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OCTOBER 2001 16
小さな荷物ほど儲かる
――「宅急便」が誕生して今年で二五年が経ちました。
その誕生から現在までを、長いスパンで振り返ってみ
たいと思います。 まず宅急便の立ち上げ時ですが。
「確かその頃、私は福岡支店の営業課長か係長とい
う立場でしたが、宅配便を始めると聞いた時には正直
いって常識外れだと思いましたよ。 営業の第一線で働
いていた社員からすると、個人宅から荷物を集荷して
個人宅に配達するなんて考えられなかった。 当時のヤ
マト運輸は典型的な路線業者で、一般のお客様の荷
物はできる限り断っていましたから」
――何故、当時の小倉昌男社長は消費者物流をやる
と言い出したのですか。 大得意先だった三越との取引
を打ち切って、窮地に立たされたことは広く知られて
いますが、それがなぜ宅急便につながるのですか。
「ヤマト運輸が集めていた荷物は、西濃運輸や福山
通運の荷物と比べると、キログラム当たりの単価が非
常に安かった。 同じ路線業でもヤマトは大口の仕事が
多いのに対して、西濃や福通は小口の荷主をたくさん
掴まえていたんです。 路線の運賃は一〇キロで五〇〇
円、一〇〇キロで一〇〇〇円というかたちで、一個口
当たりの重量が大きくなればなるほどキロ当たり単価
が小さくなる。 つまり、小口貨物をたくさん集めたほ
うが儲かるわけです。 当時ヤマト運輸の業績はあまり
よくありませんでしたから、小倉社長は小口貨物を獲
得することで混載差益を出そうと考えたのでしょう」
――既存の路線業者と同じ土俵で競争しようという発
想はなかったのですか。 いきなり宅配便をやろうとい
うのは、だいぶ飛躍があるように感じるのですが。
「ヤマトが目を付けたのは約一億八〇〇〇万個あっ
た郵便局が運んでいた荷物(郵便小包)です。 郵便
局はハガキや封書がメーンで、小包は仕方なく運ぶと
いう感覚で商売をしていた。 窓口へ行くと、荷札をつ
けろとか、梱包が悪いからやり直せとか文句を言われ
る。 そこでヤマトは『電話一本で集荷に行きます』『翌
日には着きます』というサービスで対抗しようと考え
た。 郵便局は殿様商売だったので、民間の路線業者
と競争するよりも勝ち目があると判断したのでしょう」
――当初、宅急便に対する現場の眼は冷ややかだった
と聞いています。
「成功するかどうか半信半疑だったので、各支店で
は集配用のワゴン車の購入にも消極的だった。 当時か
ら当社では支店ごとの収支管理が徹底されていたんで
すが、管理職にしてみれば、路線便に比べて非効率な
宅急便は、やればやるほど赤字になるのが目に見えて
いた。 自分の評価を下げるようなことを進んでやるわ
けがありません。 福岡では確かワゴン車二台で集配し
ていたはずです。 ところが、それを聞いた小倉社長が『最低でも東西南北と中央の計五台は宅配便用の車両
を用意しろ』と怒るんです。 荷物もないのに」
――収益には目をつぶると?
「赤字でも構わないからサービスの質を上げろとい
う指示でした。 それまでは収支で管理されていたのが、
ある日突然方向転換されたので管理職は意識を変え
るのに時間が掛かりました。 従来の路線業では荷物の
少ない地域に対してはある程度荷物がまとまってから
配達していた。 配達効率を考えるとそのほうがいい。
それが宅急便を始めてからは許されなかった。 翌日に
配達すると約束しているわけですから、どんなに荷物
が少なくても、例え届け先が山奥であろうと毎日配達
に行くよう指示されました」
――その後、宅急便は軌道に乗って個数がどんどん伸
びていったわけですが、並行して路線便の仕事も続け
特集 ヤマト・佐川二強時代
「ネットワークをさらに細分化する」
ヤマト運輸の緻密な宅配ネットワークは、同社の強みであると同
時に、高水準の固定費負担と対象貨物の制約を避けられない「両刃
の剣」だ。 しかし、同社は今後もネットワークの細分化と新サービ
スの開発をいっそう強化する方針だという。 需要は創造できるとい
う自信が、強気の戦略を支えている。
ヤマト運輸有富慶二社長
Interview
17 OCTOBER 2001
ていた。 それを事実上、宅急便一本に絞り込むことに
なったのはいつ頃だったのですか。
「宅急便を初めてから三、四年経った頃には現場も
『いけそうだ』という意識になりました。 路線便でお
世話になった大口の荷主さんに『もう路線便はやめま
す』と挨拶回りを始めたのはこの頃からです」
――荷主さんの反応はどうでしたか。
「運賃が安いんだったら上げてやるぞ、って言われ
ましたよ(笑)」
――それなら路線便を続けてもよかったのでは?
「上からは、それでも路線便をやめると挨拶してこ
いと強く言われた記憶があります。 限られた施設と限
られた社員で質の高いサービスを提供していくには、
路線便の仕事をやめるしかなかった。 今となっては路
線便をやめて、すべての戦力を宅急便に集中させると
いうあの時の決断が正しかったと思っています」
スタート当初は郵便局が協力
――当時のヤマトの動きを他の路線業者や競合になる
郵政省はどう見ていたのでしょうか。
「直接聞いたわけではありませんが、路線業者には
『失敗するよ』という声が圧倒的に多かったようです。
一方、意外なことに郵政省は、宅急便が始まった頃、
大喜びしたんですよ。 郵便はハガキや封書が本業で、
小包は付帯業務みたいなものでしたから、ヤマトが扱
ってくれると仕事が楽になると思ったのでしょう」
「多分これは本当の話だと思いますが、当時郵便局
は小包を出しにきた顧客に対して『ヤマトのほうが速
く着くよ』ってセールスしてくれたところが多かった
そうです。 当社の社内でも『郵便局の目の前に営業所
をつくるとうまくいくぞ』という話になっていました。
ところが、徐々に郵便小包の取扱個数が落ちていき、
これではまずいということになって、郵政省は慌てて
サービス改善に動き始めたようです」
――全国ネットワークを構築していく過程で、路線免
許をめぐる運輸省との戦いがありました。 当時、免許
を取ることはそんなに大変なことだったのですか。
「それはもう大変でしたよ。 トラック業界も典型的
な護送船団の業界でしたから。 運輸省は既存業者あ
りきで新規参入は基本的に入れないというスタンス。
免許の申請書を出すと、『現地の業者から了解を取っ
てこい』という始末です。 宅配便は新しいビジネスで
あって、既存業者の仕事を奪うものではないと説明し
ても、役人たちは理解してくれなかった。 本来は申請
書を精査して免許を与えるのが行政の仕事であるはず
なのにそれを放棄していたんです。 そこで、石原慎太
郎大臣の時に行政不服訴訟を起こしました」
――免許の交付を待つよりも、すでに路線免許を持っ
ている地方の業者を買収していったほうが手っ取り早
かったはずです。 実際、佐川急便は買収に次ぐ買収でネットワークを拡げていきました。 なぜヤマトはその
手法を取らなかったのですか。
「一部地域では佐川急便と同じように買収によって
ネットワークを構築した時期もありました。 ただし、
佐川急便は区域免許のつながりであるのに対して、ヤ
マトは路線でネットワークの仕組みが違います。 もっ
とも運行(路線)はあくまでも道具であって、面の集
配を一番の基本と考えていましたが」
――ヤマトが設定した宅配便運賃がダンピングの疑い
あり、ということで運輸省と一悶着ありましたよね。
「郵便の重量別の取扱個数を調査したときに、小さ
い荷物は郵便に残っていて、大きな荷物がヤマトに流
れているという構図が明らかになった。 当時ヤマトは
関東全域五〇〇円という料金体系を打ち出して、そ
特集 ヤマト・佐川二強時代
OCTOBER 2001 18
の後七〇〇円、八〇〇円と改定してきましたが、それ
でも一キロ、二キロという荷物の場合は郵便のほうが
安かったので、宅急便に流れてこなかったんです」
「それならば、二キロの商品をつくろうではないかと
いう話になって、運賃の認可を運輸省に申請した。 二
キロで五〇〇円という運賃を提出したのですが、これ
が一種のダンピングに当たるという疑いを掛けられて
しまった。 当時、路線便の運賃表には三〇キロ以下が
盛り込まれていなかったからです。 郵政には一キロ、
二キロを扱うそういう商品があって、民間にもあれば
荷物が増える可能性が高かったのに、運輸省は申請を
なかなか認めようとはしなかった」
――相手は郵政省なわけですよね。 本来であれば運輸
省は事業者を応援してくれそうなものですが。
「当社は世の中にスモールサイズのニーズがあると
いうことで運賃の申請を出しました。 ところが、運輸
省は受け付けたという意思表示をしない。 預かるとい
う回答だけです。 当社は新聞広告で新しいサービスを
やりますと打っていたのですが、認可が下りないので、
今度はサービス開始を延期しますという広告を打った。
これをマスコミが喜んで、『ヤマトが安い運賃でやろ
うとしているのに、運輸省の態度はけしからん』とい
う論調になった。 結局、運輸省は急遽宅配便の運賃
表を作らざるを得ない状況になって、他の業者にも宅
配便の運賃を申請させたわけです」
B
to
Cの拡大で他社と競争に
――元々は消費者物流でスタートした宅急便が企業向
けにも使われるようになってきました。
「麻雀で言えば、ツモったら裏ドラがついてきたと
いう感じですね(笑)。 ヤマトならば確実に翌日に届
くというのが企業にとっても魅力なのでしょう。 通信
販売など宅配便をイメージしながらモノを売るビジネ
スモデルがあちこちで誕生しましたから」
――かつては企業から出る荷物を断っていたわけです
よね。 そうなるとヤマトのほうから営業を掛けるわけ
にはいかないですよね。
「しばらくは大口の荷主には目を向けるなという指令
が出ていました。 宅急便を始めてから一〇年くらいは、
雨だれを一滴ずつ集める仕事はしても、バケツで一気
に水を掬うような仕事はやるな、と。 それでもニーズ
があるので、各主管支店の下に特販営業所という大口
貨物の専門部署を設けて対応するようにしました」
――しかし、企業向けをやり始めると、C
to
Cのネッ
トワークが崩れていくのではないでしょうか。
「(企業向けサービスを扱うようになって)ライバル
との荷物の取り合いが始まったのですが、そこできち
んと押さえておく必要があったのは『ヤマトを使いた
いというお客さんはあくまでも細かいネットワークを
利用したいからである』ということです。 企業向けを
やり始めるとどうしても発送だけに目が向いてしまう。
配達のネットワークが疎かになれば、発送だって増え
ないということを常に現場には言い聞かせていました」
――企業向けサービスの一つにロジスティクス事業が
あります。 ヤマトは今年四月にロジスティクス事業本
部を設置しました。 これはかつての特販営業の流れを
汲むものなのでしょうか。
「流れを汲んでいるという面と、既存のサービスに
新しい機能を加える面の両方ですね。 かつての特販は
大口顧客の荷物を客先の出口で預かって配送すると
いうサービスを提供していました。 今後は出口の前、
つまり情報処理、流通加工、保管といった領域にまで
踏み込んでいくところまで志向してみようという動き
がある。 ただし、大企業の大規模物流センターを丸ご
19 OCTOBER 2001
と請け負うというよりも、B(企業)の中でも中堅以
下の企業がメーンのターゲットになる。 お客さんが販
売などコアの業務に専念できるようヤマトが物流のA
SPサービスを提供するわけです」
――ロジスティクスの分野では業務提携先である米国
UPSがここ数年、欧米市場で熱心に展開しています。
UPSのようなモデルを志向しているのですか。
「UPSもそうですが、当社の場合は日本の倉庫会
社や路線業者、さらには日立物流のような物流子会
社が志向しているような3PLとはちょっと違う。 ヤ
マトの強みはきめの細かい配送ネットワークですから、
(ロジスティクス分野でも)それを活かせるようなビ
ジネスを目指すことになる」
郵政は圧倒的に強い
――今年二月に有富社長にインタビューした際に、今
後の課題としてネットワークの見直しを挙げていまし
た。 ヤマトのネットワークはきめ細かいとはいえ、荷
物の拡大に合わせて場当たり的に拠点を増やしてきた
というイメージがあります。 これをどう変えていくつ
もりなのですか。
「場当たり的だったわけではありませんよ。 それなり
の戦略はありました。 今後の構想は来年四月からスタ
ートする新中期経営計画に反映させるつもりです」
――拠点配置を変えるのですか。 それともさらに網の
目を細かくするために拠点を増やす計画なのですか。
「過去のことならいくらでもしゃべるんですが、ここ
から先はちょっとね(笑)。 いずれにしても、ネット
ワークをもっと細かくする。 色々と仕掛けを考えてい
ます。 これまで宅急便、特に『C
to
C』
はお客様を
特定する必要がなかった。 しかし、今後は『C
to
C』
でもお客様を特定する必要が出てきそうです」
――郵政が二〇〇三年に公社化されます。 早くから郵
便事業民営化を唱えていたヤマトにとっては朗報でし
ょうが、準備は進んでいるのですか。
「これはよく聞かれることなのですが、まだ市場がど
こまで開放されるかわからない状況です。 開放の具体
的な方向性が出る二〇〇二年くらいからでも準備は
十分に間に合うはずです」
――仮に完全自由化になったとして、ヤマトとしては
商売が成り立つのでしょうか。
「宅急便は従来の路線便ビジネスにはないサービス
を提供しようという視点から出発しました。 郵便事業
に関しても同じことが言えると思うんです。 現在、郵
政がやっているサービスと同じサービスをヤマトがや
っても勝てるわけがない」
――何が問題なのですか。
「店の数、人の数、仕分け装置などの施設を見ても、
郵政のほうが圧倒的に強い。 世の中で言われているほ
ど、民間参入になったからといってヤマトが?ウハウハ〞になるということはないでしょうね」
――九〇年代後半から宅配便市場は成熟化したと言
われ続けてきました。 しかし、実際には市場のパイは
拡大し続けています。 郵便事業の民営化でパイはさら
に膨らみそうです。
「恐らく、お客さんが気が付いていないサービスを
提供できている間は市場も拡大していくのでしょう。
アイデアが次から次へと出ている間は市場は成熟しな
いと見ています」
――宅配便をめぐる競争も激しくなるのでしょうか。
「昨年は約九億個を扱ったのですが、社員にはいつ
までもこの個数が自分たちのものであると思うなよ、
と発破を掛けました。 佐川急便や郵政省などライバル
はいずれも手強い。 安穏とするヒマはありません」
従業員数(人)
事業所数(店)
取扱店数(店)
車両台数(台)
91,026
2,775
312,513
31,922
65,973
2,043
291,339
26,915
74,193
2,158
294,661
28,327
74,800
2,239
299,160
29,004
84,242
2,311
309,663
30,223
2001年
3月31日現在
1997年
3月31日現在
1998年
3月31日現在
1999年
3月31日現在
2000年
3月31日現在
ヤマト運輸の「宅急便」戦力の推移
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