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DECEMBER 2003 52
大先生の事務所で開く物流検討会
奇抜な演出には周到な計算がある
大先生の銀座の事務所が慌ただしい。 今日は問
屋の人たちとの物流検討会がここで開かれること
になっている。 事務所の庶務を一手に取り仕切る
女史は、噂に聞いていた社長や大阪支店長、営業
部長らに会えるというので朝から楽しそうに準備を
していた。
約束の午後三時ちょうどに、問屋の社長以下五
人が訪ねて来た。 先頭で入ってきた物流部長が、い
きなり妙な挨拶をする。
「こんちわー、いつもお世話になってますぅ」
応対に出た女史が、一行を会議室へと案内する。
戻ってきた女史に体力弟子が聞いた。
「何人ですか?」
「五人です。 最初にコンサルの依頼に来られた常
務さんもご一緒です」
答に頷きながら、体力弟子は女史に近づき小声
でささやいた。
「社長さんはどんな感じでしたか?」
なぜか女史は恥ずかしそうな顔で答えた。
「ちょっとしか見られませんでしたが、上品な感
じで素敵な女性でした。 たしかに先生の‥‥」
そう言いかけたとき、奥のお茶汲み場から美人
弟子の声がした。
「すみません。 これ、お願いします」
お茶汲み場では和菓子が用意されていた。 大先
生もいる。 そして、なんと大先生がお茶を点ててい
る。 女史はお盆に和菓子を五つ載せると、会議室
へと向かった。
事務所で会議をしようと言い出したのは大先生
自身だ。 それを聞いた先方の社長は、嬉しそうに
二つ返事で了解した。 前から一度、大先生の事務
所に行ってみたいと思っていたのである。 大先生は
ときどき事務所で会議を催す。 ちょっと視点を変
えて、自分の会社の物流を見直してもらおうと意
図したときに事務所に呼ぶ。
大先生の事務所は、いわゆる普通のオフィスと
は少し趣が異なる。 緑が多く、インテリアにも凝っ
ている。 すべて大先生の趣味である。 来訪者の多
くは、一様に「へー」と興味深そうに周りを見回す。
《前回までのあらすじ》
主人公の“大先生”はロジスティクスに関するコンサルタント。 現在、
コンサル見習いの“美人弟子”と“体力弟子”とともに、ある消費財問
屋の物流改善を請け負っている。 クライアントの大阪支店に出張して行
った検討会や、その晩の宴席、そして物流現場の視察などを通じて、す
でに現状は把握できた。 クライアントの社内で、今回の物流改革を進め
るうえでキーマンとなりそうな人材も見えてきた。 これから具体的な施
策を練るにあたって、関係者を集めた会合が大先生の事務所で催される
ことになった。
湯浅和夫 日通総合研究所 常務取締役
湯浅和夫の
《第
20
回》
〜卸売業編・第8回〜
53 DECEMBER 2003
最初に抹茶が出されることも、来訪者にとって
は驚きだ。 会議室の凝ったしつらえへの興味ととも
に、来訪者はこれから何が始まるのかという期待と
不安な気持ちに包まれることになる。 実はこれが大
先生のねらいなのだが‥‥。
会議が始まると大先生の矢継ぎ早の
質問に参加者の緊張が高まってきた
女史と弟子たちによって五人に抹茶がふるまわれた。 社長が興味深そうに、自分の前に置かれた
茶碗を見ている。 社長に出されたのは黒茶碗であ
る。 「これは社長に」という大先生の指示だ。 隣の
常務もじっと社長の茶碗を見ている。 後で聞いた
話では、常務は長いことお茶をたしなんでおり、茶
碗にもうるさいのだという。
社長が常務にそっと聞いた。
「この茶碗はもしかしたら‥‥」
「はい、そうだと思いますが‥‥後で私にも拝見
を」
社長と常務の密やかな会話をよそに、支店長と
物流部長は何となく落ち着かない風情でお茶を飲
んでいる。 営業部長は、社長と常務のただならぬ
雰囲気が気になるようだ。
お茶を飲み終わって、社長が恐る恐る茶碗を裏
返して高台を見た。 そして、「あっ」と息を呑んで
常務を見た。 常務が茶碗を受け取り、感心したよ
うに見ている。 何度も頷きながら、「さすがですな
‥‥」と言って、茶碗を社長の前に戻した。
「まさか、こちらで、このようなお茶碗でお茶を
いただけるとは思いもよりませんでした」
IllustrationELPH-Kanda Kadan
DECEMBER 2003 54
社長が満足そうに常務の顔を見る。 常務が大き
く頷く。 そこに、茶碗を下げるために、女史と弟子
たちが入ってきた。 美人弟子が社長ににっこりと微
笑み、黒茶碗を大事そうに手に取る。 社長が上気
した顔で美人弟子にお礼を言う。
「大変、素晴らしいお茶をいただきました。 あり
がとうございます」
しばらくして大先生が弟子たちと会議室に入っ
てきた。 全員が立ち上がり、社長が改めてお茶の
お礼を述べる。
大先生は頷いただけで、「どうぞ」と着席を促し
た。
席につくと、すぐに大先生は本題に入った。
「今日は、みなさんの会社の物流を変えるための
検討をしようと思ってますが、もうおわかりですね、
物流を変えるということは、それを発生させている
売り方や仕入れ方を変えるということです。 たし
かに物流現場でも大きな無駄が出ていますが、そ
れは後で改善すればいい。 そう難しいことではな
い」
問屋側の全員が大きく頷く。 それを見ながら大
先生が続ける。
「さて、それでは、そのためにどうしたらいいでし
ょうか‥‥。 今日は自由に話し合いましょう。 口
火は大阪支店から切ってもらいましょうか」
大先生の言葉を受けて、営業部長が支店長の方
を見た。 支店長が頷く。 社長は落ち着いた顔で二
人を見守っている。 この日の検討会のために、かな
りの準備をしてきたようだ。 コンサルによる答を待
つのではなく、まず自分たちで答を用意してコンサ
ルの判断を仰ぐという、大先生の狙い通りの形に
なってきている。 営業部長は姿勢を正すと話し始
めた。
「私は、先生のコンサルを受けているいま、支店、
というか会社全体を抜本的に見直すいい機会だと
思ってます。 うちの会社は小さな会社ですが、よく
言われる大企業病の症状が出ていると思います。 い
まの延長線上には会社の将来はないと言っていいでしょう。 この機会を逃すと、近い将来、会社の
存続自体が危ぶまれることにもなりかねないと心配
しています」
ここまで一気に言うと、少し間を置いた。 問屋
側の他のメンバーが営業部長の話に同意するよう
に頷いている。 ここで大先生がちゃちゃを入れた。
「ちょっと待ちなさい。 会社全体を見直すだって
‥‥そんな面倒な仕事のコンサル料なんぞもらって
ないぞ、オレは」
慌てて何か言おうとする社長を遮って、大先生
が続ける。
「まあ、それはいいとして、会社全体を見直すっ
て具体的にどうします、支店長?」
営業部長がまだ続きを話すだろうとゆったり構
えていた支店長は、突然の指名に慌てた。
「はっ、えー、それはですねー‥‥」
そう言ったきり言葉が続かない。 大先生は質問
を変えた。
「大企業病というのは、どんな症状ですか?」
「はぁー、えー、これまでのやり方に固執してし
まうとか、えー‥‥」
「これまでのやり方に固執するのはいけないこと
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ですか?」
大先生がいじわるく突っ込む。 問屋側のメンバ
ーが事前に想定していたシナリオとは、大分違った
展開になってきたようだ。 いつ指名されるかわから
ない状況は全員を議論に集中させるのに有効だ。 そ
の大先生の思惑通り、参加者の緊張感は徐々に高
まってきた。
しどろもどろになりながら、支店長が答えた。
「はぁー、時代遅れのやり方にこだわると、企業
の進歩が止まってしまいますので‥‥」
「ところで、時代遅れのやり方というのは具体的
には何を指すのですか、物流部長?」
突然、大先生の矛先が変わった。 ほっとしたよ
うに汗を拭う支店長と違い、予期していたのか物
流部長は意外に落ち着いている。
「はい、具体的ではないかもしれませんが、いま、
うちでやっていることすべてがそれに当ると思いま
す」
「なるほど、いい答えだ」
大先生の褒め言葉に物流部長が照れ臭そうに笑
う。 大先生が物流部長への質問を続ける。
「これまでのやり方にこだわると言いますが、こだ
わっているのは誰ですか?」
営業部長と物流部長がやり合った
頓珍漢な議論の矛先が社長に向かう
「はー、それは‥‥社員全員だと思いますが、特
にこだわっているという訳でもないのでしょうが
‥‥」
「こだわっている訳ではないとなると、これまでの
やり方を単に踏襲しているということですか?」
「あっ、それ、それです」
「それでは、これまでのやり方というのは誰が作
ったものですか?」
物流部長が、ちょっと口ごもってしまった。 それ
を見た社長が小さく手を上げた。 大先生が頷くの
を見て、社長が答える。
「それは、ここにいる私どもを含めた、いわゆる
幹部クラスの者たちということになります。 かつて自分が経験した成功体験を部下たちに押し付けた
結果が、いまの状況を作り出したと言ってよいと思
います。 その意味では、私ども全員がこれまでを反
省して、自ら率先して過去の否定を行っていく決
意です」
「社長がそうおっしゃるなら、抵抗勢力はいない
ということだ?」
「はい、その心配はないと思います」
社長の言葉に頷きながら、大先生が確認する。
「わかりました。 改革に向けての幹部クラスの合
意は確保できるということですね。 あとは、若手ク
ラスが前向きに取り組んでくれればいいということ
だ‥‥」
大先生がそう言うと、すぐに物流部長が、大先
生の言葉遣いを真似して自信ありげに口を挟んだ。
「若手は大丈夫だと思います。 これまでのやり方
にこだわっているわけではなく、踏襲しているだけ
ですからね」
大先生が「ふーん」と言いながら、たばこを手に
取った。 そのとき、営業部長が身を乗り出して物
流部長に反論した。
DECEMBER 2003 56
「いや、若手の行動を変えるのは、結構難しいと
思います。 こだわっていないとはいえ、これまでは、
それが営業だと思ってやってきているわけですから
‥‥」
すかさず、物流部長が隣の営業部長を見ながら
自分の意見を述べた。
「そんなことはない。 変わるって。 会社として方
向性を示し、幹部が率先して意識改革に努めれば
‥‥」
二人のやりあいが始まった。 今度は営業部長が、
いらだった口調で言い返す。
「意識改革なんて意味ないって。 もともと頭で考
えて、こうするのがいいと答を出してやってきたわ
けではないんだから。 評論家みたいなこと言わない
でよ」
「評論家って何だよ。 おれは当事者として言って
るつもりだけど‥‥」
「若手を実際に抱えてないから、そんなことが言
えるのさ。 そういうのを、この前、先生がおっしゃ
ってた机上の空論って言うんだよっ」
「おれは、自慢じゃないけど、この前まで、実際
に踏襲させられて営業をやってきたんだ。 だから当
事者だって言ってる‥‥」
さらに食いつこうとする営業部長の言葉を遮る
ように、大先生が口を挟んだ。
「営業部長の言う机上の空論は意味を誤解して
いる。 物流部長の話は自慢にはならないし、議論
をねじまげている‥‥それでは、営業部長、続け
て」
大先生に促された営業部長は改めて話し始めた。
ちょっと躊躇した感じだ。
「はぁ、それでは‥‥先ほど、社長は、幹部クラ
スは改革に向かうとおっしゃいましたが、他の支
店の幹部を見ますと、そう簡単にはいかないよう
に‥‥私には思えます。 もちろん、社長のおっし
ゃることに表向き、みんな同意するでしょうが、実
際の行動が伴うかどうか、私は疑問に思いますが‥‥」なんと営業部長は反論の矛先を社長に向けた。 支
店長が険しい顔で、ちらっと営業部長を見る。 お
もしろくなってきた。 美人弟子が興味深そうな顔
をしている。 体力弟子は心配げだ。
矛先を向けられた社長がおだやかな表情のまま
答える。
「その点は心配していません。 もちろん、会社と
して向かう方向についてみなさんに話し、理解を求
めますが、それだけで私の期待する方向に行けると
は思ってません。 でも、大丈夫です。 ちょっとした
仕掛けをしますから‥‥」
こう言うと、社長はにこっと笑った。
(次号に続く)
*本連載はフィクションです
ゆあさ・かずお
一九七一年早稲田大学大
学院修士課程修了。 同年、日通総合研究所
入社。 現在、同社常務取締役。 著書に『手
にとるようにIT物流がわかる本』(かん
き出版)、『Eビジネス時代のロジスティク
ス戦略』(日刊工業新聞社)、『物流マネジ
メント革命』(ビジネス社)ほか多数。
PROFILE
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