を出したがらない。
荷主や他社の情報は欲しいけれど、自分の空車情報 は、値段を叩かれるのを恐れてギリギリまで出したく ない。
相対であればいい。
電話で商談するのであれば 自分の情報はその人だけにしか渡らない。
しかし、イ ンターネットを使ったオープンな取引には抵抗がある。
日本的な考え方とも言えますが、やはりマーケットが 成熟していないことが大きいのだと思います。
3PLについても、こうしたカルチャーの問題は無 視できません。
苦労をして作った提案を『そのアイデア いただき』という形で荷主にタダでとられてしまう。
こ れは3PLに限らず日本人の癖で、抑えようがない。
そ ういう部分でのしんどさを感じました。
また物流改革 の提案はどうしても既存の物流担当者を否定すること になる。
ようやく最近になって日本でも3PLのコン ペが当たり前になってきましてが、当時はアウトソーシ ングということ自体、早過ぎたのかも知れません。
現在、私は伊藤忠に戻り、北陸企画開発室という 組織で、求車求貨システムを使った地域密着型の共 同配送事業の立ち上げを手掛けています。
北陸は古く から繊維産業が盛んで、伊藤忠にとっても馴染みの深 い土地柄です。
小規模事業者が多く、流通経路も複 雑であるため、物流を共同化することで大きな効果が 期待できます。
日本の物流ビジネスの土着性 しかし、ここでも伝統的なカルチャーとの摺り合わ せには苦労しています。
福井に、オヤジさんが社長で 奥さんと娘さんと三人でやっている家族経営の運送会 社があります。
この会社は地元の大手の機屋(はた や)さんから大変な信頼を得ている。
社長は運転しっ ぱなしでなかなかつかまらない。
お嬢さんまで運転し ている。
これで社長が倒れでもしたらおしまいですが、 荷主の機屋さんは「ここだけは絶対に変えない。
倒れ たら倒れたとき考えたらいい」と意に介さない。
実際、この運送会社は荷主にそう言わせるだけの、 痒いところに手が届く、荷主が困った時には手間もコ ストも惜しまない協力をしてきました。
すぐに運ばなければいけない反物が発生したとなったら、お嬢さん がライトバンを運転して和歌山まで走る。
採算は度外 視です。
日本でも地方にいくほど、そうした荷主と運 送会社の繋がりが強くなる傾向にあるようです。
米国 では考えられないサービスです。
それだけ日本の物流ビジネスは良くも悪くも土着と いうか、いまだに地域性が強い。
机の上のプランだけ では、そう簡単には割り切れないものがあるのだと思 います。
それでは、どういう形であれば日本でも求車 求貨システムが成り立つのか。
少なくとも「広くあま ねく」は絶対に無理です。
商品を限定してクローズで やることが第一。
その先のことは私自身、まだはっき りとした答えが出ていません。
それを北陸で見つけた いと考えています。

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