2002年5月号
特集
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物流IT 先進企業はココが違う 米3PLの情報武装に完敗
45 MAY 2002
先進企業は ココが違う
特 集
一九九〇年代の前半に、米国には三〇社前後の日
系物流企業が進出していた。
そのうち二〇社近くが、 物流センターやトラック車両などのアセット(資産) を自社で保有し、倉庫業、内陸輸送業務を中心に事 業を展開していた。
日系の航空貨物フォワーダーおよ び海貨フォワーダー系の倉庫業務、具体的には日本 郵船、K-Line (川崎汽船)、三井OSK(商船三井) 等の邦船社の内陸物流オペレーションが主体であった。
日系物流企業がより広範囲に米系企業とビジネス を開始するのは、もっと後年のことである。
本来、日 系物流企業にとって米国に橋頭堡を築くことは、米 国市場への参入という極めて大きな戦略的意義を持 っていたはずだが、当時は荷主の大半が日系メーカー か日系総合商社というのが実情であった。
必然的に小 さなパイの奪い合いとなり、コスト競争が厳しかった。
逆に米系の物流企業が日系荷主を顧客として追い 求めることは、ほとんど無かった。
それだけ日系物流 企業の平均的料金体系と米系のそれとには、大きな 開きがあった。
もちろん日系各社は米系顧客の獲得の ために、あらゆる手を尽くした。
しかし、米系の物流 企業に比べて情報投資面で相当な遅れがあることは否 定できない事実だった。
日系物流企業は米系荷主の RFQ /RFP(提案依頼)の対象になるのがせい ぜいであり、受注に至ることは極めて稀であった。
残念ながら我が富士ロジテックアメリカもその例外 ではなかった。
そんななか、私はロサンゼルスに本社 を置く、大手運送会社のインターステート・コンソリ デーション(Interstate Consolidation )社の経営陣と 親しい付き合いをしていた関係から、何社かの米系荷 主の紹介を受けることができた。
その一つがウールワ ース社であった。
ウールワース社はニューヨークのマンハッタン地区 に古色蒼然とした本社ビルを持つ、老舗の大手小売 り企業だ。
新興勢力のウォルマートや、セブン・イレ ブンを展開するサウスランド社に少々押され気味では あったが、それでも全米にかなりの規模のチェーンス トアを展開していた。
同社が東南アジアから輸入した 商品のDC(保管型倉庫)業務が、当社に紹介され た仕事の内容だった。
年間取扱量は海上コンテナ四 〇フィート換算で約二五〇〇本。
かなりの量である。
受注すれば富士ロジテックアメリカにとって、起死回 生の一打になるのは言うまでも無かった。
物流コンペで連戦連敗 この大型案件の受注獲得に向けて、私たちは必死 だった。
荘厳な雰囲気のウールワース本社ビル内で、 物流担当副社長のジョン・ヌゥバウア氏と私たちは何 回もミーティングを重ねた。
当社のオペレーションも 視察して頂いた。
肝心の見積もりは、随分悩んだ末に 入出庫作業料、一カ月の保管料込みで三六セント/ Cubic Footをベースに作成した。
日系荷 主向け料金と比べると、かなり高いレートだった。
念の為、仲を取り持ってくれたインターステート・ 米国3PLビジネス戦記《第2回》 米3PLの情報武装に完敗 80年代後半から90年代前半にかけて誕生した米3PL企 業は、いずれも卓越したロジスティクス情報システムを武器 にしていた。
米国市場でビジネスを展開していた日系物流企 業は彼らに全く太刀打ちできずにいた。
津村謙一 EXEテクノロジーズ社長 Columns 《前回までのあらすじ》 米国産業界が構造不況に喘いでいた九〇年代 初頭は、物流業の新業態として3PLが開花を 始めた時期でもあった。
筆者は当時の米国市場 で日系物流企業、富士ロジテックアメリカの経 営建て直しを命じられた。
3PLがその突破口 となるはずだった。
しかし、赤字体質を引きずっ てきた同社に、業態を転換するための情報投資 を行う余力は残っていなかった。
結局、従業員 のリストラによる縮小均衡しか手がなかった。
MAY 2002 46 コンソリデーション社に見積もり金額について事前に 確認することにした。
これに対する先方からの返事は NO。
?やっぱり高過ぎたか〞と思ったが、よく話を 聞くとその逆だと言う。
三六セントでは、安過ぎると いうのだ。
それどころか「本当にリテールの配送業務 を理解しているのか?」と、耳の痛いお叱りさえ受け てしまった。
結局、当初想定していたレートの倍以上、八一セン トで最終見積もり提出することにした。
しかし、結果 は惨敗。
受注したのはカリフォルニアのカルカーテー ジ社だった。
実は同社のオーナー社長のボブ・カーリ ー氏と私は渡米以来の旧知の間柄だった。
後日、彼 からウールワースのコンペを一ドル二七セントで受注 したと聞いた。
当社よりずっと高い。
しかし、この案 件のためにカルカーテージ社はかなりの情報投資を強 いられた。
結果として、決して良いビジネス判断では 無かったと、ボブは私を慰めた。
ウールワース社以外にも、富士ロジテックアメリカ はKマートの配送業務、クライスラー社のノックダウ ン部品管理、P&G社のトイレタリー製品配送等々、 様々なRFQに応じた。
しかし、一社として受注する ことはできなかった。
常に情報システム面での能力が ネックになった。
情報投資の日米格差 当時の富士ロジテックアメリカにも当然、在庫管理、 ロケーション管理、入出庫作業、請求書管理といった 作業システムは整備されていた。
しかし米系顧客のW MS(倉庫管理システム)に対する要求レベルは、そ れ以上に高かった。
とりわけロジスティクス・オペレ ーションのリアルタイムの進捗管理は、常に顧客から 要求される前提条件となっていた。
ところが当時、無線端末やバーコードシステムを導 入している日系物流企業はほとんど無かった。
これに 対して、八〇年代後半から九〇年代前半にかけて誕 生した数多くの米国系3PLは、卓越したロジスティ クス情報システムを武器に急速に成長を遂げていた (上の表参照)。
そうした米国系3PLの情報武装は、日系物流企 業とは比較にならないほど充実していた。
WMSやT MS(輸送管理システム)などのSCE(サプライチ ェーン実行系システム)はもとより、「ロジスティク ス・プロセス・リエンジニアリング・システム」「配 送センターサイト選別システム」「サテライト車輌運 行管理システム」「車輌ルーティングシステム」「ロジ スティクス・コスト管理システム」などの分析ツール を、ほとんどの米国3PLが保有していた。
当時から情報武装は3PL企業にとって極めて重 要な資格要件となっていた。
先端IT技術の活用は ロジスティクスのオペレーションを高度化するというだけでなく、新規顧客を獲得するためにも必要不可欠 とされる条件であり、3PLにとってITの導入コス トは戦略投資として認識されていた。
たとえ3PL企 業以外の中小の物流企業であっても、情報投資は日 系企業よりはるかに積極的だった。
実際、激しい淘汰の時代を迎えていた九〇年代の 米国市場では、IT投資が企業の存続、経営の方向 性に多大な影響を与えていた。
それは決して物流企業 に限った話ではなかった。
メーカーや流通企業など、 物流企業の顧客となる荷主自体が、生き残りのために より高次元のロジスティクス情報システムの構築を迫 られていた。
荷主企業が九〇年代の市場競争を生き残るには、サ プライチェーン&ディマンドチェーンを支える可視性 欧米3PL企業の設立時期――80年代後半から90年代前半に集中している 〜 1950 1950 〜 1960 1960 〜 1970 1970 〜 1980 1980 〜 1990 1990 〜 ※ は、Non-Asset AEI Ryder , Associate Buruham , DSC , Kenco , Usco Circle , Expeditors , Arnold , Skyway Caterpillar , FedEx , Integrated , Power , AMR , Builders , Caliber , CTI , Exel , Penske , Rollins , Ruan , Schneider Dedicated , T&B , TLL TNT , BAX , Emeny , Hunt Logistics , Menlo , Ups , Pittsburgh , Schneider Logistics , Mark ? , Werner , CH. Robinson , Hunt Dedicated , Logix , MS Logistics 1社 2社 4社 4社 15社 14社 47 MAY 2002 先進企業は ココが違う 特 集 の高いロジスティクスが不可欠だった。
そのために積 極的な情報投資が行われ、ロジスティクス・オペレー ションのリアルタイム化が進められた。
これによって 在庫削減をはじめ、欠品防止やCRM(カスタマー・ リレーションシップ・マネジメント)の改善、リテー ル・サポートの強化などが実現された。
結果としてこうした情報化の動きに、いち早く着手 した企業が勝ち組として残り、情報投資への理解度に 乏しい企業は戦線から離脱していった。
とりわけ流通 産業では、物流産業以上に熾烈な競争が巻き起こり、 数多くの企業が消え、また統合され、ごく少数の企業 群への寡占化が進んでいった。
そこでは高度のロジスティクス技術を駆使した「S P A (製 造 小 売 り : Speciality Store Retailer of Private label Apparel )」や「CPFR(Collaborative Planning Forecasting and Replenishment:需要予測 と在庫補充のための共同事業)」といったビジネスモ デルが誕生した。
同じ時期にコンピュータや通信機器 などのハイテク産業ではBTO(受注生産方式)が芽 生えた。
このような新しいビジネスモデルや手法を活用して 生き残った?勝ち組〞企業群は、パートナーとなる3 PL企業に対して、当然のようにレベルの高いロジス ティクス情報システムを求めた。
こうして、米国では 高度な情報システムの導入が、すべての産業に連鎖的 に広がっていくことになった。
主要荷主の相次ぐ倒産 話を富士ロジテックアメリカに戻そう。
前述のように、大手米系荷主の獲得による一発逆 転は暗礁に乗り上げた。
そうなると既存顧客をベース に採算性を重視して縮小均衡を図るという延命的な 再建策しか手がなかった。
実際のところ、それで何と か急場をしのげたのも事実だった。
また情報投資を必 要としない仕事、つまりマージン率の低い体力勝負の 仕事であれば、まだまだ富士ロジテックアメリカにも 開拓することができるように思えた。
しかしながら九三年に当時の主要顧客であった中堅 のホームセンターチェーンのビュルダーズ・エンポー リアム社が倒産。
さらに九四年には、最大顧客だった ハワイ及び米国西部のディスカウントストアチェーン、 ベスト社が倒産し、主要顧客を相次いで喪失するとい う非常事態に直面してしまった。
ちなみに、この二社 は共に情報投資に対して極めて関心の薄い荷主であり、 ひたすらローコストオペレーションを求めるというタ イプの荷主だった。
二つの主要荷主の倒産が、再建途上にあった富士 ロジテックアメリカに与えた影響は極めて甚大であっ た。
結果として縮小均衡による再建計画が再び暗礁 に乗り上げることになった。
本来、ローコストオペレ ーションは単なる人件費削減や単価ダウンではなく、 情報システムに裏付けされたオペレーションプロセス を見直しによって確立すべきものだったのだ。
富士ロジテックアメリカを舞台としたこれら一連の 出来事の後、私はいよいよ本格的に3PLと情報シ ステム産業に参入することになっていった。
PROFILE つむら・けんいち1946年、静 岡県生まれ。
71年、早稲田大学 政治経済学部卒。
同年、鈴与入 社。
79年、鈴与アメリカ副社長 就任。
フォワーディング業務、3 PL業務を展開。
84年、米シカ ゴにKRI社を設立し、社長に就任。
自動車ビック3、IBM、コンパッ クといった有力企業とのビジネ スを経験。
92年、富士ロジテッ クアメリカ社長に就任。
98年、 イーエックスイーテクノロジー ズの社長に就任。
現在に至る
そのうち二〇社近くが、 物流センターやトラック車両などのアセット(資産) を自社で保有し、倉庫業、内陸輸送業務を中心に事 業を展開していた。
日系の航空貨物フォワーダーおよ び海貨フォワーダー系の倉庫業務、具体的には日本 郵船、K-Line (川崎汽船)、三井OSK(商船三井) 等の邦船社の内陸物流オペレーションが主体であった。
日系物流企業がより広範囲に米系企業とビジネス を開始するのは、もっと後年のことである。
本来、日 系物流企業にとって米国に橋頭堡を築くことは、米 国市場への参入という極めて大きな戦略的意義を持 っていたはずだが、当時は荷主の大半が日系メーカー か日系総合商社というのが実情であった。
必然的に小 さなパイの奪い合いとなり、コスト競争が厳しかった。
逆に米系の物流企業が日系荷主を顧客として追い 求めることは、ほとんど無かった。
それだけ日系物流 企業の平均的料金体系と米系のそれとには、大きな 開きがあった。
もちろん日系各社は米系顧客の獲得の ために、あらゆる手を尽くした。
しかし、米系の物流 企業に比べて情報投資面で相当な遅れがあることは否 定できない事実だった。
日系物流企業は米系荷主の RFQ /RFP(提案依頼)の対象になるのがせい ぜいであり、受注に至ることは極めて稀であった。
残念ながら我が富士ロジテックアメリカもその例外 ではなかった。
そんななか、私はロサンゼルスに本社 を置く、大手運送会社のインターステート・コンソリ デーション(Interstate Consolidation )社の経営陣と 親しい付き合いをしていた関係から、何社かの米系荷 主の紹介を受けることができた。
その一つがウールワ ース社であった。
ウールワース社はニューヨークのマンハッタン地区 に古色蒼然とした本社ビルを持つ、老舗の大手小売 り企業だ。
新興勢力のウォルマートや、セブン・イレ ブンを展開するサウスランド社に少々押され気味では あったが、それでも全米にかなりの規模のチェーンス トアを展開していた。
同社が東南アジアから輸入した 商品のDC(保管型倉庫)業務が、当社に紹介され た仕事の内容だった。
年間取扱量は海上コンテナ四 〇フィート換算で約二五〇〇本。
かなりの量である。
受注すれば富士ロジテックアメリカにとって、起死回 生の一打になるのは言うまでも無かった。
物流コンペで連戦連敗 この大型案件の受注獲得に向けて、私たちは必死 だった。
荘厳な雰囲気のウールワース本社ビル内で、 物流担当副社長のジョン・ヌゥバウア氏と私たちは何 回もミーティングを重ねた。
当社のオペレーションも 視察して頂いた。
肝心の見積もりは、随分悩んだ末に 入出庫作業料、一カ月の保管料込みで三六セント/ Cubic Footをベースに作成した。
日系荷 主向け料金と比べると、かなり高いレートだった。
念の為、仲を取り持ってくれたインターステート・ 米国3PLビジネス戦記《第2回》 米3PLの情報武装に完敗 80年代後半から90年代前半にかけて誕生した米3PL企 業は、いずれも卓越したロジスティクス情報システムを武器 にしていた。
米国市場でビジネスを展開していた日系物流企 業は彼らに全く太刀打ちできずにいた。
津村謙一 EXEテクノロジーズ社長 Columns 《前回までのあらすじ》 米国産業界が構造不況に喘いでいた九〇年代 初頭は、物流業の新業態として3PLが開花を 始めた時期でもあった。
筆者は当時の米国市場 で日系物流企業、富士ロジテックアメリカの経 営建て直しを命じられた。
3PLがその突破口 となるはずだった。
しかし、赤字体質を引きずっ てきた同社に、業態を転換するための情報投資 を行う余力は残っていなかった。
結局、従業員 のリストラによる縮小均衡しか手がなかった。
MAY 2002 46 コンソリデーション社に見積もり金額について事前に 確認することにした。
これに対する先方からの返事は NO。
?やっぱり高過ぎたか〞と思ったが、よく話を 聞くとその逆だと言う。
三六セントでは、安過ぎると いうのだ。
それどころか「本当にリテールの配送業務 を理解しているのか?」と、耳の痛いお叱りさえ受け てしまった。
結局、当初想定していたレートの倍以上、八一セン トで最終見積もり提出することにした。
しかし、結果 は惨敗。
受注したのはカリフォルニアのカルカーテー ジ社だった。
実は同社のオーナー社長のボブ・カーリ ー氏と私は渡米以来の旧知の間柄だった。
後日、彼 からウールワースのコンペを一ドル二七セントで受注 したと聞いた。
当社よりずっと高い。
しかし、この案 件のためにカルカーテージ社はかなりの情報投資を強 いられた。
結果として、決して良いビジネス判断では 無かったと、ボブは私を慰めた。
ウールワース社以外にも、富士ロジテックアメリカ はKマートの配送業務、クライスラー社のノックダウ ン部品管理、P&G社のトイレタリー製品配送等々、 様々なRFQに応じた。
しかし、一社として受注する ことはできなかった。
常に情報システム面での能力が ネックになった。
情報投資の日米格差 当時の富士ロジテックアメリカにも当然、在庫管理、 ロケーション管理、入出庫作業、請求書管理といった 作業システムは整備されていた。
しかし米系顧客のW MS(倉庫管理システム)に対する要求レベルは、そ れ以上に高かった。
とりわけロジスティクス・オペレ ーションのリアルタイムの進捗管理は、常に顧客から 要求される前提条件となっていた。
ところが当時、無線端末やバーコードシステムを導 入している日系物流企業はほとんど無かった。
これに 対して、八〇年代後半から九〇年代前半にかけて誕 生した数多くの米国系3PLは、卓越したロジスティ クス情報システムを武器に急速に成長を遂げていた (上の表参照)。
そうした米国系3PLの情報武装は、日系物流企 業とは比較にならないほど充実していた。
WMSやT MS(輸送管理システム)などのSCE(サプライチ ェーン実行系システム)はもとより、「ロジスティク ス・プロセス・リエンジニアリング・システム」「配 送センターサイト選別システム」「サテライト車輌運 行管理システム」「車輌ルーティングシステム」「ロジ スティクス・コスト管理システム」などの分析ツール を、ほとんどの米国3PLが保有していた。
当時から情報武装は3PL企業にとって極めて重 要な資格要件となっていた。
先端IT技術の活用は ロジスティクスのオペレーションを高度化するというだけでなく、新規顧客を獲得するためにも必要不可欠 とされる条件であり、3PLにとってITの導入コス トは戦略投資として認識されていた。
たとえ3PL企 業以外の中小の物流企業であっても、情報投資は日 系企業よりはるかに積極的だった。
実際、激しい淘汰の時代を迎えていた九〇年代の 米国市場では、IT投資が企業の存続、経営の方向 性に多大な影響を与えていた。
それは決して物流企業 に限った話ではなかった。
メーカーや流通企業など、 物流企業の顧客となる荷主自体が、生き残りのために より高次元のロジスティクス情報システムの構築を迫 られていた。
荷主企業が九〇年代の市場競争を生き残るには、サ プライチェーン&ディマンドチェーンを支える可視性 欧米3PL企業の設立時期――80年代後半から90年代前半に集中している 〜 1950 1950 〜 1960 1960 〜 1970 1970 〜 1980 1980 〜 1990 1990 〜 ※ は、Non-Asset AEI Ryder , Associate Buruham , DSC , Kenco , Usco Circle , Expeditors , Arnold , Skyway Caterpillar , FedEx , Integrated , Power , AMR , Builders , Caliber , CTI , Exel , Penske , Rollins , Ruan , Schneider Dedicated , T&B , TLL TNT , BAX , Emeny , Hunt Logistics , Menlo , Ups , Pittsburgh , Schneider Logistics , Mark ? , Werner , CH. Robinson , Hunt Dedicated , Logix , MS Logistics 1社 2社 4社 4社 15社 14社 47 MAY 2002 先進企業は ココが違う 特 集 の高いロジスティクスが不可欠だった。
そのために積 極的な情報投資が行われ、ロジスティクス・オペレー ションのリアルタイム化が進められた。
これによって 在庫削減をはじめ、欠品防止やCRM(カスタマー・ リレーションシップ・マネジメント)の改善、リテー ル・サポートの強化などが実現された。
結果としてこうした情報化の動きに、いち早く着手 した企業が勝ち組として残り、情報投資への理解度に 乏しい企業は戦線から離脱していった。
とりわけ流通 産業では、物流産業以上に熾烈な競争が巻き起こり、 数多くの企業が消え、また統合され、ごく少数の企業 群への寡占化が進んでいった。
そこでは高度のロジスティクス技術を駆使した「S P A (製 造 小 売 り : Speciality Store Retailer of Private label Apparel )」や「CPFR(Collaborative Planning Forecasting and Replenishment:需要予測 と在庫補充のための共同事業)」といったビジネスモ デルが誕生した。
同じ時期にコンピュータや通信機器 などのハイテク産業ではBTO(受注生産方式)が芽 生えた。
このような新しいビジネスモデルや手法を活用して 生き残った?勝ち組〞企業群は、パートナーとなる3 PL企業に対して、当然のようにレベルの高いロジス ティクス情報システムを求めた。
こうして、米国では 高度な情報システムの導入が、すべての産業に連鎖的 に広がっていくことになった。
主要荷主の相次ぐ倒産 話を富士ロジテックアメリカに戻そう。
前述のように、大手米系荷主の獲得による一発逆 転は暗礁に乗り上げた。
そうなると既存顧客をベース に採算性を重視して縮小均衡を図るという延命的な 再建策しか手がなかった。
実際のところ、それで何と か急場をしのげたのも事実だった。
また情報投資を必 要としない仕事、つまりマージン率の低い体力勝負の 仕事であれば、まだまだ富士ロジテックアメリカにも 開拓することができるように思えた。
しかしながら九三年に当時の主要顧客であった中堅 のホームセンターチェーンのビュルダーズ・エンポー リアム社が倒産。
さらに九四年には、最大顧客だった ハワイ及び米国西部のディスカウントストアチェーン、 ベスト社が倒産し、主要顧客を相次いで喪失するとい う非常事態に直面してしまった。
ちなみに、この二社 は共に情報投資に対して極めて関心の薄い荷主であり、 ひたすらローコストオペレーションを求めるというタ イプの荷主だった。
二つの主要荷主の倒産が、再建途上にあった富士 ロジテックアメリカに与えた影響は極めて甚大であっ た。
結果として縮小均衡による再建計画が再び暗礁 に乗り上げることになった。
本来、ローコストオペレ ーションは単なる人件費削減や単価ダウンではなく、 情報システムに裏付けされたオペレーションプロセス を見直しによって確立すべきものだったのだ。
富士ロジテックアメリカを舞台としたこれら一連の 出来事の後、私はいよいよ本格的に3PLと情報シ ステム産業に参入することになっていった。
PROFILE つむら・けんいち1946年、静 岡県生まれ。
71年、早稲田大学 政治経済学部卒。
同年、鈴与入 社。
79年、鈴与アメリカ副社長 就任。
フォワーディング業務、3 PL業務を展開。
84年、米シカ ゴにKRI社を設立し、社長に就任。
自動車ビック3、IBM、コンパッ クといった有力企業とのビジネ スを経験。
92年、富士ロジテッ クアメリカ社長に就任。
98年、 イーエックスイーテクノロジー ズの社長に就任。
現在に至る
