ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2003年10号
SOLE
SOLE報告

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

OCTOBER 2003 82 SOLE東京支部では毎月「フォーラム」を開催し、ロジスティク ス技術、マネジメントに関する意見交換を行い、会員相互の啓発に努 めている。
ただし、こちらも8月は夏休みのため休会。
代わりに、毎 年米国で開催されているロジスティクスシンポジウムに参加したので、 その模様を一部報告したい。
今年は「SOLE2003」と銘打って、米国の南部、アラバマ州ハンツ ビル市のフォンブラウンセンターで開催された(昨年はフロリダ州の オーランド、来年はバージニア州のノーフォーク)。
いろいろなスピ ーチ、多くの論文発表が行われたが、ここでは今回のシンポジウムを 特徴付けるキーワードを3つを取り上げて紹介したい。
「スピード」、 「アウトソーシング」、「人」である。
湾岸戦争における(シュワルツ コフ将軍が賞賛した)ロジスティクスの勝利、あの忌まわしい「9.11」 以来の新しい戦争への対処、アフガン戦争、そして今度のイラク戦争 を経て、米国のロジスティクスは様々な変化を見せているようだ。
まず「スピード」について。
実に多くのスピーカーが「スピード」 とか「アジリティ(機敏、迅速)」を強調していた。
ロジスティクス の狙いは、最低のライフサイクルコストで、製品やシステムのアベイ ラビリティ(即応性、可動性、稼働率)を向上させることといわれて いる。
そのために在庫をどのように持つか、機器の整備、点検、修理 をどのように行うか、必要なものを、必要なときに、必要とする場所 に、必要とされる量だけ、いかに届けるかが議論されている。
今回は 状況の変化に対応して、軍を少ない資源で迅速に展開するために「事 前集積」(prepositioning)が行われている話。
また「RFID」の活用 によって資材の確認・展開速度が向上し、加えて従来の資材を必要 最小限に軽量化したことで湾岸戦争では40日かかった荷揚げが今回は 12日でできた話。
さらに陸、海、空、海兵の4軍が物資の輸配送を 「共同輸送」(J4:Joint Distribution)している話などが紹介された。
二つ目のキーワードである「アウトソーシング」についても興味深 い話があった。
従来の戦争は兵隊同士の戦いだったが、今や従来はな かった敵、世界的なテロリストとの戦いが始まっている。
イラク戦争 では民間人が戦場に行き、システムや製品の整備、運用を行っている。
ある作戦には民間から246人が参加したが、その75%は補給、修理の 契約に基づいての参加。
この傾向は今後さらに進展するだろう。
今回のイラク戦争ではシビリアンも戦死している。
契約によって危 険な仕事につくことが増えるならば、補償も必要になり、システムの 値段も高騰することになる。
また、ある作戦には115人のシビリアン が参加したが、そのうちの86%はシステム関係の契約者で、パソコン や通信システム関係の仕事に従事したという。
戦闘以外の支援につい てはできる限り民間へアウトソーシングする方針が強調された。
また、三つ目のキーワードである「ひと」について、あるスピーカ は大きな声で「コストだ、効率だとグタグタ言うな、一番大切なのは 兵隊だ」と言い、会場の喝采を浴びていた。
今回のイラク戦争では 「命を救うためのロジスティクス、すなわち兵を戦場から運び出す」 活動が注目された。
一方、今回の兵隊は優雅に戦った。
風呂に入り、 きれいな体で、飲み物もボトルに入った水を使い、若い兵隊は昔と違 う云々という話しもあった。
神ならぬ身、人間のミスが問題であり、 完璧なロジスティクスはありえない。
人間のミスが大災害にならない ように、予防的対応が重要であるとの主張は説得力があった。
最後はしかし、兵隊が望むものを提供することが重要であり、その ためにコストがかかることもある‥‥問題は必要物資に関する情報を リアルタイムで入手すること、そして持ち得る全てのリソースを瞬時 に活用できるロジスティクス・チェーン・マネジメントの確立が必要 であり、その為には今後さらなる政府、軍そして民間企業間の人の交 流と情報交換が求められるとまとめられた。
※SOLE東京支部についてのお問合せはsole_consult@jmac.co.jpまで。
SOLE報告 The International Society of Logistics SOLLE東京支部フォーラム報告 SOLE東京支部では「RAMS研究会」を開催し、米国防総省(DoD) の調達管理プロセスの研究を行っている。
だが今回は夏休みのため、 代わりに最近見聞したロジスティクスに関する話を紹介したい。
筆者は今年7月、インドシナ戦争、ベトナム戦争の戦跡を訪問する ツアー(ベトナム大縦断戦跡巡りの旅)に参加し、インドシナ戦争最 終段階の大激戦地ディエンビエンフー、フエのDMZ(非武装地帯)、 ホーチミン(旧サイゴン)などを見学してきた。
このツアーを通じて、 ロジスティクスの観点から感じた事柄をいくつか取り上げてみたい。
以下は、ツアーの解説者(吉田修氏)、現地ガイドの話、資料(「歴 史群像」)などを参考にまとめた。
ディエンビエンフーではホーチミン率いるベトミン(ベトナム独 立同盟会)とフランス軍の壮絶なる戦いの様子に接することができ た。
フランス軍はディエンビエンフー空港守備に戦車(M24)を輸 送したが、山に囲まれた盆地にある空港への陸路がないため、戦車 を分解して空輸し現地で組み立てたという。
同様にベトミンも、空 港を取り巻く山頂に山砲(105mm榴弾砲)を配備するため、砲を分 解して人力で担ぎ上げた。
兵員をはじめ武器弾薬など資材を運ぶ道 路がなかったため、まず山野を切り開いて道路を作った。
フランス 軍機の視界を遮るため、昼間は山中の道路を木で覆い隠し、夜間に 輸送を行った。
ベトミンが保有していた物資は乏しく、トラックなども限られてい た。
このため、ほとんどの輸送を人力に頼った。
肩に武器、弾薬、さ らに15キロの米を背負い、夜間50キロ、昼間30キロ移動したり、木で 補強した自転車に300キロの資材を積んで走ったりしたという。
インドシナ戦争とベトナム戦争でベトミンを指導したボウグエンザ ップ将軍が最も苦しんだのはロジスティクスであったという。
ベトコ ンは洞穴を掘り、そこを攻撃の拠点、ロジスティクスの拠点としてア メリカ軍と戦った。
洞穴は海岸に面した崖に掘られており、地下3階 になっている。
中には4〜5人が入れる部屋が数十室、シャワールーム、 武器庫などがあり、その他になんと産室まであった。
実際、戦争中に 2人の赤ちゃんが生まれたという。
まさに佐々淳行氏がよく言う「食 う寝るところに住むところ」である。
通路の脇には水を流す側溝があ り、海岸に通じる通路の先には出入口が設けられている。
ここから夜 間、沖合いの島から運ばれる補給物資を搬入した。
洞穴の中に実際に入ってみたが、既に観光資源となっており中には 電灯が灯っていた。
当時は蝋燭か何かを使っていたのだろうが、その 狭い空間に300余人がこもっていたというのは大変な驚きであった。
どこかの国の国会では、ロジスティクスは後方であるから安全であ るなどと間の抜けたことを議論しているようだが、三国志を読めば、 兵站路を絶つのは常識であることがわかる。
両軍とも、補給を絶ち、 武器弾薬を奪うために真っ先にロジスティクス部隊を襲う。
ベトミン はフランス軍から奪った武器を多用したようだが、その際には弾薬を 空輸したり、パラシュートでフランス軍陣地に投下する途中を狙った。
いわば、フランス軍がベトミンのロジスティクスを担当したわけだ。
ディエンビエンフーでは重要な拠点付近を歩いてみたが、大変に急 な坂道で、特に暑い日でもあったので、日ごろダラカン生活を送って いる我々は直ぐにあごを出し、あえぎながらの「行軍」となった。
晴 れた日の日中であったからまだしも、夜、土砂降りの山道を考えると 気の遠くなる想いであった。
土地の住民を駆り出してのロジスティク ス支援。
皆、もくもくと働いたのであろう。
厳しい自然環境の下、死 の危険を冒して、大量の重量物を人力で運び続けたということである が、彼らの行動を支えたのはいったい何であったのか。
吉田氏によれ ば、ベトミンによるナショナリズムの高揚が鍵であったという。
10万 余の人夫(ポーター)を動員し、現地で兵士に転換、補充していた。
戦略、戦術、そしてロジスティクスが三位一体となっており、かつ国 民、人民の支持があったからこそできた戦いだったのだろう。
ベトミンのロジスティクス

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