ロジビズ :月刊ロジスティックビジネス
ロジスティクス・ビジネスはロジスティクス業界の専門雑誌です。
2004年1号
特集
物流企業番付 平成16年版 中堅定温業者を組織して全国を網羅

*下記はPDFよりテキストを抽出したデータです。閲覧はPDFをご覧下さい。

JANUARY 2004 24 「中堅定温業者を組織して全国を網羅」 自動車整備工の仕事に見切りをつけ、1975年に運送業を開業。
以来、 30年近くに渡り、定温物流に軸足を置いて増収増益を維持してきた。
96 年には日本各地の定温物流業者を組織化して、オールジャパンチルドフ ローズンネットワーク(JFN)を設立。
定温物流の全国網を作り上げた。
2004年4月にJFNは法人化する計画だという。
(聞き手・大矢昌浩) 南日本運輸倉庫 大園博史社長 一度もハンドルは握ったことがない ――東京・中野に本社を置いているのに、「南日本」 という社名なのはなぜですか。
「私は九州・鹿児島の出身なんです。
鹿児島から夜 行列車で東京に出てきて、しばらく自動車の整備工 場で丁稚をしていました。
一念発起して昭和五〇年、 二八歳の時に当時の最低車両保有台数の七台で運送 業を始めましたが、それまで運送会社に勤めたことは ありませんでした」 ――何で全く経験のない運送業を始めようと思ったの ですか。
「自動車の整備工では一生うだつが上がらないと考 えたからです。
整備工場の商圏は半径五キロ程度です。
開業しても整備士を五〜六人抱えてそれで終わり。
他 に良い商売はないのか。
そう考えて運送業に目を付け ました。
運送業は荷主さえ開拓できれば、商圏に縛ら れない。
いくらでも事業を伸ばせると考えました」 ――当時は簡単に運送業の免許がとれる時代ではなか ったはずです。
最初は営業免許を持たない白ナンバー のトラックで始めたのでは。
「いいえ。
実は私は現在までトラックのハンドルを 握ったことが一度もないんです。
一台一〇万円程度の 中古のトラックを買って、ドライバーを雇って、私自 身は荷主さんの開拓にあたった。
当時のドライバーの 給料は七〇〇〇〜八〇〇〇円だったと思います。
経 営者が八〇〇〇円の仕事をしていても仕方がない。
免 許もなぜかすんなり取れました」 ――昭和五〇年というとオイルショックの直後です。
そう簡単に荷物が集まったのですか。
「集まりましたね。
他の運送会社のやらない仕事、ヒ トの嫌がる物流をやったからです。
それが冷凍やチル ドだった。
二四時間・三六五日稼働。
店頭での商品 の陳列や集金までやった。
そういう仕事であれば、料 金の問題だけで荷主に切られることがない。
社員教育 さえしっかりできれば、安定した経営ができるという 考えでした」 ――定温のなかでも流通の川下の物流ですね。
実際、 荷主はコンビニや食品問屋などの大手流通業者がメー ンです。
「そうです。
そうした仕事は普通の運送会社はやら なかった。
仕方がないので問屋さんやメーカーが自分 で物流をやっていた。
しかし、きつい仕事ですから本 当はアウトソーシングしたがっていた」 不景気のほうがやりやすい ――運送会社にとってもキツイのは同じです。
御社だ って、そう簡単に人は集められないでしょう。
「確かにバブル時代には一〇〇万円の募集広告を打 っても応募者が一人もいなかったということもありま した。
他に方法がないので、それでも募集広告を打ち 続けた。
結局、バブル時代の二〜三年の間に人材募 集広告で一億円ぐらい使いました。
仕事を取るより人 を採るほうが難しかった。
しかも食品業界というのは 景気が良くても運賃はなかなか上がらない。
むしろ不 景気の時代のほうが人を集めやすいので商売もやりや すい」 「当社の商売は人手の確保、そして教育が原点です。
当社のドライバーは、単に運ぶだけでなく、荷主さん に代わって納品先の注文を取ったり、陳列を手伝った り、ルートセールス的な仕事をこなします。
商品の扱 いだけでなく、商品知識が必要です。
そして納品先の お客さんと対話ができないといけない。
だから簡単に 傭車もできない」 第2部バブル崩壊後に伸びる専業者Interview 25 JANUARY 2004 特 集 ――ルートセールスする場合には、運賃の他にセール ス活動の費用を荷主からもらえるのですか。
「もらえません。
しかし当社は最初からそれを条件 に仕事を開拓してきた。
そのため当社は採用面接でド ライバー経験をあまり重視しません。
というよりヨソ の運送会社で長年、ドライバーをやってきたという人 は、ほとんど採用できない。
運送業に対する既成概念 を持っていない人のほうが教育しやすい」 ――経営ノウハウとしては、何がヒントになっている のですか。
「少なくとも運送会社ではありません。
今、当社で 課長をしている私の息子が大学を卒業する時にも、大 手の運送会社に修業に行ってもムダだぞと言い渡して おきました。
当社と日本通運さんやヤマト運輸さんで は商売が全く違う。
それよりもマニュアルや教育シス テムのしっかりした外食チェーンなどのサービス業の ほうがいい。
実際、息子はそうしました」 各地の大関・横綱クラスを組織化 ――九六年に全国の定温物流業者を組織化してオー ルジャパンチルドフローズンネットワーク(JFN) を設立しましたね。
その狙いは? 「全国の物流を一括してやって欲しいというのが荷 主のニーズだからです。
少なくとも当社が扱っている 冷凍・チルド物流は、大手の特積み業者でも全国を 網羅していない。
逆に中小の運送会社は、全国という 荷主のニーズに応えられないと、いずれ下請けになる しかない。
そこで各地域で力のある冷凍・チルド業者 をリストアップし、頭を下げて回ったんです」 ――定温物流の大手としてはキユーソー流通システム や名糖運輸などがありますが。
「確かにそうですが、全てメーカー系列です。
流通 業者はメーカーの色がついているのを嫌う傾向がある。
それに対して我々は独立資本の専業者です」 ――現在、JFNの会員企業は全国で三〇社程度で す。
売上高を足し合わせれば、八〇〇億円以上にはな りそうです。
これはキユーソークラスに匹敵します。
今後さらに会員を増やす予定は? 「当社の会員企業はいずれも地元では大関・横綱グ ラスです。
しかも皆、増収基調を維持している。
それ を見て会員になりたいといってくる中小の経営者もい ますが、簡単には承諾できない。
我々の仕組みをゼロ から教え込むとなると時間がかかり過ぎる」 ――会員が地元の有力企業の経営者ともなると、まと めていくのも大変でしょう。
よく組織の足並みが揃い ますね。
「そのために当社は東京の荷主情報を全国の会員企 業に全て流している。
東京には情報が集まっている。
地方の物流会社は東京の情報を必要としているんです。
また、いくら地方で大関・横綱クラスであっても、中央の荷主さんは名前も知らないのが普通です。
連合を 組むことで初めて認知されるようになる」 ――しかし、JFNはまだ任意団体に過ぎません。
「確かにこれまでは仕事の融通や共配用の情報シス テムの構築の他には、社員教育を共同化する程度でし た。
しかし、二〇〇四年の四月にはJFNを法人化 します。
我々はまだまだ伸びる。
少なくとも三年先ま では、かなり明確に絵が描けているつもりです」 ――南日本自身の全国展開は考えないのですか。
「考えません。
関東圏だけで日本全体の三分の一の 市場がある。
当社自身は関東を徹底的に深堀する。
足 元固めが先です。
関東でオンリーワンの企業にならな い限り、地方進出に人材や資金を回すつもりはありま せん」 南日本運輸倉庫 代表者 大園博史 資本金 5400万円 (グループ2億2100万円) 社員数 1876人 保有車両数 834台 営業拠点 40カ所 (2003年6月現在) オールジャパンチルド フローズンネットワーク(JFN) 会員 約30社 総保有車両台数 5000台 営業拠点 171カ所 総保管面積 7万3000坪  南日本運輸倉庫は1975年、現在もトップを務める大園博史社長が車両7台 で創業。
関東圏に特化した三温度帯物流の配送事業で売り上げを伸ばしてきた。
96年、東京の南日本のほか、大阪の荒木運輸、愛知の大池運送、九州の園田 陸運、青森の南貨物自動車が中心になり、オールジャパンチルドフローズン ネットワーク(JFN)を設立。
その後、各地の定温物流業者が加わり、会員 約30社で全国を網羅する体制を築いた。
JFNは2004年4月に法人登記する 計画だ。
業績推移(本誌調べ) 90 80 70 60 50 40 30 20 10 0 35 30 25 20 15 10 5 0 当期利益(単位・百万円) 売上高(単位・億円) 99年 00年 01年 02年 8月期 売上高 当期利益

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