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DECEMBER 2003 46
官主導のシステム構築に暗雲
今年七月はじめ、日本経済新聞の朝刊に
「コメ産地 バーコード追跡」というトップ記
事が出た。 財団法人全国米穀協会(米穀協
会)をはじめとするコメ関連団体が、二〇〇
三年秋に収穫される新米をメドに、新しいト
レーサビリティシステムの導入を進めている
という内容だった。
狂牛病(BSE)騒動を経て履歴追跡が法
律で義務付けられた牛肉とは違い、コメ業界
のシステム構築は自主的なものだ。 背景には、
対応が後手に回り続けた牛肉の二の舞を踏み
たくないという農林水産省の意向がある。 実
際、農水省の総合食糧局は、二〇〇三年度の
新たな予算枠として「トレーサビリティシス
テム導入促進対策事業」に二五億円を計上し、
様々な業界におけるシステム構築を後押しし
ている。
一般に食品のトレーサビリティの狙いは三
つある。 情報開示によって消費者の信頼を獲
得するのが一つ。 万一事故が発生した場合に、
製品の回収などの事後対策を迅速かつ必要最
小限に止めて関連事業者のビジネスリスクを
回避しようというのが二つ目。 そして三つ目
は、現実にBSEが発生してしまった牛肉の
ように、安全確保のためにすべての流通を個
体レベルで管理することだ。
コメの場合は、牛肉のような切羽詰まった
事情があったわけではない。 あえてコメ分野
迷走するコメの履歴追跡システム
実証実験で噴出した現場の本音
2001年9月に国内ではじめて狂牛病(BSE)
の牛が見つかってから、食品の安全管理を巡
る動きが一気に慌ただしくなった。 典型的な
対応策がトレーサビリティ(生産履歴の追跡)
システムの構築だ。 農林水産省のバックアッ
プを受けて、現在、業界ごとのシステム構築
が進む。 コメの流通では財団法人全国米穀協
会がその先導役を担っている。
全国米穀協会
―― トレーサビリティ
47 DECEMBER 2003
で履歴追跡へのニーズを挙げるとしたら、市
場で人気の高い魚沼産コシヒカリが、実際の
生産量の何倍も市場に出回っているという
「偽装表示」への消費者の不信感くらいだ。 関
係者にはたまらない話だろうが、業界全体が
危機感を共有するほどインパクトの強いもの
ではなかった。
こうした事情のためか、コメのトレーサビ
リティシステムの開発を先導する米穀協会でも、システム構築の狙いを「いざ問題が発生
したときに、製品の出荷元を素早く特定して
製品回収などを迅速に行うため」(全国米穀
協会の堀口孝明業務部次長)と強調する。 あ
えて?消費者の信頼獲得〞という錦の御旗を
振り回そうのとしないのには、それなりの理
由がある。
従来はなかったトレーサビリティシステム
を開発し、日常的に運用するためには当然、
新たな経費が発生する。 ところが食糧法でコ
メの流通規制が緩和された結果、事業者間の
競争は一気に激化している。 価格決定のメカ
ニズムが大幅に自由化されたこともあって、
トレーサビリティによる新たなコストを販売
価格に転嫁するのは容易ではないという現実
がある。
そもそも米穀協会は、コメの消費拡大や、
コメ流通の近代化を使命とする農林水産省の
外郭団体だ。 役員には大手米卸の経営者や農
協関係者が名を連ねており、消費者の立場と
いうよりは、コメビジネスの側に立つ団体と
いえる。 役所の意向を受けて、その外郭団体
がシステム構築を先導するという構図が、当
初想定していたトレーサビリティのあり方を
後に大幅に修正する結果を招くことになる。
複雑なコメのサプライチェーン
コメ業界では二〇〇二年春から関係者によ
る懇談会というかたちで、コメの「安全性確
保」を巡る話し合いが進められてきた。 昨秋
にはコメの卸売業者を対象とするヒヤリング
やアンケート調査も実施した。 年が明けた今
年一月には、事前調査の結果を踏まえて、米
穀協会が事務局を務める「米のトレーサビリ
ティシステム策定準備委員会」を発足。 ここ
で約二カ月間かけて「米のトレーサビリティ
システム基本構想(案)」をとりまとめた。
このときの準備委員会を母体に四月には
「全国協議会」が組織され、その第一回会合
の場で前述の「基本構想」を早くも承認。 米
穀協会が事務方を務めてコメビジネスの関係
者を集め、そこで合意した内容のシステムを
日通総合研究所が開発するという体勢が固ま
った。 ここに農水省の補助金による支援を受
けながら、コメのトレーサビリティシステム
を構築する動きがスタートした。
システムの概要を簡単に説明するとこうな
る。 まず玄米(籾殻を除いただけの精米して
いないコメ)の段階で、流通する単位ごとに
二次元バーコード(QRコード)のラベルを
添付し、ここに栽培方法など生産段階の情報
を持たせる。 卸や販売業者が精米する際には
必ずこのバーコードを読み取り、そのコメの
生産履歴をデータベースに格納する。
精米後に二キロ、五キロ、一〇キロといっ
た店頭に並ぶ商品形態にまでなった段階で、
商品ごとに固有の「製造ロット番号」を振る。
これによって、消費者がインターネットで米
穀協会の運用するサイトにアクセスし、この
玄米袋に貼った2次元
バーコードで玄米を特定
図1 米のトレーサビリティ基本システム図
生産者・農協等 検査機関
物の流れ 情報の流れ
農協倉庫
量販店
消費者
米穀小売店
検査情報
精米情報
農協等で検査情報と
栽培情報の紐付
卸売業者で玄米情報と
精米(とう精)情報の紐付
インターネット等
で情報提供
使用玄米の栽培情報と
産地ブレンド情報等
栽培情報
玄米データベース 精米データベース
卸売業者
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製造ロット番号を入力すれば、データベース
上でヒモ付けされたコメの生産情報や流通工
程を閲覧できるというわけだ(図1)。
こう書くと典型的なトレーサビリティの仕
組みに思えるかもしれない。 だが実際のシス
テム構築では、コメの持つ特殊性から、野菜
や果物などとはまったく異なるアプローチが
求められた。 トマトやミカンであれば、生産
者が箱詰めして出荷するときにバーコードな
どで箱単位に生産情報を付ければ、この情報
を基本的に小売り業者の段階まで一貫して使
うことができる。
ところが中間流通で精米を行い、さらに複
数の品種の玄米をブレンドして最終製品に加
工しているコメでは、流通の途中で荷姿と内
容が変わってしまう。 そして、同じコメビジ
ネスに従事する事業者でも、生産者と流通業
者では、業務内容も違えば所属する業界団体
もまったく異なっている。
このため、コメのトレーサビリティシステ
ムの開発でも、当初から生産サイドと流通サ
イドで役割を分担しながら作業を進めてきた。
コメ農家などによる「栽培履歴」(農薬や肥
料の記録など)を玄米の出荷時に持たせるシ
ステムは、農家への啓蒙活動も含めて全国農
業協同組合中央会(JA全中)が主導して構
築する。 これは米穀協会を中心にシステム構
築を進めている流通サイドの動きとはまった
く別の話だ。
もっとも、高齢化が進むコメ農家に、従来
はなかった栽培履歴の記録を正式に残してもらうのは簡単ではない。 たとえ実現できると
しても、その啓蒙活動だけで少なくとも数年
はかかる可能性が大きい。 本来であれば、こ
の生産情報がなければトレーサビリティなど
絵空事に過ぎないのだが、流通サイドとして
は、これを入手できるまで手をこまねいてい
るわけにもいかない。
そこで米穀協会をはじめとする流通側は、
川上の情報として、「栽培情報」ではなく、玄
米の「検査情報」に着眼した。 周知の通り、
九五年に施行された新食糧法によって、以前
のようにコメの流通すべてに国が関与する体
制は終焉している。 ただ小売りの店頭に並べ
る際に銘柄や産地を明示するためには、玄米
の段階で必ず?国の検査〞を受けることが義
務づけられている(図2)。
国内で一年に生産されている約一〇〇〇万
トンのコメのうち、こうした検査米は約半分
の四、五〇〇万トンある。 一般消費者の目に
触れるコメは、原則としてここに含まれてい
る。 検査を受けずに流通している米は、ごく
一部の産直品などを除けば、煎餅の原料など
のように業務用などで流通しているケースが
大半だ。
つまり流通側は、いつ実現するか分からな
い「栽培情報」のシステム化を待つのではな
く、そのかわりに当面は「検査情報」(品種、
産年、等級、生産地、生産者、農業集落名な
ど)を生産情報に代替するという方針をとっ
た。 もちろんシステムとしては「栽培情報」
まで扱えるものを作り、将来その情報を付加
することは簡単にできるようにしておく。
こうして開発されたコメのトレーサビリテ
ィシステムでは、どんな農薬を使って栽培し
たかまでは特定できない。 それでも銘柄の不
正表示はできなくなるし、万一事故が発生し
たときに流通ルートを遡って対策を取るのも
容易だ。 次善の策を選択した格好だった。
実証実験で余儀なくされた方向修正
マスコミ報道などを通じてコメのトレーサ
ビリティに関する情報が一般の消費者の目に
も触れだした今夏には、流通側のシステムは
既にほとんど完成していた。 今秋に収穫され
る新米からの導入をにらみ、七月から八月に
図2 コメの流通経路
生 産 者
消 費 者
計画流通米
国の検査
第一種登録出荷取扱業者
登録卸売業者
登録小売業者
第二種登録出荷取扱業者
政府(備蓄)
自主流通法人
政府米 自主流通米
販売(食糧事務所長への届出)
※JA全中のホームページより
※この図のほかにも、加工業者への流通、登録卸売業者間・
登録小売業者間の売買がある
計画外流通米
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かけて、大手米卸に協力を依頼したシステム
の実証実験まで米穀協会の主導で実施してい
た。
そして、このときの実証実験を通じて、シ
ステム開発は大きな壁に突き当たることにな
る。 玄米段階での流通単位は、大きく分けて
「袋」と「ばら」の二通りからなる。 前者は原
則として三〇キロ単位の紙袋に玄米を詰め、
これをパレット上に四二袋(平置き七袋×六
段)、または四九袋(七袋×七段)積み上げ
て流通している。 後者は「フレコンばら」(フ
レキシブル・コンテナにばら詰め)とか「純
ばら」(トラックの荷台にコメをばらで直積
み)と呼ばれる形態になる。
「純ばら」や「フレコンばら」単位で、玄米
情報を読み込んだ一枚のバーコードラベルが
添付されているのであれば、さほど問題では
なかった。 しかし、主流の流通形態である三
〇キロ単位の紙袋のすべてに、ひとつずつ二
次元バーコードが添付されているとなると、
これをスキャナーで読むだけでかなりの工数
が求められる。 実証実験の平均値では、紙袋
一つあたりの処理時間は三、四秒。 パレット
一枚を処理するのに二、三分を要するという
結果が出た。
「大手になると一日に三〇〇〇袋とか五〇
〇〇袋といった単位で紙袋を扱っている。 つ
まり、このトレーサビリティシステムを導入
すると、従来はなかった数時間の手間とその
ためのコストが新たに発生してしまうことに
なる。 精米業者は小売りなどの顧客の要望に
応えるために、厳しいスケジュールのなかで
日々の作業をしている。 現状のシステムでは、
とても彼らのニーズに応えられないという結
果が出てしまった」と米穀協会の堀口次長は
説明する。
もちろんシステムの基本設計をしたときか
ら、こうした事態は想定していた。 だが、手
間暇をかけてでも高度なトレーサビリティを
実現すべきということで関係者の意見はまと
まっていた。 それが現実に実証実験に参加し
た大手米卸から、「これほど手間がかかるシス
テムのままでは導入できない」とそっぽを向
かれたことで、米穀協会は苦しい立場に置か
れることになった。
現在はシステム開発に補助金を利用してい
るが、これは三年間の期限付き。 それ以降、
トレーサビリティシステムの維持や運用のた
めのコストは、参加者から集める協力金でま
かなわなければならない。 その中核となる大
手卸にそっぽを向かれては、システムが立ち
ゆかなくなる恐れがある。 いかに論理的に正
しいシステムでも、絵にかいた餅でしかなく
なってしまう。
苦渋の選択として、米穀協会はシステムを
修正するという決断を下した。 三〇キロの紙
袋単など玄米の流通単位ごとに二次元バーコ
ードのラベルを添付してもらう従来の方式と
は別に、検査データなどは一切入れず、物流
もパレット単位などでOKとする「簡易出荷
データ」による処理方法を新たにシステムに
付加することにした。 利用するバーコードも
二次元ではなく、情報量が少ないことを理由
に一次元バーコードを使う。
早い話が、伝票単位で動かしている現在の
流通形態を、そのままトレーサビリティシス
テムのなかに持ち込み、その伝票に新たに一
次元バーコードを追加するだけのシステムで
ある。 実態としては現状と何ら変わらない仕
組みを、新たに作ることになってしまった。
BSE騒動を経て世間の厳しい監視下に置か
れている牛肉では、考えられない粗っぽいシ
ステム変更といえる。
図3 物流効率化を理由に一貫して増え続けてきたコメのばら流通
1400
1200
1000
800
600
400
200
0
30
28
26
24
22
20
18
16
14
12
10
8
6
4
2
0
89
631
686 714
906
724
1,091
1,016 1,024 1,032 1,004
1,101
1,241
90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00
千トン %
ばら流通数量
ばら比率
10 10.8
12.8
14.9
18.9
15.6
16.7 17.8
18.7
21.7
23.3
26.0
※食糧庁『米麦データブック』2002年版より
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置き去りにされるユーザーの視点
これによって米穀協会の主導するコメのト
レーサビリティシステムは、二通りの処理方
法を持つことになった。 あくまでも本来のト
レーサビリティを追求し、こうした?お墨付
き〞を製品の付加価値の向上に使いたいと考
える事業者は、個体ごとに二次元バーコード
を添付するシステムを利用する。 一方、そこ
まで厳密な履歴管理が必要とは思わないが、
何もやらないわけにはいかないと考える事業
者は「簡易データ」を使う。
ただし「簡易データ」を使ったシステムで
は、万一事故が発生した際に遡れるのは農協
など出荷業者の施設レベルまでだ。 生産農家
どころか、かなり広い地域までしか特定する
ことができない。 言い換えれば、万一の際に
回収対象になるのも、その広いエリアから出
荷したコメすべてということになる。
これではシステムの骨抜きではないかとい
う批判に対し、二年近く前の準備委員会の段
階からシステム構築に携わってきたある農協
関係者はこう反論する。 「どういう単位でト
レーサビリティをやるかは、農水省からは、
業界ごとに自主的に決めていいと言われてい
る。 ようは万一のリスクが大きいことを承知
で、こういう選択をしたということだ。 確か
に理想的ではないかもしれないが、普及しな
いシステムでは意味がない。 個別管理への一
つのステップとして仕方なかった」
やむを得ない選択であったとしても、このシステム修正によって米穀協会の主導するコ
メのトレーサビリティシステムそのものが、ま
ったく機能しなくなる可能性は否定できない。
前述した通り、同システムの運用は四年目以
降、任意の参加者からの協力金でまかなう。 強
制でもないのに参加者にコスト負担を呑んで
もらう裏には、このシステムの?お墨付き〞
を得ることで製品に付加価値がつき、市場価
格が底上げされるという前提がある。
だが、「簡易データ」による出荷では、流
通工程における抜け道はいくらでもある。 そ
して不正表示などが発覚するのは、現在と同
様、末端での抜き打ち検査などを待つしかな
い。 このような?お墨付き〞に、果たして小
売りや消費者が付加価値を見出すだろうか。
現にある大手小売りチェーンの担当者は、匿
名を条件に、「そんなコメの履歴を店頭で明
示することはできない。 何かあったときには
我々が信用を失うことになる」と切って捨て
る。
事前のアンケート調査などで負担増への異
論の多かった仕組みを敢えて選んだのは、そ
うしなければ本来のトレーサビリティを実現
できないと参加者が合意したからだ。 それを
実証実験まできて、予想の範囲内の反論にあ
っさりと方向修正を余儀なくされてしまった
のは、この取り組みがコメ流通の利害関係者
だけで進められていることが影響している。
消費者代表や小売業者がメンバーに入ってい
れば、違った展開もあり得たはずだ。
米穀協会としては、参加者が二つの選択肢
のなかから、より付加価値の高い二次元バー
コードのシステムを選択してくれることを期
待している。 そして、そのことが消費者にも
付加価値として認められれば、徐々に本来の
トレーサビリティが機能しはじめると考えて
いる。 だが実証実験での大手卸の強行な反対
や、このシステム修正に対する小売り業者の
反応を見る限り、望み薄だろう。
今回のシステム構築に一貫して携わってき
た日通総合研究所の河崎豊主任研究員は、現
状を打破するツールとしてICタグに注目し
ている。 まだチップの単価が高いことや、食
品に使うには安全性に疑問が残されていると
いう課題はあるが、それでも「バーコードの
読み取りに時間がかかるという問題を、IC
タグの採用で一気に解消できる可能性がある。
多くの障害がクリアされることが前提だが、
一考の余地はある」という。
今後、コメのトレーサビリティに対する消
費者の要望が高まっていき、にもかかわらず
今回のシステムが使えないとなれば、消去法
でICタグが採用されても不思議はない。 た
だし、そうなれば関係者の多くは、二次元バ
ーコードを使う今回のシステムより大きな初
期投資を強いられる可能性が高い。 しかも同
時に、安全性や作業精度など、ICタグとい
う未成熟なツールが抱える難題をも背負い込
むことになる。
(岡山宏之)
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