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特集 ヤマト・佐川二強時代
物流業界の盟主、日本通運が揺れている。 97年に宅配事業の「専業化」
を打ち出して以降、99年には宅配部門にセールスドライバー制を導入。 扱
い個数の倍増を目指す拡大策に打って出た。 ところが、今年の年初時点
で方針を転換。 全社的な収益改善が急務となり、拡大計画を白紙に戻さ
ざるを得なくなった。 これにより、国内宅配市場は、ヤマト運輸・佐川
急便の「二強時代」に入った。
OCTOBER 2001 24
日本通運は今年六月に同社の宅配部門である「ペ
リカン・アロー」事業の位置付けを見直した。 宅配事
業の全国統括組織として本社に置いていたペリカン・
アロー本部を「部」に改編。 宅配専業店の管理を本
部直轄から全国十二の地域ブロックに委譲した。 宅
配事業単独でヤマト運輸、佐川急便の専業二社に対
抗しようという方針を事実上、引っ込めた格好だ(表
1)。
実際、今年五月に発表した「日通グループ経営三
カ年計画」には「ペリカン・アロー」の文字が全く出
てこない。 小口貨物に関しては「グループの総合力を
生かした展開」がうたわれているだけで、昨年まで最
重視されていた宅配事業の個数拡大や「専業化」に
ついては一言もない。
九七年以降、同社は「全部門でトップを狙う」こと
を目標に、積極的な規模拡大策をとってきた。 なかで
も最大のテーマが、ヤマトと佐川に扱い個数で大きく
水を空けられていた宅配事業の強化だった。 具体的に
は二〇〇三年度をメドに、ペリカン便の年間取扱個数
を約四億個から八億個に倍増させることが目標だった。
そのために宅配だけを扱う本社直轄の専業店を全
国に組織。 他の運送事業とは切り離し、宅配事業の
「専業化」を進めた。 情報インフラの整備に四〇〇億
円、クール便に一〇〇億円という大型投資も決断。 昨
年の一月にはセールスドライバー制度(現在はサービ
スドライバーに改称)を導入するなど、専業二社を追
撃する姿勢を明確に打ち出していた。
その結果、昨年度のペリカン便の扱い実績は四億
三五九〇万個の前年比八・六%増。 収入は二一八二
億円で同五・九%増を確保した。 市場シェアも一六・
七%と、前年に比べて一・五ポイントの上昇。 「三年
で倍増」という目標の達成には十分とはいえないもの
の、拡大策の効果は確実に数字に現われていた。
ところが今年に入って、同社は従来の方針を急転
換させた。 扱い個数の倍増計画を撤回。 今後は個数
やシェアを目標には置かず、収益性の改善を最重視す
る方針に切り替えるという。 専業化も一歩後退した。
今年六月の改編で、宅配事業の採算管理は本社から
各ブロックに移った。 各ブロックはその地域の全体収
支で評価される。 宅配と他の運送事業の管理は統合
されることになった。
昨年末の繁忙期にパンク
この組織改編に合わせて大幅な人事異動も行われ
ている。 時期社長候補との噂も高い児玉駿執行役員
ペリカン・アロー本部長、そして萩尾計二同部長とい
う同本部の中軸の二人がそれぞれ他部門に転出。 新
たにペリカン・アロー部担当として野口廣太郎執行役
員、部長に園田憲治氏が起用された。 人事の刷新で
再出発を図っている。 昨年末の繁忙期、同社は最大で数週間という配達
の遅延を発生させている。 宅配貨物の年末繁忙期の
物量は通常の数倍に膨れあがる。 宅配便各社は予め
それを見越して戦力を手当てするのだが、積極的な拡
大策の影響で日通では見込みが大きく狂った。 園田
部長は「繁忙期には数%の見込み違いでも現場に大
きな負担がかかる。 それが昨年末は我々の予想をはる
かに超えてしまった」という。
配達店に荷物が溢れ、仕分けが追い付かない。 その
間に不在宅の持ち戻りがどんどん帰ってくる。 再配送
依頼の電話が鳴っても、現場の処理に追われて、受話
器をとる社員が誰もいない。 そのうち営業時間も過ぎ
てしまう。 日持ちのするドライ商品ならまだしも、歳
暮には食品も少なくない。 遅れただけでは済まされな
日通凋落で二強時代に突入
Report 第1部
25 OCTOBER 2001
い――現場のオペレーションの収拾がつかなくなる
「パンク」といわれる状態だった。
これに先立つ昨年九月、小田急百貨店はギフト配
送拠点となっていた自社所有の厚木物流センターを閉
鎖。 年間四〇〇万個近いギフト配送の全てを日通に
全面委託している。 同様に九州の岩田屋も昨年の中
元を機に、自社配送から日通へのアウトソーシングに
切り替えている。
「百貨店にとってギフト商品は収入の柱。 配送トラ
ブルを起こせば届け出先はもちろん贈り主からも百貨
店に直接クレームが舞い込む。 それで法人需要を失う
ことにでもなれば、ダメージは深刻だ。 暖簾の信用に
関わってくる。 日通のパンクは百貨店業界でも大きな
話題になった」と三越物流の鈴木伸之社長は説明する。
年末のパンクに関しては、日通も全面的に非を認めて
いる。 園田部長は「多くのお客様に大変なご迷惑をおか
けしてしまった。 お怒りになるのも当然だ。 猛反省して
いる。 その後、ギフトではインフラを再整備すると同時
に、出荷手順を詰め直した。 その結果、今年の中元は
非常にスムーズに運営することができた」という。
抜本的なリストラが急務に
もっとも、トラブルを起こしたからといって、従来
の専業化&拡大路線を一八〇度改めてしまうことに
対しては、社内外に疑問視する声が少なくない。 日通
に追われる側のヤマト運輸の有富慶二社長も「(昨年
のペリカン便のパンクは)戦術のミスであって戦略自
体は間違っていなかったと思う。 実際、日通のような
体力を持った会社が、本格的に宅配の専業化で押し
てくるとなると当社にとっても脅威になる」という。
それでも日通が方針を転換させた理由を、日通の中
堅幹部は「全社的な収益体質の改善が急務になり、宅
配どころではなくなったからだ」と漏らす。 同社は宅
配事業の単独収益を公表していないが、赤字であるこ
とは認めている。 専業化による宅配事業の強化は規模
拡大と同時に、黒字転換も狙いの一つだった。 ところ
が宅配事業の収益以上に、全体収益の低迷が深刻な
問題として顕在化してきたのだ。
今年三月期の決算で同社は二六六億円という巨額
の連結最終赤字を計上している。 退職給付金の積み
立て不足を一括償却したという事情はあるものの赤字
転落は初めて。 本業の儲けを示す営業利益も六期連
続で減益となっている。 株価も上下動を繰り返しなが
ら過去五年間、低下傾向が続いている。
ちなみに同社の大株主でありメーンバンクの第一勧
銀と興銀は昨年、みずほファイナンシャルグループと
して経営統合している。 今年三月時点での日通に対
する持ち株比率は第一勧銀が五%、興銀が二・九%。
これを単独銀行の上限とされる五%以内に抑えるとな
ると、数千万株が放出されることになる。 現在、みずほグループでは取引先の整理を進めており、融資先に
対するプレッシャーは強まっている。
さらに今年に入ってハイテク不況の影響で、これま
で日通のドル箱だった国際航空貨物の荷動きが止まっ
ている。 米国同時テロが、それに追い打ちをかける。
「宅配どころではない」というのは、同社の本音だろ
う。 大規模なコスト削減策の実施や不採算事業の整
理など、抜本的なリストラを避けられない状況に追い
込まれているのだ。
今年三月一日に老舗の特別積み合わせ業者、三重
定期貨物自動車が自己破産。 その三日後には、西濃
運輸、福山通運と並び、かつては「路線御三家」とも
呼ばれたフットワークエクスプレスが経営破綻。 さら
に八月には中部運輸が民事再生法申請。 同月、新日
表1 日通はペリカン・アロー便の専業化戦略を修正した
1997年
年月 本 部 支 店 トピックス
10月
10月
5月
6月
5月
4月
6月
1998年
1999年
2000年
2001年
ペリカン 企画部と自動車企画部を統合
ペリカン・アロー営業部を新設
関東、中部、関西の3地方支店にペリカン・アロー営業本部を
設置
ペリカン・アロー本部を新設
全国7ブロックにペリカン・アロー営業本部を設置。 全国831の
一般店のうち125店を「ペリカン・アロー専業店に
98.6 お届け指定サービス 開始
ゴルフ往復便 開始
当日配達便 開始
98.11 往復スキーペリカン便 開始
中期経営計画
「チャレンジ21構造計画2カ年計画」スター
ト‥‥「ペリカン・アロー便事業の強化」を
重点施策に
組織改正
・岡部正彦社長が就任
・ペリカン・アロー営業本部を廃止。 本社のペリカンアロー本部
が専業店を直轄する体制に
・専業店の本部直轄を改め、ブロックの配下に
99.6 冷凍宅配サービス開始
99.10 自宅集荷を強化
新経営計画「日通グループ経営3カ年計画」策定。
全国12地域のブロック統括制を導入。 ペリカン・
アロー本部を改組し、ペリカン・アロー部に
組織改正
・小口貨物情報システムの高度化で400億
円、クール便事業の車両・施設の拡充で
100億円の投資を決定
00.1 セールスドライバー制度導入
00.2 iモードで貨物追跡が可能
00.3 楽天市場の商品配送を受注
00.4 コレクトペリカン便 開始
00.7 台湾でペリカン便事業開始
00.7 車両を持たない集配所「ペリカンスポット」設置
00.9 小田急百貨店の配送業務開始
00.11 アマゾンジャパンの配送受託
・全国100カ所のターミナルとそれに対する集配店を本社直轄に
・8ブロックのペリカン・アロー支店(総括支店扱い)体制に
・統括支店管轄の「自動車支店」をペリカン・アロー支店」に名
称変更
・専業店である「ペリカン・アロー営業支店」を各都道府県に設
置
・集配店を「ペリカンセンター」に統一
8統括支店、20支店、39営業支店体制に
00.12〜01.1 年末繁盛期の配送がパンク
特集 ヤマト・佐川二強時代
OCTOBER 2001 26
本運輸が会社更生法に基づく再建計画を断念するな
ど、今年に入って特別積み合わせ業者の経営破綻が
相次いでいる。
この九月にはマイカルの経営破綻の影響で、西濃運
輸が三〇億円という損失を被った。 福山通運も今年
三月期の決算で、日立物流、日本梱包運輸という倉
庫・一般運送に強い二社に営業利益で逆転されてい
る。 そしてついに日本通運の経営にも黄信号が点灯し
始めた。 戦後、常に陸運業界で保守本流の立場にあ
った特別積み合わせ業者は、もはや総崩れといえる状
態だ。 結局、特別積み合わせ事業者で勝ち組として
残ったのは、ヤマト運輸と佐川急便という宅配専業の
二社だったということになる。
淘汰を経て「二強」に収斂
ヤマトが「宅急便」を開発したのは一九七六年、今
からちょうど二五年前だ。 当初、宅急便は路線事業
(現在の特別積み合わせ事業)の鬼っ子的な存在だっ
た。 ヤマトもそれまでは「大和便」という路線便を展
開する普通の路線業者だった。 しかし、「行政の分類
上は宅配便も路線便の一つだが、現実にはまったく違
う商売だと認識していた。 路線便とは別に『宅急便』
の仕組みを全く新たに作っていった」と同社の越島国
行専務はいう。
当時、一般消費者の宅配貨物は、郵便小包か鉄道
小荷物を利用する以外になかった。 郵便小包はもちろ
ん郵便局。 鉄道小荷物は国鉄で、末端の集配は日本
通運を始めとする各地の通運会社が独占していた。 い
ずれも集荷拠点まで消費者が自分で持ち込まなくては
ならず、いつ到着するのかも分からない。 ストライキ
も頻発していた。
これに対して、ヤマト運輸は消費者の自宅まで集荷
にいくうえ、全国翌日配達をうたっていた。 「もっと
も、当時は実際には七〇%くらいしか翌日に配達でき
ていなかった。 それでもお客さんからは非常に喜ばれ
た。 他社もやろうと思えばできたはずだが、翌日配達
を正面切って言い切るほど徹底していなかった」とヤ
マト運輸の越島国行専務はいう。
それに加えて、日通の園田部長は「八三年に宅配
便の認可基準が公布されるまでは法律上、宅配便と
いう商品が正式には認められていなかった。 当社もす
でに個人宅配は取り扱っていたが、現在の宅配便のよ
うなゾーンタリフ制ではなく、当時の法に基づいた距
離と重量の運賃を用いた商品だった」と振り返る。 実
際、宅配タリフの受け付けが始まるとヤマト、日通を
含む有力路線業者二七社が一斉に宅配便の届け出を
申請。 本格的に事業化に乗り出した。
ちょうどこの頃、全国の高速道路網ができあがる。
これが路線各社による全国翌日配達というスピード競
争の呼び水となった。 その後、物流二法が施行される
九〇年頃まで、各地に集配のための営業所を展開す
る許認可権の取得と、ネットワークの拡充が成功の条
件となる時代が続いた。
一方、佐川急便は全く別の切り口から、ドア・ツ
ー・ドアの小口貨物輸送を手掛けていた。 アパレル業
界を中心に、卸〜小売り間の小口の緊急貨物を代行
する「いわゆる運び屋、便利屋」(平間正一副社長)
的な急便事業で業績を伸ばした。 ヤマトが行政裁判
等によって規制に真っ向からぶつかっていったのに対
し、佐川は各地の運送業者を買収することでネットワ
ークを拡げていった。
ヤマトが消費者物流のC
to
C。 佐川は企業間物流
のB
to
Bから出発したという違いはあるものの、両社
のビジネスモデルには共通点が多い。 いずれも宅配専
宅急便
佐川急便
ペリカン便
フクツー宅配便
カンガルー便
フットワーク
名鉄宅配便
中越宅急便
ふるさと特急便
パンサー宅配便
ハート宅配便
そ の 他 (26便)
合 計 (36便)
ヤマト運輸(株) 他2社
佐川急便(株)
日本通運(株) 他20社
福山通運(株) 他12社
西濃運輸(株) 他24社
フットワークエクスプレス 他12社
名鉄運輸(株) 他10社
中越運送(株)
トナミ運輸(株) 他1社
岡山県貨物運送(株) 他1社
89,038
66,293
42,364
19,121
13,990
12,630
3,851
3,615
1,209
864
1,052
254,027
107.5
123.9
108.9
115.4
93.2
85.0
105.4
87.8
101.1
100.3
91.2
109.2
35.1
26.1
16.7
7.5
5.5
5.0
1.5
1.4
0.5
0.3
0.4
100.0
宅配便名 取扱事業者 取扱個数 対前年度比 構成比
2000年度宅配便(トラック)取扱個数(国土交通省調べ)
(注)1.本表は、宅配便名ごとに、その便名で運送を行う各事業者の取扱個数を集計したものである
2.宅配便としてカウントする貨物は、特別積合わせ貨物又はこれに準ずる貨物の運送であって、重量30kg以下
の一口一個の貨物を特別な名称を付して運送した貨物とした
(単位:万個、%)
27 OCTOBER 2001
業者であるのに加え、末端集配網をネットワークのメ
ーンとしている。 そして末端集配に正社員のセール
ス・ドライバーを配置している点も同じだ。
これに対して他の路線業者にとって事業の中心は、
あくまでも路線業だ。 宅配は路線業を補完する業務に
過ぎない。 実際、路線業者にとってのコア・コンピタ
ンスは長距離幹線輸送であり、労務管理で最大の配
慮が必要なのは、最も給料の高い長距離大型トラック
のドライバーだった。 集配部門は割安な協力会社にア
ウトソーシングすべきコストセンターという位置付け
だった。
そうした兼業体制でも、既得権を持つ老舗の路線
業者は、専業の二社にそれなりに太刀打ちできた。 右
肩上がりに物流が伸びていく環境下で誰もが売り上げ
を拡大させた。 しかし、物流二法によって既得権が消
滅。 スピードも全国翌日配送が常識になると、市場競
争は新たなフェーズに突入する。 そこでは兼業体制の
不利が大きく影響することになった。
規制緩和が進んだ九〇年以降のフェーズでは、サー
ビス品質、そして商品開発力が宅配市場における他
社との差別化手段になった。 さらにバブル経済が崩壊
してからは、末端の集荷力によって各社の売上規模の
差が開いていった。 専業二社のシェアが上昇し、淘汰
が始まった。
本来、宅配便を含めた路線事業は規模がモノをい
うインフラビジネスだ。 競争が進めば、必然的に上位
数社への集中が進むはずだ。 ところが実際には現在に
至るまで国内に三〇〇社程度の路線業者が存続して
いる。 これは参入規制による供給力制限の影響なしに
は説明がつかない。 規制が外れたことで初めて陸運業
界に本格的な競争が起こったのだ。
専業二社に続く宅配二番手グループの路線各社は
無理な価格競争によって規模の確保を焦った。 当初
は豊富な含み資産で損失を埋めることができたが、一
〇年に及ぶ長期低迷でついに貯金も底を付いた。 二
番手グループは現在、宅配事業からの撤退も含めたビ
ジネスモデルの再構築を迫られている。
旧・路線業者の最後の砦として大手の一角を占め
ていた日通も、ここ数年の拡大路線によってついにつ
まづいた。 九八年に佐川が事業内容の届け出方法を
変更。 それまで特積み貨物として扱っていた「飛脚
便」を宅配貨物として計上するようになったことが、
日通を無謀な拡大策に走らせたと指摘する声もある。
佐川が宅配の扱い個数で日通を抜きヤマトに次ぐ地
位に付けたことで、日通に焦りが生じたというわけだ。
しかし、佐川急便の栗和田榮一社長は「実はいま
だに社内では急便を路線便とも宅配便とも考えていな
い。 他社と競合している意識もない。 しかし、一般ユ
ーザーはもはや路線便と宅配便を区別していない。 『ド
ア・ツー・ドア』のサービスを全て宅配便として認識している。 そうである以上、当社も宅配便という市場
で意志を明確にしない限り、存在を問われることにな
ると考えた」と届け方法変更の理由を説明する。
全国一万店構想
確かに今日、宅配便は特積み事業を包含する言葉
として一般には認知されるようになっている。 九〇年
からの二〇〇〇年までの一〇年間で宅配貨物の扱い
個数は二倍以上に拡大した。 これに対して、宅配を含
めた営業トラックの輸送トンキロ数は一〇年で二割程
度の増加に止どまっている。 小口貨物のドア・ツー・
ドア市場における宅配便のシェアが著しく増加してい
ることは明らかだ。
宅配便の国内市場規模も既に三兆円近くに上って
ヤマト運輸
890(+7.5%)
宅配便大手各社の扱い個数の推移 (単位:百万個)
佐川急便
662(+23.9%)
日本通運
423(+8.9%)
郵便小包
310(▲2.8%)
福山通運
191(+15.4%)
西濃運輸
139(▲6.8%)
※航空宅配便を除く
※( )内は前年比
900
800
700
600
500
400
300
200
100
0
年度 3/92 3/93 3/94 3/95 3/96 3/97 3/98 3/99 3/00 3/01
OCTOBER 2001 28
いると推測される。 路線便は宅配便を補完する事業に
位置づけを変えた。 当初は路線便の亜流に過ぎなかっ
た宅配便が、誕生から四半世紀を経てドア・ツー・ド
アを結ぶ小口貨物輸送の本流の地位を占めるまで成
長した。 宅配便と路線便の主客は逆転し、市場の淘
汰は峠を越えた。
既に旧・路線の兼業組は既存事業の整理に入って
いる。 九五年には日本路線トラック連盟が発足。 幹
線輸送の共同化等に着手した。 第一貨物、トナミ運
輸、岡山県貨物運送、西部運輸の中堅企業によるシ
ステム統合も進んでいる。 特積み大手と異業種とのア
ライアンスの動きも活発だ。 今後は事業譲渡や統合な
ど、さらに踏み込んだ「選択と集中」が予測される。
これに対してヤマトと佐川の二社は、それぞれのビ
ジネスモデルの総仕上げに入っている。 ネットワーク
のさらなる細分化を図るヤマト運輸は、現在の全国二
七〇〇拠点を一万店規模にまで拡大する可能性が強
い。 拠点を分散化すれば拠点間輸送が増加し、管理
業務や情報システム整備の負担も増える。 取扱可能
な荷物の形状にも制約が出てくる。 それでも同社がド
メインとするC
to
C市場には全国二万四〇〇〇拠点
を構える郵便局、一万店近くを構える大手コンビニな
ど、強力な異業種のライバルが控えている。
同社の山崎篤常務取締役営業戦略本部長は「二万
四〇〇〇拠点ありきとは考えていない。 現在の郵便ネ
ットワークは取扱個数に対して拠点数が合っていない。
時速四キロで配達するためにネットワークが組まれて
いてムダが多い。 適正配置にすれば、もっと拠点数が
少なくても品質を落とさずにサービスを提供できる。
ただし、現状の二七〇〇では足りないのは確かだ」と
説明する。
拠点数の拡大により、ネットワークをさらに緻密に
していくと同時に、サービス内容では他の追随を許さ
ない領域まで革新を進める。 来年度は一時間刻みの
「時間帯お届け」サービスがお目見えすることになり
そうだ。 現行のサービスでは二時間区切りの六区分帯
を指定できるが、これを一時間刻みに細分化する。 現
在、関東の一部地域で実証実験を行うなど着々と準
備を進めているという。
「時間帯お届け」は、「いつ届くのかわからない」とい
う利用者の不満に答えてヤマトが九八年に開発したサ
ービスだ。 その後、日本通運、郵政といったライバル
たちの?後追い〞もあって、一般消費者にすっかり定
着した。 その精度をさらに向上することで、他社を振
り切ろうという考えだ。 指定できる時間帯が一時間刻
みになれば当然、荷受け人の不在率も低下するため、
宅配便の長年の懸案事項となっている?不在による
持ち帰り〞にも効果が期待できる。
佐川は別モデルを展開
また「消費者個人の『特定』にも取り組んでいる」
と有富社長はヒントを口にする。 これまで宅配便の届
け出先はあくまでも「宅」単位であり、受取人の指定
まではできなかった。 新たに個人単位のデータベース
を構築することで、それを可能にしようと考えている
フシがある。 これにより「宅急便」は「個人急便」に
進化を遂げる。 信書の配達にはうってつけだ。
「宅急便」の完成度の高さは、サービスの硬直化と
常に背中合わせとなっている。 実際、C
to
Cをベース
に設計された「宅急便」は企業とのインターフェース
に課題があると指摘されている。 それでもヤマトは、
手間はかかるが混載利益の高い末端の消費者物流を
軸にサービスの高度化を進める姿勢を貫いている。
一方、B
to
Bを事業の柱に据えてきた佐川もその
特集 ヤマト・佐川二強時代
山崎篤常務取締役営業戦略本部長
2,800
2,600
2,400
2,200
2,000
1,800
1,600
1,400
1,200
1,000
800
600
400
200
0
84 85 86 87 88 89 90 91 92 93 94 95 96 97 98 99 00
郵便小包
利用運送
トラック
宅配便合計
(百万個)
(年度)
宅配便取扱個数等の推移
29 OCTOBER 2001
基本方針を崩していない。 同社のネットワークは企業
向け貨物を対象に設計されている。 現在の拠点数は
三三〇カ所で、ヤマトの二七〇〇と比較すると格段に
少ない。 ただし、一拠点当たりの規模は最低でも三〇
〇〇〜四〇〇〇平方メートル以上で、宅配便として
は大型拠点が多い。
ネットワークの完成度自体は高くない。 佐川では伝
統的に各支社の独立性が強く、拠点展開にも支社の
意向が強く反映されている。 ネットワークを全国レベ
ルで見たときに、必ずしも合理的な拠点配置になって
いるわけではない。 しかし今後、佐川がヤマト型のネ
ットワークに転換する可能性は低い。
佐川の強さは、荷主企業のニーズに対応する柔軟
性にある。 宅配便のネットワークを高度化するあまり、
柔軟性に支障をきたせば自らのドメインを揺るがすこ
とにもなりかねない。 栗和田社長は「顧客の要請に柔
軟に応えるという当社の強みは今後も維持していく。
そのため(ヤマト運輸と)同じ市場でバッティングす
るようになったとしても、拠点展開、建物の作り方、
全てが違う形になる」と説明する。
「C
to
C」をベースに「B
to
C」に扱いを拡げてき
たヤマトとは対照的に、佐川では「B
to
B」から「B
to
C」へのシフトが進んだ。 その結果、従来は棲み分
けのできていた両社が「B
to
C」市場で直接ぶつかる
ようになっている。 ヤマトが企業向けインターフェー
スに課題を抱えているのと同様、佐川では消費者向け
配送が課題となっている。
佐川は今年、向こう三カ年の中期経営計画として
「第二次アクションプラン」をスタートさせた。 その
初年度となる今期は抜本的な組織改革を実施してい
る。 各地域に分散していた地区法人を今年度中に本
社に一本化する計画だ。 全国統合を済ませた同社が
今後、全社的に「
to
C」のネットワーク整備は進めて
いくのは必至だ。
しかし、その結果できあがるビジネスモデルはヤマ
トは全く違った形になりそうだ。 ヤマトが郵便局やコ
ンビニを意識したネットワーク展開を進めていくのに
対して、佐川のネットワークは同じB to
Bをメーンと
するUPSやフェデックスなどの国際宅配業者に近い
モデルとなるはずだ。 日本の物流業界は、それぞれビ
ジネスモデルを異にする宅配市場の「二強」が頂点に
君臨する新たな時代に入った。
昨年あたりから配送を含めた物流業務を外注化する
百貨店が増えているが、いったんそういう体制にした
ら、失敗した場合に元に戻すのは非常に困難になる。
それが一番怖い。 また、外注化が進むと宅配便専業者
同士の争いになって、一社だけが残ったら、その会社
がプライスリーダーになって競争原理が働くなる恐れ
もある。 一気に外注化するのではなくて、同業他社と
の共同配送を実施するなど段階的にコスト削減策を進
めていくべきだと思う。 実際、当社にとっても民間の
宅配便業者に丸投げすることは四つの選択肢ではあっ
たが、自社の資産などを活用し、かつローコストを実
現するためにはどうしたらよいのかを考えた結果、ま
ずは三越など同業者との共同配送が先決という結論に
達した。
外注化の一番の目
的はコストダウンに
ある。 ただし、それ
によってサービスレ
ベルが落ちるという
ことを覚悟しなけれ
ばならない。 コスト
とサービスを天秤に
かけて、どちらを選ぶか。 当社の場合、現段階ではサ
ービスを重視している。 そのため、自社でデポを持ち、
地場業者を組織化して配送業務を行っている。
カバーできない地域についてヤマト運輸に配送を委
託しているが、品質という意味では残念ながら百貨店
配送のほうが優れている。 宅配便専業者は百貨店配送
に比べ、破損、遅延などの事故率やクレーム率が高い。
百貨店配送の場合はお客さんに届けるまで百貨店の商
品として扱われるが、専業者の場合、百貨店のセンタ
ーを出た瞬間に専業者の商品、例えばヤマト運輸だっ
たら「宅急便」に変わてしまう。 「高島屋の商品」と
して届けるのか、「宅急便」として届けるのかの違い
でどうしても品質に差が出てくる。
専業者の魅力はスピードだ。 お客さんが店頭で専業
者で配達するよう指定するケースも見受けられる。 専
業者は速いという印象があるのだろう。 だが、実際に
は百貨店配送でも出荷後一日で届けている。 センター
での包装作業などがあるため、注文から数日掛かって
いるが、そのことはなかなか理解してもらえない。
昨年末、配送を丸投げした同業他社が遅配の発生な
どで大混乱に陥ったのを目の当たりにした。 ギフトは
ある一定の時期に配達依頼が集中するという特性が読
めなかったのだろう。 いくらサービスレベルが向上し
てきたとはいえ、まだまだ専業者には一括で委託でき
ないというのが率直な気持ちだ。
高島屋
岩田弘之
関東事業部物流部長
「まだまだ宅配便には課題がある」
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